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二人暮らし、する?

 蓮見綸子はすみりんずが、実はいわゆるお嬢様に区分される人間だったという事を、私、麦原風子むぎはらふうこが知ったのは、今日----いや、正確に言うと、たった今だった。


「そういう訳で風子ちゃんとだったら絶対安心だから! だから私、このマンションで風子ちゃんと一緒に暮らす! ね、風子ちゃんもいいよね!?」

「いや待って! あの! 秘書の方と蓮見さ……綸子ちゃん! あのッ、私、全然状況が呑み込めてないんですけど……!?」


 札幌オリンピックの年に建てられたという木造アパートの一室。

 そこに突然押しかけて来た二人連れを前に、私は普段かかないような変な汗をダラダラとかいていた。


 暑い訳ではない。

 今は三月で、窓の外では雪がチラついているし、ストーブが壊れているので私はセーターの上から綿入れ半纏を着ているし、なんなら靴下は昨日から三枚重ねだ。

秘書だと名乗った目の前の品の良いご婦人はベージュのカシミアのコートを、その横の少女は真っ白なファーコートをきっちり着込んだままだ。


 ファーコートの少女は、狭くてくすんだ私の部屋にはそぐわないような美貌の持ち主である。


 造形の一つ一つの美しさに加えて、何というか、こう----両親から大事に育てられて来たオーラ的なものを放っているように見える。

 ちょっとした仕草とか、背筋の伸び方とか、一度も染めた事がなさそうな黒髪のロングヘアとか----。


 そもそも名前自体が、言われてみれば、もうお嬢様にしか似合わない名前だし。


 そう考えると、今の今まで気付かなかった私は相当鈍いのかもしれない。


「まぁまぁ……遠慮ならなさらないで下さいって、さっきからそう言ってますのに」

「あの、だからですねっ、遠慮とかじゃなくて! そんないきなりこの娘さんと一緒に住んで欲しいって言われても、何が何だか分からないんですけど……!」


 ご婦人が炬燵の上一面に広げた超高級マンションのパンフレット(新聞とかに挟まってるペラペラのチラシじゃなくて、ちょっとした写真集くらいの風格のある、大きくて紙がやたら硬いやつだ)をなるべく視界に入れないようにしながら、私は必死で抵抗する。


「ほら、この部屋なんかいいんじゃないかしら? キッチンが広々してて……麦原さんはお料理得意なんですって?」


 キッチンだけでこの部屋より広そうなモデルルームの写真をバーンと見せられる。

 

 いかにもザ・億ションという感じの、チョコレートブラウンで統一された室内だ。

 天井に小さいシャンデリアとかあるし。


「いえ、大したものは作れませんので……」


 今朝作ったのは近くのスーパーで買った見切り品の鮭を焼いたのと、一パック98円の卵で作った目玉焼きと、大根の葉の味噌汁である。

 爪に火を点すような生活でも、休日の朝くらいはささやかな贅沢をしたいと思ってこれだ。


「大体ですね、はす……いや、綸子ちゃん……安心も何もまずアナタとそこまで仲良くないっていうか……私が適任とか、絶対適当な事言ってるでしょ……!?」


 パンフレットの陰でそう尋ねたら、少女はスゥッと視線を逸らしてしまった。

 私の中で、嫌な予感が音を立てて加速した。


「でも悪い話じゃないですわよね麦原さん? このマンションにさえ住めば、貴女の大事なチャンプ号もこれからはちゃんと屋根の付いた駐車場に停めてあげられるんですよ?」

「ちょ……!?」


 チャンプ号という言葉を聞いて、私はのけ反った。


 実家で二十二年飼っていた猫から名前を取った、私の愛車の名前だ。

 現在の私の唯一の財産であり、家族であり----生きがいのようなものでもある。


(なんでそんな話まで知ってるのよ……ッ!?)


これがテーブルだったらこっそり脚を蹴っていたくらいの勢いで少女を睨んだが、また視線を外されてしまう。


「ね? 綸子様と暮らすと言ってくだされば、もうわざわざアパートから離れたやっすいパーキングで吹雪の中泣きながら雪掻きする必要なんてないんですよ!?」


 やっすいパーキングとは、このアパートの隣にある月額三千円ポッキリの青空駐車場の事だろう。

 冬は吹き溜まりになっていて車を出せなくなったのも一度や二度ではないが、自動車税だの車検代だのを捻出するには今の私に借りられるのはそこしかない。


「あ、はぁ……まぁ、雪掻きしないで済むならそれはありがたいですけど……どうしてその事を……?」


 私がついそう言ってしまうと、綸子は顔を私に向け「でしょ? でしょ?」と言わんばかりに真っ白な歯を覗かせた。

 こうして見てると、やっぱり普通の、年相応の女の子だ。


 でも、私とこの蓮見綸子とは----親友どころか、友達でも何でもない。

 単なる『元ルームメイト』に過ぎないのだ。


 私と綸子は、数か月前に少しの間だけ一緒に暮らしていた。


 会社勤めをしながら一人暮らしをしていたマンションで火事に遭い、チャンプ号以外の家財道具一式を失ってとりあえず転がり込んだ怪しいシェアハウスのルームメイトが、綸子だったのだ。

