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電車は、好き? 後編

「ねぇ、SAって何?」

「……サービスエリアだと思うけど、あの……ちょっと運転に集中させてね」


 高速に乗ると、当たり前だけど車の流れが全然違う。

 都市間高速バスや大型トラックの姿が一気に増えるし、何よりどの車も慣れた感じで走っているので、そのペースを乱しちゃいけないという緊張感がすごい。


「でもさ、急いでるならなんで皆並んで走ってるの? 左側車全然走ってないよ? そっち走ればいいのに」

「いやそっちは走行車線だから……」


 良かった。

 教習所で習った事は一応覚えてる。


 しかし当たり前だけど、免許がない少女からすれば何もかもが珍しいのだろう。

 そんな事聞くなよという事を普通に聞いて来るし、聞かれると、実際ちょっと焦ってしまう。


「サービスエリアとパーキングエリアってどう違うの?」

「……サービスエリアの方がなんか色々ある……と思う……」


 そうは答えたが、実は全然自信がない。

 チラリと横目で車載ナビを見ると、SAの表示が出ている。

 

「とりあえず、一回降りて休もうか?」

「うん」


 正直ほっとしながら私はサービスエリアに入る。


(運転って、こんなに疲れたっけ?)


 二時間走ったら一回休憩しましょうなんてよく聞くけど、三十分も走っていないのにこの疲労感である。

 

(……いや、誰かを乗せて走るって、こういう感じなのかもしれないな)


 売店の前でソフトクリームのポスターに無言で張り付いていた綸子に小銭を渡して、私はホットコーヒーを飲みながら停めてあるチャンプ号の青い車体を眺めていた。


 チャンプ号は、周りの乗用車に比べて小さい。

 いわゆるコンパクトカーの一種だ。


 トランクは買い物袋を幾つか載せればいっぱいになるし、車内はお世辞にも広いとは言えない。

 現に、綸子のやたらとでかいトートバッグを置いただけで後部座席は埋まってしまう。


 でも、一人で乗るにはちょうどいい空間だった。


(うーん、なんか……やっぱり慣れない……)


「風子ってコーヒー好きなの?」

「どっちかっていうと苦手かな」


 私の答えに、ソフトクリームを食べ終えた綸子は怪訝な顔をする。


「でも、あなたを乗せてるんだから運転中に眠くなったりしたら困るでしょ?」

「……ふぅん」


 海に向かって私達はまたチャンプ号を走らせる。


「で、どこで下りればいいの?」

「ええと、次のインター……あ、海……!」


 遠くに見え始めた海は空との境界線が曖昧で、とろりとした灰色だ。

 それでも、海が見えるというだけでちょっとだけワクワクしてしまうのは、何故なんだろう。


「インターチェンジを降りたらちょっとだけ5号線を走る感じで走って……そこからえっと、洞窟の方に行って」

「洞窟……? あ、もしかしてあそこ……!?」


 なんとなく分かったような気がして、私は思わずハンドルをポンと叩いた。


「そっか、今日は電車を見に行くんだもんね?」

「……ん、まぁ……そんな感じかな」


 5号線沿いには古いお寺や商店が並んでいて、賑やかな運河周辺とはまた別の雰囲気が漂っている。

 歩いているのも、ほとんどが地元のおじいさんおばあさんといったところだ。


(昔はもう少し賑やかだった気がするんだけど……)


 学生時代とかにたまに遊びに来た時は駅前までの高速バスを使っていたから、この辺りの光景は覚えている。


(……懐かしいなぁ)


 駅前はさすがにバスが多くて、私はまた少し緊張しながら運転する。

 綸子は窓とスマホを交互に見ている。


「道、これで合ってる?」

「……多分」


 運河を右側に眺めながら、私は慎重に目的地を目で探す。

 昔と変わっていないのなら、もうそろそろ見えるはずだ。


「……あった!」

「これ!」


 ほぼ同時に声を上げる。


「へぇ、まだあったんだ……」


 がら空きの駐車場にチャンプ号を停めると、綸子は転げるようにして車から降りた。


「着いた! ここだよ!」


 博物館の駐車場の一角に、その列車は停まっていた。

 

 青い車体。

 その前に翻る、イタリア国旗。


 昔の国鉄の車両をそのまま使っているレストランだ。

 存在は昔から知っていたけど、入るのは初めてだ。


 綸子はすたすたと階段を上り、中へと入って行く。

 ここに来るまでの人の多さとはうって変わって、お客は私達二人だけのようだ。


 そのレストランは、中も本当に列車そのままだった。

 照明は点いているけれど、窓からの明かりが店の中を柔らかく満たしている。


「……すごい」

 

 別に列車好きでもなんでもないのだけれど、網棚の下にずらりと並んだ木製のテーブルの光沢と、奥にある「C」の字に置かれたソファの青さがパッと目に入って、本当に列車に乗り込んだかのような高揚感が込み上げて来る。


