3 目覚め
ゴレム。エトランジェの機械人形に冠せられた名だ。鋼鉄でその身を構成し、マナを動力に動くそれは、旧文明に隆盛を誇っていたとされる。重量物の運搬、建築作業、そして戦術兵器。様々な用途に用いられたと伝わる。
しかしその大半はかつての戦争で失われ、現在では骸と化した残骸が遺されているばかりである。研究者達はそれら遺物から今の世への再生を試みており、結果として幾ばくかの成功を収めてはいるが――それは全盛期に発揮されていたと言われる性能には及ばない、ゴレム『モドキ』でしかないのが現状だ。
その旧文明の象徴と扱われる存在――鉄の巨人が完全な姿を保った状態で目の前に立っているという事実に、二人はそれをただただ呆然と見上げるばかりであっ
た。
「……ええと、もしかしてあたし達、とんでもないもの見つけちゃった?」
「……見つけちゃった、みたいだなこれ……」
上ずった声で尋ねるレアに、エリクは震える声でそう答えた。
繰り返すが、発見されているゴレムの大半は残骸、精々ある程度原型を留めている位のものである。欠損の一つすら見られない代物など、事と次第によっては歴史的大発見であるのかも知れない。
旧文明時代の遺跡のみならず、ゴレムまで発見する。偶然の内に達成してしまった偉業に、少女と少年が平静を揺らがせるのは無理のない事であった。
「ゆ、夢じゃないよね……」
「ゆ、夢じゃねえよな……」
レアとエリクは同時に呟き、
「「痛ひゃひゃひゃひゃひゃひゃ(痛たたたたたた)!?」」
互いが、互いの頬を思いっきりつねり上げた。
「い、痛いよエリク! 試すんだったら、自分の頬をつねってよ!」
「俺の頬を容赦なくつねっておいて、その文句かよ!」
自分の行為は棚上げしておいて相手の行動は非難するという、本来であれば著しく公平性を欠く行為を、しかし両者が行っているために結果的に公平性が保たれる稀有な事例。つまりは『どっちもどっち』な、全く褒められる点のない行動を演じた二人は、これが紛れもない現実であると認識し、やがて胸の奥底から沸々と高揚感が湧き上がって来た。
「あたし達、大発見しちゃったんだ! やったあ!」
「ああ! 取りあえず、まずは帰ってから村長に報告をしなきゃな!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねるレアと、握り拳で今後の行動方針を立てるエリク。二人の脳裏には、報奨金がもたらすであろうバラ色の未来が鮮やかに、且つ誇張されて描き出されていた。
だが、その時――
『ガシャンッ!』と何か――恐らくは機材が床に倒される音、そして不穏な気配を発する何者かの足音が、背後から聞こえて来た。二人が恐る恐る振り向くと――
『ゴァァァァァ……』
「え……っ!?」
こちらへ向かってゆっくりと歩を進める、四つ脚歩行のものがそこには居た。
鋭い爪と牙、そして人間を上回るであろうその巨体は、どことなく熊を思わせ
る。だが、妖しく光る虹色の体色と、所々に突き出た水晶のような結晶体の存在
は、それが断じて熊などではない事を物語っていた。
「な……っ!? 魔獣だと!?」
反射的に開いた口を、相手を刺激しないよう必死に押し殺しながら、エリクが言った。
マナは、何も人類に恩恵ばかりをもたらす存在ではない。時に人類に牙を剥く害意の存在と化す事もある。人々はそれを、魔獣と呼ぶ。
通常、魔獣が人々の住む街や村へ近付くような事は、一部例外を除けばない。それら人が住む場所などには、魔獣が嫌う波長を発し、彼らを遠ざける『魔獣除け』が設置されているためだ。当然、ミメット村にも存在するのだが――
