プロローグ1
【前書き】
初めまして。「ねむだる。」です。
初の執筆作品となります。
今回は一時間後に【プロローグ2】を投稿させていただきます。
ただ、読者様には申し訳ないのですが、まだこの作品は未完の上、完結できるかも、連載できるかさえわかりません。理由は【プロローグ2】の後書きに書いておきます。
それをご理解の上、読んで頂ければと思います。そしてもしよろしければ、ご感想やご意見をいただきたいです。初の試みのため、稚拙で足りない部分が多いかとは思いますが、少しでも楽しんでもらえたらと思います。
ゲーム。
それは人類の欲求の体現者である。
VR。
それは現実を超えた現実である。
フルダイブ型VR。
それは現実であり現実ではない、人類の叡智の結晶であるーーーはずだった。
フルダイブ型VRは、失敗だった。
人類は進化を繰り返してきた。それは生物学的にも言えることだが、技術的部分が大きい。文明を築き、発展させ、今日まで辿り着いた。
その道中には数え切れないほどの過ちもある。戦争では、数多の命を失った。独裁や奴隷制度、貧富の差には語られることのない無数の悲しい物語がある。
だがそれらの過去を乗り越え、発展途上国は発展を遂げ、今では飢餓に苦しむ者もほとんどいなくなった。
それにより、世界規模で犯罪率は減少の一途を辿っている。科学や技術の進歩により、人々の暮らしは便利で安全なものになった。
そしてついに世界平和達成宣言が採択された。
つまり、人類が永きに渡り望んで来た世界平和がついに達成され、人々の日常が侵されることはなくなった。
だが便利で安全な平和が約束された日常は、人々を「飢え」へと追い込んだ。刺激へと、スリルへと非日常へと。
しかし何世代にも渡り、世界規模で洗脳されてきた「罪を犯してはならない」という固定観念に無意識に縛られ、例え犯罪を犯そうとしても「捕まらないことはありえない」という現代社会では、犯罪を起こすことは自殺行為に等しかった。
そこで人々が飢えをしのぐため欲望の捌け口に選んだのが、人間の歴史とともに歩み、技術の発達とともに進化し続けてきた「ゲーム」。
昔は一部から迫害されてきたゲームも、時代や研究結果を重ね受け入れられるようになり、文化へ。
そして技術の発展とともに「Electronic Sports」として人気を博し、「eスポーツ」と称されるようにまでなった。
そしてその歴史の最前線を走るのが視覚と聴覚を非日常へと繋げることのできる「VR」。
だがやはり進化は止まってはならない。人々はさらなる高みを、五感全てを、意識そのものを仮想現実の世界へと繋げることができる、数々のフィクション作品で描かれてきた「フルダイブ型VR」を求めた。
それに呼応するかのように、ゲーム業界は総力を挙げて研究を進めた。
そして遂に技術の、ゲームの歴史の到達点と言われていたフルダイブ型VRが誕生。発売前から予約は殺到、初期生産台数に対し、倍率は三桁越え。爆発的人気を獲得し、ゲームの、非日常の頂上に大きく期待が寄せられた。
だがしかし、人々の期待は見事粉々に打ち砕かれた。誰もが完璧を求めてしまったがゆえに、誰もが気づいてしまったのだ。フルダイブ型VRの違和感に。
五感を全て仮想現実の世界へと繋げることで、現実と変わりない活動ができると思っていたし、それが理想だった。
だがどの企業の出すフルダイブ型VRも、ほんの僅か。現実での、意識したことを行動に起こすためにかかる時間とのほんの僅かの差が引っかかった。
現実でかかる時間との相対的数値的時間で言えばほぼ零に等しい。だがその僅かな差は、着々と人々にストレスを与えていった。慣れれば気にならないと思われたが、何十年も、遺伝子レベルで言えば約一億年もかけて染み込んだ意識の伝達時間は絶対のものであった。
例外としてスポーツ選手やアスリート達のように、反射神経を鍛えたり、トレーニングにより脳から下される命令に対する反応速度を上げることはできるが、未だ誰も「反応速度を遅らせる」ことはしてこなかったし、できない。
しかしこれ以上の技術の進歩も望めず、ゲームをする側も作る側も、幾年と続いて来たゲームの歴史についに限界を感じ始めていた。
人々の欲求は、時代と、ゲームの成長とともに遺伝子レベルで築き上げられてきた、「質」に対する欲求。
だがともに成長していたはずの非現実が、成長を止めてしまったのだ。
するとどうなったか。世界平和の達成されたこの世界で、変わらない平和な日常から離れる術であったゲームに対する欲求だけが満たされずに溜まっていった。
こうして、人類の叡智の結晶となるはず、なるべきであったフルダイブ型VRは未完成で完成となってしまい、人類の歴史の一部に大きく終止符を打った。
そのおかげか世界単位で「リゲーム現象」と言われる動きがあった。
名作と謳われるゲームを中心に過去のゲームを漁る者、そしてゲームから離れる者。
この二極化は、再び過去のゲームをプレイしなおすという意味での「Re」、ゲームから離れるという意味での「離」からそれぞれ「リ」を取って、いつしか日本では「リゲーム現象」と言われ始めた。
そんな中ある日、突如として究極の非現実が現れた――。