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ふふん、積丹のウニの時期っていつからいつまでか知ってる? 後編

 なんだ言うほど積丹に向かう車は多くないじゃん、などと余裕をこいていられたのも、余市インターチェンジの手前までだった。


「えー、こんなに車いたんだ?」

「いたんですねぇ……」


 最後のトンネルを抜け、料金所が見えた辺りで軽い渋滞が起きている。

 日曜日だからだろう、いわゆるファミリータイプのワゴンが目立つ。


「で、でも……これ全部が積丹に行く訳じゃないんでしょ……?」


 恐る恐る聞かれた。


「うん、余市ここが目的地って人も多いんじゃないかな……今の時期なら果物狩りとかやってるし」


 余市もまた今の時期が観光シーズン真っただ中である。

 サクランボやプルーンといった果物狩りのできる農園の他にも、海鮮丼が名物の食堂やウィスキーの醸造所が有名なのだが----。


「Oh……ニッカなの? これ全部ニッカの渋滞……!?」


 スマホと窓の外を交互に見ながら、綸子が愕然としている。


 インターチェンジから降りてしばらくは余市川に向かって畑の中の一本道をスムーズに走れていたのだが、余市の中心部に差し掛かると、車が全然進まなくなってしまったのだ。


「マジでこの先真っ赤なんですけど……」


 お嬢様はマップの渋滞情報を見ながらお怒りのご様子だ。


「もう! なんでこんなに人が来てんのよ!」

「だからニッカだって言ってんですけど」


 ニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜所、通称ニッカは、北海道遺産や登録有形文化財、近代化産業遺産にも登録された有名観光地であり、毎年多くの観光客が訪れる----のだが、数年前に創業者の竹鶴夫妻をモデルにした連続テレビ小説が放映されてからは、ウィスキーなんて興味ないわと言っていたおばちゃん達までが押し寄せるようになって、ご覧のありさまなのである。


「ははは、マッサンのお陰でニッカがオバちゃん達のメッカになったからねぇ……なんちゃって」

「……」


 無反応かい!


「時間、間に合う?」


 代わりに返って来たのは不安そうな問いだった。

 到着が遅れてお店に迷惑をかけるのが心配なのだろうか。


(こう見えてもそういう事はちゃんと考えているのね……)


 ついジーンとしてしまう私。

 なんだろう、母性なのかこれ?


「……大丈夫」


 特に根拠はないが、私は親指を立てて見せた。


「ここから先はこんな感じの大きな観光施設とかはもうないはずだし、余市さえ抜けちゃえばあとは渋滞はない……と思う」


 ま、積丹まで走った事ないから知らんけどな!

 という言葉は呑み込んでおく。


 とにかく、不安そうな顔は見たくなかったのだ。

 私の横で座ってる時くらいは、わがままお嬢様でいてくれていい。


 ----っていうか、いて欲しい。

 その方が安心して運転に集中できるし。


「あ、青になった」


 綸子が信号を指差す。

 前の車達がじわじわ動き出す----。


 余市を出て229号線を海沿いにしばらく走ると、古平町に入る。


 古平は江戸時代はニシン漁で栄え、明治に入ってからは開拓使出張所が置かれた。

 しかしニシンの漁獲が激減した昭和30年頃を境に人口は減少へと転じ、今はキャンプなどのレジャーや農業などに力を入れている----のだと横で綸子がスマホを見ながら教えてくれた。


