2 出会い
「ふう……。これくらい採れば十分かな、エリク」
山菜が詰まった籠を片手で軽く掲げながら、レアは幼馴染みの少年へと声を掛けた。
「どれどれ……。おお、結構採ったな」
籠の中身を確認し、少年――エリク・ランブロウは軽く唸る。
柔らかな木漏れ日が差し込み、穏やかな鳥のさえずりが聞こえるここは、ミメット村外れの森。レアの家族からのお使いを果たすべく、二人はこの場所へと足を踏み入れていたのであった。
「良い感じに固まって生えてたからね。いやー、大漁大漁」
「水気のねえ大漁っぷりだな」
籠をポンポンと叩きながら笑うレアに、エリクは肩をすくめて茶々を入れる。
「もおっ」とレアは友愛の篭った拳を柔らかく繰り出し、少年に易々と回避され
た。
「でも、ありがとうねエリク。わざわざ付き合ってくれて」
「そりゃ、俺のおふくろから頼まれた分も含まれてるからな。お前一人に任せるのも筋違いってもんだろ。……そ、それにさ……」
急に歯切れの悪くなったエリクの言葉の続きを、レアは疑問符を浮かべながら待つ。
「……お、俺は、お前のためなら、どんな苦労だって平気なんだぜ……」
消え入りそうになった語尾を、エリクは勇気を総動員して聞き取れる音量に保
つ。
言った! 言ってやった! 良くやった、俺!!
平素から抱いている恋慕の情の一端を声に出すという、年頃の少年少女にとって偉業と言って差し当たりない行動を成し遂げたエリクは、胸中で快哉を叫んだ。
出掛ける時からずっと脳内でシミュレートしていた成果が出たってもんだ!
さあどう来る、レア!?
頬を染めながらの『え……? それって、もしかして……?』か!?
いやいや、はにかんだ笑顔からの『もおっ、エリクったら。……えへへ』か!?
どっちのパターンも、俺は想定済みだぜ!
さあ来い、レア!!
湧き上がる興奮が表に出ないように苦労しながらも、少年は発揮した勇気の答えを待つ。
「そうなんだ、ありがと。いやー、持つべきは友だねー」
そして、そんな勇気を欠片も察してやれないのが、レア・ノーランドと言う少女であった。
「でも、エリクに頼りっぱなしってのも悪いしね。自分で出来る事はちゃんと自分でする……エリク、どうしたの?」
「何でもねえよ。お前がどんな奴か、昔っから知ってるからな。ああ、ちゃんと知ってたさ……」
目頭を押さえて天を仰ぎ見るエリクの姿に、レアは首を傾げる。
「……? まあ良いや。帰ろうか」
「……ああ、帰ろうか。剣の稽古もしときたいからな」
「頑張れー、自警団」
軽い調子でレアは声援を飛ばす。しかし、ふと真面目な顔になって、
「……エリクはさ、望んで自警団に入ったんだよね?」
「ん? いやまあ望んでっつーか、親父が自警団の団長だから、その関係で自然と入ったっつーか」
唐突な質問に、エリクは怪訝顔で答える。
「でも、今では自分のやりたい事になってるんだよね?」
「まあな。……どうしたんだよ、急に?」
「ううん、何でもない」
エリクに気のない返事を返し、レアはぼんやりと遠くを眺める。
あたしは、自分の将来をどうしたいんだろう。
これで何度目かも分からない問いを、レアは己の胸へと投げ掛ける。
投げ掛けたところで、答えは返って来ない。
村での生活は幸せだ。
両親を亡くした自分を引き取ってくれた村長一家は、とても優しくしてくれる。大事な友達だって居る。村人みんな、大好きだ。
毎日の生活にも、不満はない。家事を手伝い、その合間に民芸品作りを手伝う。すっかり板に付いて来た、大事な自分の仕事。それが終わった後の読書は、至福のひとときだ。
穏やかな日々。何の問題もなく、暮らして行ける日々。そして、自分はそのまま大人になって行くのだ。
しかしその日々には、「流されている」という感覚がいつも付きまとう。
決して嫌な訳ではないが、これがあたしの生きる道なんだ、と胸を張って言えない。何らかの情熱を持った確信から、そう言う事が出来ない。
じゃあ、あたしはどういう生き方をしたいのか。
分からない。自分のやりたい事、言わば人生目標が見つからない――
「おーい、レアー?」
「わあっ!?」
エリクの声に、我に返る。
「ご、ごめんねエリク。考え事してて」
「いや、良いけどよ。ここが戦場なら三回は死んでいた位にボーっとしてたぞ?」
「何でわざわざ物騒な想定するの!?」
