魔女の勧誘
(あった――勇魔戦争の文献)
エルノアの世話の合間、俺は書庫にある本を片っ端から探し、勇魔戦争についての記述を発見した。
《勇魔戦争》
百年にも渡る長き戦いの末、終結した戦争。戦況は、初め魔女側が有利だったが、徐々に勇者側が優勢となる。勇者側が勝利を収め、戦争終結。その後、多くの魔女が処刑された。
(……)
短い記述だが、今の魔女の立場がよく分かる説明だった。そして、エルノアの年齢を考えると、その終戦の年――彼女は生まれたようだ。それも、魔女を悪と思う一般家庭に……。
(だからあいつの両親は、あいつのことを怖いなんて――)
「ッ――!?」
突然、エルノアのものとは違う魔力の気配を感じ、俺は瞬時にエルノアの元へと転移した。
「とうとう、来たわね」
エルノアは、赤い髪を手で払い、優雅に紅茶を飲んでいた。
「二人――か。どうする?」
俺の短い問い掛けに、エルノアはつまらなそうに答えた。
「どうもしないわ。あっちに敵意はなさそうだし、ここは私のホームグラウンドよ。それよりも、アップルパイはまだ?」
「食生活を正すと言っただろ。今日のおやつはおからドーナツだ」
「……パイ」
「おからドーナツだ。そう、膨れるな」
「おからドーナツじゃあ、お腹は膨れないわ」
「いいから、客が帰ったら騙されたと思って食べてみろ」
「それ、絶対騙されたって言うことになるでしょ」
「それよりも――来たぞ」
俺の言葉と同時に、扉が開いた。
「初めまして、森の魔女さん」
目に痛い赤いドレスを身に纏った金髪の魔女が、妖艶に微笑んだ。胸元と背中が大きくあいているだけでなく、太ももまで大きなスリットが入っているため、普通の人間なら少々目のやり場に困るような類の人種だろう。その完璧なボディを生かしきれた服装に、思わず賞賛を送りたくなるが、隣にいるエルノアの視線がかなり痛いのでやめておく。
彼女は、先が翼の形になった短い杖をクルンと回した。その時、杖に巻き付くように掘られた一匹の蛇の目が明かりに反射し、赤く輝いた。俺は彼女の動きに警戒し、エルノアの前に出ようとしたが……それはエルノアの手によって防がれてしまった。
「ウフフ、予想以上に子供だけど、やっぱりかなりの魔力量ね。それに、魔法の使い方も完璧……。ねぇ、あなた、ここで使ってる魔術は独自に学んだもの?」
赤い瞳を興味深げにエルノアへと向ける魔女。その言葉に、エルノアの機嫌が下降していくのが目に見えて分かり、ため息をつきたくなる。
(頼むから【子供】という禁句ワードを出さないでほしい。後でとばっちりが来るのは俺なんだから)
「スカーレット、目的以外の世間話はやめなさい」
赤いドレスの魔女の後ろから、緑色のマントの魔女が現れた。こちらは黒髪で青い眼の清楚系美人だった。
「えぇ! ちょっとぐらい、いいじゃない。まったく、ヴェールはいつも堅すぎなのよ。そんなんだから、魅了の魔法だけいつまで経っても上達しないんじゃない?」
スカーレットと呼ばれた魔女の言葉に、今度はヴェールと呼ばれた魔女の機嫌が底冷えするように下がった気がした。
(口は災いのもとって言うが、ここまで体現してる奴を俺は初めて見た気がする)
「……初めまして、森の魔女様。私はヴェール。エトワール・クルールという魔女組織の使者として、こちらのスカーレットと共に参りました」
ヴェールはスカーレットの前に歩み出ると、恭しくお辞儀をした。
「貴方様の強大な魔力と、その聡明な魔術の知識を私達のために使っていただけないでしょうか」
「――悪いけど、答えはノーよ」
エルノアはプイッとそっぽを向き、ティーカップを傾けた。
(即答かよ)
