ねえねえ、今度の日曜日はなんとかピエロっていうハンバーガーが食べたいんだけど……? 中編その3
「えっ、ちょっと待って……鴨島さんって、あの鴨島さんだよね?」
びっくりしすぎてバカな事を聞いてしまう。
鴨島さんが他にもいたらちょっと怖い。
「だからそうだってば」
「社長秘書じゃなかったの?」
高級そうなスーツに身を包んで、いつも笑みを絶やさない鴨島さんは、いかにも社長秘書という出で立ちだ。
まぁ、初めて会った時は綸子のお母さんなのかと勘違いはしたけれども。
「うん、だから社長秘書だよ?」
あれ?
なんだか会話が噛み合ってなくないか?
「社長って、その……お父さんの秘書って事じゃなくて?」
いけないいけない。
混乱しながらハンドルを握るのは私にはまだ100万年早い。
教習所でもおじいちゃん先生に言われた気がする。
運転する時は余計な事は考えないで、心を無に----。
(って、難しいです先生……)
とにかくここは落ち着こう。
「つまり……お父さんには秘書が何人かいて、そのうちの鴨島さんは綸子ちゃん担当の社長秘書って事ね」
「ううん、私が社長だから、鴨島さんはその秘書」
『私が社長です』
なんかそんなホテルの広告が、ぽわわわんと頭に浮かんだ。
あのCMまだやってるのかな?
「綸子ちゃん……社長だったの……?」
「まぁ、一応ね」
社長に一応も何もないと思うんだけど、綸子はちょっと照れたように首を傾げた。
「高校卒業した時にさ、お父さんに社長にしてもらったんだ……グループのシステム管理的な仕事だからお前でもできるだろって言われて」
「そ、そうなんだ……」
人間、考えてもいなかった事を聞かされるとポンコツみたいな返ししかできないものだ。
いや、私が特にそうなだけなんだろうけど。
「……綸子ちゃんってすごかったんだね」
その上うっすら失礼な感想を述べてしまい、私は慌てて言い直す。
「綸子ちゃん……その、システム管理とか……私なんかよりよっぽど、ちゃんと社会人してるじゃない」
「……そうなのかな?」
私の言葉に、綸子は窓の外を見た。
室蘭の街が、工場群が、どんどん後ろに去っていく。
「ちゃんとした社会人って、どんなのかよく分かんない……」
「いや、まぁ私もよく分からないけど……ほら、人それぞれじゃない……?」
人それぞれ。
道を走る車のように。
人生ってドライブに似てるのかもしれない。
「人それぞれ、かぁ……」
噴火湾に沿うようにして、道も緩やかで長いカーブに入っている。
このまま並走する37号線とくっ付いたり離れたりしながら、大沼公園まで続くのだ。
「……このペースならお昼ちょっと過ぎにはちゃんと着けそうですよお嬢様」
何か考え込んでいる少女に、私はわざと明るく声をかけた。
「本当はちょっと心配だったけど、案外私も運転できるもんだね」
今までのドライブで一番長い距離を走ったのは日高本線を見に行った時だけど、ここから先はその距離を超える。
(……思えばこの春から始まって、このお嬢様とは結構色んな場所へ走ったんだな)
ふと今までに行った場所を思い返し、私はちょっぴりセンチな気分になる。
どこも、綸子がナビしてくれなかったら絶対行かなかったような場所ばかりだ。
(私、どこかでこの子の事、何も知らなくて何もできない可哀想な子だって思ってたんだ……)
だけど。
考えてみれば当たり前なんだけど。
綸子は綸子なりの知識と行動力を持っているのだ。
(ダメなのは私だな……知らなくていいって言われて、その言葉に甘えて……私が世話をしてるつもりになって、でも……)
色んなものを見て来たつもりの私は、逆に自分が何も知らなかった事をこの子に教えてもらったのだ。
うん、やっぱりこの子は、私なんかよりずっと----ちゃんと生きてる。
「……なんで私みたいな引きこもりが社長やれてんだって思ってるでしょ?」
綸子がいきなり口を開いた。
さっきの話をずっと考えていたらしい。
「そんな事ないよ……逆に、なんか……色々腑に落ちた感じ」
私の言葉に「え?」と目を見開く。
詮索はしない。
それが私達が契約を結んだ時の約束だ。
だけど、綸子は自分からこうやって話してくれたのだ。
一歩だけ、私の方へ来てくれたのだ----自分から。
だから、私も切り出した。
「多分だけど、綸子ちゃん……もしかして小さい時からずっと入院とかしてたんでしょ?」
「……うん」
あっさりと頷いて、少女は自分の胸元を指す。
「ここがね、なんか生まれつき難しい病気だったらしいの」
病名は一度聞いても覚えられるような長さではなかった。
だけど、私は聞き返さなかった。
「三歳の時かな? 遊んでたら具合が悪くなって病院へ連れて行かれて……そのまま入院させられて」
薬を飲まされて、ベッドに寝かされて、それでも一晩寝て起きたら自分の家に戻っているんだと思ったそうだ。
だが、少女がその病室から出る事はなかった。
白くて大きなベッドが少女の新しいベッドになった。
毎日のように一緒に遊んでいたお友達の代わりに、同じような病気の子達と過ごす事になった。
「でもね、仲良くなってちょっとすると……必ずいなくなっちゃうの」
親に手を握られて嬉しそうに退院していく子。
容態が急変してそのままいなくなった子。
どっちの方が多かったのかは覚えてないと綸子は呟いた。
きっと、それは嘘だ。
「退院したら遊びに来てねって言ってくれた子や、手紙をくれた子も、半年もしたらもう私の事なんか忘れて元気に、普通の生活に戻って行ったんだと思う……当たり前だよね」
もし逆の立場だったら私だってそうしてたと思う、と少女は言った。
「それがみんなの普通なんだって気付くまでには、結構時間がかかったけどね」
「……そうなんだ」
そろそろ有珠山が見えて来る頃だ。
綸子の楽しみにしていたサービスエリアも近いはずだ。
(って、こんな話の後にソフトクリームもないかな……)
そっと横顔を窺うが、少女はいつもと同じ顔でスマホに目を落としている。
(いや、やっぱり降りよう)
とにかく、一度外の空気を吸おうと思った。
話を聞いているうちに、まるで綸子と一緒に十数年もの時を過ごしたかのような感覚が私を包んでいた。
(いや、まだここから先が本当のこの子の……この子自身の心の内を知る鍵になる話だ……)
この話は最後まで聞いた方がいい。
いや、聞かなきゃいけない。
(とうとうこの時が来たのか……)
予感めいた思いを振り払うように、
「……降りたらソフトクリーム、食べよっか?」
そう聞くと、少女は「うん」と言ってまた窓の外を見た。




