ねえねえ、今度の日曜日はなんとかピエロっていうハンバーガーが食べたいんだけど……? 後編その2
「なんかさ、同じ病気でも私の症例って世界的にも数例しかなくて、そのほとんどが発病してから数年で亡くなっちゃったらしくてさ……だから私も、初めは小学校に入れるかどうか分かりませんって先生から断言されてたらしいよ」
「それは知ってたの?」
まさか、と綸子は笑った。
「だって病気って言われても歩けるし、ご飯も普通に食べれるし、頑張ってれば家に戻れてまた普通の生活に戻れるってお母さんも先生も言ってたからね……ランドセルのカタログとか持って来てもらって普通に欲しいヤツ選んだりとかさ、一緒に本読んだりプリキュアごっこやれるお友達もいたし、その頃はまだちょっと長いお泊りみたいに思ってた」
「そっか……」
そう返すので精一杯だった。
高速道路であろうとどこで聞かされようと、私の語彙を越えた感想しか湧いて来ないような話だ。
「なんかしばらくは自分はそういう幼稚園に入ったんだ思ってたし」
三歳や四歳の子供に向かって、貴女の病気は治らないし、きっとみんなのように小学生になる前に死んでしまうなどと告げられる親は、まずいないだろう。
「それに……もともと友達がいなかったからさ、入院して最初の頃はむしろ遊び相手ができて嬉しかったくらいだったんだ」
何だろう。
すごく、胸が痛い。
「こう見えても昔の私って、結構素直だったんだからね」
このまま先生や看護師さんの言う通りいい子にしていたら治る。
ちゃんとお薬を飲んでたら治る。
辛い検査も頑張れば治る。
何よりも、仲の良いみんなといられる。
少女に不安はなかった。
ただ、明るくて楽しい未来がこの先に待っているんだと信じて、入院生活を耐えた。
「……でもやっぱり、時間が経つにつれて、なんか少し変だなみたいな感じになってくるんだよね」
「そうなの?」
道路は緩やかなカーブを描きながら内浦湾(噴火湾)に沿って伸びている。
海側にはどこか懐かしい漁港の風景が見え隠れしている。
「仲の良かった子が急にいなくなったりとか、そういうのが時々あるようになったり、漫画とかアニメだと皆でお菓子を半分こして分け合ったりしてるのに、看護師さんからは絶対にダメって言われたりとか、そういう、ちょっと変だなみたいな事はあったかな……免疫力がどうのこうのとか言われたけどさ、子供に分かる訳ないじゃん?」
それはそうだろう。
外の世界と同じ生活をしていたと思っていたのに、少しずつそうじゃないと分かり始めた時の違和感と、不安。
ゆっくりとかけ離れていく、自分達と、外の世界。
それを綸子は幼いながらも感じながら生きて来たのだ。
「それからは少し体調が悪化して個室になったから、さすがの私もやっと気付いた……もしかして、私って治らない病気なの? 死んじゃうの? って」
有珠山の威容を右に眺めながら洞爺湖の横を通過し、しばらくは海岸線から離れた山中を走る。
植生が変わって来たからだろうか、なんとなく、空気の匂いも少し違う感じがする。
「……それでもさ、先生は絶対大丈夫、って言うのよ」
「まぁ、そう言うよね」
手術をすれば治る可能性のある病気ではあったが、当時はその執刀ができる医者が限られていたらしい。
綸子がいた札幌の病院にはその技術を持った医者はいなかった。
「で、ウチの父親はサラリーマンをやめて、東京の病院に私を転院させるため不動産の会社を始めたんだ」
なるほど。
それが今のロータスコーポレーションな訳だ。
「それでなんとか費用が溜まって、さあ東京の病院に行くぞ! 治るぞ! ってなったら、その先生、今度はアメリカまで行っちゃって……ウケるしょ?」
へへへと笑った綸子だったが、私は笑えなかった。
ウケる訳がない。
やっと掴めた希望が手から簡単にすり抜けてしまったという絶望を、僅か五歳くらいの少女は、どんな思いで乗り越えたのだろうか?
