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7 決意

 エトランジェに住む人々にとって、集団で現れる魔獣と言うのは大きな脅威となる。個々が発する微弱な波長が、集団になると増幅されて『魔獣除け』の波長を相殺し、無効化してしまう。魔獣から人里を守るための"鎧"が剥ぎ取られ、荒ぶる爪牙の前に晒される事態となってしまうのだ。


「……そうか。ご苦労だった」


 自宅の庭にて物見からの報告を受け、サロモンが深刻な憂慮を眉根に刻む。レアと〈オリオン〉からの報告通り、村北部から魔獣の群れが押し寄せて来ている。このままでは二時間と経たない内にミメット村へと到達するだろう。当然、村の外周に備えられた手作りの柵など、凶暴な魔獣達の前には大した効果は期待出来ない。


「すぐに城の騎士団に連絡を。皆に迎撃の準備を進めさせろ。総力を上げて迎え撃ち、騎士団が来るまで一体も村に入れるな」

「了解だ村長。しかし……」


 サロモンの言葉に、エリクの父であるピュッツ・ランブロウは言った。


「三十体だぞ? 十年前の襲撃より数が多い。正直、防ぎ切れるか分からん」

「やるより他ないだろう」

「その通りだが。……相応の犠牲は覚悟しなければならんぞ」

「……やるより他ない」


 サロモンの声からは、明確な逡巡が読み取れた。自身が治める村の住民に対して死地におもむけ、と言っているのだから無理もない。騎士に対してならば彼等も覚悟の上だろうと割り切れても、その延長線にもない"おらが村の自警団"に対しては酷な要求である。


「なあ村長。〈オリオン〉は使えねぇのか?」

 庭に立つ、見上げるような巨体を顎で指し、ピュッツは言った。


「何でも初めて動いた時、一撃で魔獣を倒したって話なんだろ? あれの力を借りられれば、相当頼もしいんだが」

「いや、無理だ」


 サロモンは首を横に振る。


「〈オリオン〉はレアから二〇〇メイン以上離れられん。〈オリオン〉の力を借りるとなれば、レアを前に出す必要がある」

 そこまでは明瞭な声であったが、


「……あの子を危険な目に会わせるなど。アベルとエリーに申し訳が立たん」

 続くサロモンの言葉は殆ど呟くような調子であった。


「……あんた、十年前の事まだ気にしているんだな」

 ピュッツの言葉に、サロモンは


「あの時あんたは、レアちゃんを自分の家で引き取ると真っ先に名乗り出た。あの子の両親を死なせた罪滅ぼしがしたいと思ったんだろう」

「……」


「あの二人だけじゃない。あんたは、犠牲者が出たのは全て自分の失策だと思っている。自分が殺したようなもんだと思ってる。だがあれは、あんたが責任を背負しょい込むような事じゃなかっただろう」

「……そう思えれば、どんなに楽だった事か」


 腹の奥から苦いものを吐き出すように、サロモンは言った。


「レアが笑うのを見てな、時々どうしようもなく辛い気分になる。あの笑顔は、アベルとエリーが育むべきだった。それをわしが横から奪い取った、そんな思いが付いて回る。割り切ろうにも、出来んのだ。どうやらわしは、存外弱い人間らしい」

「誰も村長を恨んじゃいない」


 遂には目頭を押さえたサロモンの姿にいたたまれなくなり、半ば叫ぶようにピュッツは言った。


「俺はそんな頭の良い奴じゃないから、この程度の事しか言えんがな。この村の誰もあんたの事を恨んじゃいない。それだけは確かだ」

「……すまん」


 滲んだ目を指で拭い、気持ちを切り替える。


「まあ、〈オリオン〉は村の防衛に回ってもらおう。レアちゃんは二階にいれば安全だろうからな」

「そうだな、それで良いだろう」


 サロモンは頷く。


「じゃあ、それで決まりだ。……ああ、ついでだがな」

「何じゃ?」

「仮に俺が死んでも心配するな。感傷的な気分になる程、エリクは可愛くは笑わんからな」

「大方、お前に似たんじゃろうな」


 そう言って、二人は笑った。






 レアの胸に思い起こされるのは、十年前のあの日だ。


 魔獣襲撃の報を聞いたアベルとエリーのノーランド夫妻は、一人娘であるレアをエイベル家に預け、自警団団員として迎撃に参加した。


(大丈夫だよ、レア。お父さんがみんなを守ってあげるからな)

