ナシゴレンの目玉焼きナシは、ナシ寄りのアリ? アリ寄りのナシ?
その晩私は、ひどく嫌な夢にうなされていたようだ。
(うわ……火事の夢とか、めっちゃ怖かった……)
パジャマ代わりのロングTシャツも肌掛けもじっとりと湿っているのを感じた途端、また寝直すという選択をするには私はげんなりしてしまっていた。
暗闇の中で溜息を吐き、私はぐずぐずと身を起こす。
(……あれ、ここ……どこだっけ……?)
ぼんやりと見えたのは天井ではなくて、視界いっぱいの、すのこ。
それが二段ベッドの上段の部分だと気付くのにしばらくかかる。
(そっか、夢じゃなかったんだよね……)
そうだ、ここは私の部屋じゃない。
二人一部屋の女性専用隠れ家的シェアハウス----というと聞こえはいいけれど、ネットや情報誌には広告を載せていない、早い話がモグリの簡易宿泊所的な場所。
身分証明とかがなくてもお金さえ払っていれば何か月でも暮らせるからネカフェよりはずっとマシ----という程度の怪しい施設に身一つで転がり込んだのが、数週間前。
「そうだよなぁ……私のマンション、焼けちゃったんだよなぁ……」
改めてそう呟くと、応えるかのようにお腹がぐぅと鳴った。
(……あ、晩御飯食べないで寝ちゃったんだっけ)
そう気付いた途端、起きようと思うよりも早く身体が動いて、私はベッドの下段から降りていた。
上の段の住人はと様子を窺うと、すうすうと規則正しい寝息を立てている。
少なくとも悪夢を見ている訳ではなさそうだ。
シャワーを浴びて着替えられればスッキリするのだろうが、今は何でもいいからまともな物を口にしたいという気分の方がはるかに強い。
(台所、空いてるよね……?)
100円ショップで買ったやたらファンシーな柄(ユニコーンと虹みたいな、普段なら絶対買わないようなやつ)のスリッパをペタペタ鳴らしながら静まり返った廊下を歩いて、台所に入ると、やっぱり誰もいなかった。
台所には椅子が一つ、所在なさげに置かれている。
ここの住人は自炊するよりも近くのコンビニで済ませているらしく、そのおかげで私はほぼ一人でこの台所を使わせてもらっているようなものだった。
「うーん、たいした物はないな……」
単身者用の冷蔵庫を開け、私はその前にしゃがみ込む。
豚の挽肉の残り。
半額のシールの張られたレタス。
玉子----は一つだけある。
あとは冷凍庫にご飯。
「作るとしたらチャーハン系かなぁ……?」
そう言って、私は気付いた。
「あ、玉ねぎもある……」
チューブのにんにくもまだ少し残っている。
ケチャップやソースもある。
「……そうだ、七味もあるじゃん」
誰かが買ってきた、コンビニの牛丼の封を切られていない七味を冷蔵庫の片隅に見付けて、私のテンションが微妙に上がった。
「……って事は、ナシゴレンできるよね?」
ナシゴレンは、御存じのとおりインドネシアの料理だ。
専門店に行かなくても、カフェとかで割と普通の顔でメニューに載っている。
「ふむ、本当はサンバルソースが欲しい所だけど、そんなモン買ってる余裕があるならこんな怪しい所にはいない訳で」
一人で呟いていると、だんだんやる気が漲って来る。
「よし、作りますか!」
まずは電子レンジでご飯を解凍しておく。
その間にサンバルソース替わりの調味料を作っておく。
「ええと、砂糖と醤油はあるな……あとはケチャップとソースと、この七味を合わせて、と……」
甘辛しょっぱい味をベースにして、あとは辛みを付ける。
本当は唐辛子の輪切りとかがいいんだけど、夜中に作るナシゴレンならこんな感じでも多分大丈夫。
香り付けのごま油さえちゃんとあれば、だいたいうろ覚えのサンバルソース風の出来上がりだ。
