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2-目覚め

主人公2人目登場。でもまだプロローグすら終わってないというこの状況、はあ…。

 体がふわふわ浮いているような感覚。だからこそこれは夢だと、はっきり自覚できた。

 目にしているのはまだ幼い少女の姿だ。手足がとても細く、栄養状態が良くないことは見て取れる。その上ガラス張りの部屋に監禁されていた。そんな少女にはなにやら得体の知れない管が何本も突き刺さっていて、大量のコンピューターやメーターが唸りをあげている。苦悶に叫ぶ少女の声に周囲にいる白衣の人達は大した興味も見せないまま黙々と記録をし続けていた。

 

(これは…、私の記憶……? 痛っ…! )


 レイは数年前に拾われた孤児だ。それ以前の記憶は全て失っている。記憶喪失という奴だった。そして今夢として見ているこの光景は酷い既視感があり、何かが蘇るような感覚を受ける。まさに記憶が呼び起こされるような…。念願の自分のルーツの一部が目の前で明かされていたが、深く考えようとすると頭の奥がズキリと痛み引き戻された。夢の中でも痛みは感じるのか、とレイは悪態をついた。

 再び前を見ると少女は狂乱し頭を抱え掻きむしっていた。だがそれでも尚白衣の人達は少女を冷たい目で見つめるだけだった。

 苦しいのだろうか、痛いのだろうか。少女は尋常でない暴れ方をしている。いや、確かに苦しかったような気がする。朧げな、見えないほどに霞んだ記憶が奥の奥にあった。

 少女は瞳孔を広げ、あちこちを掻き毟り、唾液が飛び散るのも構わず叫んでいた。余りにも激しく体を掻き毟るので、全身のあちこちから結構な量の血が流れていた。


 またもズキリ、と頭が痛んだ。


「No.00は失敗作かもしれない、残念だ。」


 30歳ほどの萎れた男性が少女を見つめながら声を出した。白髪交じりのボサボサした髪、丸眼鏡、深く刻まれた皺、剃られていない不恰好な髭。服もヨレヨレだ。凡そ生気というものと対極にある老人のような人間だった。


(確かこの人は研究の主任で、研究対象は、私で…、それから……、それから……? )


 肝心な所でそれから先が思い出せない。

 思い出そうと足掻けば足掻くほど頭は痛く苦しくなってくる。痛い、痛いのだ。本当にこれは夢なのか?

 そんなレイと連動するように目の前の少女の声もいよいよ切羽詰まったものになっていた。叫びすぎで嗄れた声は、遂に吐血と共に聞こえなくなった。それでも尚、叫び続けようとして、出るのは酷く掠れた風の音と噎せて噴き出す血だけだった。血塗れの体から力が抜け、痙攣し、弱々しくうずくまっていき…。


(そうだ! 私がさっき入った遺跡、ここで私は…! )


 その瞬間、大きな音が鳴り響いた。

 そして意識は急速に覚醒することとなった。



 目覚めは最悪だった。突然響き渡った大きな機械音に彼女は無理矢理目覚めさせられた。

 この緊急事態に、レイは既に先程見た夢の内容はほとんど忘れてしまっていた。いや、そうでなくとも忘れていただろう。夢とはそういうものだ。起きた後も覚えていられる方が少ない。それは自身の記憶という重要なキーワードを含む夢であっても例外ではないのだ。

 さて、寝起きだからと呆けてはいられない。素早い状況判断が自身の命を助けるのだ。とは言え状況は一瞬で理解できるほど簡単なものだった。

 慌てて飛び起きたレイは数秒後には寝起きの頭も完全に覚醒し、鳴り響く音の原因を見つけていた。例の円柱。こちらに向けられているその底面が動いているのだ。

 初めは何かよくわからなかった円柱だが、どうやらそれは何かを入れておくコンテナだったらしい。底面の部分にはハッチがあり、それが開いたことで音が鳴っているのだ。

 ハッチはやたらと厳重に十重二十重にも重ねられており、順番に開いて行く様は圧巻の一言だった。

 しかし、黙って傍観していられるような事態ではない。中に何があるのか、あるいはいるのか。自身の危険に繋がる可能性が無いとは言えないからだ。

 無駄な動きをせずに見つめ続けるレイ。


 円柱が動きを止めたのはそれから暫く経ってからのことだった。ハッチが開く速度はそう遅いものでは無かったが、元々の物体が大きいのだから完全に開き切るには時間が掛かった。

