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6 予兆

「つ、疲れたぁ〜……」

「お疲れさん」


 帰宅するなりリビングのテーブルに突っ伏すレアに、エリクは声を掛ける。彼も〈オリオン〉発見者の一人と言う事で、引き続きサロモンに呼ばれていた。


「あんな大勢の前で話すなんて思いもしなかったわよ……。あ、ありがと」


 イルマから「お疲れー」と水を渡され、レアは礼を言う。喉の乾きと緊張とを一刻も早く癒やすべく、口を付けた勢いそのままに一息でコップを空にしてしまっ

た。


「まあ、おかげで私も詳しい事情を整理する事が出来たよ。ご苦労だったなレア。それに〈オリオン〉も」

『お気になさらず。私にとっても有意義な時間でした。少しではありますが村の様子を見て、この時代の文明レベルを知る事が出来ました』


 サロモンの言葉に、レアのコントラクト・チョーカーから〈オリオン〉が返す。


「あ、言っとくけどね〈オリオン〉、ミメット村はあんまり機械とかないけど、都会とかじゃ結構機械使われてるから、ここだけで判断しないでね」


 水のおかわりが水差しから注がれるのを眺めながら、レアが補足する。


 この世界(エトランジェ)における文明レベルは、場所によってかなりの差がある。


 ミメット村のような田舎では、あまり機械は普及していない。農業は人か牛の力で行い、遠方への移動手段は馬か徒歩。レアが今しがた飲んでいる水も、井戸から汲み上げて来たものだ。井戸には手押しポンプが設置され、ほぼ全世帯にマナ灯が行き渡っている分、むしろ恵まれている方だと言える。


 一方都市部では、機械はかなり普及している。時計を個人レベルで所有している事も珍しくなく、馬の代わりにマナの力で動く車や船が存在していたりする。それに〈オリオン〉程の性能ではないが、ゴレムも。旧文明を発掘、解析した成果はまず都市で普及し、それから徐々に地方へと広まっていくためである。


『参考にさせて頂きます』

「それよりも、このコントラクト・チョーカーよ。どうしよう……」


 首のチョーカーをついつい、と軽く指で摘みながら、レアは言った。


「二◯◯メイン離れたら駄目かあ……。つまり私は今後ずっと〈オリオン〉の側から離れられないって事に……」


 二◯◯メイン。〈オリオン〉が庭に居れば、少なくとも自宅の敷地内では活動に制限はない程度の範囲である。外に出る場合であっても〈オリオン〉は移動可能であるから、付いて来て貰えば大丈夫だ。しかも〈オリオン〉は飛行可能であり、建物等も難なく飛び越す事が出来る。


 かと言って万事問題なし、とは行かないだろう。第一、常時二◯◯メインと言う行動範囲を気にしなければならない人生など御免被りたいと、レアは思っていた。


「ねえ〈オリオン〉。チョーカーを取り外す事は出来ないの?」

『可能です。ただし、専用の解除コードが必要になります』

「解除コードって?」

『つまりは暗号情報による鍵です。基地に存在するはずです』


〈オリオン〉の言葉に、レアはぱっと明るい顔になる。


「基地って、あの遺跡の事でしょ? あそこを探せば良いんだ。なーんだ、案外簡単に何とかなりそうじゃない」

「まあ、これ以上は勝手に調査する訳にも行かんからな。まずは城へ手紙を送らねば」


 城とは、ルビーノ王国の王都『スピネル』に存在する、『スピネル城』の事だ。ルビーノ王国領内にあるミメット村のおさが、遺跡と〈オリオン〉の存在を真っ先に報告するべき場所である。


「ところでレア。その何とかってチョーカー、付けっぱなしで気になんないの? 痒いとか、蒸れるとか」


 レアの首筋をまじまじと見つめながら、イルマが尋ねる。彼女の目に映るコントラクト・チョーカーは、レアの首にピッタリと張り付いているかのようにフィットしている。遊び(・・)の一つすら見受けられない。


「うん、それが全然。それこそ、何も付けてないって勘違いしちゃいそうな位に」

「ふーん。不思議なもんだな」

『エリク、頭部に糸くずが付いています』

「おお、サンキュー」


〈オリオン〉に指摘され、エリクは自分の頭を払う。シャツを着た時にでも付いたのか、一本の糸くずがはらりと床の上に落ちた。


「あれ? 〈オリオン〉からエリクの頭が見えるの?」


 リビングはエイベル家の一階にある。〈オリオン〉の巨体では、屈んで覗き込まなければ内部の様子を視界に収める事など出来ないだろう。一方、リビングから見た〈オリオン〉は、ただひざまずいているだけだ。あれでは角度的に、エリクを見る事など出来ないはずだ。


