甘い休日
「はあ……今日も今日とて雑用……か」
俺は洗濯物を手で洗うのを一旦止め、雲一つない空を見上げながらぼやいていた。
(せめて魔力がそこまで制限されてなかったら、こんなん楽勝なのに――)
思わず頭に浮かんだエルノアの得意げな顔をかき消すように、洗濯物を乱暴に桶の中へ入れた。
「クロノ、お前の主の服なんだから乱暴に扱わないでよ」
「ああ、はいはい、そうでしたねぇ」
目の前で仁王立ちしている赤髪の少女に向かい、俺は適当に返事を返した。少女は、口をへの字に結んだ後、おもむろにニタリと笑った。
「へぇ、使い魔であるあなたが、主である私にそんな態度をとるんだあ」
(……しくった――地雷だったか……)
ため息が出そうになるのをこらえながらも、俺は洗濯物から手を離した。
「たく……わざわざ強調しなくてもそんなん分かってるっての。で? 我が主様。あなたへの非礼を、私はどう詫びれば良いのでしょうか?」
俺がわざとらしく恭しく跪くと、エルノアは一瞬面食らったような顔をした後、顔を真っ赤にしながら咳払いをした。
(こいつの扱いも段々分かってきたな……)
ぼんやりとそんなことを思いながら、エルノアが次に言うであろう言葉を考える。
(また、何か甘い物を作れって言うんだろうなあ。次はタルトかケーキか……それともクッキーか?)
「ふふん、私は寛大な心を持った主だから許してあげる。でも、クロノがどうしてもっていうんなら、その非礼を詫びるための場を用意してあげる!」
得意げな顔でいつものように言い連ねた後、エルノアはキュッと口を結び、翡翠色の瞳を揺らしながら言った。
「お祭りに行くわよ」
* * *
賑やかな喧騒、色とりどりの装飾、漂う食欲をそそる香り――
(来てしまった)
予想外の展開に若干面食らったものの、俺はエルノアについてきた。初めての街、そして、賑やかな祭り……。
「お! あれが屋台か。おい、あれはなんだ?」
「あれはクジよ。あの箱の中の紙を引いて、出た番号と同じ景品がもらえるの」
「へぇ、子供が好きそうなやつだな」
「まあ、大抵は目玉商品の景品が出ないように細工がされている場合が多いものだけど――」
「おい、あれは――」
「それはね――」
例のごとく子供のようにはしゃぎまくる俺に、エルノアは得意げに説明をつけてくれた。……少々ひねくれた一言が必ず付きまとうのは、まあ、いつものことだから気にしないことにしよう。うん。
「それにしても……暑いなあ」
はしゃぎすぎた俺は、分厚いフード付きのマントの中へ風を送り込むために胸のあたりの紐を緩めた。
「人が多いし、出店では火を扱っているところも多いから当然ね」
「なあ、お前、目深にフードかぶってるけど……逆になんか不審じゃね? こんなに暑いんだし――」
「うるさいわね。格好なんて人の勝手でしょ。それとも何? このエルノア様に意見する気?」
さっきまで上機嫌だったエルノアがむすっとしながら言い返してきた。
「いや、そんなんじゃねぇよ。お前、見た目は可愛いんだし、祭りの時ぐらいそれなりの格好でもしたら良いんじゃないかと思っただけだって」
俺は苦笑しながらも、思っていることを言った。そう、エルノアはいつも薄汚れたマントを羽織っている。たまには、年相応の――少女に似合う格好をしても良いだろう。
「可愛い――」
「?」
俺の言葉に、自らのフードを引っ張り俯くエルノア。俺は何か逆鱗に触れることでも言ってしまったのだろうか?
不安に思いながら、エルノアの顔を覗き込もうとした瞬間、目の前の少女は俺の足を思いっきり踏んだ。
「ッ――!?」
あまりの痛さに声にならぬ声を発し、しゃがみこむ。
「ふん、私は今のままでも充分可愛いんだから!」
頭上から聞こえたエルノアの声に、俺は痛みをこらえながら顔を上げた。少女はマントを翻し、俺に背を向けて歩き出していた。
「たく……この暴力主人め」
小声でぼそっと言うと、エルノアがクルッと後ろを向き、俺をキッと睨んだ。
「何か言った?」
「いいえ、滅相もございません」
しれっとして言った俺に、エルノアはまたもやムッとしていたが、その顔は僅かに赤らんでいた。
(たく……照れ隠しならもっと上手くやれよ)
俺は苦笑しながらも、エルノアの背を追ったのだった。
* * *
「さあ、このエルノア様の奢りよ。しっかり味わって食べなさい」
祭りということで解放されたカフェのテラスの一角に陣取った少女は、ふんぞり返りながらそう言った。
「…………なあ、ツッコミいれていいか?」
俺は赤いパラソルの下に置かれた丸い白テーブルにたくさん並んだ食べ物を眺め、こめかみがピクピク動くのを感じていた。
「何よ。文句があるって言うの? お金出してるのは私なのよ」
「文句はねぇ……と言いたいところだが――いや、祭りで浮かれてるようだし仕方ねぇか。多少のことは……」
「ちょっと、言いたいことがあるならブツブツ呟くより前にハッキリ言いなさいよ」
「ああ、はいはい。じゃあ、言わせてもらうがな――なんでデザートばっかなんだよ!」
「食べたい物食べて何が悪いのよ」
プイッと俺から顔を背けるエルノアのふくれっ面に、思わず甘いことを言いそうになる。
(別に好きなもの食べてもそれでコイツが喜ぶなら――って、それじゃあ、根本的にコイツのためにならねぇだろうが!)