「あ、先に玉ねぎを炒めちゃおう」
ごま油でみじん切りの玉ねぎを炒め、焦げないように気を付けながらチューブのにんにくと七味を入れる。
「うん、いい感じ」
中火にしたら挽肉を投入し、よく火を通す。
挽肉に火が通ったところで解凍したご飯を入れてよくほぐす。
ごはんも挽肉もパラパラして来たら、調味料を回すように掛けながらしっかりご飯に絡ませる。
軽く焦げ目の付き始めたフライパンから、にんにくとゴマ油の香ばしい香りが広がり始めた。
「うん、我ながらもうこれはナシゴレン風の本格ナシゴレンなのでは……?」
普通の晩御飯だったらちょっと手を抜き過ぎだけど、夜中に食べるには十分な見栄えのナシゴレンの出来上がりだ。
あとはお皿にレタスを盛り、あつあつの目玉焼きを上に乗せるだけである。
知らず知らずのうちに私は鼻歌を歌いながら、熱したもう一つのフライパンに卵を割り入れようとした----その時だった。
「……!」
なんかいる、と思って振り向いたら、なんかいた。
「あ、ごめん……起こしちゃった……?」
ついさっきまで私の上で(って、なんか誤解を招く言い方だな)気持ち良さそうに寝ていた同居人の少女が、私の後ろに立っていた。
黒髪ロングの、年齢不詳の、見るからにお嬢様っぽいコだ。
なんか、よく見たら高そうなパジャマを着てるし。
そんでもって、大事そうに何かを胸に抱えている----。
「あの、お湯入れたいんですけど……」
「あっ、ごめんごめん……今どくからね」
お嬢様は抱えていた物体をポットの前に置くと、おもむろにべりべりと包装を剥がし始める。
それは----やきそば弁当だった。
(あ、目玉焼き……!)
ジョボジョボジョボというお湯の音を聞きながら、私は慌てて目玉焼きを作り始めた。
いけないいけない。
玉子焼きのないナシゴレンなんて、ただの辛いチャーハンだ。
別にお嬢様が脱法シェアハウスで夜中にやきそば弁当を食べようが、私には関係のない事である。
「……?」
気が付くと、黒髪ロングのお嬢様が私をじっと見ている。
「……??」
まだ見ている。
「……な、なしたの? 大丈夫?」
そう言うと、黙ってこくりと頷いた。
頷いて、シンクでお湯を捨て始める。
私の目玉焼きも、半熟のちょうどいい色で焼き上がった。
が----。
「あぁ……ッ!?」
なんとも悲痛な声を聞いた私は、何が起きたか、だいたい予想が付いた。
(フタ、剥がし過ぎちゃったのね……)
カップの角からシンクの中に流れ落ちている麺とキャベツを茫然と見下ろしているお嬢様を、さすがに放っておく訳にもいかない。
一応、大人だし。
「まだ半分以上は残ってるから、片付けは私がやっておくから先にソースかけちゃおう?」
「……うん」
あと、スープも作ってやった方がいいんだろうか?
「スープは……いらない」
物凄く悲しそうな顔をしながら麺にソースを絡めているお嬢様を見て、気が付くと私はフライパンを手にしていた。
「……!?」
「目玉焼き、あげる」
ツヤツヤとした目玉焼きは、まるで最初からそこに決められていたかのような絶妙なバランスで真ん中に乗っかった。
びっくりした顔で、お嬢様は私とやきそば弁当の上の目玉焼きを交互に見ながら、ふらふらと台所を出て行った。
「……変なコ」
私は目玉焼きのないナシゴレンのお皿を取って椅子に座った。
まぁ、たまにはこういうのもアリなんだろう。
「じゃ、いただきます」
少し冷めたナシゴレンは、目玉焼きがない事を除けばとても美味しそうだ。
「……うん、香ばしい辛いチャーハンだわこれ」
一口食べた私は、何だかよく分からないけどしばらく一人で笑っていたのだった----。




