月涙
「はあ……もう、十日も経っちまった」
あの決意の日から、俺は変わらず雑用係……。
(俺の決意って……)
俺は洗濯物を干しながら、これまでの敗因を整理する。
まず、第一に俺に本来の魔力が備わっていない事がダメだ。これじゃあ、俺の魔力の一部を持っているエルノアに敵いっこない。
(それで夜、エルノアが寝てる時ならチャンスだと思ってたんだが……)
より一層ため息が深くなる。
「魔力が足りないせいか、一日こき使われると疲れて寝ちまうんだよな……」
どんよりとした気持ちのまま洗濯籠を片付け、台所へと向かう。
「まったく、ドラゴンの時だったら寝る必要すらなかったのに……」
(しかも、最近はアイツの身の周りの世話にも慣れてきちまった……)
「ああ、俺のドラゴンとしての威厳って……」
「クロノ、辛気臭い顔で昼食作りしないでくれる? 食べ物が不味くなるでしょ」
「……はあ」
「ちょっと! 人の顔見てため息つかないでくれる!?」
「ああ、悪い。ところでさ、今日、トマトソースのスパゲッティで良いか?」
「うん」
エルノアは頷いた後、じいっと俺の手元を見続ける。
「なんだ?」
「いや、相変わらず手際良いと思って……」
「まあ、だてにうん百年も一竜暮らししてねーよ」
「ああ、うん、なんていうか、ドラゴンが料理作ってたっていうのが意外すぎて、いまだに実感が……」
「いつも同じ食べもんだと飽きるだろ? 人間の料理はいろんなのがあるからなあ」
「そう? 私は別に毎日同じでも飽きないけど」
「お前は食に無頓着すぎなんだよ。人間ならではの料理という文化を少しは利用しろよ」
「じゃあ、私も言うけど、ドラゴンなのに自分の住処に人間用の調理場があって、毎日三食わざわざ人間に変身してまで料理してたドラゴンさん。あなたはもう少しドラゴンの誇りについて考えた方が良いわね」
「……」
「……」
「はあ……おい、料理出来たら持ってくからあっち行ってろ」
「はーい」
エルノアと俺は、いつもこんなふうに、嫌味に嫌味を返す仲である。
* * *
「だー! 今日も一日終わったー!」
ベッドに身を投げ出すと、心地よい疲労感からか、直ぐに睡魔が襲ってきた。
「……って! 何寝てるんだよ俺!」
(そう、今夜こそ計画を実行するんだ! 絶対俺はアイツの使い魔をやめてやる!)
俺はそっと部屋を抜け出し、感覚を研ぎ澄ませる。
(ターゲットはリビングの窓辺に置いてある椅子にいる……か)
階段を下り、スッとリビングを覗くと、真っ暗な部屋の中で、エルノアがぼんやりと窓の外を眺めていた。
(チッ……まだ起きてるのかよ)
息を殺して、エルノアが寝るのを待つ。
十五分……三十分……一時間……二時間……
(……)
☆ ☆ ☆
チュンチュン――
「ハッ!」
目を覚ますと、外が明るくなっていた。
「俺、あのまま寝ちまったのか!」
リビングへと続く廊下の壁に背中を預け、しっかりと寝入ってしまっていた事に気付き、頭を抱えたくなる。
「あれ? これ……毛布?」
「おはよ。クロノ」
「うわっ! お前か……はよ」
「……」
「……」
(何となく気まずいな……お前、昨日何時に寝たんだって聞けるわけねーし……)
「その……毛布、ありがとな」
「風邪ひかれても困るしね。それよりも、もうこんなところで寝ないでくれる? ハッキリ言って邪魔だから」
「ああ、はいはい、そうですねー。ところで、朝食何が良い?」
「ハムエッグ」
「またかよ……たまには違うものとか」
「ハムエッグ」
「……了解」
俺はエルノアが満足げに頷き、ご飯用のテーブルの方へ歩いて行くのを見送る。
(それにしても……アイツ、マジでいつ寝たんだ?)
* * *
「ああ、今日も一日終わったー」
(……つーことで、今日こそミッションクリアだ!)
昨日と同じ位置で俺はエルノアが寝るのを待つが、エルノアは昨日と同じようにぼんやりと外を眺め続けている。
(はあ、もう深夜三時……アイツ、いつ寝るんだよ)
俺が欠伸をかみ殺してエルノアを見続ける。その時、ふと今まで隠れていた月が顔を出し、エルノアの顔を照らした。
「!」
その瞬間、俺は咄嗟に体を引っ込ませた。
(……アイツ、泣いてた?)
その後、何となく気まずくなった俺は自室へと戻り、悶々とした中、眠りについたのだった……。
☆ ☆ ☆
(だー! アイツ、なんで昨日の夜……)
ちらりとハムエッグを頬張るエルノアの顔を盗み見るが、涙の痕は残っていない。いつも通りすぎるエルノアに、俺はだんだん妙な苛立ちが募っていく。
(原因はなんだ? 泣くような事……)
「クロノ、おかわり」
「たく、それぐらい自分でやれよな……ほら」
俺は、追加のハムエッグを皿へとのせ、エルノアの前に置く。
(そういえばコイツ、親は? もしかしてホームシックとか、なんらかの理由で親と会えない状態とか……)
「クロノ、食後のお茶」
「ああ」
すでに蒸らしておいた食後用の紅茶をカップに注ぐ。エルノアの食事時の行動パターンは大体同じだから、蒸らし時間も完璧だ。俺は、紅茶のカップをテーブルへと置きながら、エルノアの横顔を眺めた。やはり、全くいつもどおりだ……。
「……ところで、お前、親とかは――」
(って、いきなり聞いてどうする? 俺に何ができるって言うんだ? そもそも俺はコイツの使い魔なんて……)
ぐるぐると思考が回っていくが、エルノアは特に気にした様子もなく話し出した。
「親? ああ、母様と父様はいるわね。いや……いたと言った方があってるのかな」
「はあ?」
「二人ともね、私の事が怖いんだって。だから私は……」
エルノアは一瞬だけ眼を瞑った後、にんまりと笑い、顔を上げた。
「それにしても、クロノが私の事聞いてくるなんて珍しいわね」
俺は、突然向けられたからかいを含んだ視線に動揺し、片付け途中の食器をぶつけてしまった。
「そ、そうか?」
「うん、なんか……いや、ううん、何でもない」
エルノアはそんな意味深な事を言った後、カップの中で揺れている液体へと視線を向けた。
(またそれだ)
俺の心には、再びよく分からない苛立ちが込み上げてきていた。
「おい、言いたい事があんならハッキリ言えよ」
「別に……クロノには関係ない」
「は? さっき何か言いかけただろ? あれは……」
「関係ないって言ってるでしょ!」
エルノアが発した突然の大声に、俺は驚きで固まってしまう。
「……ごちそうさま」
「あ、おい」
エルノアはそれだけ言い、下を向いたまま俺の横を通り過ぎていった。俺はというと、通り過ぎようとしたエルノアへと伸ばした手をどうしていいのか分からず、気付いたら壁を叩いていた。
「くっそ! なんなんだよ……本当、意味わかんねぇ……」
ドラゴンの姿の時と違い、拳がじんじんと痛んだ。そして、それと同じ――いや、それ以上に胸の奥が痛かった。
「いてぇ……なんなんだよ、これ」