1 プロローグ
「それじゃ、行って来まーす!」
血の繋がらない家族へと外出の挨拶を告げ、レア・ノーランドは玄関から勢い良く駆け出して行った。一歩を踏みしめる度にその鮮やかな赤髪が、肩に触れない位の高さで軽く跳ねる。
『既に予定時間は過ぎています、レア。速やかに目標地点への移動を』
「分かってるって! 急かさないの!」
首元から聞こえて来た声に、彼女は叫ぶ。
「それよりも! ちゃんと付いて来てる!?」
『もちろんです』
少女の問いに、首元の声は抑揚なくそう答えた。
『無用な心配よりも、目標地点への移動を優先するべきです』
「あたしとしては、遅刻よりも遥かに切実な心配なんだけどね!」
言いながらも、脚は止めない。
友人に「おはよう!」と手を振り、吠える犬に「今日も元気だね!」と声を掛
け、危うくぶつかりそうになった村人に「ごめんなさーい!」と謝りながら、レアはひたすらに走った。
そうしてしばらく走って、ようやく彼女の視界に『目標地点』が飛び込んで来
た。
何の変哲もない、ただの畑。このミメット村において、ありふれた光景。
その一画でスコップを手に地面を掘り返していた男性が、レアの姿に気付いて大きく手を振った。
「ああ、レアちゃん。来てくれたかい」
「すみません! 遅れちゃいました!」
息を切らせながら、レアは謝罪を口にする。直後、ズシャン、と何やら重たげなものが地に降り立つ音が響いた。
『昨日入手した恋愛小説が原因であると推測します。恐らくは深夜まで読んでいた結果、寝過ごしたものかと』
「バラすな!?」
『推測を述べただけです。事実を認めたのはあなたでは?』
「そもそも余計な推測しないの!!」
そんな二人の会話を、カラカラと笑いながら中年の男性は眺めていた。
「良いから、良いから。そもそも、ウチは時計なんて持ってないんだし。大体で良いんだよ」
この村で時計を所有している人物は、むしろ少数派に当たる。大半の村人は、教会の鐘の音を頼りに生活しているのである。
「それよりもレアちゃん、周りの土はある程度掘っておいたから。お願いした通
り、この岩を退けてくれるかな?」
「どれどれ……。うわー、結構大っきいですね」
男性が指差す方へ視線をやる。掘り返された土の中から、巨大な岩がその姿を覗かせていた。
「前々から邪魔でねぇ……。動かそうにも相当に手間が掛かりそうなんで、諦めてたんだよ」
「確かに、これは一人じゃ絶対無理ですよね……」
うんうんと頷き、
「どう? あなたなら、これを退かせる事が出来る?」
『許容範囲内です』
首元から、素っ気なくも頼もしい声が返って来た。
「そう。じゃあ――」
レアは一旦息を吸い込み、吐き出す勢いで彼への命令を口にした。
「頼むわよ、〈オリオン〉! この岩を動かして!」
『了解です、マスターレア』
レアからの指示に、傍らに控えていた〈オリオン〉が一歩を踏み出した。
その一歩は、人のそれを遥かに上回る幅であった。
地を踏みしめる足は、人のそれとは比べ物にならない重量感を伴っていた。
岩へと伸ばすその腕は、人のそれが発揮し得ない力強さに溢れていた。
二階建ての家屋程もあるその体は――人のそれと言うには余りにも無機的であった。
〈オリオン〉の両手が、土をえぐり取りながら岩を掴む。そのまま、左右に捻りながら引っ張り上げる。たちまちの内に、埋まっていた岩が付着した土を取り落としながら、太陽の元へその全容を晒した。
人の丈程はあるであろう岩。それを両手に保持したまま、〈オリオン〉は男性へと尋ねた。
『完了しました。岩はどうしますか?』
「ああ、どっかそこら辺、邪魔にならないところに置いてくれれば良いよ」
『了解』と答え、〈オリオン〉は岩を持ったまま畑の外へと移動する。木材で作られた柵を悠々と跨ぎ、適当な場所へ岩を寝かせて置く鉄巨人の姿を眺めながら、レアは口を開いた。
「これで良いですか?」
「ああ、助かったよ、ありがとう。……しっかし、ホント凄いもんだね。旧文明ってのは、あんなのがゴロゴロ存在してたのかね……」
男性のため息混じりの呟きに、レアは思わず自身に取り付けられた首飾りに指を這わせ、つるりと撫でた。自身と巨人を繋ぎ止める絆の証であり、呪いの枷でもあるそれの感触を確かめながら、彼女は始まりのあの日へと思いを巡らせる。
一週間。それがレアと〈オリオン〉が出会い、今日に至るまでに流れた時間。少女の人生に劇的過ぎる変化をもたらしたあの日へと、話は遡る。
――エトランジェ。過去の大戦で一度は文明が滅んだ世界。現在進行形で旧来の文明を掘り起こし、新たなる文明を築き上げつつある世界。
これは、とある星の上で紡がれる、少女と巨人のおとぎ話。