動物園って、こんなんだったっけ? 後編
「風子は動物好き?」
「あ、うん、まぁ……好きっちゃ好きだけど……」
テンション低めで答えた私に、
「じゃあ問題なしだね!」
と明るく返すお嬢様。
おかしい。
なんか、いつもより明るくないか----?
「いや……動物園って言うから、てっきり市立のあそこだと思ってたんだよね」
「そうなの? 私動物園って行った事ないから分からないや」
助手席の少女は、髪の毛を指先にぐるぐる巻き付けながら小首を傾げた。
「あ、今日は230号線まっすぐだから運転は楽だよ」
労わってくれている?
いやまさか、ありえない。
真っ赤な警報ランプが、私の頭の中でピコーンと点いた。
(何だかよく分からないけど、油断はしないぞ……)
マンションを出て230号線を川沿いにひたすら南へ向かう。
その川を渡り、採石場のある山を回り込むようにして通り過ぎる頃には、道の両側から山が迫ってくる感じになる。
(なんかこのままだと温泉行く気分になるな……)
奥座敷と呼ばれている温泉街に向かうには直行バスが便利だ。
こうして走っていてもホテルの名前を書いたバスを何台も目にする。
「……もしかして温泉行きたいの?」
ふと思い付いて聞いてみた。
「行かないよ。温泉嫌いだし」
「……そっか」
ちょっと気まずい感じで山肌に沿った住宅地を見上げる。
昔は果樹園なんかが多かったそうだけど、今は廃業が増えて、おかげで山から熊が直接住宅街にまで出て来てしまうらしい。
「あ、でも温泉入ってるところ見るのはいいと思う」
「……?」
なんだ、そっちの趣味なのか?
人は見た目じゃ分からないわねぇ、などとおばさんじみた感想を胸の内で呟きながら、私はうんと注意しながら『じょうてつ』と書かれた路線バスを追い越した。
住宅地を抜け、坂を下った辺りで、一気に人家がまばらになる。
『〇〇果樹園』とか『フルーツ直売』とか『乗馬クラブ』とかいう感じの看板が、ぽつんぽつんと立っているのが、これまた郊外まで来た感を加速させる。
「あー、あれが八剣山かぁ……なんか、恐竜の背中っぽい」
向かって右側に、何とかサウルスの背中みたいなギザギザの山頂が見える。
確か毎年一人は滑落してローカルニュースで報道されている。
頼まれても登りたくないが、好きな人には堪らないクライミングの名所のようだ。
「じゃあ、そろそろかな」
「え、そうなの?」
もっと温泉街に近い所を想像していたので、ちょっと焦る。
「ほら、看板見えるじゃん」
「は?」
綸子の指す先に、確かにあった。
『ライオン クマ 日本初 つりぼり』
『デンジャラスゾーン』
赤い文字で何やらデカデカと書かれている数枚の立て看板が----。
「いやいやいやいや、あんな不穏な動物園とかないから」
「不穏って? 私学校行ってないから分かんないなぁ」
コイツ、絶対分かってるだろ。
「はい、そこ左ね」
「えっ、ちょ……」
『サファリ』という文字が躍る看板を絶望の目で見ながら、私は国道から更に山道へと分け入ったのであった。
「なんだ、思ったより人来てるじゃん」
駐車場からサファリパークの入口まで歩きながら、綸子はきょろきょろと辺りを見回した。
こんな場所まで誰が来るんだと思いきや、親子連れやらカップルやらでけっこう賑わっている。
(こうしてみると、まぁ普通の動物園なのかな……?)
少しホッとしてチケットを買い、ゲートを潜る。
「へぇー、この白いライオンの口から中に入るんだって……すごいサファリパークって感じするよね?」
ジーンズにスニーカーにリュックサック(あとは例のトートバッグ)という格好の綸子は、もうすっかり周囲の空気に馴染んでいる。
「いや別に普通でいいんだけど……ま、なんか言うほどデンジャラスでもなさそうだし……」
『免責事項』とか書いてある看板を見なかった事にして、私は歩みを進めた。
入ってすぐのゾーンはカンガルーとかワラビーとかと触れ合えるらしくて、入口でエサを売ってる。
「エサ、やる?」
「やるやるやる」
小学生みたいなテンションで、綸子はエサのニンジンの入った小さなバケツを受け取った。
(……こんな触れ合いコーナーみたいの、何年振りかな)
様々な大きさのカンガルーやらワラビーやらがニンジンを手にした綸子に群がり、バケツはあっという間に空になった。
「ほら、風子もやってみてよ」
「あ、うん」
言われるままにエサを買って戻って来ると、今度は私の方にカンガルー達が押し寄せて来た。
奈良の鹿状態である。
「わ、ひゃ……!? 待って待って!?」
「あははっ、めっちゃウケる!」
なんか、笑いながら自分のスマホで私を撮っている。
「もう一回エサやろうよ!」
「えぇ、キリがないってば……」
何だかんだ言いながら、私達はそれから三回くらいエサを買ってカンガルー達との触れ合いを堪能したのだった。
「……えーと、次はね、あのリトル猛獣エリアに入る」
「え、猛獣って何……?」
へっぴり腰で入る私を、綸子はニタニタしながら見ている。
「……猫じゃん」
本物の木を使ったデカいキャットタワーで、猫が数匹寝ていた。
「でも猫だってトラやライオンの仲間なんだから猛獣じゃん」
「っていうか寝てるだけじゃん……猫カフェかよ」
すっかり元気になって、私は猛然と他のエリアへ向かう。
「わー、カピバラっ!」
「猛獣ですらない」
子供用プールくらいのサイズの温泉に入るカピバラを、綸子が物凄い勢いで撮影している。
確かに可愛い----ネズミだと思うと嫌だけど。
(サファリっていうからもっと怖い場所かと思ったけど、これなら余裕じゃん……)
私は鷹揚な感じで綸子の様子を見守っていた。
「……あ、もうそろそろお昼か」
ひとしきり歩き回って、私と綸子は『ゲテモノ館』と書かれた看板の前に立っていた。
「お腹空いたね?」
「いや、この看板の前で言われても……」
『絶叫スペシャルメニュー』とある看板の写真には、何回見ても食欲をそそらない事このうえないメニューしか載っていない。
「スズメバチカリカリ揚げ800円にカエルの姿焼800円、サソリの姿揚げが1200円か、思ったより安い……じゃなくて、普通のごはんが食べたいです……いや、食べさせてください……」
「えぇ、どうしようかなぁ……」
綸子は口を尖らせた。
「私は食べたくないけど、どんな感じか食べてみて欲しかったんだけど……ダメ?」
「ダメ……です……!」
あれ、もしかして私、初めてこの子の言う事に逆らってしまった----?