「まさかここ、魔獣除けの範囲外なの!?」
レア達が普段山菜採りに出掛ける森は、村の魔獣除けの範囲内ギリギリである。結構な地下深くにあるこの場所が、その範囲から外れている事は十分考えられる。遺跡の探検に気を取られ、その点を失念していた迂闊さをレア達が後悔しても、もはや手遅れであった。
「らしいな、うっかりしてたぜ……。どっかから入り込んだんだろうな」
「そもそもエリク、この遺跡に魔獣除けはないのかな?」
「知るかよ、壊れたかどうかしたんじゃねえのか? ……それよりもレア、下がってろ」
そう言ってエリクは腰ベルトに取り付けていた、ショートソードを引き抜く。そして、既にこちらを標的と見定め、ゆっくりと近付いてくる魔獣へと向き合った。
「む、無茶だよ、逃げた方が良いに決まってるよ」
エリクの背に隠れながら、レアは言う。しかし、
「このままじゃ、逃げようもねえだろ」
首を横に振りながら、エリクはそう返した。何しろ魔獣は、二人が先程降りて来た階段の方向に居るのだ。階段を登って逃げるには、その脇を通らなければならない。問題なく通り過ぎるなど、まず無理だ。
「倒そうだなんて思ってねえよ。隙が出来たら、さっさと逃げるんだよ。それよりも、もっと下がってろ」
「……うん。気を付けてね」
エリクの指示に頷き、レアはゆっくりと下がる。そして、ゴレムの周囲にある機材の影にその身を隠した。
ふと、その機材の表面に目が行く。壁の一画と同じく、青白い光の中に白い文字が浮かび上がっている。訳の分からない単語が多いものの、基本的に旧文明で使用されていた言語は現代とほぼ同じらしく、レアにも理解する事が出来た。
『コントラクト・チョーカー』
『首に取り付け』
『MG−PMAS−03起動』
状況が状況なので斜め読み程度ではあるが、そんな言葉を読み取る。もちろん、意味は分からない。それよりもエリクの様子を気にして、彼女は視線をそちらへと戻した。
ジリジリと魔獣との距離を詰めるエリク。エリクを睨みつける魔獣。数瞬の沈黙が場を支配し――
「はあっ!!」
先に動いたのはエリクだった。片手で握った剣を小脇に構え、突進する。魔獣が腕を振り上げるより素早く、標的を剣の刺突範囲に捉える。
「はっ!」
『ギャブッ!!』
繰り出した突きが魔獣の胴体へと突き刺さる。傷口から血液の代わりに光の粒子を散らしながら、魔獣は呻き声を上げた。
「よっしゃ、先手必勝! レア、さっさと逃げるぞ!」
振り返り、叫ぶ。だが、
「エリク駄目! そいつ、まだ――」
「え?」
レアの警告に反応し、改めて魔獣の方へと向き直る。
魔獣は、既に体勢を持ち直していた。そして、
『ゴワアアアアアッ!!』
「が……っ!?」
横薙ぎに払われた魔獣の手の甲が、エリクの脇腹に直撃する。彼は吹っ飛ばさ
れ、しばし床を転がされて壁にぶつかって止まり――そのまま、ぐったりと動かなくなった。
「……嘘、でしょ、エリク……」
恐怖に打ち震えた声で、少女は少年の名を呟く。
――レア。君のご両親は――
脳裏に、十年前の記憶が蘇る。
「い……嫌……。嫌……」
――魔獣に襲われて――
全身がすうっと冷えていくような感覚に支配される。手が、足がすくみ、全く動けないしそんな気すら起きない。恐怖と悲嘆の涙が溢れ、レアの頬を滑り落ちて行った。
だが。
「…………う」
「…………エリク?」
床に倒れたエリクが、微かに呻く。同時に、その体がもぞりと動いた。
良かった。生きてる。
レアの安堵は、しかし一瞬の内に消し飛ぶ。魔獣が、明らかにエリクへの追撃に移らんと、その身を屈めたためである。
(エリク!!)
