動物園って、こんなんだったっけ? 前編
綸子が月曜日の夜中にいきなり訪ねて来てから数日。
私達の関係はあの晩を境にしてガラリと----変わったりは、別にしていなかった。
(……ま、こんなもんでしょ)
私は眉間に皺を寄せ、食器にこびり付いた回鍋肉の油をスポンジでギュウギュウと擦っていた。
毎回手作りの食事を作るようにと言われてはいるが、クックドゥの使用は特に禁止されていないので、特売のキャベツがあった時は迷わず回鍋肉と決めている。
(このままの生活が続く方が、私も気が楽だし……)
夕食後、ウルフヘアーの少女は相変わらずソファでうまい棒を齧っている。
テレビではローカルの情報番組をやっていて、見た事があるようなないような女性アナウンサーが何かを食べたらしくて「おいしいぃー!」と叫んでいるところだ。
合間にうまい棒を齧る音が微かに聞こえて来る。
初めは落ち着かなかったこの空気にも、だいぶ慣れてきた。
住めば都ってやつだ。
全くもって不満はない。
私は綸子の父親との契約通りにこの子の世話をして、平凡なOLにしてはまぁまぁありえないような額の報酬を毎月振り込んでもらい、タワーマンションの最上階で寝起きしていればいいのだ。
性悪お嬢様に顎で使われるのも慣れたものだ----そう、かにめしを頬張りながらいきなり涙を零されたりさえしなければ、だけど----。
(いやいや、本人が話すつもりがないのをあれこれ詮索したって時間のムダじゃないの)
好奇心は猫を殺す、っていうのはどこの諺なんだろうか。
(所詮は他人……つまらない興味を持って契約解除にでもなったら、私とチャンプ号の行き場が今度こそなくなっちゃうかもしれないんだから……)
でも、そう思ってはいても、どこかでやっぱり落ち着かないのは----。
「ねぇ」
不意に声を掛けられて、お皿を取り落としそうになった。
「な、何……!?」
「いや、何って……日曜日の事なんだけど……」
呆れたような声だ。
完全に不審者を見る目である。
「あ、うん……そうだよね、日曜日ね? うんうん」
自分でも分からないけど、妙にテンション高めの(私にしては、という意味だが)声で応じてしまっていた。
「どこ行きたいの?」
「……動物園」
なんだ、意外とカワイイとこあるじゃん。
私は思わず顔を綻ばせてしまった。
「動きやすいカッコにしてね」
「もちろん」
二つ返事で返す。
動物園ならこのマンションから目と鼻の先くらいには近い。
今までの行先から比べると、運転には物足りないくらいだが、さすがに毎週遠出だと申し訳ないと思ったのかもしれない。
それか今ブームだかなんだかのカワウソが見たいのかもしれない。
いや、いるのか知らんけど。
(ま、ああ見えて殊勝な所もあるのね……)
やっぱり何だかんだいっても、簡単にとはいえ料理を教えた事で私を少しは尊敬なりなんなりしてくれたのかもしれない。
気のせいか、いつもより横暴さがない----ような気がする。
(うんうん、悪くないじゃん)
大人の余裕で笑顔を浮かべながら私は食後の紅茶を出し、綸子の部屋を後にした。
そして日曜日の朝----。
「えっ!? 230号線を使う!?」
ハンドルを握ったまま私は訳が分からなくなっていた。
「そうだけど、どうかした?」
少女は、何を驚いているのかという顔をしている。
「……あっちの……あのほら、球場とかのある方の動物園じゃなくて?」
「そんな事一言も言ってないじゃん」
確かにその通りだ。
私が勝手に市立動物園だと思い込んでいただけな訳で----。
「……他にも動物園ってあったのね」
「そう言われても、私、動物園って行った事ないから分かんないし」
前言撤回。
やっぱりカワイクない。
「……道、ちゃんと教えてね」
「え-、ホントに知らないの? もう、しょうがないなぁ……」
めんどくさそうに髪を掻き上げた綸子の唇の端が、一瞬上がったように見えたのは----多分私の被害妄想だろう。
そういう事にして、私は今日もチャンプ号を未知の行先へと走らせる事になったのだった。