『私はマスターのコントラクト・チョーカーを介して、リビングの様子を見ています』

「え? そんな事も出来るんだ?」


『肯定。チョーカーにはカメラやマイク等の機能が搭載されていますので。つまりチョーカーは、私の目の代わりでもあり、耳の代わりでもあるのです』

「そうなんだ。便利ねえ」


『同時にチョーカーは、私のメインカメラで見た光景を、空中投影ディスプレイを用いて再生する事も出来ます』


〈オリオン〉が言うと、レアの首のコントラクト・チョーカーから光が投射され

る。光は空中で四角い枠を形作り、その中に一つの光景が浮かび上がらせていた。レア達にとって見慣れた風景――エイベル家の庭だ。片隅に映る木の枝がさわさわと風に揺らぎ、これが絵画や写真の類ではない事を示している。『動画』と言う概念自体は理解出来ているが、それを空中に映す技術など想像すらした事もない。


「うわぁ! 凄いわね……ん?」

 目を輝かせて映像を見つめるレアだが、ふと違和感を覚える。


 ――コントラクト・チョーカーを介して、〈オリオン〉はレアと同じ光景を見る事が出来る――


 彼女の中の違和感が徐々に一つの像へと結ばれていく最中も、〈オリオン〉の説明は続く。


『映像情報は記録し、再生する事も可能です。例えば、これは昨夜の映像です』

〈オリオン〉がそう言うと、映像が切り替わる。


 画面には、レアの姿が見える。正面の鏡に写り込んだ姿だろう。


 鏡の中のレアは、深い溜め息と共に不安を口にしながら、シャツのボタンを外していく。


 シャツが左右へと開かれていき、汚れのない柔肌が、可愛らしい下着が露わとなり――


「うきゃああああああああああっ!?」


 画面内で繰り広げられる己の脱衣シーン――昨夜の入浴前の光景を前に、素っ頓狂な叫びがレアの口から響く。サロモンとチャドが気まずげに目を逸らし、ラダが「あらあら」とおっとり笑い、限界まで見開かれたエリクの目をイルマが「はーいサービスはここまでー」と両手で覆う。


「ななななな何見せてるのよ!? バカ!? えっち!? スケベ!?」

『昨夜の映像です』


「そう言う意味じゃなくて!! ……て言うかあなたまさか、昨日からずっと見てたの!? お風呂とかトイレとか着替えとか!!」

『肯定。全て記録しています』

「いやああああああああああっ!!」


 レアの絶叫が響く。先程からの違和感の正体が、最悪の形で判明した瞬間であった。


「何て事してくれてんのよぉっ!?」

『そう言われましても、初期設定ですので。そもそも私は機械ですので、人の行動を見ても何も感じません。従って気にする必要など全くありません』

「それで納得出来る程、乙女心は強くもたくましくもないのよ!!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるレアと〈オリオン〉を尻目に、エリクは胸の内であらん限りの感謝を天へと捧げるのであった。






 結局『コントラクト・チョーカーの側面に指を滑らせれば、私との通信の接続、切断の切り替えが出来ます』と言う〈オリオン〉の説明で解決した。


 サロモンが城への手紙を書くために部屋に戻り、エリクも家へと帰って行った。レア達も家事や民芸品作り等、それぞれの日常へと戻った。


 そして日も傾き始めた頃――


「それじゃ、よろしくお願いしまーす」

 書き上がった城宛ての手紙を郵便配達人へと渡し、レアは大きく手を振った。


『手紙ですか。奥ゆかしい文化です』


 馬に揺られる配達人の背中を見届けながら、〈オリオン〉が言う。この巨体を見た配達人の反応は、中々の見ものであった。


「旧文明のころは違ったの?」

『我々の時代は主に電子メールのやり取りが主でした。例えば……』


 そう言って〈オリオン〉はチョーカーからデイスプレイを投影させ、文字を表示させる。『おはようございます』やら『お休みなさい』やら、説明のために適当に用意した文字列、と言った風情だった。