 円柱内部の方は神々しいほど光を放っており、目視できない程である。顔の前に手を掲げ、指の隙間から覗き見るようにしてやっと円柱の手前くらいなら見ることができた。どれ程のエネルギーがこの瞬間に費やされているのだろうか。過去に存在したという文明はどれほどの科学力を持っていたのか。それらを考えると背中が寒くなる。

 動作が止まってから数秒。機械の駆動音の中にカツッカツッと言う刻み良い音が混じり始めた。その音はどんどん大きくなり、それと同時に円柱から漏れる光は収まっていく。そして遂にはレイはその視界に人影捉えた。

 光と陰のコントラストで、その顔までは見えない。ただ、その影だけがレイの足元までを侵食していた。

 人影は淀みなく進み続け、少し離れた所で立ち止まった。


 その正体は少年だった。白黒の無難なファッションに身を固めた細身な出で立ち。何処にでもいそうな少年だが、場所が場所であるだけに彼女の警戒は最高潮だった。互いに無言で見つめ合い、動こうとしない均衡状態が作られた。


 緊張。


 そして、少年は口を開き…。


「あ~、よく寝た。

 悪いけど今の状況教えてもらってもいいか? 起きたばかりで何が起こっているのか全くわからないんだが……。」


 頭を掻きながら、割とフレンドリーにそう答えたのだった。


「え? 」


「いや、え? 」


「…………。」


「…………。」


「「え? 」」


互いに顔を見合わせることになった。


「いや、教えて欲しいのはこっちの方なんだけど。そっちに敵対の意思はある? こんな場所に人がいる時点で疑わしいんだけど。」


 レイはあまりにもフランクな言い方に呆れ果てていた。だが完全には警戒は崩さず、銃には手をかけたままだ。


「…………。はい?

 寧ろここに俺以外に人がいるってことの方が奇妙なんだが。

 銃に手を掛けてるって事はそっちは敵対するつもりってことか? なんか血塗れでホラーみたいだし。」


「いや、そうじゃなくて。そっちが敵対するかわからないからこっちも警戒してる訳で…。血塗れなのは状況が状況だったわけだし…。」


 少し困った素振りで答えるレイを見て、少年は納得した様に頷いた。良くある行き違いのような状況だと気付いたのだ。


「あー、あれね。どっちも知りたいことは一緒って事か。

 取り敢えずは自己紹介からいこう。俺の名前はゼロ。そっちの名前は?」



 かくかくしかじか閑話休題。

 自己紹介から始まった情報交換は些か時間を要したが、互いの意思は十分に確認することができた。


「えーと、話を纏めるとあなたの名前はゼロ。この円柱はこの施設の動力源かつコールドスリープ装置で、あなたは古代人であり、何千年もそこで寝ていた。

 偶然私がここに入ってきた時にちょうど設定していた時刻になって起きた、と。ちなみに言葉も偶然通じる。」


 そんな突拍子もない話、しかも奇跡に近い偶然なんて信じ難い。しかも彼が住んでいた時代の言語や倫理観、文化のレベルも似たようなもの、というか瓜二つらしい。

 当然難色を示すレイに、少年、ゼロは肩を竦めた。


「言語と文化に関しては理由があるんだけどな。それは後で話すとして、こっちからしたらちょうど目が覚めた時に人がいたことの方が驚きだな。話を聞く限りではここは未発見の遺跡だったみたいだし、偶々にしてはでき過ぎてる。

 実は連日張っていたとか? 」


「そんな訳ないでしょ。何が楽しくて命懸けでキメラと追いかけっこしながらこんな所来ないといけないのよ! 」


「キメラ? 追いかけられたのか?

