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羊の味って、どんな味? 後編

「でさ、さっき言ってたメンドクサイ話って何だったっけ?」


 再び車に乗った私達は次の目的地に向かっている。


 綸子は指の背で口元のクリームを拭っている。

 その仕草は、ご飯を食べ終えた猫っぽい。


「……何だったっていうか、まだ全然話してないんだけど」

「あ、そっか」


 目指すは村内の湖の近くだ。

 この辺り、石狩川の流域は、昔は大きく蛇行していた川が度重なる流れの変更により流れから取り残されて三日月型の湖になっているものが幾つもある。


 今から行くのはその三日月湖と石狩川に挟まれた公園だ----ここからだと距離にして1キロもない感じである。


「……とか言ってる間にもう着きそうじゃない? どこから入るか教えてね」

「えッ、もう!? 早くない!?」


 綸子は慌ててスマホを持ち上げた。

 これまでならずっと握っていたスマホも、今日はコンソール(運転席と助手席の間のアレ)に放置気味だ。


「ええと、公園の向かいにあるから……なんかプレハブっぽい建物が見えたらそこの前で停めて」

「プレハブね、了解……って、ちょっと! この辺プレハブいっぱいあるんですけど!?」


 この公園、公園とはいってもとても広く、中にはゴルフ場や温泉施設もあるらしい。

 一見さん丸出しでノロノロ走った結果、お店はマップにある場所ではなくゴルフ場のクラブハウスにある事が判明した。


(クラブハウスって、いきなり入って大丈夫なんだろうか?)


 腰が引ける私を尻目に、綸子はさっさと建物の中に入ってしまった。


「あっ、いい匂いする!」


 一階は売店でクラブだのボールだのを売っている。

 クラブハウスという言葉から連想するような敷居の高さは全然ない。


 目指すお店は二階のようだ。


 階段を上って行くと----。


「ここか……」


 フロアいっぱいに、『ザ・食堂』チックなイスとテーブルが並んでいる。

 テーブルの上にはガスコンロ。

 黒光りする鉄鍋----。


「ねぇ、なんか思ってたより美味しそう」


 既に座って賑やかに鍋を囲んでいるおじさん達もいる。

 服装や日焼けの感じからして、さっきまでゴルフをしていたようだ。


 綸子が囁く。


「ふーこがあんな事言うから、ジンギスカンってもっとヤバい食べ物かと思ってた」


 来ておいてそんな事言うか?


「いや、ヤバくはないよ……っていうか、まず座ろう」


 ゴルフ場の併設というからにはもう少し混んでいるのかと思ったが、まだ夏前だからか、ガラガラではない程度の席の埋まり具合だ。


「うーん、なんかいい感じじゃない?」


 綸子は満足げに伸びをしている。


 確かにいい雰囲気のお店だ。

 窓の向こうに見える公園は広々としているし、シンプルな感じの店内は日光だけでも十分明るくて解放感がある。


 そしてこの黒光りする、取手に『北海道』と彫ってあるジンギスカン鍋----。


「……溝がない」


 私は思わず呟いていた。


「は? どうしたの? 溝って何の事?」


 綸子が怪訝そうな顔になって私を見た。


「溝がないのよ、この鍋……」

「……?」


 私は急いでメニューを確認する。


「ええと、特上ラムステーキ……そういうのもあるのか……って、これはまぁいいわ……ジンギスカンだと、特上じんぎすかんに、じんぎすかん……上ラムしゃぶ……じんぎすかん食べ放題と、あとは追加の野菜盛りがあるのね……」


 額に手を当ててブツブツと呟く私。


「追加の、という事は最初から肉に野菜が付いて来るタイプか……そしてご飯は……ライス……ここはお握りではないのね……そう……」

「すっ、すみません! この人にお水下さい!」


 綸子が店員さんから水を貰っている。

 フフフ気が利くじゃないの。


「この鍋、溝がないけれど真ん中が盛り上がったスタンダードなタイプからして、もしかすると野菜を蒸し煮にする調理法を取る可能性も僅かだけどある……?」

「はい! ふーこお水!」


 目の前に冷水の入ったコップを突き出されて、私は我に返った。


「あれ? どうかしたの?」

「どうかしたのじゃないよ! なんか怖い顔してブツブツ言ってるんだからビックリするでしょ!」


 至極真っ当な意見である。


 それにしても、私、一体何を----?


