12 王都へ
「すまん、待たせちまったな」
支度を整えたエリクが玄関先から声を掛けると、家の中からパタパタと複数の足音が聞こえて来た。
「気にしないでエリク。元はと言えばあたしが悪かったんだし」
「私はその間に、あのイケメン騎士団長さんと話をする事が出来たし、むしろグッジョブよ」
玄関から出て来たレアとイルマが、それぞれに口を開いた。
「サディアスさん、私が話し掛けると『ああ』とか『そうか』とか『分かった』とか、優しく答えてくれたの」
「それ優しいのか」
「凄いぞんざいだったと思うんだけど」
うっとりと胸の前で手を組むイルマに、エリクとレアは生暖かい視線を送る。
「ああ、来たかガキ」
家の中から、チャドと共に姿を現しながら、サディアスは言った。
「ったく、もうちょっと早く準備出来ないのかよ。こっちは観光で来てるんじゃないんだぞ」
「……仕方ないでしょう、こっちは急な話だったんですから。親父とおふくろへの説明もしなきゃいけなかった訳ですし」
顔をしかめたくなるのを強いて堪え、エリクは言った。ちなみにエリクの両親
は、普段雑貨屋を営んでいる。エリクも店番を手伝う事があり、少しの間とは言え予定外の不在となる事は、両親にとってもごく些少な混乱をもたらすものであっ
た。
「そうかよ。……何だお前、剣持って行くつもりか?」
エリクが腰に下げているショートソードを見ながら、サディアスは言った。
「そうっすけど。何か問題でも?」
「別に悪くはないが、必要もないだろ」
「まあ、確かにそうかも知れないですけどね」
剣の柄をポンポンと軽く叩き、
「でも俺は、これでも一応自警団の一員ですから。普段からの心がけって奴で、必要なくても手元に置いときたいんです。いわば俺にとって、自警団の証みたいなもんです」
どこか誇らしげな様子で、エリクは言った。
「そうかい。そりゃご立派な事だな」
対するサディアスは、興味なさげに肩をすくめ、さっさと馬車へ向かおうとす
る。
「……何だよ。馬鹿にしてんのか」
その態度が癇に障ったのか、エリクは薄っすら怒気をはらんだ声をサディアスの背中へと投げ掛ける。目上の人間への敬語の不使用を気に留める様子も見せず、サディアスは振り返った。
「馬鹿にはしてねえよ。単にどうでも良いってだけだ」
「十分馬鹿にしてるように聞こえるぞ」
「噛み付くじゃねえか。気にでも障ったか?」
エリクからの険悪な視線を軽く受け止め、サディアスは鼻を鳴らした。その二人の様子を、レアはただはらはらと見守るばかりであった。
「……だったらどうだって言うんだよ」
「いや何、だったら謝ってやろうじゃないかって話だよ。善良なる民間人のガキンチョ相手に、発声練習と前屈運動してやりゃ済む話だしな。申し訳なかったよ」
「回りくどく馬鹿にしてんじゃねえよ!!」
そう言って形だけは深々と頭を下げるサディアスに、エリクは怒鳴り声を上げ
る。
『失礼ながら、騎士団長殿。『頭を下げる』と言う行為は、相手から目線を外す事であえて隙を見せ、自分に敵意が存在しない事を表す動作です。前屈運動とは似て非なる行為です』
「ああ、そうだったな。補足ありがとうよ」
「お前も真面目に返すんじゃねえよ〈オリオン〉!? 余計腹立つわ!!」
そして、空気などまるで読まない〈オリオン〉の無機質な声に、エリクは更なる叫びを追加した。
「あ、あの〜。二人共その辺で……。これから王都へ行く訳だし……」
「そうそう。あんたの準備も済んだ事だし、ちゃっちゃと行きましょう」
遠慮がちに口を挟むレアと、追従するイルマ。二人の言葉に、エリクは幾分かの冷静さを取り戻しす。
「……ああ、分かったよ。……いやイルマ、何故お前が馬車へ乗ろうとする?」
「何故って、これから馬車に乗って出発するんでしょ? だったら馬車に乗るのは当然じゃないの」
「……一応聞く。お前、付いて来る気か?」
「もちろん」
ごく当たり前のようにイルマは言った。
「レアとエリクとお父さんの三人で王都に出掛けるなんて、ズルいじゃないの。私だって行きたいに決まってるわ」
「……なんだとさ。一人くらい融通効かせてやるよ」
「……そうかよ」
イルマとサディアスの言葉に、エリクは溜め息混じりに言った。
「そうだよ。じゃあ、とっとと乗れ」
「〈オリオン〉、ちゃんと付いて来てね」
『了解です』
レアの言葉に〈オリオン〉は答える。
「……しかしですね。王都で騒ぎにならないでしょうか。何しろ〈オリオン〉のこの大きさだ、目立ちます」
〈オリオン〉の巨体をまじまじと眺めながら、チャドが言った。