 だからそんなに血に濡れてる訳か。」


「今も多分この部屋の前で戯れてるんじゃない? 多分。」


 レイの言葉に少し頭を悩ませるゼロ。彼は自身の腕には覚えがあるが、コールドスリープから目覚めたばかりで本調子ではなかった。体のあちこちは軋むし、魔力は少ない。眠気も強いし、なにより酷い空腹だった。


「何でこんな絶不調の時に災難が降りかかるかね。

 取り敢えず何とかする必要があるか…。何か武器は持ってるか? 生憎と俺は何も持ってないんだよな。」


 手を差し伸べてくれくれと動かすゼロ。

 こいつに武器を渡して果たして安全なのだろうか。多少逡巡するもレイは腰から武器を取り出した。どっちみち生還できる確率は低いのだから戦力は作っておいたほうがいいと判断したためだ。ゼロの手に置かれたのは標準的な拳銃、ベレッタM92FSとサバイバルナイフだった。


「渡せる装備は予備のハンドガンとナイフしか無いわよ。豊富に弾がある訳でもないし、ヘッドショットしないとキメラは仕留めきれないだろうけど、ないよりはマシでしょ? 」


「これはM92FSでいいんだよな? 弾薬の種類は? 」


 弾倉を確認しコッキングを済ませるゼロの手慣れた動作にレイはある程度安心を覚えた。戦力として数えれる最低限の能力は持っているようだ。


「その通り。弾は9mmパラべラム弾のホローポイント、商標はジェネティック社のリヴィト。」


「流石に作ってる会社名とか細かい商標はわからないな。俺のいた時代のものと同じじゃないだろうし。特徴は? 」


「初速が速くて、貫通力と特に精度に富む。ただしマッシュルーム化は浅いから威力は少ないわ。というか、あなたの生きてた時代にも同じM92Fとパラべラム弾があったことが驚きだけど。」


 銃弾はまずその口径の大きさで分類され、形などでさらに細かく分類される。

 ホローポイント弾とは弾丸を形によって分けた際の分類で、名の通り先端にホロー(窪み)がある弾だ。普通に一般人が想像するような先が尖った弾と違い、窪みがあることで着弾時に変形しマッシュルーム型になる。そのため普通のフルメタルジャケット弾よりも威力は高いが貫通力は低いというのが特徴だ。またホローポイント弾は命中精度も高い。弾が真っ直ぐ飛び易いのだ。


「まあそれは俺も驚きだよ。ここまで同じ文化圏だとは。

それよりもとにかくこっから出ないとキメラよりも人間の方が先に餓死する。

 それにしても、ホローポイントのくせに威力低いのか。精度重視ってことね。確かにM92Fじゃ威力が低くてどっちみちキメラにはストッピングパワー(無力化)を見込めないだろうし、寧ろ初速と貫通力、精度の高い弾のがいいだろうな。ヘッドショットしやすくて。」


「あんたにそれだけの腕前が有れば、だけどね。」


 なかなか辛辣な一言である。

 確かに並の腕前では高速で動くキメラの頭をピンポイントで狙うのは不可能である。ただでさえ的は小さいし、生物特有の癖のある動きを行うキメラにはヘッドショットではなく、一撃で葬れるような大口径の銃で腹や胸を抉って殺すのが一般的な方法だった。


