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Logos  作者: I'm
3/3

3-襲撃

何だか戦闘シーンばかりで我ながら好きくないですね。もうそろそろ主人公達の立場も安定するとおもうんですが…

 顔に日が差し掛かる。そのじんわりした温もりに彼は意識を覚醒させた。

 ぼんやりと靄のかかった様な思考と共に目覚めを感じる。閉ざされた目蓋の裏側で血潮が紅く視界を染めていた。

 鳥の声が何処か遠くから聞こえる。耳に響く心地の良い刺激だ。

 ゆっくり、ゆぅっくりと目を開ける。案の定、光に目が眩むが、暫くすると眼が慣れてきたようで、白い滑らかな天井が目に入った。

 そのままむくりと起き上がって彼、小鳥遊 空は辺りを見渡した。

 窓から入る朝日は部屋を照らすには不十分な様で全体的に薄暗い。簡素で飾り気もなく、機能的でかつ無機質な部屋。随所に置かれたPCや電子ピアノといった機器がたてる細かな振動音がそれらと相まってより冷たい印象を与える。

 ポスターといった類のものも一切ない。唯一美術の授業で模写したデューラーの『祈りの手』が壁にかけられているが、模写だけに原作の荘厳な雰囲気は消え去っており代わりに無機物的な感覚が纏わり付いていた。


 ある種の圧迫感すら感じ取れるような部屋であったが、空はこの部屋の雰囲気を気に入っていた。

 薄暗く冷たい部屋。そこに僅かだが温かく黄色い斜光が僅かに流れ込む。

 機械の単調で味気のない音。しかしそれはチュンチュンと鳴く雀のバックコーラスとなっている。

 無機質故に強く感じさせる光や生命の強かさ。日頃彼は、この二律背反の生み出す独特な世界に芸術性と言えるような何かを感じ取っていた。

 だが現在そんなことを考えている余裕は彼にはなかった。


「また、始まったのか…。」


 ポツリと虚空に呟いた。

 起き上げた体をまたベッドに沈み込ませる。

 彼にはある秘密があった。親にも妹にも友達にも、それこそ誰にも言っていない秘密。それは夢を見ることだ。

 この現実とそっくりで、しかしSFの様に今より科学が発達し、魔法といったものも存在する世界の夢。そこでは空はゼロという名前で呼ばれる存在として暮らしている。

 思春期故の情緒不安定からなる妄想の類だ、等と笑い飛ばすにはその夢はあまりにもリアル過ぎた。

 目で、耳で、鼻で、舌で、皮膚で感じるものは全て熾烈だった。いや寧ろ現実で空が感じるそれよりも、五感の優れたゼロの感じるものの方がよっぽど実感を持って迫ってくる。痛みすらもだ。

 夢は覚めれば朧気になるはずなのにこの夢は昨日の出来事のように鮮明に思い出せた。

 しかも不思議なことに、空として彼がこの世界にいる時はこちら側の世界を紛れもない現実だと、ゼロとして夢の中で向こうの世界にいる時は現実は向こうの世界の方だと考えているのだ。


 幼い頃から見ていた夢だったのだが、中学の初期からすっかり見なくなっていた。

 だが3年の月日を経てついさっきゼロの夢をまたみることになったのだ。

 空は自身の手の平を見つめ、握ったり開いたりを繰り返した。まるで自分の存在が確かにここにあることを確かめようとするように、幼子が母の服を握るように強く。しかしながら、ゼロに比べ随分と鈍い空の身体の感覚はまるで偽りであるかのように感じられた。

 果たして、自分という存在はゼロなのであろうか、空なのであろうか?

 自身のアイデンティティを問う問題に今まさに彼は揺さぶられていた。

 こういう時いつもある言葉が思い浮かぶ。


 胡蝶の夢──

 有名な中国の思想家、荘子の言葉だ。自分は蝶となって空を飛んでいたが、次の瞬間には夢が覚めて人間となっていた。果たして人間が蝶の夢を見たのか、それとも蝶が人間の夢を見ているのであろうか?

 しかし、荘子は論じる。そういった事を考えるのは愚かなことであると。

 曰く、どちらが真でどちらが偽であるかなどどちらでもいい。どちらも真であり、そんなつまらないことに囚われていては重要なことを見逃してしまう。これこそが荘子の真意だ。


 生まれてから弱冠にも届かないような未熟な年齢ではあるが、空は多少はこのことを理解できているつもりである。

 空とゼロそのどちらでもなく、ただ今存在するこの自分という意識こそが本当の自分である筈なのだ。これは精神性のみを重視した誤った考えかもしれないが、しかしそれでも自身が自己を知覚する前提となるのはやはり精神なのだ。故に、今ここでこうした思考に耽っている自分という意識こそが自身の本質の一部ではあるのだ。そこから自分を認識していけば空とゼロの狭間で悩む必要はない筈だ。


 だが…。


 空は胸を掻き抱いた。胸に広がるこの不安だけには抗い用がなかった。理性で理解している。しかし感情で、感覚ではこの心はわかってくれないのだ。

 そんな矛盾は世の中には良くあることで、でもちゃんとした解決法もないようなことで、そしてそれがわかっているからこそ余計に彼は苛まれているのだ。

 自分という存在に意味を求めてしまうのは間違いなのだろうか? 科学の観点からものを言わせてもらうならば、宇宙を漂う塵と地球に生きる人間にさして差は無いのだろう。偶然、塵が集まって私達が存在し得たというだけのことなのだから。その感情や心だって脳内で起こるただの化学反応の賜物に過ぎないのだから。

 しかし、そんな自身の外部にある絶対的な世界と上手く折り合いをつけるためのものが哲学なのである。だが、彼の幼い哲学にこの焦燥感を鎮めれるだけの力はなかった。

 小鳥が窓枠に留まってチチチとタップを踏んでいる。忙しない動きなのにどこか呑気に見えるから不思議だ。そんなファンシーな光景を、彼はどこか遠い目線で眺めていた。まるで絵空事。ビデオを見ているようだ。


 焦燥感。焦燥感。それは憧れからきている。嫉妬からきている。

 生きているという実感の無さによって起こる。

 先進国ほど娯楽の流行る国はない。精神病の流行る国はない。

 それは科学の豊かさが生存の容易さに繋がり、反面生存競争の衰退を意味するからだ。競争しなければ人は刺激を得られない。毎日ただ同じことだけをやっていると人生が酷く虚しいものに感じれてくる。多少の苦行を呑んで刺激を手にしなければ充実はしないのだ。

