電車は、好き? 前編
日曜日の朝。
マンションの地下駐車場で、私と綸子はチャンプ号に並んで乗っていた。
私はもちろん運転席で、綸子は助手席である。
まだエンジンをかけていないから、車内はひんやりとしている。
「後ろの席じゃなくてホントに大丈夫?」
アパートに押しかけて来た時は確か黒塗りの車の後ろに乗っていたなと思いつつ、一応気配りのポーズを見せたのだが、
「だって風子、行先知らないんでしょ? 私がナビしなきゃ誰がするのよ?」
綸子はスマホのマップを立ち上げながら唇を尖らせた。
いや、行先を教えてくれないのはアナタなんですけど----。
「……で、今日はどちらの方角に向かわれるのですか?」
「ん、海の方に行くかな」
海?
それは想定していなかった。
だからこのコはダウンのコートを着てるんだろうか。
首周りのファーはミンクなのか、やたらと艶めいていて、ちょっと撫でてみたい衝動に駆られる。
「海に行くの?」
「違う……海じゃなくて、海の方……!」
違いがよく分からないのでもう少し詳しく聞きたい所だが、綸子は食い入るようにスマホを覗き込んだままだ。
私は取りあえずエンジンをかける事にした。
時間は十一時を少し過ぎたところ。
今日の予報は、午前中は晴れで、午後から雪。
(昼過ぎから降るって言ってたな……)
積もるのはいいけど、視界が悪くなるのだけは避けたい。
「海の方に行くんなら、ここ出てすぐ5号線に入った方がいい?」
「……えーと……うん、そ、そう……5号線ね……そうして」
5号線がどこだかちゃんと分かっているのかと不安になるには十分な間の後に、綸子は「それじゃ、出発進行!」などと言って右手を振り上げた。
「シートベルトちゃんと締めてね」
「分かってるわよ」
他人を乗せるなんて初めてなので、私はやたら緊張しながらハンドルを握る。
車載ナビはあるのだが、どこへ行くにもひたすら「左へ曲がります」としか言わない謎仕様のため、これまで一度も使ったことがない。
なので、本当に綸子のナビだけを頼りに走る訳である。
(……大丈夫かな?)
日曜日に運転する事は、実は滅多にない。
買い物は会社帰りに同じスーパーで済ませていたし、一人でドライブに行くような趣味もない。
なので----日曜日の道路は、実はほとんど未知の領域に近かったり。
「風子は電車って好き?」
「で、でんしゃ……?」
駐車場を出ようとしたところでいきなり話しかけられて、私は素っ頓狂な声を出してしまう。
「電車よ電車……まさか風子、電車知らないの?」
「いや電車は知ってるわよ! っていうか、あの……ちょっと集中させてくれると助かるんだけど……」
マンションの前の道路は四車線と割と大きいので、流れが速い。
一人なら別に何ともないのだが、合流のタイミングで話しかけられると気が散ってしまう。
「えー、もしかして運転下手なの?」
「……上手なんて一言も言った覚えはないですが?」
5号線とは、S市からH市まで伸びる国道5号の事である。
その歴史は古くて、開拓当時まで遡るが、今でもバンバン現役の主要道路である。
要するに、S市から出て他の町に行きたい場合、かなりの確率でこのルートを使うのだ。
「日曜日って、いつもこんなに車多いの?」
何が珍しいのか、綸子は駐車場を出てからずっと窓に張り付いている。
「そりゃ皆この道を使うからじゃない?」
かの有名なお土産のお菓子工場の前は、ファミリータイプの車が列をなしている。
しばらく無言でハンドルを握っていた私も、渋滞にブチ当たったおかげで少しは綸子と話ができるくらいには余裕を取り戻していた。
「風子もここの道使ってるの?」
「いや、私の会社は物流センターの方だから、こっちとは反対方面かな」
そうは答えたものの、キョトンとされた。
「……ねぇ、もしかしてだけど、実は道とか全然知らなかったり……する……?」
「うん、知らない」
当たり前でしょうという感じであっさりそう答えられる。
「だって外なんて出た事ないもん」
引きこもり少女は堂々とそう答え、スマホに目を落とした。
「あ、こっからだと高速道路に入れるんじゃない!?」
確かにICの表示が出ているけど----もっと早く言わんかい!
「え、どうするの? 高速入った方がいいならもう左折の準備しないと」
車の列が、のろのろと動き始めた。
「高速って、風子走れるの?」
「走れるわよ!」
午後から雪だから、なるべく早く着いて雪がひどくなる前に帰りたい。
そう考えると、高速を使った方がいいだろう。
「どこで出ればいいかだけ教えて!」
「分かった」
高速なんて教習の時以来走った事がないという事実を伝えた方が良いものか悩みつつ、私は左折のウィンカーを出した。
あとは野となれ山となれ、だ!
このお嬢様のナビを信じて走るしかない----!