「俺の知るM92Fとこいつが同じ性能かは知らないけど、期待しても悪くないと思うぜ。」


 しかし対するゼロは自信満々に笑ってちゃらけたように銃を振った。その後そこらの何もないところに向け2、3発試し撃ちをし、その後手馴れた手付きでナイフも遊ばせる。


「反動も標準的、癖もなくていい感じだな。ナイフの方は…まあ予備でしかない出来だな。もうちょっと重くないとキメラ相手には致命傷を与えにくい。」


 随分と好き勝手言ってくれるものである。レイは少しだけムッとしたが、ナイフの方は本当に安物なので反論しようもなかった。

 10本セットで50000円なのだからその品質に文句は言えないが、予備とは言えそんなものを使っているレイの方は明らかに不用意だ。

 そんなレイには気にせず、何の気なしに部屋から出て行こうとするゼロを見てレイは慌てて制止した。


「ちょっと待って、私体力回復のために休んでるんだけど!もう少し休めるまで待っててよ。」


 ゼロは少し考える素振りを見せたが、すぐに反論した。彼には彼で早く行動したい理由があった。


「俺は正直起きたばかりだし空腹すぎて倒れる寸前なんだよ。今いかないと動けなくなってしまう。食糧持ってるなら待てるけど、どうだ? 」


 生憎レイは食糧など持っていない。割と本気で餓死しかけのゼロにとってみれば時間は敵だ。今はまだ動けるが、やがてパフォーマンスはどんどん下がっていくことになる。

 片や体力を回復させたく、片や時間経過で体調が悪化する。どちらを優先するかと言われれば、少しは休む事ができたレイが譲歩するという形になった。


「わかった。ただし、こっちが譲歩するんだからそれなりに働いてよ。」


「りょーかい、りょーかい。 」


 ゼロの戦闘力に任せることとなったレイは少し不安だったが他に手はない。先ほどから随分陽気というかてきとうな返事をする少年に命の半分を賭けるしかない。


「戦術としては互いにサポートし合うだけで、基本は自由。意図的にサポートを要求する場合は名前を呼ぶ、でいいな? 」


「いいな? とか言いつつもう扉のロック解除しようとしてるじゃない。まあ、異論は無いけど…。」


 どっちみち細かく取り決めてもさっき知り合ったばかりの人とは連携は組めそうにない。

 それじゃ、行くぞ。と合図し、ゼロはコンソールに触れて扉を開けた。



 まず目に飛び込んだのはハウンドが十数体。扉が開いたのにすぐさま反応したハウンドは唸り声を上げて低く身構えた。

 素早く動いたゼロはレイが銃を構え銃弾を放つよりも速く、マガジン内の弾を全弾撃ち尽くした。その弾は見事にキメラの頭に吸い込まれ、絶命させた。全て撃ち尽くすのに狙う時間も合わせて2、3秒程。しかもきちんと最初に陽動で弾を飛ばし、回避後の予測地点に弾を置くというお手本となる方法で頭を射抜いた。

 隣でその早業を見ていたレイは驚くしかない。このような芸当ができる人間はそうはいないだろう。しかも、特筆すべきはその精度。誘導とヘッドショットに使用した以外に無駄弾など一つもない。恐ろしい精度と身体能力だ。連射している間も全く腕がぶれていなかった。魔法で身体能力を上げているにしても、余程のレベルまでいかないとその筋力は実現できない。


「レイ。」


 サポートを要求するゼロの言葉にハッとしたようにレイは我に返った。

 まだまだキメラは残っている。リロード中のゼロの隙を埋めるのは彼女の役目だ。彼女にはゼロのような銃捌きはとてもではないが真似できない。だが距離の近いキメラがゼロによって倒されたこの状況ならば、自分を傷付ける恐れもなくお得意の魔法を放つことが出来る。

 レイは強く息を吹いて魔力を迸らせた。それと同時に、走り出そうとしていたキメラ達は弾け飛んだ。

 爆発を生む魔法。自らも巻き込みかねないほどの有効範囲の広さは使い易さにも使いにくさにもなる。そして今の状況下ではこの魔法は有効である。

 熱により上手く前に進む道が見つからずハウンド達は近付けない。

 そこにリロードを終えたゼロが再度銃撃を行い、余った敵をレイがまたも爆死させた。


「おーおー、やっぱり1人でやるのと2人でやるのとじゃ、手間も安全性も大分違うなあ。」


 確かにその通りだ。レイは同意した。1人では隙はどうしても出来てしまうし、それによって攻められ、それを防ぐことで他の敵が攻める時間を更に作るという悪循環に陥る。互いに隙を埋め合うというのは複数人でのみ成せる利点だ。

 しかしながら、ボヤきながら弾倉を取り換えるゼロを横目にレイは感心していた。余りにもあっさりと片が付いたが、床に横たわる死骸の殆どはこの少年が生み出したものだ。恐らくレイなどいなくても一人で難無く突破出来ただろう。それくらいの実力が少年にはあった。勝ち馬に乗れたのだから嬉しいものである。


「俺の知るキメラとは性能が違うみたいだな。もっと手強いと思っていたんだが…。」


「十分手強いじゃない。あんたの想像するキメラってどんな化け物なのよ。」


 自分が倒したナンバーズくらいを想定していたのだろうか。いや、幾ら何でもあれらを基準に持ってきていたとは考えたくない。サイクロプスとの戦闘を思い出してレイはゲンナリした。