 そして空からみればゼロの人生はまさに生を感じさせてくれるものだった。勿論、空だって出来る努力と苦労はしているし、学業や部活と言った競争に身を投じている。充実感はある。

 しかしあくまでただの一学生に過ぎない空と、生きるためにその心血を注いでいるゼロではその重みが全く違うように感じられた。

 故に酷く焦がれるのだ、その人生に。今ある空という自分は虚構のものでゼロこそが真の自分だと思い込み、そして空としての人生を壊してしまいたい衝動に駆られてしまうのだ。


 空は知っていた。こうありたいという強い欲望は、いつだって赤く、烈しく、燃え広がって、どうしようもないほど身を焦がし───


 そして叶わないこともあるものなのだと。



 心は猛り泥沼のようにその憧憬が纏わりついてくる。身体が何かをせねばと疼く。

 だからと言って今やれることはそうは無いのだ。普段通りの日常を過ごす以外には。そして日常といえば…。


「ああ、そうだ学校…! 」


 慌てて起き上がり時間を見る。時計に書いてある数字は8時。家から学校までは40分はかかる。

 遅刻だ! と慌てた時、時計中央の日付けが目に入る。日曜日である。


「ぉっと…。」


 拍子抜けした空はそのまままたベッドに沈み込む。しかし間もなくまたガバリと起きあがった。


「部活は…! 」


 カレンダーの予定表を見た。休みである。何だとホッとするのも束の間、休みと書かれた下に模試と書いてあった。

 マズイッ。ベッドから足を降ろそうとして、今度は自分が申し込まなかった模試だと気付く。

 何か他に予定はなかったか数秒思慮を巡らした後、肩の力を抜いた。


 今度こそ何もない。

 大きく息を吐いた。焦っているな、と空は自分でも理解できた。

日に照らされた埃がキラキラ輝いてさらさらと流れている。風も吹かぬこの部屋ではその動きはとてもゆっくりで、その焦りを緩和してくれるように空は感じた。


(何だか、疲れたな…。)


 思い出してみれば、だ。ゼロでさえも遺跡から出て変わり果てた世界を見た時は堪えようのない不安を味わった。

 アイデンティティとは力のあるなしじゃない。もっと色々なことからできている。ゼロを羨んで悩むべきではないのだ。

 まずはゆっくり落ち着いてから、それから今日できることをやっていこう。

 思春期してるなー。自身に苦笑しつつもベッドに持たれかかると、そのまま気付かぬ内に空は眠ってしまっていた。




 目覚め。温い日の光が地面と平行に近い角度で顔に降りかかった。何処かで小鳥の鳴き声が聞こえる。

 目蓋の裏側で視界は血潮による赤色だけを捉えていた。赤くて綺麗だ。生命の色だ。

 つい先ほどと全く同じような状況に強いデジャヴを感じつつも、ゆっくり目を開いた。

 目に入ってきたのは見慣れない天井だった。


「知らなくはない天井だ…。」


 名言ブレイク。見慣れないだけで知らなくはない。昨日結局なし崩し的に泊まらせてもらったレイの家の天井だ。

 前々から一度は言ってみたかったことを言えたために、彼は仄かな満足感を得た。

 すぐに1人で勝手にギャグをかますことへの虚しさに気付いて心寒い心境となったがそれはそれ。

 使う機会が多そうで実は少ない、そんな名言をもじれたのだから気分はやはりいい。

 時計を見てみると、もう昼過ぎだ。普通はとっくに起床する時間だが強化された聴覚がレイのものと思わしき寝息を拾っている。互いに昨日はよほど疲れていたのだろう。

 起き上がってうーんと伸びをした。ベッドがなかったのでソファーで寝たためか随分と体が強張っていた。朝日の中でする伸びはとても心地よく、心機一転させてくれる。といっても今は朝ではなく真昼間なのだが…。


「ふう…。」


 伸びをし終わってすぐに欠伸が飛び出た。脳に酸素が送られて爽快だ。

 窓の外の景色は長閑だ。ある程度郊外にあるらしいこの団地は、ニュータウンらしい真新しさと活気がありつつも落ち着いた雰囲気を与えてくれる。

 景色にしばらく心を休ませた彼は不意に振り返った。

 先ず彼にはなすべきことがある。情報の入手だ。

 自分がいた時代とこの時代、ある程度は似通っていることは確信している。

 彼が行ったのは"そういうコールドスリープ"なのだから。

 ただ、どこまでが一緒なのかがわからなかった。致命的な所で常識を履き違えている可能性だってある。

 視線の先にはデスクトップPCと思わしきものがあった。質の悪い情報も転がっているのがネットだが、とにかく広く知識を手に入れるのにこれ以上に適したものはない。

 ハードの様なものはあるがマウスもキーボードも見当たらない。一応、そういうPCも彼の時代にあるにはあったが、電源をつけてみないことには本当にこれがPCなのかどうか判別が点かない。


「ちょっとくらい借りたっていいよな。」


 リンゴのようにも見えるマークがついたおなじみの起動ボタンを押すと唸り声をあげてPCが立ち上がった。成る程、キーボードとマウス代りのパッドが赤外線レーザーで投影される型のようだ。ディスプレイもガラス板のようなものに表示されている。

 見渡すと机の隅の方にキーボードが立てかけてあったのでレーザーキーボードではなくそちらを使うことにした。やはりキーボードはあの独特のキータッチ音が無くては、とゼロは思っている。

 カタカタという軽快な音が鳴り響く。自然の風の音や落ち葉の音が鳴る中にキータッチ音だけが響くというのはなかなか乙なものだ。

 操作方法もブラウザも検索エンジンも、自分が知っているものとさして違いはないようだ。よし、いける。

 ゼロは取り敢えず当たり障りのない地理や経済から簡単に調べて行くことにした。



 それから三時間程経った頃合いでレイは起床し階段を降りた。リビングで何やらカタカタという音が鳴っているのはどうしてなのだろうか。

 扉を開けて部屋に入ってみると昨日遺跡で出くわした少年、ゼロがPCの前でキーボードを叩いていた。

 レイに気付いたゼロが声を掛ける。


「おはよう。といってももうおやつ時だけどな。

 事後承諾だけどパソコン使わせてもらっていいか?」


「ふぁあ、おはよう。

 別にPC使うのはいいんだけど、ファイルとか勝手に消さないでよ。

 あとヤバ気なサイトも覗かないように。一応政府が市民のネット利用の動向を監視してるからね。」


 レイは基本的には大らかな人間だ。大雑把ともいえる。

 勝手にPCを使われていることに多少不機嫌になりながらも、レイはそれを咎める気は無かった。

 ゼロの方も、PC使用の許可が降りたことで構わず使用を続けた。


「まあ、多分大丈夫だろ。地理とかの一般常識しか調べてないし。」


「ふうん、ならいいんだけど。

 監視っていっても殺人予告とかでも書かない限り咎められないからそう気にする必要はないんだけど。

 ところで、昨日のあんたが古代人だって話本当なの?

