19 その日の夜
「抵抗は無意味だ。武器を捨て、おとなしく投降しろ」
「……って、騎士の方が言ってますよ。投降した方が良いんじゃないですか?」
「「ぬぬぬぬぬぬ(っす)……」」
レアの言葉に強盗二人は歯噛みする。周囲にはざっと三十人程の騎士と、六体のゴレムが取り囲んでいる。どう考えても逃げ道はなかった。
「こ、これはもう駄目なんじゃねえっすか、アニキ……?」
「ばばばば、馬鹿野郎。こここ、こっからが本番よ」
「本番に挑む時の顔じゃないですよね、それ……」
顔面蒼白、冷や汗だくだくの表情のアニキに、レアは言った。
「ううう、うるさい、人質が余計な口を……」
そこまで言って、重大な事実に気付いたように目を見開く。死んだ魚のようだった目に光が宿り、生ける屍のようだった顔に血の気が戻り、口の両端がつり上がった。
「……そうだよ! 人質がいるじゃんかよ! おい、サブ!」
「さ……流石っすアニキ! この土壇場にその発想力! つー訳で……!」
アニキの意を汲んだサブは、レアを突き出すようにゴレムの腕を掲げさせた。
「近付くなっす! 人質がどうなっても――」
「――〈オリオン〉!!」
サブの言葉を遮るように、レアは空に向かって叫んだ。
『了解』
直後、大通りに重々しい着地音を響かせ、レア達の眼前に〈オリオン〉が舞い降りた。透明化機能で両腕以外は見えないが、レアは確かにその存在を間近に捉えていた。
「このゴレムの腕を壊しちゃいなさい!」
『お任せを』
強盗二人が事態の急変に気付く暇もなく、〈オリオン〉が動く。自身の両手で強盗が乗るゴレムの両腕を掴む。
「「うわああああああ(っす)!?」」
強盗二人の悲鳴と、旧文明時代のゴレムの握力がゴレム"モドキ"の両腕を握り潰す音が鼓膜を揺さぶる。
だが、本体から引き千切る事までは出来ていない。現状では指の関節が固定されており、レアを引き剥がす事が出来ない。拘束を解くのは、彼女を強盗から離して安全確保を行ってからの方が望ましい。
『提言。透明化解除の許可を願います。透明化に使用している分の出力が利用出来れば、両腕を完全に引き千切る事が可能です』
「……仕方ないか。お願い」
『了解』と言う声と共に、虚空に紛れていた〈オリオン〉の全身が姿を現す。周囲の騎士、及び騒ぎを聞き付けて集まった野次馬達からのざわめき声が、一層大きくなった。
未だ混乱から立ち直れず、呆然と見上げるばかりの強盗二人を尻目に、〈オリオン〉が力を込める。金属が悲鳴を上げて断裂し、ケーブルがぶちぶちと飛び、ゴレムの両腕は完全に引き千切られた。
『ご無事ですか、レア?』
「……うん! 大丈夫!」
〈オリオン〉に手伝ってもらい、レアは拘束から脱する。
レアが振り返ると同時に、騎士達が動いた。
「捕らえろっ!」と言う叫びと共に、騎士側のゴレム達が足音を響かせ突進する。
「「う、うわああああああ(っす)!?」」
混乱の極みに達した強盗二人が、やぶれかぶれの行動に出る。両腕を失ったゴレムで強引に突破しようと、騎士達へ突っ込む。
〈オリオン〉が右腕で拳を作り、高々と振り上げる。
左足を踏み出す。腰を沈める。振り上げた拳を逃げる強盗二人へ狙いを定め、
「――殺しちゃ駄目っ!!」
一気に振り下ろす。轟音が響く。間近で発する音と衝撃に、レアは思わず目を塞いだ。
恐る恐る瞳を開く。
そこには、真新しいヒビが走った石畳と、衝撃で横転し沈黙するゴレム。そし
て、
「「ふぎゅう(っす)……」」
目を回してぐったりと地面に横たわる、強盗二人の姿があった。
「確保っ!」
強盗達へと駆け寄った騎士達の叫び声が、レアの耳に響いた。
レアが救出された後、エリクとイルマが現場に駆け付けた。
「大丈夫か、レア!」
「良かった、心配したよ……」