「ほら、早く頼もうよ」

「あ、うん……」


 コップの水を飲み干して、私は恐る恐る店員さんを呼ぶ。


「あの、ジンギスカンのお肉なんですけど……お肉の種類は……?」


 そう、これが一番大事な事なのだ。

 ここで選択を間違うと、とんでもない悲劇を呼び込む事になりかねない----。


「種類ですか? 当店では生ラムと味付けがありまして……」

「じゃ、全部の種類一人前ずつ下さい」


 あっさりと宣言したお嬢様は私に向かってニッコリと微笑む。


「だって食べてみなきゃ分かんないじゃない?」


 そして----テーブルの上にはずらりと皿が並べられた。


「この丸いのも羊?」

「そう」


 直径10センチくらいの丸い薄切りの肉を指して、綸子が不思議そうな顔をしている。


 確かにパッと見は生ハムにも似ている。

 ピンクだし。


「これも羊?」

「そう」


 少し厚めに切った焼肉用っぽい肉と、それにタレを絡めた肉を指す。


「全部ジンギスカンなんだ……?」

「……そう」


 あと、タレ自体も3種類くらい並んでいる。


「なんだ、別に全然クサくないや……」

「あ、いや待って……! 焼く前は別に大丈夫だけど焼いたら匂いが……!」


 と、私が言っている間に、綸子はもう鍋にせっせと全種類の肉を乗せ始めていた。


「あっ、野菜も乗せないとダメだからね」

「分かった」


 鍋の縁にはもやしと玉ねぎをしっかり敷き詰めている。

 意外と手際が良い。


「色変わって来たけど……これもう焼けてる?」


 丸い肉の表面がピンクから明るいグレーに変わっている。

 脂を落とし切るには焦げ目が付くくらいの方がいいんだけど、焼き過ぎると硬くなってしまう。


「あっ、あのね! その丸いのは冷凍したやつをスライスしているから焼くと脂の匂いがキツイの……だから先に生ラムの方を……」


 そう、この丸い肉はマトンロールと言って、生後1年以上の羊の肉の色んな部位を固めて円筒形にしたものなのだ。


 羊は生後1年未満なら臭みは少ない。

 そういった肉はラムと呼ばれ高級料理のメニューでも出て来る。


 でもマトンは----。


「……ホントだ、ちょっと独特の匂いがするね」


 立ち始めた煙から、馴染みの匂いが漂ってくる。

 子供の頃に食べた、あのジンギスカンの匂いだ。


「……やっぱりクサいでしょ?」

「お腹空いてるからよく分かんないかも」


 綸子は首を傾げた。


「やっぱり食べてみないと分かんない」


 そう言ってひょいと箸でマトンを摘む。


「……うん、これが羊か……」


 頬に掛かる髪を耳に掛け、タレに付けてゆっくりと、確認するみたいに口へと運ぶ。

 テレビなら一発OKが出そうな完璧な絵である。


 いや、見惚れている場合ではない。


「……どう?」


 固唾を呑んで私は尋ねた。


「……うん、今まで食べたお肉とは違うんだなって感じ」

「お、おう……」


 次に生ラムを口に入れる。


「あ、こっちはさっきのより普通のお肉って感じかな」

「じゃ、こっちが美味しいって事?」


 私の問いに、少女はうーんと首を傾げながら次々と肉を口に入れる。


「タレ付きのが一番柔らかいかな……でも食べやすいけどパンチが足りない気がする」

「パンチ?」


 今度は私が首を傾げる。


「うーん、だからラムはお子ちゃまって感じで、マトンは大人って感じ」

「そのまんまじゃん」


 私はマトンを口に入れた。


(あ、昔のよりもクサくない……かも……?)