俺はエルノアの態度に呆れながらも、二人の魔女の反応をうかがった。
「はあ? なんで断るのよ。あんた、馬鹿なんじゃ――」
「僭越ながら、森の魔女様」
ヴェールがスカーレットの言葉を遮り、一歩前に出た。
「貴方様の魔力は桁外れです。もし、私達の味方にならないというのならば、危険因子として排除しなければならないと言い出す輩も出てくるでしょう」
「だから、仲間に加われと? 悪いけど、あんた達がしようとしてるのは戦争なんでしょ? あの勇魔戦争をもう一度引き起こし、今度は魔女側の勝利で塗りつぶすための組織……。なんで私がそんなことしなくちゃいけないのよ」
「そこまで分かっているのでしたら、考え直してもらいたいのです。今、魔女は見つかればすぐ処刑――昔、私達の国があった時はもっと自由に生きられました。いつまでも魔女だからと罵られ続けるのには、もう耐えられません。魔女が悪? 先に攻めてきたのは勇者と呼ばれる輩達ではありませんか! なぜ、国を必死で守った我らが同胞を悪だと言われ続けなくてはいけないのでしょうか? なぜ、魔女の存在自体が蔑まれるのでしょうか! なぜ――」
ヴェールの感情の高まりに呼応するかのように、部屋の食器や家具達がカタカタという動きを大きくしていく。
「ヴェール」
スカーレットの言葉に、食器類はカチャンと軽い音を立て、動かなくなった。
「すみません、取り乱してしまいました。それで、考え直しては――」
「何度聞かれても、答えはノーよ。私はエトワール・クルークの敵にも味方にもならないわ」
「な――」
「なぜっていうのは、私の方が聞きたいわ。ここ十年程、魔女が処刑された話は聞かないわ。代わりに、小さな魔女の村ができたという話を動物達から聞いた。それでいいじゃない。安住できる土地が見つかった。それだけで――」
「そんなので、一族の無念が晴らされるとでも?」
ヴェールはワナワナと震えながら、氷のような青い瞳でエルノアを睨んだ。……だんだん、口調が崩れてきている。
「じゃあ、逆に教えてもらいたいわ。一族の無念が晴らされたとして、その後に何が残るの?」
「魔女の尊厳の回復――です」
「それで失われるものは?」
「犠牲は仕方がないでしょう。これも、私達魔女の未来のためです」
「未来……ねぇ。あなたのそれは、ただの自己満足じゃない」
「自己満足? 私は――」
「理由はどうあれ、あなたは昔の勇者達と同じことをしようとしてるだけにしか見えないわ。いや、あなた達の組織は――かしら。だって、あなた達のそれは……誰もが幸せにならないじゃない」
「何を言っているの! 私達が勝てば、魔女達はこんな森の奥で肩身の狭い思いをしないで、誰もが幸せを手に入れることができる」
「じゃあ――負けた側はどうなるのよ?」
「勇者達は私達魔女を愚弄した罪を背負うだけでしょう? 自業自得だわ」
ヴェールの言葉に、エルノアは寂しげに笑った。まるで可哀想な者を見るような目で見られたヴェールは、さすがに不機嫌さも頂点に達しているようで、何やら黒いオーラを発していた。
「――やっぱり、あなたとは話が合わないようですね。スカーレット」
「あ、ようやく出番? 話が長くて待ちくたびれちゃった」
呼ばれたスカーレットは、心底楽しそうに笑いながら、俺に大きな火の玉を放ってきた。
(チッ――こいつ、戦闘狂か!?)
俺は手のひらに魔力を集め、魔法を打ち消した。
「正直、難しい話って嫌いなのよね。私は自分の力を存分に使えればそれでいいか――ら!」
スカーレットという名から、炎系であることは予測できたが、いきなり足元に火柱ができるとは思わなかった。
(つーか、よくよく考えると、魔法使いとの戦闘なんて生まれて初めてなんだよ!)