「さすが港町……お寿司屋さんだらけ」

「うん」


 昭和レトロを絵に描いたような古びた旅館の辺りで、少しばかりの渋滞に巻き込まれたが、余市に比べればこんなのは屁のカッパだ。


「あー、漁港で直売やってんのか……そりゃ混むはずだわ」

「直売?」


 漁協の直売店で獲れたての海産物を売ってるのだと教えると、綸子は助手席の窓越しに熱心に眺めている。


「すごい、魚とか買ったらその場で焼いて食べられるんだって!」


 色とりどりの幟が海風にはためいている。

 港に留められた漁船の大漁旗が、少し疲れてきた目に鮮やかだ。


「そっか、観光施設はなくてもイベントがあれば混むよね……考えてなかった」


 非リア充が運転すると往々にしてこういう事になるのだろう。

 世間様に興味がなくても、行先近くのイベント情報くらいは事前に知っておいた方がいいのだと私は心の手帳にメモっておく。


「あ、ウニ丼……!」


 弾んだ声に道端に目をやると、手書きの看板がいくつも立てられている。


「んー、積丹キター!って感じじゃない!?」

「そうねぇ」


 漁港を挟むようにして、『寿司』だの『ウニ丼』だのという看板を掲げたお店が並んでいる。

 そして----どの店も暖簾の外に人がずらっと並んでいるのだった。


「ぎゃぁ、めっちゃ並んでる!」

「そりゃそうでしょ……皆この時期を待ってたんだから」


 この後自分もその行列の一人になるのであろう事は棚に上げて、私は溜息をつく。

 太陽はもう青空のてっぺん近くまで来ていて、容赦なく初夏の日差しを浴びせている。


「お店って、この辺?」

「ううん……まだもうちょっと先」


 なので、チャンプ号は引き続き229号線をひた走る。

 海側だと色々珍しい形の岩とかがあってそれも有名らしい。


 という訳で、次に入った街も漁港だ。


 ここもウニが有名なようで、相変わらずどのお店にも行列ができている。


「あれ何?」

「……海水浴じゃないの?」


 見ると浜辺に色とりどりのテントが張られている。

 ただ、泳いでいる人間はいない。


「海水浴って、あんなんだったっけ?」

「……北海道こっちの海水浴ってあれが普通じゃない? 浜辺で焼肉とかして……え、違ったっけ?」


 非リアと引きこもりは互いに首を傾げる。

 会社に行ったら誰かに聞いてみよう。


「ねぇ、展望船だって……乗った事ある?」

「小樽のは乗った」


 展望船の看板の上からカモメがこっちを見ている。

 アイツら、観光客を見たらパンの耳だと思ってるのかもしれない。

 

「展望船ね、積丹ブルーの海底とか……あとウニが見れるんだって」

「……ウニ見た後でウニ食べるのって、どうなんだろうね」


 適当な返しをしていたら中心部を抜けてしまった。


「ねぇ、このまま行くと山に入るっぽいんだけど……?」


『生うにちらし』という心惹かれる幟の前を通り過ぎた途端、229号線はカーブを描いたまま山を上り始める。

 落石注意という看板が視界を通り過ぎて、無意識のうちにハンドルを握り直す。


「……山だけど、いいんだよね?」

「……多分」


 いやいやいやアンタがそんな不安そうな声出してどうするのよ。


「時間は大丈夫なの?」

「多分大丈夫」


 お嬢様がそう仰るならそうなんだろう。

 この先には積丹岬や神威岬がある----というか、逆に言うとそこまでは何もない。


(こりゃ思ってたより遠出になったな……私はいいけど、どこかでトイレ寄ってくれば良かったかな?)


「休憩とか大丈夫?」

「うん」


 あっという間に緑一色になった窓の外を見ながら、少女はこくんと頷く。

 運転手からすればこういう同乗者はありがたい。


「休憩しなくてもあと二十分くらいで着く……はず」


 気が付けば、前にも後ろにも車はいなくなっていた。

 窓を開けると、草の匂いの風が吹き抜けていく。


「ギリギリかな……いや、まだ大丈夫……」


 スマホを見ながら独り言を言っている。

 真剣な表情だ。


 うねうねとした山道を登り切り、ログハウス調のドライブインを通り過ぎると、ソフトクリームの形の看板があった。


「あ、ソフトクリームあるよ?」

「今日はいい」


 やっぱり時間を気にしているのか、綸子は首を振る。

 その割には、振り返って眺めているのが未練ありありだったり。


「この辺って、牧場が多い感じなのね」

「……さっきのソフト、この辺の牧場の牛乳なのかな?」


 やっぱり食べたかったんかい。


(帰りやってたら寄るか……)