 詳しい説明が欲しいんだけど。」


 普通地理情報といった一般常識は必要ない。この国の国土は非常に狭く、20万k㎡しかない上に、その三割がセントラル砂漠だ。地理なんて覚える意味がない。というより、自然と覚えてしまう。

 そうであるのに調べているということは、ゼロは最低でもこの国の出身者ではないということだ。

 本人は過去からコールドスリープしたと言っていたが、その行動の矛盾の無さにレイは多少の信憑性をおけた。と言っても未だ半信半疑ではあるが。


「ん? ああ、そうだな。真実だ。

 でも別に信じる信じないはどうでもいいよ。

 ただ戸籍も持ってないし、一般常識も知らないってことをわかってくれたら。

 それだけで充分話はできる。」


「……それは暗に私に協力して欲しいと言ってるの? 」


 真面目な声音で言うレイ。ゼロもまたPCの電源を切り、向き直った。


「ちょっと真剣な話をするぞ。

 確かに俺は誰かの協力が欲しい。何もないんじゃ食っていくことすらできないしな。

 でも、だからと言って一方的な寄生ともいえる関係はごめんだ。

あくまで『Give and Take』といこう。」


「でも、そっちが私に提供できるものなんてないんじゃない?

 戸籍がない時点で大概の行動は縛られるわよ? 」


 キンモクセイの香りだろうか、強い芳香が窓から風とともに流れ込みゼロとレイの間の空間を埋めた。僅かな沈黙。

 そしてゼロは徐に胸元から何かを取り出した。

 それは2つ鍵が垂れ下がったネックレスだった。半透明であり、怪しげな雰囲気を放っている。

 色こそは違うが、レイが身につけ服の中に隠しているものと同じ形のものである。


「……! 」


 驚きを、口から零さないようにするのが彼女の限界だった。

 上手くポーカーフェイスを保てたか、彼女には自信がなかった。

そこまで驚くのも無理もないことだ。


 元々この世界に魔法なんてものは存在しなかった。ただ森羅万象の普遍性を探りそれを客観的に追求する科学というものを発展させてきただけだ。

 そんな最中20年程前にある事件が起きた。

 『神託』と呼ばれた出来事だ。

詳細は簡単、ある日メシアと名乗るものから託宣が成されたというだけだ。問題はその方法と内容、そして世界で起こった変化だった。

 ある日人類は全員、何もない白い空間に飛ばされたのだという。そして直接テレパシーのようなもので戦争の始まりを宣言された。

 曰く、これより世界には超常(魔法)が起こり得ると。

 曰く、6つの鍵がばら撒かれ、それを全て集めたものはメシアとなって自由に世界を設計する権利を与えられると。

 そして、気が付けば人類は皆もとの場所に戻っていたのだという。その『神託』の記憶だけを残して。

 夢かとも思われた出来事だったが、その託宣の通りその後世界には魔法が確認された。

 若者の宗教離れが如実となっているような時代でそんなことが起きたのだから当然世界は混乱に包まれた。

 と言っても人の適応力とは凄いもので、あるかどうかもわからないような鍵の捜索は表面的には鳴りを潜めたし、すぐに混乱は鎮まった。

 寧ろそれよりも飽和状態で発展の難しくなっていた科学や経済の新たな可能性として魔法工学や魔法理学が大いに賑わった程だ。発展途上国も先進国と同じスタートラインで始められる魔法という学問は大きな発展を生んだ。

 そして、未だその発展は終わらない。

 これが『神託』のあらましだ。


 チャリ、と実体などなく音なんてならないはずの鍵がレイの胸元で冷たく鳴ったような気がした。まさにゼロやレイが持つこの鍵こそがメシアとなるために必要な鍵なのだ。


「そのネックレスがどうかしたの?

 

見たところ魔法で作られてるみたいだけど。」


 選択としてレイは白を切ることを選んだ。といってもこれが功を奏するとは殆ど思ってはいなかった。ゼロがこの場で鍵を出したのはレイが鍵持ちであると確信があってのはずである。

 そしてその上で、鍵持ちが一ヶ所に集まるという意味を彼女は軽くは見ていない。

 ここにあるのは文字通り神となるための『鍵』だ。

 最悪、奪い合いが起きる。

 言葉で含みがあるように見せかけながら彼女は視線で銃の場所を確認していた。目の前の少年とでも無手対ちゃんとした装備なら勝機はあり得る。

 だがレイは失念していた。銃は普段、簡単に触れられないよう金庫の中に保管しているのだ。

 銃は使えない。

 レイの視線がじりじりと何か武器になるものを探していた。


「昨日、気絶した時にお前が鍵持ちであることは確認済みだ。故意じゃないけど、チラッと見えちゃってな。

 と言っても別に敵対するつもりはない。寧ろその逆だ。」


 レイは武器を探す目を止めた。もう一度ゼロの顔を見つめ返す。


「つまりあなたが私に提供するものというのはその鍵だってこと? 」


「いやいやいや、流石に鍵は渡せない。死にたくはないしな。鍵は所有者が死なない限り奪うことができない。

 だから俺が言いたいのはこの鍵戦争での協力関係のことだ。」


「…………。」


「さっき調べた情報だと他3つの鍵の場所は明らかになってるみたいだな。

 一つはこの国の政治の中心であり、芸術、農業の中心でもあるここタシトナレッジ自治区の首長であり、そして金融、傭兵業やら農業、何から何まで手掛ける企業ウィルドライフ社の社長でもあるミナス。

 2つ目はこの国の工業が集約され、大規模な軍事基地も数多くある国の防衛の要、ロッキングギアズ自治区の実質的な支配者イクス。

 最後に、国最大の傭兵企業があり魔法学の最も進んでいる自治区ミスティックマキアで独裁者となっている革命家フォルティチュード。これまた巨大な企業ジェネティックの社長でもある。

