(2) 中編
ー ⑵ ー
ズル、ズルと足を引きづるティースの足音を詩音は耳障りに感じながら密林の道なき道を進んでいた。
先ほど足を滑らせて木の上から落ちてしまったティースは、折れた木を登山用のロープで縛り曲がってしまった足を固定したので、なんとか歩るようになっていた。
それに、
「詩音ちゃん、どうもありがとう。さっきもらった飲み薬、すごく効いたみたい。痛みが減ったよ」
「フン、旅するには大事なものなんだから、お金は払ってね」
詩音は憎まれ口を叩きつつ、少し赤くなった顔を見られまいとそっぽ向いた。
「うん、わかった。でもゴメンね。ボクのウチあんまりお金持ちじゃないんだ。お父さんが今働けないから代わりにボクがシェルパやってるんだ」
シェルパは旅で訪れた土地勘のないよそ者の道案内や荷運びなどを世話する者たちで、特に危険の多い地帯では大変信頼される存在だ。
「昔はよくお父さんと一緒にプラントハンターさんのシェルパやりに山や密林に入ったんですけど」
長くなりそうな身の上話を遮るように詩音は尋ねた。
「で、あたしに頼み事ってなに?」
ティースの家に到着した詩音は目を丸くして家のあちこちを眺めた。
質素で飾り気のない家の庭には大型のポンプや浄水器気、そして旧式のボイラー施設がならんでいた。古びてガタのきた石と木の家屋とは対照的だ。
「お金がないなんてうそじゃん」
詩音がボソッとつぶやいたがまさにその通りだ。
ボイラーの炉の前で静かに燃えている炎を見つめている男が詩音は気になった。
無精ひげの30代くらいの男。舞う火の粉が映り込むメガネの奥でジッと炎の色を観察していた。
「お父さん、ただいま」
ティースが挨拶をしてだいぶ経ってからティース父は顔を上げた。
「今日は温度が安定しない。水の効果が抜けてしまうなあ」
詩音は素直に疑問をぶつけてみた。
「これって一体なに? あんたの父ちゃん、なんの作業してるの」
「ちょっと前にお父さんが庭から《不思議な水》を見つけたんだ」
それまで全く詩音たちを気にもとめていなかったティース父が会話に割ってきた。
「その足、どうしたんだ?」
ティースが答える前に父は身をかがめロープで固定された足の様子を眺めた。
「きつく巻きすぎだな。横だけでなく斜めや縦方向にもはわすと安定する」
父はティースの足を抱えロープと添え木を外したが、詩音はその手際のよさにちょっと驚いた。
桶を取り寄せ浄水器の蛇口を開くと輝くグリーンの液体が流れ落ちた。
湯気が薄っすら上がるその液にティースの足をつけると液体が曲がった足に浸透、同化していったのか同じ色で光始めた。
「気持ちいい〜」
ホッとした顔になったティースの曲がった足を父はゆっくり丁寧に戻していった。
「ええ〜! うそっつ。足治ったっ。なにこの水」
思わず詩音は声を上げた。
「半年前、死んだ渡り鳥を埋めてやろうと庭を掘った。するとエメラルドグリーンの水が湧いて出てきた。その水は鳥の外傷を綺麗に治癒してしまった。当然だが死んだものは生き返らない。だが、この水に生物の部位再生能力が備わっていることがわかった。まさに奇跡というべき発見だった。我が家の庭からこんな贈り物が出てくるなんて」
ティース父はひとりごとのように熱い口調で語り始めた。
「すっげえ〜、こんなの見つけたら大儲けできちゃうじゃん。もう働かなくてもいいんじゃね」
「うん、それが‥‥」
小さくつぶやいたティースの顔が少し曇った。
すると、
「いったい誰の許可とってやってるの!」
キーキーと金属質な怒声の主が、ティースが足を浸けていた桶を蹴飛ばした。不思議な水は溢れ、ティースは地に転がった。
山奥にもかかわらず白のパンツスーツ姿で腕組んだ30代過ぎの女が見下ろしていた。
「どーゆーつもり? その水は大事な資源なのよ。なに私に内緒で勝手に使い込んでいるの」
キーキー詰め寄るシャツの襟を立てた女に、さっきまで素っ気なかったティース父の態度が急変した。ちょっと太めの上半身をペコペコ下げながら、
「いやいやいや、そんなつもりじゃないんです。ほんの少しだけで。他はちゃんと使えるように温度調整してまして」
父のあまりの変わりぶりに詩音も面食らっていた。
「ちょっと、あなた」