「取り敢えずさっさとエレベーターで脱出しm「危ない!」」


 腹部に衝撃。ゼロがいきなりレイの腹を掴んで走ったためだ。直後に、ベチャリと白色のゲル状のものが落下してきた。


「おいおい、何だこいつ。」


 ゼロはレイを抱えたまま距離を取って様子を見る。すると、白いゲルは徐々に盛り上がっていき、やがてえらく細い人型をとった。のっぺらぼうで頭を半分に分けるほどの大きな口だけがついている。

 便宜上、その白いキメラを『ヒトガタ』と呼ぶことにしよう。

 『ヒトガタ』は実にたどたどしい足取りでゼロ達の方へ近づいて来る。

 ゼロは無闇に手は出せなかった。少なくとも流動体である以上触れた瞬間にこちらの皮膚の方が溶けるだとかがあっても可笑しくはない。アニメなどで出てくるスライムの鉄則だからという陳腐な理由からの推測だが、紛れもなくこの世界は魔法が存在するファンタジーである。空想上のものでも便利そうだと考えられたものは実現されることがある。

 何よりゼロは嫌な予感がしていた。目の前の白い物体はヒョロっちい見た目以上の能力を持っているように感じられた。単なる勘であっても、戦闘経験の深いゼロはそれが馬鹿に出来ないということを知っていた。そのために彼は手を出し損ねていた。

 抱えていたレイを地面に下ろし、レイに合図を出して後退しようとする。見たところ『ヒトガタ』の動きはゆっくりなので追いつかれることはない。だから、このままエレベーターに逃げ込めばこっちの勝ちである。これは安全策の筈だった。

 だがそう思った時には、『ヒトガタ』の腕は眼前まで迫っていた。


「っうぉい!」「きゃっ!」


 慌ててレイの頭とともに自分の体も地面に押さえ付けて躱した。

 ぎこちない動きからいきなり転じた素早い攻撃に、油断していたゼロはヒヤッとしていた。


「ピッ○ロ大魔王みたいだな…。見た目は量産型エ○ンゲリオンだけど。特に皮膚と口が。」


 ビヨーンと、伸びた腕がゼロの頭上でうねっていた。その光景にシュールさを覚えたゼロは人しれず呟くが、横にいるレイは突然頭を押さえつけられたので首を摩りながら痛みを訴えていた。

 その後すぐに腕が下にも振り落とされたので2人はそれぞれ正反対の方向に転がって避けた。

 三撃目は来ない。その代わりその白い腕はゼロ達の背後にあったハウンドの死骸を本体の元まで引きずっていった。

 ハウンドの死骸は溶けていない。少なくとも触れただけで溶かされるということはなさそうだ、と確認したゼロは死体に手を伸ばした相手の意図を図る。

 『ヒトガタ』は大きな口を開けて手元に引き入れた死体にかぶり付いた。咀嚼音が響く。


「ねえ、あいつの舌に100って数字が見えた気がするんだけど。」


「確かに見えたけど何か意味があるのか? 」


 ゼロには知らないことであるが、その数字は紛れもなくナンバーズの証だった。

 冗談じゃない。レイとしては常識外もいいところだ。今まで確認されたナンバーズは15~99まで。つまり目の前のキメラは未確認の最新型で高性能を誇っているということだ、もしかしたらサイクロプス以上に。


 その旨をゼロに伝えようとしたが、その前に『ヒトガタ』に変化が起きた。

 体がブクブクと泡立ち、折れ曲がり、膨れ上がり、最後に収縮して、そこにいたのはハウンドそっくりなシルエットをした『ヒトガタ』だったのだ。

 吸収と模倣。規格外な生物もいたものである。

 ゼロの嫌な予感は的中した。しかしそれは早い段階で倒せば起きなかったもので、皮肉にもその直感のための様子見が『ヒトガタ』の変態を促す結果となったのだ。


「おいおい、マジかよ…。」


 呟き終わると同時に白い猟犬はハウンドと同じ、いやそれ以上の速度で走り出した。

 元から大きいがそこに牙まで生やした口と、新たに伸びた爪が振るわれる。ゼロはそれを軽快なステップで避け、ある時は銃身でいなし、隙を見てナイフで切りつけた。だが意味はない、肉を切っても元はゲル状であるその身体はすぐに修復されてしまっていた。