 さっきまで漁村の風景だったのが、ここはもう完全に農村って感じだ。

 年代物のサイロや、牛舎なのか大きな平屋の建物が点々と見える。


 時たますれ違うのは車よりバイクが多い。

 確かにツーリングにはいいかもしれない。


「次、右に曲がって」


 しばらく進んでから『開拓記念碑』と刻まれた大きな石碑のある角を曲がる。


「あれ、積丹岬まで10キロだって」


 青看板を見上げてそう言うと、綸子は少しほっとしたような顔になる。


「だから大丈夫って言ったじゃん」

「はいはい、すみませんね」


 229号線から913号線に入った私達を遮るものはもう何もない。

 見えるのは、道の両脇から押し寄せるようにして茂るイタドリと、その合間に点々と咲く白い花と、カーブの標識くらい----これ、夜は真っ暗なんだろうな。


「……そろそろかな?」


 さすがに疲れたのか、少し眠そうな声だ。

 でも、スマホはしっかり握っている。


「あ」


 森を抜けた途端、青いトタン屋根が目に飛び込んで来た。

 物置代わりの古いコンテナ、あと錆びた路線バスが家庭菜園の横に無造作に置かれている。


「ここまで来たら、多分すぐだよ」


 両脇の民家が少しずつ増えてくる。


「あー、なんか少し思い出したかも」


 私は思わず声を上げていた。


「社員旅行の時、ここ通ったわ」

「ホントに!?」


 集落を抜けて、また緑以外は何もない道。

 アスファルトに引かれた白線が、目に痛いくらいに日差しを照り返している。


「うんうん、思い出した……!」

「え、じゃあさっき来た道とか覚えてたんじゃないの?」


 綸子が頬を膨らませた。


「……ごめん、ずっと寝てたから分かんなかった」

「えー」


 チャンプ号は再び集落に出る。

 右の道を行けば積丹岬だ。


 小さなバス停に、平屋建ての郵便局が懐かしい。

 人影はほとんど見えないが、私は速度を落としてゆっくり走らせる。


「そうそう、ここ……この食堂でお昼食べたのよ」


 郵便局の斜め向かいの旅館を私は指差した。

 一階は宴会場のようになっていて団体客はそこで食事ができるのだ。


「もしかしてウニ丼だったりした?」

「ううん、ウニの時期じゃなかったからウニ丼は食べてないよ」


 私の返事に、少女はホッとしたように笑った。


「じゃ、初めてなんだね積丹のウニ丼」

「そうね、初めてね」


 そう答えた途端、綸子が「着いた!」と前方を指差した。


「11時25分……私、天才じゃない?」


 緩やかなカーブの先に、やや横長の年季が入った建物があった。

 二階建てなのだろうか、正面に赤い屋根の付いた入口らしきものが見える。


「なんか外に人いるけど……並ばなくても大丈夫なの?」


 お店の前は広々とした駐車場だが、ほぼ一杯だ。


 これから入ろうとしているのか、観光客らしき人達が三々五々という感じでいる。

 だけど綸子はお構いなしにガラスの引き戸を開けて、中に頭を突っ込んだ。


「すみませーん、11時半で予約していた麦原です!」

「ちょ、私の名前……!?」


 手招きする綸子に無言で抗議の目線を送ってから、私は後に続いて靴を脱いだ。


「……はぁー疲れたねぇ」

「運転してたのは私ですけどね」


 店内は奥行きがあって、テーブル席と畳の席に分かれている。

 私達は窓のある畳の方に通された。


 空いた窓からは庭の花と、道路を挟んだ草地が見える。

 どこからか、やたらのんびりした鳥の鳴き声が聞こえる。


(……お腹、空いた)


 一気に空腹が込み上げて来て、わたしは俄然張り切ってメニューを広げる。


(ばふんうにとむらさきうにってこんなに値段違うのか……あ、あと産地でも全然違う……)


 流石はうにだけある。

 丼ものとしては最高レベルのお値段に、私は無言になってしまった。

 