俺は手に込めた魔力をひと振りする事で火柱を消滅させた。
「――って、ああ! おい、てめぇ、家具まで燃やすんじゃねぇよ!」
焦げ跡が残った食器棚の角に、思わずブチ切れる。
「あら、ごめんなさい。私、力の加減って苦手なの。それにしても、あなた丈夫ねぇ。ウフフ、私、あなたみたいに強い人ってすっごく好みなの。だからもうちょっと遊びたいんだけど――終わったようね」
「は?」
スカーレットの目線の先には、体に蔦が絡まったエルノアの姿と、エルノアの前に手を挙げた状態で佇むヴェールの姿があった。
「おい、お前何して――」
俺の言葉は、スカーレットの笑い声によってかき消されてしまった。
「アハハハ、こーんなに上手くいくなんて思ってなかったわ!」
スカーレットの腕に、スルスルと蛇が巻きついてきた。
「私ね、戦闘はもちろん大好きなんだけど、魅了っていう魔術も得意なの。この蛇を使ってね」
蛇はスカーレットの腕から杖に絡みつき、そのまま杖の一部となった。杖に絡んだ二匹の蛇の赤い目が、妖艶に輝いた。
「悪いけど、使い魔さん、あなたの魔女さんは私達組織がもらい――」
「誰が誰にもらわれるって?」
「!? な、なんで? だって、あなたは――え?」
スカーレットは、エルノアの不機嫌な声が自身の真後ろから聞こえたことに驚いているようだ。
「幻惑する側が惑わされるなんて、とんだピエロね」
エルノアに背後を取られているせいか、スカーレットの額には汗が光っていた。
「げ、幻影?」
その言葉に、俺は苦笑してしまう。
「いいや、少し違うな。つうか、もっと厄介なものだ。ヴェールって奴、さっきから動かねぇだろ?」
「ま、まさか……幻影と鏡を合成して――?」
「そ、ちょっと水系統の魔術を応用して、反射させてもらったわ。悪いけど、あんた達じゃ私に敵わない。私は――終戦の年に生まれた【フェノワール】だから……」
(フェノワール――?)
俺は聞きなれない単語の出現に首を傾げていたが、スカーレットには何のことか伝わったらしい。真っ青な顔でブルブルと震えながら――それでも、彼女は楽しそうな笑みを絶やさなかった。
(なんつうか、器用な奴だな。うん。しようと思ってもなかなか出来ない表情だぞ、ソレ)
「ああ、そうなの。あなたが――」
「組織に戻って伝えなさい。私は敵にも味方にもならない。そして、今一度、あなた達の現状と戦争の敗者のことを考えなさい――と」
「……本当はあなたと一戦交えてみたいところだけど――」
スカーレットの言葉に、俺は咄嗟に身構えたが、彼女は杖を自身の空間へと仕舞い、両手を挙げた。
「完全に私の――いや、私達の負けよ。お見事としか言いようがないわ。森の魔女【フェノワール】……あなたに関しては多分、私達の組織も関与したがらないでしょうねぇ」
スカーレットは残念そうな顔をし、固まって動かないヴェールを魔法で軽くした後、担いで戸口へと向かった。
「あ、そうそう。一つだけ言わせてもらってもいいかしら?」
「……何よ」
エルノアのぶっきらぼうな物言いにスカーレットはクスクスと笑った。
「私、あんたのこと結構気に入ったわよ。いろんな事言ってる連中はいるけど……ね。私、強い子と面白い子は大好きだから」
彼女はそう言い残すと炎の渦の中に消えていった。おそらく、あの炎の渦が彼女の転移魔法だったのだろう。二人の魔女の気配は完全に消えた。
「…………なあ」
「何よ」
俺の問い掛けに、エルノアは蔦に絡まっていた幻影を蔦ごと消しながら答えた。
「口もと」
「!」
俺の言葉に、エルノアは長い袖口でグイッと口元をこすった。
「お前、結局おからドーナツ食ってんじゃねーか。しかも、俺の戦闘中に! 思わず、ツッコミ入れちまったじゃねーか。あの女の笑い声でかき消されちまったけど……」
「し、仕方ないじゃない。移動した先にあったんだもの」
「はあ……ほら、ちゃんと座って食べろよ。行儀悪いだろ」
「う……その、これもなかなか美味しいわね」
「だろ? おからの方がふわふわ感もあるしな。まだあるから、今、新しい紅茶入れてやるよ」
「……」
「ん? どうした?」
