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首が浮いている。
白い髪、冷たい端正な顔立ち、閉じられた瞼も口も、石膏にくっきりと切れ目を入れたように硬い線、僅かに赤みを帯びた唇だけが妙に生々しい。
美しいという類の顔ではなかった。ただ、人に対してどれほど酷な仕打ちが行われようとたじろがぬ、人離れした冷酷さを形にするなら、そういう顔になるだろうと言う容貌だった。
その瞼がふと持ち上がった。この世ならぬほど鮮やかな紅玉の虹彩が闇に火を吐く。首がすうっと空を移動し、光の当たる場所が変わって黒衣を付けた男の姿となった。
「シリオン」
「はい」
低く嗄れた声で呼ぶのに闇が答える。人の輪郭は見えないが、やはり男と同じような瞳が二つの火のように燃え、何者かの気配を醸した。
「何用だ」
「『ラズーン』より警告が。ジーフォ失踪はやはりまやかしとのこと。レトラデス、ネハルールに対して『星の剣士』(ニスフェル)率いる隊が出陣したそうです」
「『星の剣士』(ニスフェル)……ユーノ・セレディスか」
黒衣の男、『運命』の総大将であるギヌア・ラズーンの薄い唇に、表情に負けず劣らず冷たい微笑が浮かんだ。
「どうだ、『眼』はまだ疑われていない様子か」
「はい」
応じるシリオンの声が笑みを含む。
「恐らくは思いもよらぬことでしょう。四大公の1人が裏切っている、そこまではわかっていても、それぞれに裏切りの理由を考えようとすれば考えられる、が、考えまいとすれば、誰にも当てはまりませんから」
「……」
「ジーフォはアリオ・ラシェットのことで、アギャンは父親のことで、セシは己の野望で、ミダスは一人娘リディノのために………アシャに対する思い入れ、『ラズーン』への賭け方も各々違おうと言うもの」
「アシャは今どこにいる?」
「ミダスの屋敷に戻っている様子です。恐らくは、西は『星の剣士』(ニスフェル)隊に任せ、東はシャイラ率いる隊に委ね、自分はミダスから『氷の双宮』を守るつもりであろうと、『眼』が報告してきております」
「『泉の狩人』(オーミノ)と野戦部隊は?」
「『泉の狩人』(オーミノ)は動く気配がありません。万が一動いたとしても、こちらには『穴の老人』(ディスティヤト)と言う手駒があります。野戦部隊は分散しており、例の『ラズーン』内側に入り込んだ隊を動かせば、それで手一杯になるはず」
「ふむ」
ギヌアは僅かに目を閉じた。
「こちらの手配りは?」
「西よりネハルール、レトラデスが、東よりシダルナン、モディスンが、中央セシにベシャオト2世とシーラ、ミダスにカザディノを配しております。潜伏している隊には『眼』がギヌア様の命令を伝えます。控えている『運命』には若輩ながら、このシリオンが長につき、以後あなたの命に従います」
「勝敗は」
「五分と五分」
言い切ったシリオンの声に、ギヌアは満足そうに唇を綻ばせた。
「そうか。五分と五分……支配下を崩して勝てる、か」
「はい」
シリオンの声も、禍々しい笑みを含む。
「この戦い、火種のつけ方さえ間違わなければ、生き残るのは我ら『運命』のみ、人間の姿なぞ、草木一本にも残りますまい」
「世を滅して、『運命』が残る…か」
ふっとギヌアの瞼が持ち上がる。真紅の瞳で、闇に潜むシリオンの姿を射抜きながら、
「ネハルール、レトラデスに全力で当たれと伝令を送れ。シダルナン、モディスンにも同時に攻めさせる。狙いは『氷の双宮』にあり、とな。西を『星の剣士』(ニスフェル)に、東を『羽根』に抑えられ次第、伝令をよこし状況を報告せよ。その際に、中央を突破する」
「はっ」
ゆっくりとギヌアの眼が細くなる。紅の虹彩が糸のように細く、矢のように鋭く、闇に光る。
「シリオン」
「はい」
「闇を…制すぞ」
「御意」
気配は消えた。