 ただし、その間一度も『風子ちゃん』などと呼ばれるような交流を持った憶えはないが。


(相変わらず、嘘みたいに綺麗な顔してる……)


 パンフレットから目を逸らそうとすると、綸子の顔に惹き付けられ、礼拝堂の聖女像のような完璧な美貌にノックアウトされそうになってしまう。


(だめだ、ここで頷いたら……絶対に面倒な事になるんだから……!)


 この娘の父親は地元の大企業の社長だという噂を聞いた事がある。

 それなのに、その親元を離れてわざわざこの私と暮らそうとしている。


 親しくもない私と無理矢理友人同士を装ってまで----。


(こんな話、絶対になんかヤバい裏があるに決まってるでしょ!)


「……やっぱり、ダメ……?」


 ずっと黙っていた少女が、手元のパンフレットを閉じ、ギュッと胸元に抱え込んだ。

 その瞳は、びっくりするくらいに潤んでいる。


 うぅ、なんだか、凄い罪悪感が----。


「風子ちゃんと暮らせるんだったら、私……きっと立派に独り立ちできるって、そう思ってたんだけど……」


 いやいや、それって独り立ちじゃないやん。

 思わず変な関西弁で突っ込みそうになった。


「でも、仕方ないよね……私が勝手に突っ走っちゃったみたい」

「ご、ごめんね? 何だか分からないけど……その、お役に立てなくて……」


 どこか残念な気持ちを覚えつつも、私は神妙な面持ちのままそっと胸を撫で下ろした。


「では麦原さん、パーキングは来月で閉鎖という事でよろしくお願いしますね」

「はい?!」


 A4の封筒から書類を出し始めたご婦人の言葉の意味が分からなすぎて、私はすっとんきょうな声を出したまま固まった。


「ですから、あのパーキングは閉鎖します」

「へ、閉鎖……!?」


 急にドライになった口調に驚きながら、私は理解が追い付かない----なんで私の駐車場をこの人達が閉鎖できるの?

 

 いや、ええと----待てよ----?


「あそこって、ええと……確かロータスパーキングって会社の……あ……ッ!?」

「そ、ウチのパパ、あそこにビル建てるつもりみたいなの」


 ロータスホールディングスの社長令嬢蓮見綸子は立ち上がり、にっこりと微笑んだ。

 完璧な----そう、まさに完璧な笑みだった。


「そ……そう? 別に……パーキングくらいなら、また探すから……だ、大丈夫……です……」

「で、そうとなるとついでだからこの古いアパートも取り壊して、まとめて再開発しちゃうプランの方がいいと思うんだよねぇ……」


 何気ない感じの少女の呟きに、今度こそ私の頭は真っ白になった。


「はい、既にこちらのオーナーとは話が付いております」

 絶妙なタイミングでご婦人がスマホを掲げて見せる。


「あ、もちろん今すぐにという話じゃないし、ちゃんと立ち退き料も弾むようにパパには言って……あれ? 風子ちゃん顔色悪いけど大丈夫……?」


 ツゥッと、汗が背中を伝うのが分かった----。


(こ……この悪魔……ッ!)


 気が付くと蓮見綸子が、私の顔を覗き込んでいる。

 相変わらずの、とても綺麗な顔で。


 でも----。


 聖女だなんてとんでもない。

 コイツは見た目とは裏腹の、根性悪の悪魔だ。


 騙されてはいけない。


 私は滝のような汗をかきながら、握った拳をプルプルと震わせていた。


 ボロアパート住みのしがないOLにだって、資本家の財力になんか屈しないプライドくらいは残っている----そう言おうと思いながら、少女を睨め上げる。


 そう、プライドくらいは残って----。


「あ、あのっ! 今のお話……あの、もう一度最初から……聞かせていただいてよろしいでしょうか……っ!?」


 こうしてこの日、私はめでたく資本家の犬、もとい蓮見綸子の同居人となったのだった----。

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