ロジカル・パラドックス
『ロジカル・パラドックス』
ノックの音がした。
家の中にいた少年はドアを開ける。
「こんにちは」
にこやかに笑う女性が立っていた。
少年は6歳くらいだろうか。利発そうな瞳で女性を見上げる。
「取り立て屋の人ですか? 師匠なら留守です。たぶんどこかで飲んだくれてそのまま酔いつぶれていると思うので、適当に酒場周辺を捜してみてください」
そう言ってさっさとドアを閉めようとしたので、女性は慌てて扉に手をかけた。
「わたくしは取り立て屋ではありませんよ! 噂を聞いて尋ねてみましたが、本当に噂通りでしたのね!」
「噂?」
こんなことは言いたくないのですが、と前置きをして女性は高らかに言ってのけた。
「腕は相当たつが、依頼者に高額料金をふっかける、傍若無人・厚顔無恥の悪徳魔法使いっ! あなたのお師匠さまで間違いありませんね?」
「はい。間違いありません」
少年はあっさり認めた。
「やっぱり! ああ、嘆かわしい! こんな幼子に取り立て屋の相手をさせて自分は飲んだくれているなんて! 子どもの手本となるべき大人のすることですか!」
オーバーに額に手をあて天を仰ぐ女性を、少年は静かに見ている。
「でも大丈夫ですよ。魔法なら違う所でも学べます。わたくしと一緒に行きましょう」
「行く?」
「はい。あなたを迎えに参りました。わたくし、王族政府から正式認可を受けております、『フューチャー・チルドレン』の施設職員です。あなたのような子どもを保護し、適切で健全な教育を用意し、健やかな生活を送ることで、心豊かな子どもたちが育つお手伝いをしています!」
よほど自分の仕事に使命感とプライドをもっているのだろう、女性は一気に喋るとギラギラした目で政府認可の認可証バッチを少年に見せた。
「そういうの、いいです」
少年の冷静な返答に女性は一瞬動きが止まった。まさか断れることなど想像もしていなかったのだ。狼狽してしまう。
「な、なぜです? いい生活を送りたくはないのですか……?」
「そりゃ送れたらいいです。でも魔法は師匠のところで学びたいです」
「魔法は施設でも学べますと言ったでしょう?」
「師匠より優れている人はいないと僕は思います」
「た、確かにあなたのお師匠様は力だけは王国一と言われていますが……。ですが、魔法の勉強だけでは人は賢くなれません! あんな傲慢で自分勝手な人間のそばにいて、あなたはこれからの世の中を渡っていけませんよ!」
「確かに師匠は傲慢で自分勝手な人間です。でも僕はそれでも師匠の隣にいます」
頑なに拒否する少年に女性は握りしめた拳がフルフルと震える。
おのれ悪徳魔法使い! すでに弟子を洗脳済みか! 洗脳以外でこんなことがあるわけがない、と女性は勝手に決めかかる。
しかし、この少年は何も悪くないのだ。少年の洗脳を解くためにも、まずはここから連れ出さねば。
女性は自分の興奮を収めるように数回深呼吸をしてから、また笑顔で少年に語りかけた。
「あなたが魔法に熱心なのはわかりました。でも魔法以外も学ぶべきことはありますよ。算数の問題を一つ出しましょう。施設の子ども達はみんな解ける問題です。もし解けましたら、今日の所は退散します。でも間違えればあなたを連れていきます。では出しますよ」
女性は有無を言わせず一方的に問題を言い始めた。
「あなたのお師匠様がフルーツ園であなたにお土産の買い物をしました。りんご5個。みかん9個。バナナ7個。梨9個。その内、あまりに美味しそうだったのでりんご2個、梨3個を食べてしまい、新たに柿を4個買いました。さあ、あなたのお師匠様は全部で何個の果物をあなたに買って帰りましたか。制限時間10秒です」
紙とペンを使わず口頭だけ聞いて答えるには少々難易度が高い。勿論施設では本を見ながらの問題だ。だがろくな教育を受けていないと思われるこの少年には十分だと思った。
「さあ、あと8秒……」
「0個」
少年は迷いなく答えた。女性の口端があがる。思った通り。この少年は数数えができないのだ。
「残念。答えは29です。魔法の勉強もいいですが、もっと算数の勉強をしたほうがいいですよ」
優しく言い聞かせるように言ってやると、少年はその利発な目を細めた。
「あなたは僕の師匠のことをもっと勉強したほうがいいですよ」
なんせ傍若無人・厚顔無恥の自分勝手な悪徳魔法使いだからね。