新しい紅茶を準備していると、エルノアがじぃっとこちらを見つめてきた。
「何も……聞かないのね」
ふぃっと翡翠色の瞳を逸らしたエルノアは気まずそうにこちらをチラチラと見てくる。
(たく、聞いてほしいんだか、そうでないんだか――)
「聞けば答えてくれるのか?」
「……」
「じゃあ、いいよ。お前が話したい時に話せば? どうせずっといるんだし」
「――ッ」
「ほら、残りのおからドーナツ。紅茶はもう少し蒸らすから待ってろよ」
「…………うん」
エルノアの小さな返事を聞き、俺は完璧な蒸らし時間で美味しくできた紅茶をテーブルへと運んだ。もちろん、蒸らしている間に食器棚の焦げ跡は魔法で綺麗に修復済みだ。
「ところで、よくアイツの魔法をかわせたな」
俺は紅茶を飲むエルノアの傍で、さっきヴェールのせいでカチャカチャといっていた食器に欠けがないかチェックをしながら、丁寧に磨いていく。
「魅了の魔法の方?」
「ああ。あれ、一切魔力を感じなかったからな。少し気になったんだ」
いったん磨いていた食器を横に置き、空になったエルノアのティーカップに新しい紅茶を注ぐ。
「あのスカーレットっていう魔女の杖を見た瞬間に分かって準備してたのよ」
「杖って――あの蛇がついた?」
「ええ。カドゥケウスって知ってる?」
「ギリシア神話か……確かヘルメース神とかが持ってた二匹の蛇が巻き付いた杖だな」
「あら、存外物知りだったのね」
「知らないと思ってるんなら聞くなよ」
「でも、知っていたじゃない。説明する手間が省けたわ」
「ああ、はいはい。お前はそういう奴ですね」
エルノアは何個目になるか分からないおからドーナツを手に取り、頬を膨らませた。
「主に向かって、随分と含みのある言い方をするわね」
「はあ……この状況じゃあ、したくもなるだろ。で? なんでカドゥケウスの杖を模した物だって分かったんだよ。同じギリシア神話でも、アスクレピオスの杖だって蛇が巻きついてるだろ? しかもあれは一匹だ」
「上部に双翼がついていたでしょ? あれはカドゥケウスの杖にしか付かないものだわ。それに、アスクレピオスの杖は医療・医術の象徴。カドゥケウスの杖は一般的に使者が手にするものよ。あの女が医療に精通してるとは到底思えないでしょ? 最初から魔力放出しっぱなしで、遊ぶ気満々だったんだから」
「後半は偏見だろうが。まあ、上部の双翼には納得がいったな。それで蛇が一匹足りないってのに気付いたんだな」
「ええ、そして、杖に付いた蛇は彫刻のようだった。まあ、蛇って聞いただけでなんとなく分かるとは思うけど――」
「メドゥーサ……か。安易だな」
エルノアは手に付いたドーナツの欠片をペロリと舐めとり、笑った。
「あら、魔法なんてそんなもんじゃない。しかも、今回は結果的に正解だったみたいだしね」
「石化の魔法だったからな。それにしても、あれが魅了の一種っていうのが何ともなあ」
「魅了されて目がそらせないってことじゃない?」
「目がそらせない――か」
俺はエルノアを見つめた。
「まあ、いろんな意味で目をそらせなくはあるな」
「ちょっと、どういうことよ」
ムッとするエルノアの口の端についたドーナツの欠片を指ですくい、俺は苦笑した。
「こういうところだろうな」
俺の行動に、エルノアの顔がみるみる赤くなっていった。
「な、な、な――」
「?」
「何すんのよ、このエロドラゴンがあ!」
ボフンッ――と音がし、白い煙が上がった後、俺は何故か久々のチビドラゴンの姿になっていた。
「しばらくその姿でいなさい!!!」
エルノアはそう言い残し、自室の扉をバタンと閉めた。
(……だからさあ)
「照れ隠しはもう少し可愛くやろうぜ。俺、これじゃあ、なんも出来ねぇじゃんか」
俺は苦笑しながらも、何とかテーブルの上に降り立ち、食器拭きの続きをこなす。
(フェノワール……か)
聞いたことがない単語――でも、スカーレットの反応を考えると、特別なものなのだろう。
「はあ……やっぱ、難しいな」
俺はチビドラゴンの小さな手ではなかなか上手く拭けない食器に苦戦しながらも、なんとか全ての食器を拭き終えたのだった。