 ジリ貧でしかない状況をリセットするため、『ヒトガタ』の腹に蹴りを叩き込んだ。

 ゼロの最も得意とする魔法の一つが身体能力の強化だ。

 その蹴りを受けた『ヒトガタ』は円形の広間の端から中央まで吹っ飛んだ。

 仕切り直しには成功したが、全くダメージを与えられた気配はない。殴っても、斬っても平気だなんてチートもいいところだ。

 その上ゼロの知りえなかった事項が更に仇となった。レイはこの部屋に来た時サイクロプスと戦闘し勝利していた。そしてその下半身だけの死体は運の悪いことに、ちょうど『ヒトガタ』が飛ばされた場所にあったのだ。

 ピクリと鼻を鳴らすと『ヒトガタ』はその死体に標的を変えた。ガブリとその死肉を食らう『ヒトガタ』。


「まずいっ! 」


 その危険性に唯一気が付くことのできたレイはすぐに魔法を放った。

 火焔が死骸を包み灰にしていく。『ヒトガタ』もまた、熱による攻撃に苦しんでいた。しかし手遅れであった。苦しみながらも変性して行く白い身体。

 メキメキという擬音とともにその体は急速に変化していく。魔法による凄まじい熱量がその身を包んでいるが、それ以上の速度で肉体は修復されていく。


「「これは洒落になんないな(って)。」」


 2人の台詞がハモった。

 最初のヒョロさはどこにいったのやら、ハウンドとサイクロプスの長所を織り交ぜた筋骨隆々の生物がそこにいた。体積自体は一回り大きくなっただけだが、その姿は威圧感を放っている。

 腕が伸びてくる。最初に伸ばされた時とは段違いの速度、重量だ。ゼロはとっさに半身になってよけることに成功した。レイも自分に伸びてきた腕は何とか避ける。

 だが、その直後ゼロに向けられた腕がそのまま横薙ぎでレイの脇腹に叩き込まれた。

 もともと疲弊していたこともあり、避けることもままならずに直撃する。


「ガッ…ァ…!!」


「レイ!? 」


(しまった、やられた! )


 攻撃を受けたレイは吹き飛ばされてピクリとも動かない。無理に振られて威力のない腕だったし、最低限衝撃を受け流していたのでさすがに死んではいないだろうと思うが、失神はしているのだろう。

 その上、レイの近くに倒れていたハウンドの死骸が2つ程持っていかれてしまった。モリモリとそれを食らったヒトガタは変異こそしていないものの、その体積を2倍ほどに増していた。密な肉体に、超重量。今度こそ、一撃でも攻撃を食らったらミンチにされてしまうだろう。


 状況は拙い。どうやら相手も馬鹿ではないようだとゼロは再認識した。

 一対多数の状況では弱いもの、弱っているものから狙うのが鉄則だ。とっとと数の有利を崩した方が有利なのだから。レイが気絶したことで少なくともこの戦闘はゼロ一人の手で行わないといけなくなった。

 相手にとっては一石二鳥の行動だった。

 さらに言えば、ヒトガタが理解しているかどうかはわからないが、こちらにはレイという動かぬ人質までできたしまった。

 非常に拙い状況である。

 これ以上レイを追撃されてはまずい。ゼロは挑発と牽制代わりに残り2、3発を残して銃弾を全て撃ちだした。

 多少でも血を流すことが出来れば御の字と放った攻撃だが、しかし『ヒトガタ』には全く効果がなかった。避けることすらせずに銃弾はその真っ白でシリコンのような皮膚に吸い込まれていき、そしてそれだけだった。そのまま身体の中に取り込まれてしまう。全くの無駄弾である。

 無機物の構造を真似られなかっただけマシなのだろう。鉛や真鍮並みに硬い身体にでもなってしまったらもう手の出し様がなかった所だ。

 その上人の形をとってくれているのは幸いだ。それなりに高度な生物である以上必ず脳はあるし、人の形であるなら十中八九頭にそれはある。

 ゼロは、放った十数発の弾丸の内、頭の近くに飛んで行った数発だけが腕で防がれたのを見逃していなかった。恐らくゲル状のあの生物にも脳は修復不可能に違いない。

 破壊力というものに欠ける彼には頭を狙うという戦法しか残されていない。レイの魔法があれば、肉を焼き尽くすなどもっと別の方法もあったのだろうが、既にないものを嘆いても始まらない。あるいはそこまで見越して『ヒトガタ』は魔法を使ってみせたレイを狙ったのかもしれない。