(レア、良い子で待っててね。帰ったら、またいっぱいお話ししましょうね)


 不安気なレアにアベルとエリーはそう言い残し、サロモンと共にエイベル家を後にした。


 どれ程の時間が経っただろうか。魔獣の撃退に成功したとの報告が村人達にもたらされ、皆で彼等を出迎えに行った。


 村の門をくぐる迎撃隊の姿は、痛々しいと言うより他なかった。腕に包帯を巻き付けた者、他人の肩を借りて歩く者、担架の上で呻き声を上げる者……。


 憔悴しょうすいした表情を浮かべ、足を引きずるように歩く集団の中にサロモンの姿を見付けたレアは、彼の下へと駆け寄り、お父さんとお母さんはどこなのか、と聞いた。


(……レア。君のお父さんとお母さんは、魔獣の襲撃を受けて、亡くなられた)


 長い沈黙の末に出て来たサロモンの言葉の意味が、すぐには分からなかった。


 やがて、布を被せられた担架が村へと運ばれて来た。


 遺体だった。ざっと見ても、十以上。


 広場に運ばれた遺体を、悲痛な泣き声が包み込む。そんな光景を茫洋と眺めるレアは、見覚えのある靴が布の端から覗いているのに気付いた。ラダが止めるのも聞かずにその遺体へと駆け寄り、布をそっとめくった。


 アベルとエリーの亡骸がそこにあった。ようやく死と言うものが理解出来たレアは、大声を上げて泣いた。


 自分は今悲しんでいるのか、恐れているのか。それさえも良く分からないまま、家族を失った少女はただただ涙を流した。






(サロモンさん……)


 リビングの窓越しに、レアはサロモンとピュッツの会話を聞いていた。盗み聞きをするのも悪いとは思ったのだが、当人達が窓の側に人がいる可能性を考慮もせずに始めた会話なのだから、不可抗力とも言える。何より、サロモンが時折悲しげな顔を自分に向ける事に、ようやく得心が入った。


(……また、あの時みたいな事になるのかな)


 幾分か癒やされたはずのあの日の喪失感が、再び鎌首をもたげるのを実感する。


 いや、今回の襲撃は十年前より規模が大きい。一体どれ程の損害が出るか、想像するのも恐ろしかった。

 昨日、遺跡で魔獣に遭遇した記憶が蘇る。


 あの爪。あの牙。あの巨体。そして剥き出しの、何処までも純粋で混じり気のない、あの暴気。エリクが一撃を喰らって生きていたのは、本当に運が良かったと言える。


 そのエリクも、今回の迎撃に参加する。怪我が治っていないので後方支援が主だろうが、危険な事に変わりはない。サロモン達は〈オリオン〉を村の防衛に回すらしい。つまり〈オリオン〉に出番があるとすれば、すなわち迎撃隊が打ち破られた後、と言う事である。


 レアの脳裏に、嫌な想像がよぎる。魔獣達に蹂躙された迎撃隊。その中に転が

る、エリクの姿。押し寄せた魔獣が〈オリオン〉の行動範囲外に逃れ、イルマに、ラダに、チャドに、サロモンに襲い掛かる姿。


 泥のように湧き出る恐怖が、レアの心を飲み込んで行く。膝が震え、顔から血の気が引き、目尻に涙が滲んで来る。


 そんな、最悪の想像を必死になって頭の中から追い払おうとする中。そのまま感情に任せ、泣き喚きたい衝動を押し止めようとする中。レアの胸の奥底から、にわかに一つの決意が浮かび上がってきた。