 この3人は皆、鍵持ちだって公表してもものともしないだけの確かな地盤を持ってる。

 でも、お前はただの一般人でそんなものを持ってない。勿論、俺もだ。

 ここは互いに協力関係を結ぶ以外に生き残れないんじゃないか? 」


 表情は真剣、しかし重みを感じさせない口調でゼロは述べた。威圧的ではなくあくまで対等な関係で提案してきているのがわかる物言いだった。

 この選択はレイにとって重大な転機ともいえるものだ。そして、拒絶する理由はなかった。

 『鍵狩り』という事件がある。数年前、鍵の持ち主が発覚した時に度重なって発生した事件だ。鍵所有者が生きている限りどういう訳か決してその人の身体から離れない。故に奪う方法はただ一つ、持ち主を殺すことであったのだ。

 『鍵狩り』はあくまで表向きには鎮まっているが、実の所見えないところで頻繁に起きている。判明している鍵持ちが皆権力者であるためにこともなく済んでいるのだ。

 運良く今まで鍵持ちであることを隠し通せていたレイだったが、これからもそれができる保証はない。

 そもそも先日の遺跡探索も、身を守れるだけの力を求めたために行ったことであった。

 そして、同じ立ち位置の協力者が見つかるというのは下手にオーパーツが見つかるよりも儲け物ではないだろうか。

 裏切りの可能性というデメリットがあるにはあるが、そうなったとしても元から敵だったものが元に戻るだけにすぎない。メリットとデメリットの天秤は大きく傾いている。


 外面にはおくびにも出さないが、実の所レイは内心で喜んでいた。

 大きく目的に前進した。今までは鍵持ちとばれないようにこそこそと動いていたが、これからはある程度能動的に動くことも可能となるだろう。打算と喜びが彼女の中で渦を巻いていた。

 彼女は交渉成立の証として手を差し出した。


「いいわ、ちょうど戦力が欲しかったの。その話、乗ったわ。」


 想像していたよりもあっさりことが進んだことにゼロは多少拍子抜けしながらも出された手を握り、握手した。


「契約成立。まあ堅苦しいことはなしにして友好的にやってこう。」


 ぐっと握られた手は、未だ信頼には届かぬものの将来性を感じさせる。二人はともに似たようなことを感じていた。

 が、そこでぐぅ〜っ、とゼロのお腹が鳴った。


「あーごめん。詳しい話は食事を取りながらでいいか? 」


 決まり悪く頭を掻きながらそう言う姿は些か頼りなかった。レイは前言を撤回した。




「それで? あなた自身のこと教えて貰おうじゃない。」


 机に並ぶのはこんがり焼けたベーコンエッグとサラダ、バターの溶けたトーストという一般的な組み合わせの洋食だ。

 彼らは時折食器を鳴らせながら昼食というのにも遅すぎる本日一度目の食卓を囲んでいた。


「俺自身のことって言ってもな、ただ前の鍵戦争で負けそうになったからコールドスリープで未来に逃げてきたってだけだ。

 俺が出てきたあの装置、黒い金属でできてただろ? あれは黒鋼っていってな、人類史上変形にすら成功したことがない魔法のような物質なんだよ。事実魔力によって出来てるしな。

 だからあそこに入ったらもう後は勝ち確、安全に逃げられるんだよ。」


「負けて逃げて来たって…。

あんた本当に戦力になるんでしょうね? 」


 随分とずけずけと言う態度に、ゼロはレイへの評価を改めた。とはいうものの気さくな話し方のためにそれは汚点というよりは一種の美点として好印象を与えるものだった。

 レイとしてもゼロが戦力になることは疑っていない。昨日の様子を見る限り、十分に戦えていたのだから。ただ単に相手が悪かったという事なのだろう。


「 まあそれを言われると辛いな。

 コールドスリープ様様だ。」


「ところでもしその黒鋼?のインゴットなんかあれば大儲けできるんじゃない? 」


「そりゃできるだろうけど作り方なんて知らないし、他の黒鋼に至っては変形も無理だ。入手法がない。

 まあ、諦らめだな。」


 夢が広がりそうなことを言うレイだったが、ゼロはそれをスパッと切り捨てた。

 少なくとも、憚らずに素直に話せてはいる。

 食事中ということも相まっているだろうが、概ね二人の関係は順調なようだ。


「で、行動方針は何なんだ?

 俺は特にやりたいことはないし、危険なことでもついていくつもりだけどさ。

 何かやりたいことがあったから俺の申し出を呑んだんだろ? 」


 ゼロは尋ねた。自分の生活を貰う代わりに、無償の協力関係を結んだ。これは口約束であるものの破格と言える条件だ。その内容を訊くのは当然のことだった。

 しかし、その回答というのは煮え切らないものだった。


「うーん、何ていうか、今は特にないのよね。別に鍵集めて世界取ろうだなんて考えてないし、取り敢えず私の護衛ってことでよろしく。」


「おいおい、いいのかそれで。ヒモにならせてもらうこっちとしては心苦しい限りだけど。」


「まあね、でもずっとこのままって訳じゃないしね。」


 ふうむ、と納得しながらゼロは口にベーコンを運ぶ。

 物音も無く静かな一日だ。新生活の始めとしては少し張り合いがないように感じてしまう。


 肩の力を抜いたゼロ。そのまま暫くゆっくりとしていたのだが違和感を覚え表情を固めることとなった。


(幾ら何でもこれは早すぎないか? )


 得意な魔法が空気を操ることで良かった、彼は内心思った。

 人一倍風に敏感なゼロは風が不自然に流れているのを感じれていた。まるで音を一点に集めているように。

 こちらも風を使ってその風の流れを探る。魔力を探知されないように極々低出力で。

 そして何気無い素振りでゼロはペンと紙をそこらから持ちだした。


「まああれだな。そう急ぐこともないし。ゆっくりやればいいんじゃないか? 」


 急な行動に訝しんだレイだったが、書き出された文字を見て息を呑んだ。


『昼間なのに辺りから物音が一切していない。しかもさっき魔法を使用された形跡があった。

 恐らく監視されてる。銃の場所は? 』



 かちゃ、と静かに食器置かれた。

 レイはポケットから鍵をちらりと見せ視線で部屋の隅の金庫を指し示した。


『できるだけ自然な素振りで取りに行ってくれ。』


「まあ、それもそうね。」


 指示に従い何気無い様子を演じながらレイは金庫へと歩いて行く。

 その間にもゼロの風による知覚は確かに相手を補足していた。5人だ。動きはない。

 いや、あった。指揮官だろうか。もう一人が捕捉圏内に立ち入ってきた。少し動きが慌ただしい。思った以上に優秀な魔法使いがいるようだ。魔法を行使して逆探知したのは失敗だった。恐らく相手にもこちらの行動に気付かれているだろう。