開口一番、二人はレアの身を案じる言葉を発した。「心配掛けてごめん」とレアは申し訳なさそうな笑顔を浮かべた。
連絡を受けたチャドも、サディアスと共に駆け付けてくれた。
「話を聞いた時には驚いたぞ。まあ、怪我がなくて何よりだ」
「無事だったか、レア。心配したぞ」
意外……と言うのも失礼な話だが、サディアスもレアの身を案じてくれていた。
「すみません、サディアスさん。〈オリオン〉の姿、街の人に見られちゃいまし
た……」
「緊急事態だったからな、気にするな。……まあ、あの騒ぎを治めるのは骨だろうがな……」
既に〈オリオン〉は姿を消しているとは言え「何だったんだ、あのゴレム!?」「俺、噂で聞いた事があるぞ。どこぞで旧文明時代のゴレムが発掘されたらしいとか」……等々、野次馬達の騒ぎ声が止むことはなかった。その光景を額に手を当てて眺めるサディアスの姿に、「ホントごめんなさい……」と重ねて詫びるレアであった。
その後、強盗二人が留置所へと連行されるのを見届け、派出所での事情聴取を終えてスピネル城へと戻った時には、すっかり日も沈み切っていた。
空腹を食事で満たし、騒ぎの疲労を入浴で流し――
「ふう……」
外の空気を吸いたい気分だったレアは、部屋には戻らず、一人中庭へと足を運んでいた。
静かに水音を奏でる噴水の縁に腰掛ける。見上げた空からは柔らかい月の光が降り注ぎ、さわさわと吹き付けるそよ風が頬を優しくなでた。
「そうだ、〈オリオン〉」
『どうなさいましたか、マスター?』
傍らに立つ〈オリオン〉へ、レアは声を掛ける。
「今日は助けてくれてありがとう。おかげで助かったわ」
『いえ。マスターをお守りする事も、私に与えられた任務の一つです。……一つお尋ねしてもよろしいでしょうか』
「うん、どうしたの?」
『何故、あの強盗達への攻撃を止めさせたのでしょうか?』
「何故、って。前にあたし言ったじゃない。『民間人には危害を加えないで』……って」
『はい、覚えています』
〈オリオン〉が言った。
『私は軍事用に製造された兵器です。民間人への攻撃は原則として行われないように設計されています。――ご命令があれば別ですが』
不穏な響きのある補足に、レアは僅かに眉をひそめる。
『しかしあの強盗達は、武器を所持した上でマスターを人質に取り、逃亡を図りました。しかも、ゴレムまで用いて。最悪、犠牲者が出ていた可能性も十分に考えられます。ただの民間人であるとは認められません』
「それは……いやでもほら、あの人達はそんな悪い人……には違いないけど、とにかく人を傷付ける程悪い人達には見えなかったし……」
『それは結果論です。現に取り囲まれた時、彼らは強引に包囲を抜けようとしました。騎士達に犠牲者が出ていた可能性もあります。状況から見て、殺害もやむを得なかったと判断します』
殺害、と言う単語にレアはぶるっ、と身を震わせる。
『しかし、あなたは私を止めました。その理由をお聞かせ願えますか?』
「……い、いや、だって。いくらこっちに危害を加えるかも知れないからって、簡単に殺して良いって理由にはならないでしょ? だ、だって、命は一つしかないでしょ? だから大事にしないと……」
思考から、と言うよりもむしろ感情から引き出された言葉を、レアは必死になって並べ立てる。何故必死にならねばならないのかも、分からないままに。
『では何故、魔獣を殺す事は許容されるのですか? あなたは村を襲った魔獣の撃退を命じたではありませんか』
だから、〈オリオン〉からの想定外の質問に感情の処理が追い付けなくなった彼女は、言葉を失うしかなかった。
『もちろん、人間と魔獣を同質の生命、存在と見なす事は無理があります。が、一個の存在を排除すると言う点では共通しています。しかも、魔獣と今回の強盗、どちらもマスター及び周囲の人間に危害を加える可能性がありました。最も、法的な観点から言えば、正当防衛が成立するかは微妙なところではありますが』