 そうだ。今の自分は、決して無力なんかじゃない。


 考える前に彼女は己の心に従い、玄関へと向かう。


「……レア?」

 背中に掛けられたイルマの言葉にも、レアは振り返らなかった。






 レアが玄関から出て来るのに気付いたサロモンは、彼女へ指示を伝えるべく声を掛けた。


「ああ、丁度良い。レア――」

「サロモンさん」


 サロモンの言葉を遮り、レアは言った。


「〈オリオン〉の力を使おう。それで魔獣達を食い止めよう」

「ああ、そのつもりだ。レア、お前は建物の二階から〈オリオン〉に指示を――」

「ううん、そうじゃない」


 レアは首を横に振る。そしてサロモンの目を真っ直ぐに見据えながら、


「あたしが〈オリオン〉と一緒に村の外に出て、魔獣を迎え撃つから」

 己の決意を口にした。


「……何?」

 サロモンがレアの言葉の意味を理解し、辛うじて反応を返すのには数秒の間を要した。


「あたしと〈オリオン〉が、ミメット村を守るよ。そうすれば――」

「何を馬鹿な事を言っておる」


 さざ波のような混乱をかぶりを振って鎮め、サロモンは言う。もちろんレアもあっさりと承諾が返ってくるとは思っていないし、これで引き下がるつもりもなかった。


「〈オリオン〉は魔獣と戦うために造られたゴレムなんだよ。だったら、こう言う時こそ出番じゃないの。そうよね、〈オリオン〉?」

『肯定。本機は戦闘を目的として製造されています』


 レアに直接尋ねられ、〈オリオン〉は答えた。


「しかし、お前は〈オリオン〉から遠く離れられん。お前が直接魔獣に襲われる危険がある」

「それは分かってる。だけど、あたしも村のために戦いたいの」

「調子に乗るんじゃない。そもそもお前はろくに戦いの仕方も知らんじゃろう。そんな者が一端いっぱしに何を言う」


 自然と語気が強まるのを努めて抑え、サロモンは言う。


「〈オリオン〉は使うが、前には出さん。お前は村の守るのに専念しろ。二階から〈オリオン〉に指示を出せばそれで十分じゃ」

「……サロモンさん、ごめんなさい。さっきの話、聞こえてた」


 レアの言葉に、サロモンは黙り込む。


「あたしね、サロモンさん達には本当に感謝してる。家族が居なくなったあたしのために、新しい家族になってくれた。あたしが笑顔を取り戻せたのは、サロモンさん達のおかげなの。本当にありがとう」


 そう言ってレアは頭を下げる。


「だけどまた、大事な人が奪われそうになってる。村のみんなに危険が迫ってる。あたしはもうあんな目に遭うのは嫌だし、村のみんなにも遭って欲しくない。だからあたしも、出来るだけの事がしたい。この〈オリオン〉と一緒に」

「……」


「大丈夫だよ。絶対に無茶はしないし、きっと〈オリオン〉があたしを守ってくれるよ。そうだよね?」

『肯定』

〈オリオン〉が答える。


 サロモンは、しばらく何も言わなかった。レアの瞳を眺め、〈オリオン〉の巨体を眺め、瞑目し、一つ息を吸って吐き、


「……良いんだな?」

 最後に確認を取るように言った。


「うん」

「約束してくれ。絶対に無理はするな。無事に戻って来てくれ」

「うん。約束する」


「〈オリオン〉、レアを頼めるか」

『お任せ下さい』


 レアは力強く頷き、〈オリオン〉は微動だにせず、サロモンの言葉に答える。己も腹を決める時と定めたサロモンは、それぞれに視線を送り、言った。


「レアに〈オリオン〉、お前達に任せる。ミメット村を守ってくれ」

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