考える前に行動を起こしていた。
咄嗟に、手にしていた山菜入りの籠を魔獣に向かって投げ付けた。
レアの投擲力では魔獣には届かず、籠は虚しく床に転がるばかりであったが、その音で魔獣の注意をこちらに向ける事には成功した。
『グゥゥゥゥ……』
「エ、エリクに手を出さないで。あ、あなたの相手は、あ、あた、あたしよ」
恐怖感を脊髄反射的な行動の勢いで押さえ付けながら、震える口でレアは言っ
た。
魔獣がレアへと向き直る。今更になって無謀な事をした、との思いが湧き上がって来たが、大事な友達の危機を救うためだ。後悔はなかった。
せめて、武器になるようなものが欲しいと、辺りを見渡す。そんなものはなかった。少なくとも、魔獣に襲い掛かられる前に入手出来るような範囲には。
(あと探すべきは、この機材だよね)
思い立ち、すぐ機材に目をやる。これには一つだけ、引き出しが付いている。この中に何か役立つものは――
藁にもすがる思いで、取っ手に指を掛けて引っ張り、中を確認する。
白い輪っか。レアの目に飛び込んできたのは、台座に掘られた窪みの中にピッタリと収まった、滑らかな表面の輪っかであった。手前側が少し開いており、奥側がヒンジ状になっている。開閉が可能なのだろう。
それだけであれば、レアはこれが何なのか理解出来なかったであろう。しかし、台座に埋められたプレートの文字が、この物体の名を声もなく告げていた。
〈コントラクト・チョーカー〉。
レアの脳裏に、先程読み取った機材の文字が蘇る。
『コントラクト・チョーカー』『首に取り付け』『起動』――
もしかして。その直感に命じられるままに、レアは行動を起こした。
引き出しの中から輪っかを取り出し、それを開く。そして自らの首に取り付け、輪を閉じた。
カチリ、と音が鳴る。自分にはサイズが合わないらしく、少々ぶかぶかだ。それは仕方がないか、とレアは思ったが、
『装着を確認。調整開始』
突如、首の輪っかが声を発する。そして輪っかが縮まり、レアの首との間にある隙間を埋めていった。
「嘘……!? ピッタリの大きさになっちゃった……!」
驚愕の言葉が、レアの口から吐き出される。同時に、自身の行動に手応えを感じた。
この輪っか――コントラクト・チョーカーは、恐らく自分の背後にあるゴレムを動かすためのものではないか。その推理に従っての行動であったが、どうやら良い線を行っていたらしい。何より、このコントラクト・チョーカーはちゃんと動いてくれている。ゴレムの方も、これならば――
『グアアアアアッ!!』
「きゃあぁっ!!」
レアの期待感を打ち砕くかのように、魔獣が動いた。反射的にレアは倒れ込むように後方へ飛び退く。直後、魔獣の鋭い爪が先程までレアが隠れていた機材に振り下ろされた。打撃音とガラスが割れるような音が響き、機材の破片が辺りに飛び散った。
「……に、逃げろ、レア……」
「……っ。え、エリク……」
苦しげに半身を起こそうとするエリクと目が合う。しかし、逃げようにもすぐには起き上がる事が出来ない。そうしている間にも、魔獣はゆらりと身を動かし、こちらへと迫って来る。
ああ、これはもう駄目かも知れない。
そもそも、勢いで行動したけど、肝心のゴレムの動かし方なんて分からないし。 抜けてるなぁ、あたし。だからいつも、エリクに注意されるんだけどね。
ごめんね、エリク。
再び湧き上がって来た恐怖感とは裏腹に、奇妙な程冷静な自身の思考を噛み締めながら、レアは何とか身を起こそうとする。今の彼女には、背後から微かに聞こえる|、低く唸るような何かの音など、全く意識にはなかった。
だから、
『最終チェック完了。起動手順、全て完了。マスター、ご命令を』
聞こえて来たその声に、
「……けて」
何の疑問も抱かず、
「助けて!! 何とかして!!」
叫ぶように、懇願するように、そう命じた。
『ゴワアアアアアッ!』
『了解、マスター』
レアへと跳び掛かりながら発せられた魔獣の凶暴な雄叫びに被さるように、感情の欠片もない声が首元と頭上から、同時に聞こえて来た。
直後、天井から拳が降って来た。少なくとも、レアの目にはそう映った。
轟音を打ち鳴らし、拳が床に叩き付けられる。その間に居た魔獣はろくに反応する事すら叶わず押し潰され、瞬間的に光の粒子を飛び散らせながらその姿を消し
た。断末魔すら、残す事はなかった。
「…………え?」
呆然としながらもその気配を察し、恐る恐る頭上を仰ぎ見る。
それと、目が合った。ゴレムが、こちらを見下ろしていた。
「レ……レア。大丈夫か……?」
よろめきながらも何とか立ち上がったエリクが、レアの方へと歩み寄りながら声を掛ける。
「う……うん。助かった、みたい……」
ゴレムと目を合わせたまま、自分でも信じられない、といった風にそう返した。
「エリクは大丈夫なの?」
「ああ、取りあえずはな。それよりも、そのゴレム……」
「うん……」
エリクに促され、レアは自身を見下ろすゴレムへと語り掛ける。
「あなたが、助けてくれたの……?」
『肯定』
えらくしかつめらしい単語を用いて、そのゴレムは答えた。
「あなたは、一体……?」
『当機はMG−PMAS−03〈オリオン〉。ディアマンテ所属の戦闘用ゴレムです』
「え、えむじー……?」
返って来た答えに余計に混乱する。確かに、さっき見た機材の文字にそれらしき言葉があったような気がしなくもないが。
首をひねるレアに対し、
『次のご命令を、マスター』
抑揚のない声で、そのゴレムは彼女に問うた。