 こちらも急いだ方が良さそうである。

 ちらりと視線をやるとレイはちょうど金庫の鍵を開けたところである。

 その時魔力に揺れが起きた。


「くるぞ! 気をつけろ。」


 その言葉が放たれたすぐ後にガラスが破られた。空き缶のようなものを投げ入れられる。

 フラッシュバンだ。


「っ!? セオリー通りだな、おい!」


 直ぐに背後を向いて目を瞑り、レイと自分の耳の周りの空気を操って真空の幕を作った。無音が広がる。

 熱気。もう少し近ければ、火傷を負っていたであろうそれを身に受ける。

 目蓋越しの視界が赤く光り、そして暗くなるのを確認して目を開けた。

 真空状態を作ったというのに、明らかな空気の振動が襲ってきていた。何も対処していなかったならば、その爆音に暫く平衡感覚を失っていたことだろう。

 そしてその直後、またも破られる硝子とドアの音。それなりに分厚い木造のドアがメキメキと乱暴に踏み倒された。

 レイの様子を確認する。彼女も閃光に目を焼かれることは防げたようだ。奇襲された側としては、この出だしは悪くない。


「銃を!! 」


 レイも戦闘を生業とするだけはある。この言葉をかける前にすでに1梃の銃とマガジンボックス、ベルトが宙に投げられていた。ゼロは空を横切る銃を掴み、侵入者に放つ。

 銃音が響き弾丸が交差する。


 アイサインのお陰か、レイとゼロ、互いに異なるターゲットを2人ずつ鎮めることができた。

 しかし、さすがに相手もプロだ。ソファを相手に蹴り飛ばしながら銃弾を避けなかったならば、ゼロとて何発かは食らっていたかもしれない。穴だらけになったソファはうまい具合に羽毛を撒き散らしてくれた上に相手がソファに対処する時間を生み出せた。

 レイはきちんと金庫に隠れたから良かったが、周りに銃弾を食い止めれそうなものが無かったゼロにとっては冷や汗ものだ。布のソファは鉛の塊を受け止めるには些か柔らかすぎる。


「4人は倒したわね。残りは後何人? 」


「2人だ、油断するなよ。さっきの奴らより動きがいい。」


 カチャカチャとベルトとマガジンを装備しながらレイとゼロは言葉を交わした。


 魔力を感知することで新たな知覚を得る第六感という魔法がある。風による知覚はぼんやりとしか動きが掴めないのに対し、第六感は慣れれば360°の視界となる。

 しかしこれには弱点があり、相手が意図的に魔力を隠した時、その知覚は無用のものに成り下がってしまう。

 片方は隠すつもりもないのか魔力を垂れ流しているため動きが掴めるが、司令官と思わしき人物の場所が掴めない。風で場所を探るにも元々相手の場所がわかってるならばともかく一から探すのは難しい。


「一人、西側から接近してる。注意しろ。」


 手早くベルトにマガジンを固定し、次の襲撃に備える。

 見えないもう一人は自分が警戒し、もう片方はある程度レイに任せた方がいいだろう、そうゼロは考えた。

 西側の壁が崩れた。その中からフードを被った人影が一つ、レイに接近する。いや、もう一人、軍服を来た人物がフードの人物の影からレイに接近し警棒のようなものを振るった。速い。


「っ! そう来たか。」


 ゼロも次いでステップし、横からフード付きの人影を蹴飛ばす。そしてそのままもう一人の振るう警棒とレイの間に銃を割り込ませた。

 ガチンと金属音が鳴り響き、腕が痺れる。


「ありがとう。助かったわ。」


 既にレイはしゃがみ込んで回避の体勢を取っていた。先の行動は余計なお世話だったのかもしれない。

 レイはその体勢のまま銃弾を撃ち込む。

 警棒を持つ男は後ろに身を翻して避けたが、しかしもう一つの鉛弾はゼロが蹴飛ばしたフードの人影の胸を貫いた。


「よしっ。後一人。」


「まだだ! まだ、魔力が消えてない! 」


 寧ろ、前よりも豊潤に人影から魔力が溢れてきていた。

 フードの人影は立ち上がりレイの方に飛び出す。

 自然と、そちらへ駆け出そうとするゼロの動きは新たに振られた警棒によって遮られた。


「くそっ! 邪魔を、するなっ! 」


 銃と警棒による殴打が続く。息もつかせぬような打ち合い。

重い一打。疾い一打。巧妙な一打。

 一合弾き、受け流すたびに腕の骨が痺れていく。

 さっき撃ち殺した4人とは違う。昨日のような力を振り回すだけのキメラとも異なる。力も技も理性もある、かなりの強敵だ。

 少しでも気を抜けば、負けるのはこちらである。レイに構っている暇はなくなった。

 連打の応酬。

 家具が吹き飛ばされるのにも構わず攻撃を捌き、打ち込み、捌かれる。


 レイを交え2対2で戦うには目の前の軍服の男はあまりにも強力で危険すぎた。昨日の動きから判断するに、レイではとてもこの連打には交れない。

 フードの方は横合いからの蹴りも、銃弾も躱せなかった。

 実力の劣るフード男をレイに任せ、こちらが目の前の敵と戦うという、1対1を二つ作る方が得策だと瞬時に判断した。

 打撃と打撃がぶつかり合う最中、ゼロは銃で殴るだけでなく同時に弾を放つことで徐々に押していく。

 僅かに空いたその隙間で、レイに呼びかける。


「すまん、そっちは頼む! 俺はこいつで手いっぱいだ! 」


 ちらりと見たレイは上手く動けているようだ。どうやら相手は銃を持っていないらしく、その差異を活かして有利にことを進めている。


「了解。任せたわ。」


 レイの方は返事をするだけ幾分か余裕があるようである。

 そうと決まれば互いを戦闘に巻き込まないためにもこの場を離れる必要がある。

 どうにかして相手を誘導させれないかと画作していると、相手は急に立ち止まった。怪訝な表情で様子を伺っていると、襲撃者は顎で外の方を示した。ついて来い、と言いたいらしい。

