プリンは硬い派? 柔らかい派? 後編
4月も下旬ともなれば、市内を走るのに路面の心配をする必要はそれほどない----けれど、それはあくまでも市街地に限る、という但し書きが付く。
美術館がある辺りまでは両脇に民家もあるし、カフェやレストランもちらほらある。
路線バスもここまでは来ているようだ(ただし寝過ごしてしまうと後が悲惨そうだけど)
そして、美術館入口を通り過ぎたなと思っていると、もう山の中に入っている。
民家どころか建物が何もない。
そう、私達は市街地の南端をあっという間に抜けてしまったのだ。
(ここから山越えか……ってか、車も全然走ってないし……まだ市内だとは思えないくらいに何もない……)
「……なんか寒くなってきた」
「そりゃ山道だからね」
ヒーターを入れ、私は外気温の表示を確認する。
うん、街なかよりは2度くらい低い。
「暖房入れたけどもし寒かったら……」
遠慮なくそこにあるストールを使って、と言いかけた時には、綸子はもうタータンチェックのストールを勝手に引っ張り出してモソモソと包まり始めていた。
(蓑虫かよ!)
緩やかに、だが確実に山道を登って車は走る。
本当に、何もない。
あるのは山肌を埋め尽くす木々の剥き出しの肌と、道路の両脇にてんこ盛りになった雪だ。
そこから流れ出る雪解け水が、アスファルトを黒々と濡らしている。
(うぅ雪解け時期はこれだから怖いんだよ……)
日差しがある所はいいけれど、陰になっている部分は早々に凍結して、ブラックアイスバーンになってしまうのだ。
(ひぇぇ……なんか滑る……気がする……スタッドレスちゃん頑張って……!)
スリップの恐怖から、ともすればスピードを落としたくなるのだが、こういう時に限って後続車が姿を現す。
これ、マーフィーの法則に載りませんかね? え? やっぱりダメか。
(もちろんギュッ! もちろんギュッ!)
カーブのたびに、CMの福山の顔を思い浮かべてハンドルを握りしめる私。
そして人の気も知らずに、お嬢様は「ねぇ、道これで合ってるの?」などと抜かして下さるのだ。
「いやいや言う通りに走ってるだけですし」
「でも全然見えてこないじゃん、湖」
そうこうしているうちに、今度はカーブがぐんぐん増えて来る。
ヤバい。
この道はまだ私には早すぎた----気がする。
「た、多分だけど……この辺りがもう峠なんじゃないかな」
「そうなの?」
という事は、次は下り坂になる。
後続車、いつの間にか増えてるし----追い越し禁止だし。
(ひぇぇぇ……後ろの車の人、なんかごめんなさいぃ……!)
これ以上はないというくらいの安全運転(気持ちの上では)で私は峠を下った。
「あー見えた!」
そして----助手席で綸子が声を上げる。
「やっぱり合ってたじゃん!」
「いや別に最初から間違ってないから……」
一気に下る坂道から見下ろす湖は、そこにあるのが分かっていても息を呑んでしまう迫力だった。
やっぱり大きい。
そして、ザ・北海道というテロップが入りそうな圧倒的存在感。
「……樽前山ってどれ?」
「分かんない。てっぺんにプリンみたいなのが乗ってるやつじゃない?」
ガイドブックには絶対この辺りの眺めがオススメとか書いてありそうだが、あいにく三秒以上脇見をすると事故りそうなので、質問にも適当に返す。
「で、このまま真っ直ぐでいいの? どっか曲がるの?」
「えーと」
湖のどこに行きたいのかが分からないが、確か場所によっては通り抜け禁止だったりして、湖に沿って走れば目的地に着けるという事でもないのが厄介なのだ。
「453号線をこのまま走って」
「了解」
観光センターの横を通り過ぎると、もう湖はすぐ横だ。
これ風が吹いたら波飛沫が来るんじゃないのってくらいに、湖面が近い。
文字通り山と湖の間を走り抜ける感覚だ。
そして覆道がやたらと多い!
「いち……に……さん……」
数えたら七つあったらしい。
山からの落石とかを防ぐのだろうか?
「もう着く……かな……?」
ぽつぽつと民家が姿を現し始め、対向車も増えて来た。
ホテルとかも見えるし、温泉街に入ったっぽい。
「右……右ね、右に駐車場があるからそこに入れて」
「へい」
思ってたより大きな駐車場の入口で、おじさんに料金を払う。
「こんな時期なのに割と人いるね……っていうか、お店とかもうやってるんだ」
第一駐車場とあるスペースにチャンプ号を停め、私達は湖側に向かって歩く。
綸子はストールを羽織ったままだ。
「あー、そうか、今やってなかったかもしれないのか……」
ハッとした感じで呟いている。
こらこら、事前に調べたんじゃないのかい。
「前に来たのはいつなの?」
「……小さい時」
こちゃこちゃと食堂や土産物屋が集まった辺りを、居なくなった猫でも探すかのような足取りで少女は歩く。
私はその後を着いていく。
「……ここだ」
一軒のログハウスの前で、綸子は足を止めた----。
「……ここのね、プリン、硬いの」
「へぇ……?」
綸子はメニューも見ないでいきなりプリンのセットを頼んだ。
「私は柔らかい方が好きなんだけどね」
「うん、聞いた」
私達の目の前には、白いお皿に載った二等辺三角形のプリンが置かれている。
思ってたよりも大きい。
「じゃ、いただきます」
「いただきます」
プリンの表面は、結構凸凹だ。
たっぷりのカラメルソースが掛けられていて、無地のお皿の上にも濃い琥珀色の光沢が広がっている。
(見た目は素朴な感じだなぁ)
これが普通のカフェとかだとなんか野暮ったいのかもしれないけど、ログハウスの中で見ると、こっちの方が正統派なプリン! って感じですらある。
(……お、美味しそう……)
どこからスプーンを入れるか一瞬迷って、
えい。
二等辺三角形の先っちょを切り取る感じで、口に運ぶ。
「……んん……!」
あっこれ玉子の風味が濃い。
ソースもそれに負けてないけど、ちょうどいいところでそれぞれの味が出てるから、全体的に濃い! でも甘すぎない! という絶妙なバランスが伝わって来る。
「……硬いのも、美味しいね」
「でしょ?」
プリンはケーキを買う時のついでのものとか、風邪で味がよく分かんないけど咽喉越しのよさで食べるとか、そういうイメージがあったけど、ごめん----プリン舐めてた。
「大人になったら、これ二つ頼んでお腹いっぱい食べるんだって思ってたんだよね」
「分かる」
コーヒーのいい香りを嗅ぎながら、私達は黙々と、でもなるべく無くなるのが遅くなるようにプリンを切り、カラメルを掬う。
「プリンは風邪ひいた時の食べ物だって思い込んでたけど、こうやってお昼に単品で思いっ切り食べるのもいいもんだね」
「……うん」
駐車場に戻りながら私が振り向くと、綸子は何か考えているような顔付きだった。
「風邪ひいた時って、やっぱり皆プリン食べるんだね」
「……食べないの?」
綸子はブーツの爪先で小石を蹴った。
「風邪って、ひいた事ないから」
「……?」
ずいぶんと寂しそうな顔だった。
湖面からの風が吹いて、少女のストールをふわりと揺らした----。