 そのまま出方を伺っていると『ヒトガタ』の体表に変化があった。何やら腹の部分が小さく渦を巻いて…


「ッ!?」


 脊髄反射に動かされ咄嗟にステップした。その脇を高速で物体が通過して行く。先程彼が放った銃弾だった。

 一度は避けたが『ヒトガタ』の体表が同じように複数個螺旋を描きだしたのを見て彼は慌てて精神加速の魔法を使用する。

 魔法を組み上げた途端に神経が強化された。

 世界がスローになる。いや、自分の思考が高速化しているのだ。だが、その反面自分の身体は脳の指令に対し、酷く緩慢となった。

 この状態ならば銃弾の軌道もしっかりと見ることができる。


「食べれないものはお返ししますってか? 」


 ゼロが『ヒトガタ』に撃った弾は12発で残りは11発。正念場だ。

 上下左右に飛び出してきた銃弾を地面と水平にヘッドスライディングして躱す。残り5発。

 胸の前と背中に弾が通っていった直後に彼は、地面に腕を立てハンドスプリングで跳んだ。ミシミシと腕が音を鳴らすがまだ耐えられる範囲だ。

 すぐにその頭と地面の間に2発鉛玉が通過した。残り3発。

 着地後すぐに横に転がって縦に並んできた2発の弾を躱す。残り1発だ。

 動くたびに体が軋みを上げていく。


 最後の1発、顔面を狙って発射された弾は顔を捻るだけで避けれそうだった。これでとりあえずは乗り切ったと安心して、だが彼は気付いた。己の頭と弾丸の発射地点、そして今だ倒れたままのレイが一直線に並んでいるということに。

 避けることはできない。加速中、魔法ではなく危機感によりさらに加速する神経。ゼロの目からはかなり遅い速度で、しかし止まることなく弾丸が迫っていた。レイに貰ったサバイバルナイフを腰から取り出してその刃を銃弾に重ねようとする。だが、神経だけが過剰に加速している今の状態。肉体は意識に反してゆっくりゆっくりとしか動かない。


(間に合え…! 間に合えっ…! )


 銃弾が彼の頭を弾けさせるか、ナイフが割り込むのが先か…。


 果たして、ギリギリ何とか間に合った。

 重なる刃と弾。

 刃の先の部分が弾にあたり等分していく。ゼロの眼前で二つに裂けた弾はV字に飛んで行き、彼の頬に浅く傷を付けた。

 直後、神経強化が解けて世界の速さが元に戻った。


「ハッ、ハッ、はっ、はぁ…。」


 神経系の強化は肉体を限界まで効率的に動かせるが、その分疲労は速く溜まる。先の行使は僅か数秒程の間だったので回復にも数回の荒い呼吸で済んだ。

 それにしても、今回でわかったことがある。銃の使用は愚策だということ。そしてもう一つ、隙を伺うような長期戦はレイという枷がある以上、得策ではないということだ。

 明らかに危険度の高い防ぎ方をしたため、『ヒトガタ』もレイを狙うことの有用性を理解したかもしれない。

 相手が有効打を打つ前に、レイを攻撃される前に、攻めたて続け最低でも防戦一方にさせなければならない。

 ともかく銃が効かないならば現時点で彼がやるべきことは一つ、接近するだけだ。


 ゼロはナイフを握りしめて走り出した。機敏に反応した『ヒトガタ』はその腕をグネグネと操り、ムチのように彼を追いかけさせる。

 目覚めたばかりで魔力がすっからかんな彼はこれ以上精神の加速を使うのは避けたかった。故に十八番の身体能力強化にのみ魔力を傾けてその腕を躱していく。

 縦横上下、色々な方向に体を捩じらせ回転させ逸らし跳んで避ける。最初はスムーズに近付けたが接近するにつれて『ヒトガタ』も腕を伸ばす範囲が狭くなり間隙が小さくなってくる。


 避ける。避ける。跳ぶ。身を低くする。避ける。躱す。避ける。避ける避ける避ける。走る。ステップ。スウェー。避ける避ける避ける避ける避ける避ける避ける。躱す躱す躱す躱す躱す。