「なんかね、ここ漁師さんがやってるんだって……定食とかもあるよ」

「へぇ……」


 周りを見ると、確かにウニ丼以外の焼き魚っぽい物を食べている人もいる。

 

「で、どれ食べるの?」


 私が聞くと、綸子は、ふふんと胸を張って近くにいた店員さんを呼ぶ。


「積丹のばふんうに……の……特盛で……ふーこもそれでいいわよね?」


 一番高いやつだ----でも、私は頷く。

 なんていうか、もう口がうに丼になっているのだ----ここまで来てお腹いっぱい食べなかったら、絶対後悔する。


「私も同じので」

「じゃ、それ二つ!」


 運ばれて来た丼は、輝いていた。

 ----というのは大げさだけど、私も綸子も思わず声を出していた。


「すごい、ウニだ……」

「色、綺麗ですね……」


 私達の頼んだバフンウニは赤ウニとも呼ばれているらしく、鮮やかなオレンジ色の身をしている。

 それがご飯が見えないくらいにぎっしり並んでいるのは、壮観だ。


 箸を付けるのが勿体ないくらいに形の揃った身は、一つ一つの粒まで艶やかに輝いている。


「これが……ウニ……」


 ほぅっと息を吐きながら綸子がようやく割り箸を手に取る。


「これ、お醤油いります?」

「あッ、写真撮ってから……」


 アンタは本当にお嬢様か。

 そうは思いながらも、私も最初の一口を食べる前にまじまじと見詰めてしまったりする。


「……美味しい!」


 ウニの匂い自体はほとんど感じない----のに、口の中に入れると甘みと濃厚なウニの匂いが広がるのが分かる。


「すごい……なんか、クリームっぽい?」

「あー、なるほどですね」


 よく、舌の上でとろける肉とか言うけれど、これは、なんて言うか『舌に染み込んでくるウニ』だ。

 噛まなくても、口に含んだ途端に自分の重みだけで舌の細胞に張り付いて、吸収されていくみたいな感覚と言えばいいんだろうか。


 ご飯は酢飯ではなく普通のご飯だ。

 でも、このウニなら酢の風味も砂糖の甘みもない方が私はいい。


(こう、なんだろう……このご飯ならウニと舌の出会いを邪魔しない、みたいな……? うーん、語彙がなくて上手く表現できないな……何だよウニと舌の出会いって……あ、官能的な味、とか……? いや違うな……)


 私が貧弱な語彙をこねくり回している向かいで、


「はぁー、美味しいんだねぇ、ウニって……」


 お嬢様は、嬉しそうな溜息をつきながら食べている。

 たまにお椀のお味噌汁(これもアラ汁みたいので美味しい)を啜って、またウニ丼に戻る。

 

「積丹以外でも美味しいウニはあるとは思いますけど、やっぱり有名になるだけはありますね」

「ねー、来て良かったでしょ?」


 確かに。

 窓の外の風景といい、鳥の鳴き声といい、畳に差し込んだ日差しといい、微かに感じる海の気配といい----何もかもが長閑で少し眠くなりそうなこの瞬間にウニ丼を食べているこの瞬間が、終わらなければいいのにと思うくらいに、私は今幸せだ。


「……ふぅ、美味しかった」


 綸子が米粒一つも残っていないどんぶりを置いて、満足そうな声を出した。


「ごちそうさまでした」


 窓の外ではまだ鳥が鳴いている。

 美味しいものは、あっという間だ。


「……じゃ、帰りますか」

「うん」


 立ち上がった私の横に、綸子がぴたりとくっ付いてくる。


「ね、まだ12時前だよ」

「はい?」


 何を言うのかなんとなく予想はできたけど、私はちょっとだけ意地悪をする。


「来た道を戻ればいいんですよね?」

「……うん、だからね……」


 爪先立ちになって、少女は私の耳元で囁いた。


「帰りさ、さっきのドライブイン寄ってかない? あの、ソフトクリームのあったとこ」

「いいですよ」


 私は親指を立てた。


 せっかく積丹まで来たのだ。

 今日は海の幸も山の幸も堪能して、夜は簡単な食事で済ませよう----そうしよう。

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