 一人黙々と表に出て行く男に一瞬呆けてしまったが、寧ろ好都合とばかり考え馬鹿正直にゼロはついて行く。


 レイの住む地域は保養地として建てられたニュータウンであり、家にはそれなりに大きな庭が付いている。

 そこの半ばまで進んだところで両者ともに立ち止まった。

 そこでゼロは改めて相手を観察した。若い青年だった。自分より2,3才年上に見える。


「わざわざ襲撃相手に配慮してくれるなんてお優しいことじゃないの。」


「…俺の名前はイディアル。今回の任務はあくまで貴様ら二名の捕縛にすぎない。流れ弾で対象が死んでしまうのはこちらとしても不都合だ。」


 事務的に答えているイディアルだが、実のところそれが建前であることをゼロは理解できた。

 わざわざ言う必要のない名前を述べた上に警棒という近距離武器しか持たない有様。一対一という状況を自ら作るその嗜好。そして、淡々とした話し方とは対象的に口元は歯を剥き出しに笑っている。

 獰猛な獣のような表情からは命のやり取りを心底楽しんでいるバトルジャンキーっぷりがありありと伝わってくる。


「嘘付け。その顔、どう考えても個人的嗜好に走ってんじゃねーか。」


 口元に苦味を含ませながら話を続けるゼロ。後ろ手にこっそりリロードもしておく。


「そんなことはどうでもいい。今から楽しい楽しい命の削り合いをするということだけが全てだ。」


「吠えたな。大体そういう奴は物語序盤で倒されるんだぜ? 」


「ブーメランだな、 その言葉は。」


 会話で少し戦闘開始を引き伸ばしながらレイの様子を探る。

 銃声が聞こえる。

 レイも激しく戦っている。こちらも急がなければならない。

 先ほどの軽い会話の雰囲気も今はどこに行ったのか? すでにイディアルは戦闘体勢に入り、口を噤んでいた。

 先を取る。ゼロは空のマガジンを相手の顔めがけて投げつけた。

上体を反らすだけで避けられるがそれは百も承知。空を飛ぶマガジンに追いつくような速度で肉薄する。

 再び打ち鳴らされる銃と警棒。鍔迫り合いになるも、イディアルは己の横を通り過ぎたマガジンを左手で受け止め投げ返す。ゼロはそれを警棒と競っている銃で弾を放ち撃ち落とした。

 ゼロは右手で警棒を掴み、銃で顔を叩こうとする。イディアルはそれを左手の甲で受け流す。

 鉄板仕込みのグローブを嵌めているらしく、銃身とグローブの間から火花が散って二人の視線を彩る。

 すかさず放たれた裏拳をゼロは警棒を放して右手で受け止める。

 今度は解放された警棒が襲いかかってくるが、それよりも速くゼロは銃弾を連射。

 警棒の軌跡が変わり、銃弾全てを弾き飛ばした。

 弾かれた銃弾が二人の間で四方八方に飛んだ。

 それらを回避するために二人は互いに距離を開けた。


「その動き、見たことがある。確か十年程前に流行った銃技『バレットアーツ』だな。今はもう殆ど見られることはないが。」


 突然イディアルから声が掛けられた。この時代のことなんて大して知らないゼロは適当に話を合わせる。


「よく知ってるな。銃弾を避けることができる現代戦じゃ廃れてしまったCQC(近接格闘)だ。」


「この速度での戦闘では銃弾は厄介だな。ギアを上げさせてもらう。」


「はいはい、ご勝手に。」


 わざわざ動きを速くすると事前に知らせるとは流石戦闘狂。

 唐突に始まった会話は区切りとなり、戦闘は更に過激になる。

 両者同時に走り出した。


 家の中では床を踏み抜く恐れがあるので、極力足を使わないようにしていた。だが、ここではどちらもその縛りが解けたため、殴打合戦とはならず避け合いが発生していた。

 魔法使い同士の戦いにはよくあることだが、両者ともに何らかの方法で精神を加速させている場合千日手に陥りやすくなる。互いの攻撃が見えるし読めるのだから簡単に当たるはずがないのだ。

 そして今がまさにその状態であった。

 既に数十メートルという距離は二人にとって一般人の数歩分と変わらない。戦線は庭全体に及び、手入れされていた芝生は強い踏み込みのために荒らされていた。

 音速を超える銃弾も、今の2人から見ればテニスボール位の速さだ。とはいえ遅くなったら遅くなったで時間差を利用すれば十分活かせる。

 目にも止まらぬ動きで銃弾と警棒が入り乱れ、打撃音と銃声が庭の彼方此方で鳴り響いているが未だ決定打はない。

 だが互いに、時にトリッキーな動きで、時に捨て身で変化を生み出そうとしている。

 そして、着々と決着という段階に迫っていた。

 警棒が煌めき、銃弾が飛び交う。そんな中、ゼロは一瞬腕にかける強化を強めた。既にして異常だった筋力は人間としての領域をたやすく踏み外す。交わされる一打にその渾身の力を込めた。

 重なった銃と警棒はあっさりと警棒が弾かれることで決着がついた。イディアルの体勢が大きく崩れた。


「ば、馬鹿なッ!? 」


 ゼロは世界でも類を見ないほどに身体能力の強化魔法が上手い。普通なら魔力の変換効率は100%ではないため変換し切れなかった魔力が外界に発散される。この発散された量により相手がどれくらい能力を強化しているかが推測できる。だがゼロは殆ど100%の効率で強化魔法が使える。先程まではわざと強化魔法の変換効率を下げていた。そこに効率をあげて強化を強くすれば、見た目上の魔力に変化なく筋力を大きくさせることができるのだ。イディアルが驚くのも無理はないことだろう。


 よろめくイディアル。ゼロが狙ったのはその身体ではなく警棒だ。思い切り蹴飛ばして弾き飛ばした。手から投げ出された警棒は最早拾い直すことも難しいだろう。

 そして逃れられないように切り札として今まで使っていなかった風の魔法で動きを阻害する。

 形勢は大きく傾いた。ゼロはそのまま止めを指すべく踏み込む。

 絶体絶命の状況。これで勝負は決まったも同然だった。

 しかし対するイディアルはそんな状況すらも楽しんでいた。驚愕の表情が笑みに変わる。歪んだ口をさらに大きく釣り上げて、瞳えを爛々と輝かせて、獰猛な笑いが顔一面に広がる。イディアルは咄嗟に掴んだ細い木の枝を振るった。