「まあ、騒ぎになるのは目に見えているな。一応手は打ってるとは言え……」
「では、透明化機能を使用しましょう」
さらりと言ってのける〈オリオン〉に、一同はしばし沈黙する。
「……〈オリオン〉、透明になれるの?」
『肯定。光学迷彩機能を使用すれば、この通り……』
レアにそう答えると、〈オリオン〉の姿が空気の中に溶けていく。地面に落ちる影も消え失せ、日光が庭草を照らした。
「本当だ……」
「流石に動くと空間が歪んだように見えますので、少々不自然ですが」
「まあ、これなら問題ないな」
サディアスは言った。
「んじゃ、改めてとっとと乗れ」
「分かってるよ。偉そうにしやがって……」
吐き捨てるように、エリクが言った。先程のやり取りが今だ胸の中でくすぶっているのか、あからさまに不快感を滲ませた声色だった。
「何だよ、まだ噛み付き足りないのか。……じゃあ、ごく個人的な意見を述べてやる」
サディアスは言った。
「プライドやら何やらをピラピラ見せびらかしといて、ちょっと突付かれりゃ勝手に怒り出す。んなもん俺から言わせりゃ馬鹿かガキか両方か、そのいずれかだよ」
「……っ!」
サディアスの痛烈な言葉に、エリクは危うく掴み掛かりそうになる。辛うじて残された理性を全力で働かせた結果、何とか踏み止まる事は出来た。
「ほら、まったりしてないでさっさと行くぞ」
そんなエリクをサディアスは軽く受け流し、先頭の馬車へと乗り込んで行った。
ゆるゆると続く街道を、馬車はのんびりと走っていく。土の道であるが故、露出した石や年月の積み重ねで形成された凹凸が走行する馬車を揺さぶるが、生憎と緩衝装置を取り付けた屋形から快適さを奪い去るには至らなかった。
そんな穏やかな旅の最中、レア、エリク、イルマの三人が乗る馬車にて――
「……ああ畜生、むかつくな、あいつ!」
窓を流れる風景を眺めながら、エリクは内心の不満を吐き出していた。同乗者への気遣いも忘れて不機嫌の虫を馬車内に飛び回らせている辺り、余程腹に据えかねているらしい。
「……これで九回目かな。エリクの『むかつくな、あいつ』」
「いや、十回目だよ。私ちゃんと数えてるもん」
『十回目です』
「ほら、〈オリオン〉もそう言ってるよ、レア?」
「〈オリオン〉本当〜? イルマの肩持ってない?」
「お前ら何俺で遊んでんだよ!?」
そんな中でもたくましく、かつ妙な暇潰しの手段を見出すレアとイルマであっ
た。
「でも事実じゃんか。エリクさっきからず〜っとサディアスさんへの愚痴ばっかだし」
先頭の馬車に乗っている、騎士団長の名をイルマが口にする。ちなみに、チャドも同じ馬車に乗っている。『子供達だけの方が気兼ねなく話が出来るだろう』との気遣いであった。
「あー、そりゃ確かに悪かったよ……。けど仕方ねえじゃんか。あんにゃろう、エッラそうな事ばかり言いやがって。一体、何様だってんだ」
「騎士団長様」
「だろうな! そう言う事じゃねえよ!?」
断定口調のイルマに、エリクは言った。
「……まあ、確かに口悪い人だよね。顔は良いけど、色々もったいない……」
何とも複雑そうな表情のレアに、
「でも顔は良いでしょ。イケメンでしょ。良い人じゃない」
イルマは実に眩しく瞳を輝かせた。
「……ある意味凄いわね、イルマ……」
「……顔さえ良けりゃ良いのか、お前は……」
揃って呆れ顔を浮かべ、レアとエリクは呟く。
「ふっ、まだまだお子様ね、二人共。人の良さって、上っ面じゃなくて、内面にこそあるのよ」
「イルマもあたし達より一つ年上なだけじゃん……」
「顔の話しかしてない奴の言う内面って何だよ……」
「だってあの人、イケメンなだけじゃなく――騎士団長、つまり結構な地位と給料の持ち主なのよ」
「結局上っ面だよ!?」
「いっそ清々しいなお前!?」
一片の迷いも見せずに言い切るイルマに、レアとエリクは戦慄に打ち震える。
「まあ、それはさておき。そろそろ着くんじゃない?」
ミメット村と王都スピネルとは、馬車で一時間程の距離である。ミメットに限らず、基本的に都市部と周辺の村との距離は一日で往復出来る範囲に収まっている。あまり離れていても、例えば農作物等の売買に不便だからだ。
「どれどれ……。うん、もう良く見えるね」
窓から顔を覗かせたレアが言う。
魔獣対策のための外壁で全体をぐるりと囲った都市。その中央部から一際高く天に突き出す建物。
王都スピネルの中心、スピネル城。レアの目に映る目的地は、遠目にも分かる堂々たる威容を風景の中に描き出していた。