『このような文字情報を互いの端末同士で送り合い、意志疎通を行っていました。時間差はほぼなく、相手はすぐに内容を確認する事が出来ます』

「へえ。じゃあ、手紙を送るって事はなかったんだ?」


『全くなかった訳ではありません。むしろ我々の時代は、紙を使った情報伝達の方が心が籠もっている、と判断されていました』

「違いが良く分かんないね……。文章自体はおんなじなんでしょ? 電子メールって奴の方が、便利で素敵だと思うんだけど」


『そのような見解もあるのですか。参考にさせて頂きます』


 別に深い考察の上での発言ではなかったのに、〈オリオン〉は感心したかのように言う。『感情はない』らしいので実際に感心した訳ではないのだろうが、それでもレアは微妙におもはゆい心地だった。


「それよりも〈オリオン〉、あなたって他にどんな事が出来るの? 色々と知りたいな」

 落ち着かない気分を切り替えるべく、レアは尋ねる。


『私は戦闘用のゴレムです。敵対勢力であるエスメラルダ側のゴレム、及び魔獣の殲滅せんめつが主な役割です』

「そ、そうなんだ……」


 物騒な単語に軽く引く。『エスメラルダ』とは旧文明時代の大国であり、〈オリオン〉が所属していたと言う『ディアマンテ』共々、とっくの昔に滅び去ってい

る。


『現状では外部兵装を全く装備していませんので、残念ながら殲滅力に関しては』

「も、もうちょっと穏やかな話が良いかな。例えばほら、あなたの五感ってどうなってるのかとか。カメラで見て、マイクで聞いたり喋ったりは分かったけど、臭いとかは感じるの?」


『肯定。ただ、人間と同じような感覚とは違います。私の場合、臭気センサーで匂いを感知します。数値的にどのような匂いであるかを理解してはいますが、いわゆる『快・不快』を覚える事はありません。触覚、味覚も同様です』

「はあ……」


『他にも、私は各種センサー、レーダーを搭載しています』

「れーだー……」


『せんさー』とやらの理解で手一杯の頭に、更なる単語が放り込まれる。そのまま脳を素通りして来たかのように、レアの口からオウム返しの単語が転がり落ちた。


『レーダーとは、要するに遠くのものを探知するための装置です』

 説明不足を察したか、それとも最初からそう言う段取りであったのか、〈オリオン〉からの補足が入る。


「ああ、千里眼とかあんな感じの?」

『いわゆる超能力の類ではありませんが。……そうですね、試しにこの周囲を調べてみましょうか?』

「そうね。やってやって」


 レアの言葉に〈オリオン〉は『了解。捜索開始』と答える。同時に、コントラクト・チョーカーから映像が投影された。何重かの円が描かれ、中心から伸びた直線が時計の針のようにぐるりと回っているだけの映像だった。


「これは?」

『私のレーダーで感知したものを表しています。……ああ、早速』


〈オリオン〉が言うのと同時に、映像に赤い光点が『ピコン』と表示される。光点は真っ直ぐ中心へと向かって移動していた。


『これは鳥ですね。空を見て下さい』

 言われた通り、レアは空を見上げる。一羽の鳥が翼を羽ばたかせ、こちらへと飛んで来るのが見えた。


「なるほどね〜。何か分かって来たかも」

『更に捜索範囲を広げてみましょう』

「やっちゃえやっちゃえ」


 レアは楽しげな声を弾ませる。


 少しして、映像に変化が表れる。円の外周上部に、先程と同じ光点が灯った。今度は一つではない。複数だ。


「おお、出た出た。何かなこれ。……〈オリオン〉?」

 尋ねてみても、返事がない。レアが更に声を掛けようと口を開く前に、


『マスターレア。より正確な情報を得るため、上空での観測の許可を頂けます

か?』

「? 良いけど」


 レアが言うなり〈オリオン〉はふわりと空へ浮かび上がり、そのまま上昇して行った。


「ねえ〈オリオン〉、一体どうし……」

 そこまで言って、レアは息を飲んだ。


 映像の光点が、目に見えて増えている。いくつも、いくつも、いくつも。


 鳥の群れだろうか。それにしては〈オリオン〉の様子がおかしい。たかだか鳥のために『上空での観測』が必要になるとは思えない。


 ――まさか。いや、そんな馬鹿な事が。


 胸によぎった嫌な予感を、必死に打ち消そうと試みる。しかし、


『警報。村北部に魔獣の群れを感知。数は三十。現在南下中――』


 レアのささやかな抵抗は、首元から聞こえる〈オリオン〉の言葉によって虚しく否定される。


『――予測進路は、ミメット村です』


 無機質な〈オリオン〉の声が、レアの耳には悪魔の囁きのように響いた。


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