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それは対『運命』支配下最初の戦闘、後に『長丈草さえ刃を失う』と形容された凄絶な戦いの幕開けだった。
暗雲垂れ込める空の下、長丈草の緑の輝きを侵して、じわじわと紺と金、朱と紫に彩られたネハルール、レトラデスの連合軍がユーノ達に迫る。総勢850名、自分達が勝つのだと言う自信に満ち溢れ、傍目にはゆっくりと、だが確実にラズーンへの歩を進める。
対するユーノ達の隊は生え抜きの勇士揃いとは言え、たかだか200余名、正面からぶつかるには余りにも頼りない数、見識ある者が陣を見れば、捨てる駒にしては少々数が多すぎる、かと言って、この人数では勝ち抜けまい、さても中途半端な兵の使い方をするものよ、と眉をひそめただろう。
そしてそれは、ネハルール、レトラデスの2人にしても同様だった。
「レトラデス…」
「ええ」
兵の後ろから一団に守られ、黒駒の背に揺られながら、ネハルールが問いかける。
「どう言うつもりだと思う?」
「そうね」
赤銅の鎧と同色の被り物の下から、レトラデスはじっと前方を見据えたまま答えた。
「アシャともあろう軍師が無駄な兵の使い方をするわね」
「捨て駒か」
ネハルールはのっぺりした、そのくせどこか油断のならない狡さをたたえた顔に、薄笑いを浮かべた。
「初戦から? 冗談はよして」
馬の背で調子を取りながら、レトラデスが朱い唇を歪める。
「モディスン、シダルナンにも一隊が出たと言う。双方当てて、ギヌア様の本体を狙う気なのではないか」
「じゃあ、私達こそいい迷惑だわ」
「ああ…だが」
ネハルールは底知れない笑みをなおも広げた。
「考えようによっては楽な戦さ。本気で当たれとギヌア様はおっしゃったが、本気で当たるまでもない、こちらの勝ちは目に見えている」
「…それも…そうね」
レトラデスがようやく微笑んだ。
「戦いの初めに当たっておけば、後々早々駆り出されないでしょうし。何よりここで手柄を立てておけば、この先の戦も気丈夫、ギヌア様の覚えもめでたいと言うもの」
「そうとも。うまくいけば、この戦の手柄で後の戦場は高みの見物、片手に酒杯片手に女、格好の芝居を前に一休み、と行けぬこともあるまい」
「上等だわ。どうする? 私から行く? それともあなたから?」
「屠るなら」
ネハルールは嬉しそうに目を細めた。
「楽しんでこそ礼儀というもの」
「同感ね。じゃあ、一緒に」
くすくすと堪えきれぬようなレトラデスの忍び笑いに、ネハルールが片手を上げる。
「まずは、あいつを狙う」
ユーノに目を据えて呟く。
「じゃあ、私はその横の綺麗な子を頂くわ」
「よかろう」
レトラデスが満足そうに応じて、ネハルールが合図の片手を振り下ろした。
ゆっくり……ゆっくり。
次第に敵の前列の馬が速さを増してくるのがわかる。まるで心臓の鼓動が高まるのに耐えきれぬように、その鼓動に急かされるように。
だが、ユーノ達は動かなかった。
『黒の流れ』(デーヤ)から離れ、ユーノ達の背後の灰色塔を目指すように北上してくる敵の前で、城壁のように佇んで、ユーノを中心に左右にユカルとリヒャルティ、後方に200名が10列横隊に控えている。そしてそれらの誰一人、凍てついたように身動きひとつしない。
足元から蹄の響きが伝わってくる。このままでは屠られるのを待つしかない。
ちらっ、とユカルはユーノを横目で見た。
静かな表情、淡い青みがかった透明な『聖なる輪』(リーソン)の下の瞳はたじろぎもせずに押し寄せてくる軍勢を見つめている。ふっと、その額の『聖なる輪』(リーソン)に焦茶の髪が揺れ、なびいた。
(風…)
張り詰めて切れそうだった心が吐息をつく。リヒャルティも同じ気持ちだったのだろう、ユーノを見つめていた眼をユカルに移し、にやりと笑った。同様に笑み返すユカルの耳に、ポツリとユーノの声が届く。
「攻めるな。だが、退くな」
低い一言、だがその一言で、何かがユカルの心にしっかりと根を下ろした。
誰が命じたわけでもない。ユカルが再び前方へ顔を向けた途端、背後の10人が一斉に前へ進み出た。馬の望むままに歩かせ始める。と、次の10人がざっと音を立ててユーノ達3人の前に並び、同じように前の一列を追い始める。
「う…わ…あ…あ…あ…あ…」
遠くから押し寄せてくる敵の鬨の声、応じて味方の馬が、平原竜が次第に速度を増し、やがて低い唸りを、己を猛らせていく鬨の声と化して突進していく。
「行くよ」
「はっ」「は!」
最後の10人が目の前を走り出したのを合図に、ユーノが声をかけた。既に走らせてくれと苛立っている気配のヒストが、待ち望んだ主人の許しに難なく速度を上げる。後を追うユカル、リヒャルティが僅かに遅れるのを振り向きもせず、正に『白い星』(ヒスト)のように、小柄な姿がぶつかり始めた兵の中へ切り込んで行く。
「わあああああ」
「うわああああああ」
声はどよめきとなって草原を揺るがし、入り乱れる人馬が長丈草を蹴散らした。その度に新たに流れる血も、その上で切り結ぶ光の度に散る血潮に紛れていく。
「このっ!」「くそっ!!」「でええっ!」「はぁうっ!」「ぎゃっ!」「がっ!!」
斬る方も斬られる方も、互いの剣の行く末など追ってはいない。怒号と悲鳴、鼓膜を震わせ続ける剣戟の音、翻る刃、重い音を立てて転がり落ちる体、飛ぶ平原竜の首、なぎ倒される馬どもの絶叫、その中をユーノの声が衝く。
「攻めるなっ! 追うんじゃないっ!!」