「ハァッ!!! 」


 木の棒。耐久性もないし互いに身体能力を強化している状態では大した威力を持っているとは思えない。ただの悪あがきにすぎないと断じたゼロは軽く手を添えて防ごうとした。


「ッゥ!? !?!?」


 だがその木の棒は驚異的な威力となってゼロを襲った。体がくの字に折れ曲がる。

 まるで白鋼製のハンマーをぶつけられたような衝撃が腕を走り抜ける。骨の砕ける音が右手から響く。

 形勢は逆向きに傾いた。

 痛みに歯を食いしばりながら、距離を取ろうとするゼロだがそれを許してくれる相手ではない。頭上から木の棒が振り落とされる。

 危うく銃身で受け止めたゼロだが、己の失策を感じ取った。

 凄まじい衝撃で、銃身が砕け散ったのだ。


「くっ!! 」


 しかし、咄嗟に手に残ったグリップの底の部分を宙を飛ぶ破片に叩きつけた。銃弾のような威力となってその破片はイディアルへと向かっていく。当然避けられてしまうも、その隙にどうにか距離を離すことはできた。

 イディアルの魔法が何か、ゼロは頭を巡らせる。魔法は情報戦だ。相手の手口がわかれば対策をうてることもある。

 細い木の枝が折れなかった、このことから考えて耐久性は向上されている。また、振るわれた打撃は通常ではあり得ないような威力でもあった。その癖振るう速度に変化はなかった、だとすれば…。

 ゼロの顔が歪む。大方、相手の魔法は理解できた。そしてその厄介さもだ。


「それがお前の魔法か。物体の剛性を上げる能力だな。質量を弄くってるかは知らないけど、運動エネルギー、いや運動量や力積もあげているな。」


「御名答。随分と使いやすい魔法だろう? お陰で白鋼なしに威力の高い攻撃ができるって訳だ。

 無論、あるに越したことはないがな。」


 イディアルは情報の流出を気にも留めずにあっさり教えた。バトルジャンキーはこういう所で変に素直だ。或いは知られた所で対策の取りようがない能力のためか。

 剛性の強化自体も厄介だが、それにもまして警戒すべきは運動量の増加だ。一見弱く見える攻撃が実は致命のものかもしれないという懸念はこちらの動きを大きく阻害する。

 その上武器まで失ってしまったこの状況で、上手く切り抜ける方法をゼロは持っていない。


(なりふり構ってられないか…。)


 神経の加速。身体能力の強化。 この二つの魔法をより強くかけ純粋なポテンシャルでの戦いを挑んだ。

 ゼロは今まで以上の速度を持って、イディアルに近接する。

 切り札として温存していた手だが、この二つの魔法は失った武器の埋め合わせをしただけであり、また千日手に陥ってしまった。

 寧ろ武器があった時よりも分が悪くなっているだろう。攻撃手段が減じたゼロは防戦一方となっているし、右手も使えなくなっている。

 さらには身体能力強化は出力を強くすれば強くするほど身体にかかる負荷が大きい。今まである程度の限度までで強化を止めていたのはそのためだ。

 有利であった内に使えば良かったのだが、今となってはそれがタイムリミットとなってゼロを苦しめていた。

 身体を動かすたびに激痛が走り、骨が軋むような音がなる。頭は働かせれば働かせるほど、頭痛が酷くなり嘔吐感が込み上げる。

 それでも歯を食いしばって、何とか勝機を見出せないものかと二度三度奇抜な動きをしてみるが上手くあしらわれてしまっていた。

 イディアルという男、単に技量が優れているだけでなくこういった駆け引きまでも巧みだったのだ。

 相手も運動量を増やす魔法を使い始めたのだろう。地面を蹴った時の速さが段違いに上がっている。いったん何かで反動を付けるという過程をはさまなければ速度が変わらないというところがせめてもの救いだった。腕を振る速度があと少しでも速くなっていたならばゼロは容易く敗れ去っていたことだろう。

 必死に戦っていたが、やはりこの均衡は長くは続かなかった。ついに攻撃を捌き切れなくなったゼロが胸に打撃を食らってしまったのだ。


「グッウゥ……!? 」


 自分から後ろに飛んで衝撃を逸らしたと言えども、その打撃は重い。ゼロは自分のあばらに罅が入る嫌な音を聞いた。そのまま吹き飛ばされて家の壁にぶつかった。

 これがただの木の枝によりもたらされたのだから凄まじいものだ。

 すぐに動き出さねば、という意識はあっても身体は素直に動いてくれない。折れた肋骨が邪魔をするのかゲホゲホッと肺から空気が抜けて行く。タラリと血が顔を伝った。


「終わりだな。なかなか歯応えがあって楽しかったぞ。最初から全力で魔法使っとけば勝ってたかもしれなかったのにな。」


 イディアルは遊びを終えた子供のような表情で木の棒を振りかざす。

 確かに切り札を取っておいたのは愚策かもしれなかった。しかし、何が起きるかわからないような状況では手札は残しておくのがセオリーだ。これ自体は悪い行いではない。

 ゼロが見誤ったものは戦略ではなくて単に相手の実力であった。正確には相手の持つ魔法への認識が甘かった。あまりにも強力で、あまりにも単純で、あまりにも純粋で、あまりにも弱点のない魔法である。

 もう他に打てる手がない。

 ゼロは賭けに出ることにした。限界まで身体能力を強化して、その棒が身体に当たるのも構いなく全力で殴る。そんな単純な賭けだった。

 賭けに負ければ死。勝ったとしても負荷で身体はどうにかなってしまうだろうが相討ちに持ち込んでレイを助けることはできる。

 さあ、さっさと来い、とばかりにゼロはイディアルの腕を凝視した。

 果たして木の枝は確かに振り下ろされた。枝は加速していき、ゼロが起き上がって突進しようとしたまさにその時。

 凄まじい爆音。熱風。そしてゼロのもたれ掛かっていた所のすぐ頭上の壁が吹き飛んだ。鉄砲玉のような勢いで中から人影が飛びでる。恐らくはレイが相手をしていた人物だろう。

 人影は真っ黒焦げで最早人と認知すら出来ないほどだが、中で躍動するレイの魔力から彼女の無事を判断する。

 壁の破片と火炎がイディアルを襲う。ゼロ自身は背中の壁が防護壁となって頭に砂がどっさりかかるだけで済んだ。何たる幸運か。

 勝機、作戦変更。すかさずゼロはありったけのマガジンをイディアルへと投げつけた。

 火炎や破片に対処していたイディアルはそれに気付くのが僅かに遅れた。しかし大した失態ではない。そのまま素早い動作でマガジンを叩き伏せようする。

 最後の抵抗。これをねじ伏せれば勝利。そう思ったイディアルの目の前でマガジンが爆発した。


「なにィッ!?!? 」


 ゼロが風を操り火を運んで着火させたのだ。

 360°全ての方向にバラバラに銃弾が暴発する。

 必死で避けるイディアル。しかし距離が近いことと、その数が多いことで防ぎきれない。咄嗟に服の剛性を上げて対応したが肌が剥き出しのところは防ぎ用がなかった。それに衝撃はいくら服が破れなくとも突き抜ける。