「……仕方ないな、今回は許してあげる」
案外あっさりとお許しが出た。
やった! 性悪だけどいいとこあんじゃん!
「その代わり、お昼ごはんの前にデンジャラスゾーン行くからね!?」
「い、行くんですか!?」
前言撤回。
クッソ性悪め!
そして、それから私はこのサファリパークの真の恐ろしさを身体で知る事になるのだったが、詳細は割愛する----。
「……はぁ、楽しかったぁ!」
助手席で満足そうにしている綸子を横目に、私は230号線を市内に向けて戻っていた。
「風子も楽しかったでしょ?」
「……あの悲鳴を聞いてそう思うとか、正気で言ってます?」
衝撃的な体験をし過ぎると、人は敬語が直らなくなるという知見を、私は今日得た。
「……怒ってる?」
「別に怒ってませんよ」
ワニのいる池の上の一本橋を渡るとか、芸人でもなければ一生しないような経験ができたのは嬉しいですよ?
「あ、あのパークゴルフの看板のところで曲がって」
「へい」
チャンプ号はまた国道を逸れ、坂道を上って行く。
住宅街はすぐに途切れ、畑と森が続く。
パークゴルフ場を通り過ぎたところで、ビニールハウスの先に小さな看板が見えた。
「ワイナリー?」
「そ、ここでごはんにしよ」
市内に幾つかワイナリーがあるのは知っていたけれど、実際に来るのは初めてだ。
なんだ、どうせ来るなら運転しない時に来たかったかも。
「ここ、来た事あるの?」
「ううん、初めて」
ワイナリーの手前にある三角屋根の緑色をした建物がレストランらしい。
夏場はきっと人が多いんだろうなと思わせる、ちょっと素敵なロケーションだ。
そして、ピザも自家製パスタも美味しかった。
ピザの追加注文なんかしてしまったのは初めてだ。
ログハウスというほど泥臭くなくてイタリアンレストランらしい内装の木造の店内は、ピザの焼き上がりを待っているのもなんだか楽しい。
二階席だと更に隠れ家感が強まる。
「……うん、美味しかった」
すっかり調子が戻った感じで、私は食べ終わったピザの皿を脇に避けた。
「あ、あとね、デザート食べよデザート……このパフェ食べたかったの、一緒に頼も?」
「いいけど……って、美味しそうだけどこれワイン使ってるから私は食べれないよ」
すると綸子は、ニタッと笑った。
「大丈夫……このパフェ、アルコール飛ばしてるから運転する人でも食べられるんだよ」
そう言って、メニューをパタンと閉じるとおもむろに吹き抜けから一階に向かって「すみませーん」と声をかける。
「あの、このパフェってアルコール抜いてるんですよね?」
「はい、大丈夫ですよ」
ニコニコ答える店員さんにパフェを二つ頼み、私達は窓の外を眺める。
停めてあるチャンプ号を見て、そろそろ洗車しないとなぁ、なんて考えていると、
「……知らない場所でも、楽しいんだね」
ぽつりと少女は呟いた。
「うん?」
「……なんでもない」
階段の軋む音が聞こえて、店員さんがパフェを持ってきた。
小さめのパフェグラスに盛られたアイスにはここのワイナリーのワインが使われているそうだ。
酸味の効いたベリーのソースなんかと何層にも重なっていて、食べごたえがあるけれど、どちらかと言えばジェラートに近い食感で、ぺろりと食べられてしまう。
「どう? 美味しかった?」
「うん……あれだけピザ食べたのに普通に食べちゃった」
甘いものは別腹というけれど、このパフェだけでも食べにまた来たいなんて思ってしまう。
「今日は風子すごい運動したもんね」
「運動って、一本橋とか一本橋とか一本橋とかの事ですか? 見てただけの人に言われたくないんですけどね……」
拗ねた声で言い返すが、こうして終わってみると、それなりには楽しかったような気がしないでもない。
「でも……うん、楽しかったかな。それにワインの味見もできたし」
私がそう答えると、少女はへへッと笑った。
隣のワイナリーは見学もできるらしい。
何本くらい買おうかなと考えながら、私は少女に笑いかけた。
「今日はどうもありがとうね」