 記憶にあったマトンロールよりも、格段に臭みが減っている。

 いや確かに生ラムと比べるとマトンはマトンだなと思うんだけども。


「ふーこがさ、マトンは美味しくないって思い込んでただけなんじゃない?」

「そうかな……? いや、そうかも……」


 ワハハハ、と遠くのテーブルでおじさん達が盛り上がっている。

 あのおじさん達が子供の頃なら、確実にマトンロールしかなかった時代だ(と思う)


「それに、本当に美味しくなかったならもう誰も食べてないと思うよ」

「……うん」


 私はマトンを鍋に乗せた。

 脂のジュウジュウ言う音が心地良く聞こえるようになっていた。


「でも私はタレ付き生ラムが一番好きかな」

「そこはマトンロール大好きって言った方がいい話っぽい終わり方だと思うけど」


 元気よく肉のおかわりをしているお嬢様を眺めながら、私は半透明になったもやしを噛み締める。

 子供の頃はなんでこんなにもやしばっかりなんだろうと思ったけれど、こうして食べていると、マトンの脂との相性が一番良いのがもやしなんだなと分かる気がする。


(なんか、今日は来て良かったな……不吉な事が起こるとか勝手に思ってゴメン……)


 さっきの黒猫に心の中で謝りながら私は十数年振りのジンギスカンを堪能した。


「で、メンドクサイ話って……」

「あぁ、うんアレね……」


 鍋にこびり付きかけたもやしを箸で一本ずつ取りながら私は溜息を吐く。

 ジンギスカンもそろそろ終盤だ。


「昔ウチの会社でね、結構大きな取引の話が出た会社の社長を東京から呼んで接待する事になったんだけど」


 その社長の接待を任せて欲しいと名乗り出た私の元上司がいたのだが、ソイツは言うだけ言って仕事は部下に丸投げするタイプだった。


「そしてその部下っていうのが私だったのよ」

「……それで?」


 綸子が身を乗り出した。


「その社長から出して来た希望というのが、学生時代に旅行に来た時に食べたジンギスカンの味が忘れられないからまた同じものを食べたいってやつだったのね」

「美味しんぼみたい」


 読んだ事ないから知らん。


「で、その何もしない上司の指示で私が市内中のジンギスカン屋を調べたの」


 しかし、その社長の記憶も曖昧で、当時彼が行ったらしきジンギスカン屋は見付からなかった。


「そこでその上司は高けりゃいいだろって訳で市内で当時一番高級なお店に決めたのね」

「……で?」


 彼はそこで本当に美味しいジンギスカンを食べさせて差し上げますよ的な事をやってしまったのである。


「……結論から言うと、その社長はマトンのこの味が大好きだったのよ」

「……あちゃー」


 いや、今ならその上司の気持ちも分かる。

 マトンを食べ慣れた北海道民からすれば、本州の人間には臭みの少ないラムを食べさせるべきであるというようなある種の強迫観念みたいなものがあるのだ。


「で、ラムよりマトンが好きなワシをバカ舌扱いするのかね、って怒らせちゃって……取引話は白紙になっちゃって、その上司はその後退職したって訳」


 しばしの沈黙の後、綸子は「すみませーん、ごはんおかわりください!」と叫んだ。


「……なんか、こうして話すとしょうもない話なんだけど」

「食べ物の恨みは怖いっていうもんね」


 あっけらかんとした顔で笑った少女を見て、私も笑った。


「なんかでも……改めて食べてみると、ジンギスカンってドライブに合うね」

「じゃ、今度は別のお店に行こうよ……鍋とか、焼き方とか、タレとか、色々あるのって楽しいじゃん」


 うん、と私は頷く。


 色々あっていいのだ。

 メンドクサイのが楽しいごはんだって、あってもいいのだ。


「よし、そうと決まれば〆のマトンロールにしよ!」

「まだ食べるんかい!」


 帰りの車の中で気付く自分の羊臭さにこのお嬢様は驚くだろうなとほくそ笑みながら、私は残りの野菜を鍋に空けるのだった。

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