「で、そのうちにまた新しい方法で治せるかもってなって、別の大学病院で薬の治験を受けたりしたんだけど、現状維持みたいな感じであまり効果がなかったりでさ……子供だから疲れちゃったんだよね……ノイローゼみたくなって、病院から逃げようとしたり、薬を飲むのをやめて大騒ぎになったり……」
希望と絶望。
安堵と不安。
ジェットコースターのように上下する感情に振り回されたとしても、仕方のない事だ。
っていうか、むしろそれでも壊れないでいる綸子の精神力は大したものだと少し感心してしまう。
「……で、そこの精神科の先生に診てもらう事になって、それが鴨島さん」
「鴨島さん!?」
いきなり思わぬ名前が出て来て私はつい叫んでしまった。
「あの人、秘書じゃないの!?」
「秘書だよ、でもその前は病児専門の精神科医っていうの? そういうのやってた」
車は山の間をグングン進む。
緑が目に眩しい。
左側には函館本線と五号線。
この辺で噴火湾のやっと半分まで来た感じだろうか。
(……先は長いな)
とはいえ、もう北海道の湘南なんて呼ばれている辺りだ。
雪も少ないし、気温もさほど低くないし、年を取るとここらに移住する人も結構多いらしい。
(……じゃなくて、鴨島さんって、そんな凄い人だったの!?)
私の部屋に来ては玄米茶をのんびり飲んでる姿ばかり見ているから(というかそのくらいしか接点がないから)俄かには鴨島さんと精神科医という言葉が結び付かない。
「ま、それから何年かはある程度症状も安定して、鴨島さんのいる病院で過ごしてたから、ある意味一番長く付き合いのあった人になるのかもね」
一番初めに感じた鴨島さんのお母さんのようなオーラはそれだったんだろうか。
でも、それなら他の家族は?
「………ご家族は綸子ちゃんのそういう気持ち、あまり知らなかったの?」
とうとう私は聞いてしまう。
聞いてしまわずにはいられなかった。
『互いの事は詮索してはいけない』という契約時の約束を破ってしまう事を知っていながら、それでも私は綸子に聞いてしまう。
だって、あまりにも酷な話だ。
「鴨島さんにしか相談できなかったの?」
「……そういう事になるのかな」
ちょっと上を向くようにして綸子は答えた。
「その頃になると父親の事業も軌道に乗って有名になっていたし、お兄ちゃんは東京の全寮制の学校だったからなかなかお見舞いには来られなかったし……お母さんは、私を生んでから身体を悪くしてて、小学校に入る頃かな……? 私の代わりみたいに死んじゃった」
「……ごめん」
別にいいよ、と少女は髪を掻き上げた。
契約を破った事に対してなのか、答え辛い質問をしてきた事に対してかは、横目で顔を確認しても分からなかった。
(……怒ったかな?)
分かってはいても契約打ち切りだとか、退去だとかいう文字が頭の中を過る。
でも、これでいいんだ。
(チャンプ号、ごめんね……次は頑張って屋根のある駐車場を探すからね)
しばらく沈黙が続いた。
綸子が何を考えているのかは分からなかった。
そして----。
「アイス食べたい」
ぼそりという声が聞こえた。
「大沼公園インターチェンジを出たらすぐんとこにあるから」
「わ、分かった」
私は急いで気を取り直す。
そう、そろそろ長い高速道路も終点だ。
ここからはいつもの5号線を走る事になる。
運転に集中しないと、運転手として失格だ。
(そうだ、後の事は後で考えよう……まずはこのお嬢様を無事に函館までお届けする事を考えなきゃ!)
そんなこんなで、大沼公園の手前で私達は長い長い高速道を降りる事となったのだった。