その女は目を少し見開いてティース父を正面から見据えた。細く縦長に伸びた瞳が爬虫類を思わせた。
「おかしいわね。ちゃんと話し合ったわよね私たち。それとも勘違いかしら。その水の所有権は私にあって、私の許可なく使えないはず。なのにおかしいわね〜、どうしたのかしら」
「申し訳ございません、本当に本当にすみません。使用した分はちゃんとお支払いします。
汲み上げ作業もピッチを上げてますんで、今日のところは」
そう、と女は蛇のような口元が開いたが、まるで勝ち誇ったように見えた。
「水を待っているお客からの注文が溜まってるんだから、サボらずに、ね。あなたのものじゃないんだから」
女は踵を返し隣の屋敷に消えていった。
そのやりとりを見ながらイラついていた詩音が吐き捨てた。
「なにあのトカゲみたいなオバさん、偉そうに。だいたいなによ、同じ家族なんだからあんな水くらい使ったっていいじゃん」
「実は、あの女の人は隣の人なんだ」
ティースのつぶやきに詩音は逆上した。
「なぬ、隣の人? あんたたちの家族じゃないの?」
ティースは小さく首を左右に振った。
「なにそれ、信じられん! じゃああの襟立てオンナ、なんであんなに偉そうなのよ」
「うん、実は詩音ちゃんにお願いっていうのはーー」
話しかけたティースにお構いなく、詩音はまるで自分のことのようにご立腹だった。
「だいたいなに⁈ あのカラダが治る水、あんたたちの庭で出たんでしょ。しかもあんたたちが装置とか使って掘ったりしてるんでしょ。なんであのトカゲおばさんに気使わないといけないのよ!」
ところが詩音のその言葉を聞いてまたティース父の態度が変わった。
「契約は絶対だ。too lateだ!」
「ええ⁈」
指を立てながら詩音に吐き捨てるティース父は先ほどまでヘコヘコしていた低姿勢の面影はどこにもない。
「リンさんとは使用許諾を締結した。履行するのはこちらの当然の責務だ」
ティース父は転がった桶を拾い、
「予定より時間が押してしまったが、機械のペースをあげれば大丈夫だろう。リンさんには謝罪せねば」
ブツブツとひとりごとを呟きながら作業に戻っていった。
詩音はティース父の態度がああまでコロコロ変わるのも言っている意味も分からなかった。なぜ、自分の子供よりもリンというあの嫌味な女に肩入れするのか。
「なにあれ、まるであのオンナの奴隷じゃん」
その時、詩音はティース父の首筋にベッタリと張り付いた黒光りする影のようなものが目に入った。膜のようにも見えるし粒子の波にも見えた。
「ん、あれって‥‥」
次の瞬間、詩音のおでこを中心にパルスが走った。《虫が知らせた》のだ!
「いだだだっだだ〜」
詩音は頭全体にロングスカーフを巻いているので《虫》は見えない。だがプラントハンターはみな身体のどこかに特殊な《虫》を埋め込んでいる。花を捜索や採取する際、この《虫》が強力なパートナーとなるのだ。
「どうしたの詩音ちゃん、だいじょうぶ?」
心配そうにティースが覗き込んだ。
「くっそ〜、あたしの中の《虫》が知らせてきたわ。この痛み、何度経験しても慣れない。でもいろいろとワケがわかったわ」
「え、どういうこと?」
「あんたの父ちゃん、《花》に感染してるわよ」
まじヅラで詩音は告げた。
「あの首についてるヤツ、『セルヴィス』って花。感染された人を服従させる効果があるの。はっきり言って『奴隷』になるの。しかもその本人は奴隷になったことに気づかない。むしろ宿主にとって『いい奴隷、優秀な奴隷』になろうとする花よ」
「よくわからないけど、じゃあお父さんは誰かに操られているの? 元のお父さんには戻らないの?」
「方法は、あるわ。2つ」
詩音はひとつひとつの言葉を嚙みしめながら出した。
「フツーに《花》を摘む方法。でも‥‥‥」
「でも?」
「花は取れる。でも、記憶がなくなるかも。昔のこととか思い出とか」
あんたのこととか、とまではさすがに詩音は言えなかった。
「そんな、じゃあお父さんはみんな忘れちゃうの! そんなのヤだよ。ねえ、もうひとつって?」
詩音はクルッと背を向け、ツバをひとつ飲んだ。
「特殊な儀法を使うの。でも、その後、あたしの首が落ちちゃう‥‥‥」
ー(3)に続くー