「ここがいい」


 コートを脱ぐなりぽすんとソファに腰を落とし、綸子は卓上のメニューを開いた。

 ワイン色の表紙がまたいかにも美味しい物が載っていますよという感じであるが、少女は、まるでもう頼む物は決めてあるといった感じの勢いでそれを捲る。


「あった……」


 少女の視線の先を私も覗き込む。


「ペンネのグラタン……法皇風……?」

「うん」


 法皇風、なんて初めて聞く名前だ。

 色々迷ってみるのも楽しそうだったが、結局私は綸子と同じ物を頼んだ。


「前にここに来た事があるんだ……子供の時だけど」


 頬杖をつきながら、少女がぽつりと呟く。


 窓の外では雪がチラつき始めていた。

 グラタンだからちょっと時間がかかるなとか思いながら、私は人けのない駐車場と、その向こうの道路を眺める。


「ここの博物館、夏は外に置いてある電車に乗ったりできるから、お兄ちゃんのお気に入りだったの」

「へぇ」


 家族構成とかも、そういえば全然知らない。

 普通は聞いた方がいいのだろうけど、なんとなく、話してくれるまでは聞かない方がいいような気がして、グラスの水を飲んだ。


「電車見て、帰りはここでグラタン食べて……」

「グラタン好きなの?」


 そうでもないよ、と少女は答えた。


「なんか……よく分かんないけど、ここで食べるのが好きだったの」  

「そうなんだ」


 厨房の方から、微かに香ばしい匂いが流れて来る。

 分かる気がした。


 ここで食べるグラタンなら、絶対に美味しい----。


「……あ、来たよ」


 しばらくして運ばれて来たグラタンは、ウッドプレートに載せられてまだグツグツと湯気を立てていた。

 入っている陶製の容器に描かれた青い花が、何とも言えないノスタルジーめいたものを誘う。

年季が入った器だけど、大事に使ってるのが分かる。


「いただきます」

「いただきます」


ちょっと背筋を伸ばすような気持ちで、焼き色の付いた表面をそっとスプーンで掬う。


「……あつっ!?」


 綸子はといえば、もう一口目を口に入れてフゴフゴ言っている。


「んふ……ッ、ふぁ……!」

「いやいや、落ち着いて食べなさいよ」


 確かに熱い。

 でも、美味しい。


 熱いと味が良く分からないものだけど、このグラタンは上から粉チーズも振り掛けてあって、味が濃い。

 そしてまた、エビとよく合う。

 

「これ……ッ、ほふ……ッ、エビ、プリプリしてて美味しい……」

「でしょ……? ペンネもおいし……ほふッ、あっつ……!」


 冷ましている時間が惜しいと思うグラタンは、これが初めてかもしれない。

 私達はそれぞれの皿を抱えるようにして、ひたすらスプーンを進めたのだった。


「……ふぁっ、口の中火傷したかも」


 満足げな顔で呟き、綸子はスプーンを置いた。

 もちろん皿の中身は綺麗にこそげ取られている。


(さすがに火傷まではしなかったけど……でも、つられて一気に食べてしまった)


 窓の外では牡丹雪が舞っている。


「あの人達、何やってんの?」

「……中国とかからの観光客っぽいわね」


 気が付けば、カップルと思しき外国人の若い男女がウェディング姿で写真を撮っている。

 S市内などでも最近見かけるようになった光景だ。

 カメラマンの前で愉しそうに何度もポーズを決めている。


「ここってそんなに有名なの?」

「うーん、あっちの映画のロケで使ったとかかな……?」


 そこまで言って、私は本来の目的を思い出した。


「そうだ、写真撮らないといけないんじゃなかった!?」

「あ、忘れてた……!」


 綸子は慌ててトイレに駆け込んで行った。

 そして三分後----。


「……よし、撮ろう!」


 少女は、アパートに来た時と同じ、艶やかな黒髪に戻っていた。


「あ、これ? ウイッグ」

「……わざわざ持って来たんだ?」


 親を心配させないためなのか、はたまた親の目を欺いて羽を伸ばす為なら労力を厭わないのか。

 

(……やっぱり、分からない)


 首を捻りながら会計を済ませ、マッチを一つもらうと私は店の階段を下りた。

 さっきのカップル達はもういない。


「あ、あとこれ……はい、自撮り棒ね。上手く撮ってね」


 丸投げかい。


 色々と構図を考えてみたけれど、結局私と綸子は列車の前で並んで写る事にした。


「じゃ、撮るからね? はい、チーズ」

「古……ッ!? あ、もしかしてグラタンだけにチーズとか……?」


 妙な所で突っ込まれて、噴き出しかけたところでシャッターが切れた。


「……撮り直そうか?」

「ううん……これでいい」


 撮れたばかりのツーショットを見ながら、少女は首を振る。

 口の中を火傷したと言った時と同じような顔になっていた。


「次はもっと美人に撮ってね」

「はいはいお嬢様」


 海からの風が、牡丹雪を激しく舞わせ始めている。


「さて、帰りますか」


 私はポケットから車のキーを取り出すと、歩き始めた。

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