「流石に四回目は忍びねえと思って、声掛けたんだけど」
「ありがとう、エリク!! その前に三回勝手に殺さなければ、もっと良かったけど!!」
焦点のおかしいエリクの心配に、レアは感謝とツッコミの両方を忘れなかった。
「よーし、いつものレアだな。じゃ、そろそろ帰ろうぜ」
「あー、からかったな? こらぁっ!」
ケタケタと笑うエリクに、レアは冗談交じりに威嚇をするべく、両腕を振り上げた。
……が。
すぽーんっ。
そんな擬音が相応しい程の勢いで、レアの手から山菜入りの籠が飛ぶ。
「「あ」」
放物線を描きながらエリクの頭上を通り過ぎ、ごく短時間の空の旅を済ませた籠は、そのまま向かいの切り立った崖の岩肌にぶつかる。そしてその中身を外に散らかしながら、地に転がるのであった。
「……ありゃりゃ。レア、ちゃんと握ってろよー」
やれやれとばかりに苦笑を浮かべ、エリクは地に落ちた籠と山菜を拾おうとレアに背を向ける。
「…………え?」
レアは、すぐには動かなかった。彼女は、偶然にもそれを目撃していた。
飛んでいった籠が、岩肌を少しすり抜けて跳ね返って来た光景を。
「ほいっ、と。中身が固まって落ちたのは幸いだったな。……レア? どうし
た?」
それには答えず、レアは崖へと近付く。そして、先程籠がぶつかった箇所へと手を伸ばし、
「エ、エリク、これ見て!!」
「ん? ……うわっ、何だよこれ!?」
レアの手首から先が崖に埋まっているのを目にし、エリクも驚愕と共にその事実に気付いた。
「何かここの崖、変だよ! 見えるのに触れない! それに、奥に何か鉄っぽい壁があるよ!!」
「ちょ、ちょっと待て。……本当だ」
彼女に習って手を伸ばす。岩肌を透過したエリクの掌に、ひんやりとした硬い壁の感触が伝わって来た。
二人はそのままぺたぺたと手で壁を探る。レアの指が、何やら軽く突起したものの感触を捉える。そのまま、勢いで指を押し付けた。
カチリ、とした感触と共に、突起が押し込まれるのが分かった。
同時に、目の前の岩肌が幻のように消え去り、奥からくすんだ銀色の鉄壁が姿を現す。そして、鉄壁はレア達にとって得体の知れない音を発し、隙間を覗かせた。
その隙間は、あっと言う間に広げられて行き――
「……ね、ねえ、エリク。これって……」
「……あ、ああ。これは……」
入り口。それ以外に考えられなかった。
まるで岩肌を切り抜いたかのように、その崖には内部へと侵入するための穴が穿たれていた。
中は薄暗く、しかし様子を確認出来る程度には光が灯っている。明らかに人口物の佇まいを持った床は下方へと段差を形成し、足を踏み入れる者を眼下の暗がりへと誘っている――有り体に言えば、地下へ降りる階段がそこにはあった。
「……旧文明……」
知らず、レアの口から一つの単語が零れる。
旧文明。このエトランジェでかつて隆盛を誇っていた文明を、人々はそう呼んでいる。
『マナ』と呼ばれる、星から湧き出るエネルギーを利用し、現在とは比べ物にならない程に優れた生活を営んでいたと言われる文明。人類を二分する戦争が起き、その末に滅亡したとされる文明。
現在では、文献と各地に残る遺物によって、その存在が示される文明。その遺物と思しきものが、二人の眼前で口を開いていた。
「……それでさ、どうする? エリク」
「……どうする、って、お前……」
しばしの沈黙がレアの問いに破られ、エリクは戸惑いを見せる。『どうする?』と疑問形で尋ねてこそいるが、チラチラ、と階段に興味深げな視線を送りながら、何かを期待しているような表情を浮かべている辺り、彼女が『どうしたい』のかは明らかであった。
「何て言うかさ、あたし達の住む村の近くに旧文明の遺跡が残っていたのに、それに全く気が付かなかっただなんて旧文明に対して失礼だし、あたし達はその償いをする必要性があると思うし、その償いの方法を色々考えてみたんだけどやっぱり」
「つまり『気になるから入ってみようよ!』って事だな。理由になってない理由を並べ立てる位なら、普通にそう言えよ……」
目を輝かせながら贖罪を訴えるレアの、全く隠れていない裏を暴き立てながら、エリクは額に手を当てた。
「まあ、気になるっちゃ気になるしな。探検がてら入ってみるのも良いか」
「やった! じゃあ、早速行こうか!」
「一応言うけど、ちょっとだけだぞ、ちょっとだけ。本格的な調査は専門家に任せて……って、聞いてねえよ……」