「だあ、もう!」
俺の声に、エルノアがビクッとして、揺れる翡翠の瞳をこちらへと向けた。
「ケーキや焼き菓子は主食じゃねーだろう? つーか、そのうち糖分の過剰摂取で病気になって死んじまうぞ」
俺は自身の甘い心に呆れながらも、そう言い、グイッとコートの紐を緩めた。
「……別に私が死んだって――」
「まあ、今日は祭りだし目を瞑るが、明日からは食生活の管理をしっかりやるから覚悟しとけよ! って――さっき何か言ったか?」
「…………何でもないわ。それよりも、食生活を変えるつもりなんかないからね」
「ほう、食事を作ってやっているのはこの俺だ。その点では逆らえないのはお前も知ってるだろう?」
「チッ――この悪魔」
「いや、俺ドラゴンだし。つーか、誰のためにやってると思ってんだよ」
「――ッ!」
「ん? エルノア……お前、顔赤く――」
「クロノ、命令よ! ジュース買ってきて、とびっっっきり甘いの!」
「はあ? 甘い菓子に甘いジュースかよ」
「何よ、今日は目を瞑ってくれるんでしょ?」
「はいはい、そうでしたねぇ」
俺がイスから立ち上がると、エルノアがギュッと俺のコートの裾を握った。
「?」
「あ、その……とびっきり美味しくって甘いジュース、よろしくね」
「おい、なんか注文増えてるぞ」
「よ・ろ・し・く・ね」
「はいはい」
俺は苦笑しながらもエルノアの頭に軽く手を置き、ポンポンと撫でた。
「じゃあ、ここで大人しく待ってろよ」
「子供じゃないんだから……大丈夫よ」
エルノアは俺の手を払うでもなく、そう呟くと、クリームたっぷりのシュークリームを頬張ったのだった。
* * *
俺は、祭りで一番人気の生クリームがたっぷり乗っかったマンゴージュースを求め、長蛇の列に並んでいた。
「たく……早く戻りてぇのになんでこんなに並んで――」
『この邪悪な魔女め!』
「――ッ!?」
その言葉に、俺は思わず魔力を込めてバッと後ろを振り返った。
「――って、なんだ、劇かよ」
(エルノアに何かあったのかと思って焦ったじゃねーか)
俺が心の中で悪態をついている間、舞台の上で剣を振り回している男は、毒々しい色気を振りまいている黒いドレスの女性に向けて、その悪事の数々を述べていた。
『ふん、勇者よ。ならば、そんな妾をどうするというのか。殺す? いいや、心の優しい優しい勇者様――そなたはそんなことできんよ。だって、そなたのそれは、ただただ甘いだけで誰も救えていないではないか!』
魔女の高笑いが響く。
『それでも俺は――貴様を止める!』
勇者が魔女へと剣を掲げた瞬間、剣に嵌め込まれた金色のドラゴンがキラリと光った。
『ハッ、あくまでも殺さぬと申すのか? どこまでも馬鹿な勇者よ!』
白熱したバトルの後、勇者は最後まで魔女に止めを刺さなかった。その結果、魔女は案の定、最後の力を振り絞り、勇者の背に攻撃を仕掛けようとした。
(甘さは身を滅ぼす――か。正直、胸糞悪い。甘くても……誰もがハッピーエンドでもいいじゃねぇか)
一筋の矢が魔女の心臓を貫き、魔女が悶絶した後、息絶えるシーン。矢を放ったのは、勇者の仲間の女性だった。
『なぜ――なぜなんだ? 魔女よ。たとえ君が悪だとしても、無抵抗なら死なずにすんだのに――』
魔女の前に膝をつき、勇者は涙を流した。
『勇者様……あなたが泣く必要はありません。全ては国を侵略しようとしたこの魔女が悪いのですから』
俺は勇者が言った『たとえ君が悪だとしても』という最初から悪だと決め付ける発言にも、魔女の心臓を貫く矢を放った女性の言葉にもイライラしていた。
(国を侵略しようとした魔女のせい――ね)
そして、俺はこの劇が少し前に起きた勇魔戦争を示していることに、ようやく気づいた。
(そうか、あの戦争――人間のだから気にしてなかったが、魔女側が負けて、勇者側が勝ったのか……。だから魔女は――)
「すみません、お次の方。ご注文を」
「あ、はい……」
* * *
「……で、せっかくご所望の物買ってきたってのに、俺の主様は寝てるし――」
エルノアはテーブルにあった大量の菓子を全て食べきり、幸せそうな顔をして眠っていた。
「はあ……まったく、手のかかる奴」
俺はエルノアの口元についたクリームを手で拭き取り、苦笑した。エルノアはくすぐったそうに口をむにゃむにゃとした後、再び寝息を立て始めた。
(……今なら、使い魔の契約を解除することも――)
「…………帰るか」
俺は眠る小さなエルノアを姫抱きし、生クリームが溶け始めたジュースを一口飲んだ。
「ああ、うん、やっぱ甘いな」
(でも、嫌いじゃないな。この甘さも……)
俺は腕の中で幸せそうに眠る小さな魔女を抱え、家路に着いたのだった。