 銃弾はイディアルの首筋や手首を貫いた。その鎖骨や肋を砕いた。


「ッッアア"ア"ア"!?!? 」


 痛みにイディアルは叫ぶ。しかし首の傷により声にならない濁音だけが吐き出された。

 無論ゼロにも何発かは掠ったが距離があるため、直撃は防げた。

 自身の体から血がダラダラと溢れる様をイディアルは確認する。貫かれた部位は炎のように熱く、折れた骨は動きを阻害する。最早まともに走ることすらも難しい。何より首の負傷は深く放っておけば死に至るだろう。

 対してゼロの方は骨が折れてはいるものの、未だ健在。相方も少女に負けてしまっている。

 戦闘継続か撤退か。一瞬の逡巡。

 ゼロから後押しするように言葉が吐かれた。


「悪いな、今回は俺の勝ちだ。とっとと飼い主に報告しに行きな。」


 素直に任務の失敗を認めたイディアルは砂煙が立ち昇っているうちに撤退することを選んだのだった。


 戦いが終わったあとは先の出来事が嘘だったかのように静まっていた。残ったのは最初に銃で撃たれた4つと最後の黒焦げの1つで計5つの死体。そして今にも崩れそうな家と砂煙だけ。ゼロは息を吐いた。

 身体中砂だらけな上に吸い込む空気も埃っぽくて気分は最悪だ。

 近隣の人々すらいない所をみるに、予め辺り一帯の立ち入りを禁止していたのだろう。相当権力の強いところに目を付けられたらしい。

 壁の穴から出てきたレイはゼロの隣に座り込んだ。全身煤だらけである。自身の身を顧みずに魔法を放たなければならないほど、レイの相手も強かったのだろう。


「はあーっ! しんどかった!!

あいつ人間かと思ってたら、人型のキメラじゃない。しかもNo.19!

 ナンバーズにしては弱かったけど、中々死なないしさ。

 おかげで全身真っ黒、あちこち火傷してるし、喉ガラガラ。うわあ、髪もちょっと焦げてる!?

 そっちも随分苦戦してたみたいだけど大丈夫? じゃないみたいね、特に家の方が。」


 活きのいい声で冗談を言っているが、ゼロは疲れていてそれに便乗する元気はなかった。弱い口調で返答する。


「あぁ、派手にやったな。でもおかげで助かったよ。今回はスパイシーすぎた。あの時壁壊してくれなかったらまずかった。

 最後の一人は逃げたみたいだし、俺達も速くここから離れた方がいいな。」


 もうゼロの魔法で知覚出来る距離にはイディアルはいない。ひとまず安心だ。


「それは同意するんだけど、どうする? 移動手段がないわよ。

 行儀良く電車なんて使ってたら、すぐに追っ手に見つかると思うけど。」


 うへえ、とゼロは露骨に嫌な顔をした。このままだと骨が折れてる身なのに徒歩で行くことになりそうだ。

 とはいえ他に方法はない。適当に車があれば拝借できるのだが。


「やっぱり昨日遺跡に入った時点で目をつけられてたのかな。

 止むを得ないとはいえ、人殺しに手を染めるのは後味悪いわね。

 生命ってこんなに小さくて重いものだっけ? 」


 さっきまでの軽い調子に隠れるように、誰にいうでもなくポツンと呟かれた。傍目では元気に見えるが、強がっているだけなのかもしれない。彼女はまだ少女に過ぎない。

いきなり襲撃されて、人を殺めることになった衝撃は大きいだろう。普通の人は一切経験しないような体験だ。しかしながらこれは鍵持ちの宿縁だとも言える。受け入れるか、大人しく殺されるかどちらかしかない。

 ゼロは少し気持ちが冷める気がしていた。レイの当たった壁は彼にとっては鈍くなり感じにくくなってしまったものだった。命は重い。人を殺すということに慣れてしまえばそんなことすらわからなくなる。深く自分に刻みつけた。


「俺は初めてじゃないから平気だけどな、まあ自分の中で折り合いを付けるといいさ。自分以外にどうしようもないことだ。

 …生きたいのなら火の粉は振り払わないと。」


 レイは何も返さなかった。

 とりあえず必要なものだけ纏めて来る、とだけ言ってレイはそそくさと家の中に入って行ってしまった。

 相変わらず浮かない表情であるが、その心の惑いは時間に任せるしかないだろう。心とは本人の意思をもってしてもままならないものだ。それでも彼女は強い。ちゃんと踏み越えていけるだろう。


 ゼロは空を眺めていた。暫しの休憩。

 またもふう、と息をついた。壁にもたれたまま左手で体にかかっている土を払いのける。髪の毛がじゃりじゃりとしてかなり気持ち悪い。

 目覚めてからろくなことが起こっていない。まだ24時間も経過していないのに、吸収能力を持った白いキメラと戦い、今こうして文字通り骨を折る羽目になっている。最悪死んでいたかもしれないのだから、天に愚痴の一つや二つ言いたくなるというものだ。

 レイはあの研究所から出た時に捕捉されていたかもしれないと言っていたが、実際はもっと前から監視されていたに違いない。自分たちを狙う理由は鍵以外に思いあたりがなく、そしてゼロ自身は襲われる直前にしか鍵を人に見せていないのだ。遺跡に潜る以前にはすでに相手方はレイが鍵持ちだと知って準備していた可能性が高い。

 寧ろゼロという戦力を増やしてから襲撃されたのは運が良かったということだ、ゼロ自身にとっては不運極まりないが。

 それにしてもご丁寧に人払いまでしてこれだけのことをやってのける勢力だ。襲撃はこれだけということはあるまい。生活することすら困難になるほどの権力者が相手であるかもしれない。

 今後のことを考えると気が滅入ってくる。安穏とした生活は既に否定され始めている。


 陰鬱とした思考を振り払って暫く呆けていたが突然急激な眠気に襲われた。身体に相当な負荷をかけたためだろう。

 全身を蝕む苦痛はいまだに続いている。体は安らぎを熱望していた。

 眠ってはいけないと思うものの、気付けをすることはできずそのまま意識は落ちていった。


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