早くも階段の一段目に足を掛けたレアを、慌てて追いかけるエリクであった。
迂闊に好奇心なんて発揮するもんじゃなかった。
二人の胸中にそんな後悔がちらりとよぎる程度に、階段は蛇腹に折れ曲がりながら、地下深くまで続いていた。
両足が悲鳴を上げ始め、明日の筋肉痛を覚悟し始めた頃になって、ようやく終点らしき場所へと辿り着いた。
ただただ開けた空間。薄明かりの中では、精々その程度の事しか分からなかっ
た。
「何か、天井も高そうだね……」
「結構降りたからな。……つーか、帰りはまたアレを昇るのか……」
エリクの呟きに「うげっ」と顔をしかめるも、レアはすぐさま関心の対象を周囲へと向けた。
鉄っぽい、と言う以外にレアには表現の仕様がない硬質な壁には、見たところ一部だけ材質が違う箇所が存在していた。もちろん、だからどうしたのかなど、分かるはずもない。
床は金属の割には滑らない。手で触ってみると、ざらりとした感触のものが等間隔に貼り付けられてあった。滑り止めらしい。気が利くものだと、レアは密かに感心した。
闇をぼんやりと照らす明かり――これは理解出来る、マナ灯だ。ミメット村にもありふれた、照明器具。もっとも、旧文明が存在していたのは数百年以上も前らしい。そんな昔のマナ灯が現在でも使えるというのは、数ヶ月毎にマナ結晶を補充しなければならない村のマナ灯に普段から接し、以前自宅のマナ灯が故障して、修理が完了するまでロウソクの明かりを頼りに夜を過ごした事のある身としては、驚嘆に値する事実であった。
ふと、レアは壁に色の付いた突起物の存在に気が付いた。同時に、入り口を偶然探し当てた時の、指先に感じたあの突起の感触を思い出し、彼女の脳内で両者の存在が結び付けられる。
「この出っ張ってるのって……。つまりはスイッチって事だよね? 押してみようか、エリク?」
「そう言うセリフは、本来であればスイッチを連打している最中に言うもんじゃないんだがな……」
返事が返ってくる前にどころか、既に指先を力強く押し込んだ(複数回)段階で確認を取るという、事後承諾ここに極まれり、といった行動を取るレアであった。
もっともレアにとっては残念ながら、エリクにとっては幸いにも、スイッチは小気味良い音を鳴らすばかりで場に何ら異変をもたらす事はなかった。
「うーん、壊れてるのかな……」
最後に一つカチリと押し込んで、レアはスイッチから指を離す。
「つーか、頼むから迂闊に弄らないでくれ……」
レアの方へと歩み寄りながら、エリクは言った。
が。
「おわっ!?」
エリクの足元から派手な音が響き、同時に彼の体勢が崩れる。どうやら何かが転がっていたらしく、気付かずにつまづいたのだろう。
「わ……っとと」
よろめきながらエリクは体勢を立て直そうとする。その弾みで壁に設置されている取っ手を握り締め、力を込めた。
ガクン、と下方に取っ手が降りる。
瞬間、天井からまばゆいばかりの光が降り注ぎ、その遺跡の全貌を照らし出し
た。
鼠色の壁は、所々にサビを浮き上がらせつつも、往年の面影を伺わせる程度には保全がなされていた。
その壁には、何やら青白い光を放つ箇所が存在しており――レアが気になっていた、材質の違う部分だ――何やら文字が浮かび上がっていた。
周囲には何の用途なのか皆目見当も付かない機材が鎮座しており、一部は倒れて床に――エリクはこれにつまずいたのだろう――その身を横たわせていた。
「……何つーか、迂闊に触ったらこうなるぞ……」
「うん、そうだね」
自身の起こした劇的変化に対し、決まり悪そうに呟くエリクに、レアからの全面同意が返って来る。しかし、
「……って言うかエリク、あれ見て……」
「……ああ」
二人はすぐさま注目の対象を壁から対面方向にあるそれへと移し、息を飲んだ。
それは、確かに人型をしていた。しかし、決して人ではなかった。そう断じ切れる程に、それは人の持つ肉感が欠けており、人の持ち得る全長から逸脱していた。 太く逞しい両手、両足。球状の胴体に乗った頭部。全体的に丸みを帯びた姿は、取りようによっては愛嬌があるとも言えるが、そんな解釈を切り裂き、打ち捨ててしまいそうな程に――その双眸は鋭さを伴っていた。
「これってまさか、"ゴレム"……?」
己の発した言葉を飲み込むかのように、レアは一つ、ゴクリと喉を鳴らした。