「……だったら……」
『しかし私には、マスターが法的根拠を元に私を止めたとは思えません。あなたの今の反応がその論拠です』
「……」
『私は村を襲撃した魔獣も、今回の強盗も、敵と認識しています。敵を排除する事を、私は問題とは思いません。しかし、マスターにとってはそうでない。あなたは何故、魔獣の排除は命じ、強盗の排除は止めたのでしょうか? 加えて付け足すなら、何故一つしかなければ命を大事にしなければならないのでしょうか。私には、論理的な関係性を見出す事が出来ません』
「……それは、その……」
『勘違いなさらないで下さい。私はあなたの判断を責めている訳ではありません。参考までに、尋ねただけです』
レアは、何も言えなかった。聞かれるまで、考えすらしなかった疑問であった。場合によっては、怒っていたかも知れない。
だが〈オリオン〉は、あくまでも真面目に尋ねているのだろう。それは分かる。だから、彼の言葉を真面目に受け止める気になった。
レアはしばらく無言でうつむき、考える。だがやがて夜空を振り仰ぎ、何かを諦めたように深い溜め息を吐いた。
「……ごめん〈オリオン〉。自分でも良く分かんない。強いて言えば、人が死ぬのは嫌だけど、魔獣はそうじゃない、それくらいの理由しか思い付かない」
『そうですか』
〈オリオン〉の口調は、何となくこちらを気遣っているように聞こえた。
『分かりました。ありがとうございます』
「うん」
それきり〈オリオン〉は沈黙した。
(……あたしにとって当然だと思った事は、〈オリオン〉にはそうじゃなかった)
レアは巨人の横顔を見上げる。
(〈オリオン〉は戦うために造られた。だから、思考の前提があたし達とはどこか違う。それだけじゃない、彼は人間の感情を俯瞰的に見ている。理解しているだけで、実感している訳じゃないんだ。それは多分、本人が一番分かっている。
……もしかしたら〈オリオン〉は、あたしとこの時代の事を理解しようとしているのかも知れない。歩み寄るために。もしそうだとしたら――)
レアは立ち上がった。小さな決意を胸に。
(――あたしも歩み寄る努力をしないといけない。〈オリオン〉と彼の時代の事を理解する努力を)
――翌日。
「ああ、ついにこの日が来てしまった……。楽園から離れ、過酷な現実に向き合うこの日が……」
「用が済んだから村に帰るってだけだろ……」
しんみりと目尻を拭うイルマに、エリクは言った。
「サディアスさん、お世話になりました」
「ああ。……レア、念のためもう一度言っておくぞ。〈オリオン〉の事は任せる
が、くれぐれも妙な事に使うんじゃねえぞ」
「わ、分かってますって……」
やたらと鋭い眼光を灯したサディアスに、レアは気圧される。
「次は遺跡の調査を手伝って貰うわ。詳しい事は手紙で知らせるからね」
「分かりました、ノエルさん」
「ところでレアちゃん、気が変わって一生を研究所で暮らしたいとか」
「全くありませんから」
「冗談よ冗談。ただ心の底からの願望を思い切って口にしただけだから」
「つまりは本気で言ってるんですよね」
レアは言った。
「……サディアス」
「何だ、エリク?」
「……悔しいが、俺はまだ未熟なんだろうな。剣の腕も、考え方も」
エリクは言った。"考え方"と言うのは、初めて出会った時のいざこざの事だろ
う。
「だけど、このままじゃ終わらない。次は勝ってやる」
「……やって見ろ」
どこか楽しそうにサディアスは言った。
「皆さん、本当にお世話になりました。……出して下さい」
チャドの言葉に、御者が馬に合図を送る。
二頭の馬が軽快な足音を鳴らし、馬車はミメット村へ向けて動き出した。