 どれも紙一重で躱していくが、あと一歩が届かない。隙を縫うことができない。神業とも見えるゼロの戦闘技術だが、強大な相手であるヒトガタに対してはそれが限界だった。

 しかしそれは彼が避けることだけを『ヒトガタ』に見せていたからだ。彼は攻撃に移行する。隙がないなら作らせればいい。

タイミングを計る。

 『ヒトガタ』は両腕を同時に動かし抱きつくように腕を振るった。


 ここだ。ここがチャンスだ。


 迫ってくる片腕をいなすと共に腕が降り抜かれた方向へ思い切り蹴飛ばした。もう一つの腕も上手く掻い潜って回転裏拳をぶち込んで加速させる。

 自らが振った方向へさらに過剰に加速させられた両腕は勢い余って『ヒトガタ』本体の体にゴムのように巻き付いた。

 その懐にゼロは潜り込む。

 そのままナイフを『ヒトガタ』の顎に刺し天を突いた。

 元が流動体のためか、するするナイフは頭に潜り込んで行く。この勝負、取った…!

 ところがしかし、ナイフは脳に届くあと一歩手前で止まってしまった。

 固い。ナイフが進まない。


(骨? いや違う。これは…。)


 顎の周りの肉そのものが硬質化していた。なるほど確かにそのように肉体を操ることも『ヒトガタ』にとっては可能なのだろう。

 ナイフはしっかりと包み込まれ抜くことも横に動かすこともできない。だが、


(関係、あるかっ! )


 このチャンスを逃せば苦戦は必須。ならばここで何としても終わらせなければならない。

 そのままあらん限りの力でナイフを押し込んだ。

 拮抗していた刃は少しずつだが肉に埋まっていく。

 少しずつ、少しずつ。後少し。もうすぐで終わりだ。

 だが、あと一息という所で今度は根元からポッキリとナイフが折れた。


「は……? 」


 一瞬世界が止まる。刃のない柄だけが手の上に残る。これではどうしようもないじゃないか。

 驚愕と自失が彼を包んだのも束の間、 両側から巨大な腕が迫る。我に返ったゼロはしゃがみ込んでそれを躱した。

 ゼロと『ヒトガタ』の視点が交差する──と言っても『ヒトガタ』には目がついていないのだが──。

 ニタァ、と『ヒトガタ』の口が歪む。勝利を確信している顔。捕食者が浮かべる愉悦。

 気に入らない。気に食わない。負けたくない。まだ負けていない。気分が高揚する。

 咄嗟にゼロは『ヒトガタ』の足を払った。転げ落ちる体。形成逆転だ。

 大きく釣りあがった口が、今度は慌てたように開いた。それを今度はゼロが見下ろす。

 空中で身動きの取れない体に対しゼロは最後の2発の銃弾を放った。2つの銃弾は綺麗に同じ軌跡を辿り、『ヒトガタ』の顎へと進む。そして吸い込まれるように折れた刃の底を二回叩いた。

 何とも呆気ない幕切れだ。絶叫によって終わるなんてこともなかった。刃は脳まで到達したのだろう、音もなく力が抜けたその体は固体としてその体を維持することも止めて床に広がった。後には硝煙が銃口から僅かに漏れるのみである。


「Too spicy! 刺っ激的だな。油断大敵ってね。」


 無駄に知能があるから油断してしまう。だから『ヒトガタ』は足払いなんて避けようと思えば簡単なものにすら対処できなかったのだ。

ゼロはM92をクルクルと指先で遊ばせながら口を釣り上げ戯けて笑った。

 ヒヤッとする場面は何度かあったが何はともあれ戦闘は終了。

 他に動くものの気配がないことを確認してからレイの方へ駆け寄った。

 倒れたままのレイを揺すり起こそうとして、ふとその胸元にキラリと光に輝く何かを見つけた。


「これは…?」


 レイの胸元から覗くそれは小さな鍵の形をしたネックレスだった。それは彼にも馴染み深い、深い意味のあるものだった。聖戦のための『鍵』であった。ともすれば人類全ての運命すらひっくり返しかねない重大なもの。

 ふと自分の胸元を見る。服の隙間、影となっている場所でほんのり輝く二つのアクセサリー。それは奇しくもレイの胸元で輝く鍵と同一のものであった。


「『鍵』…か。成る程な。」


 彼は思慮を巡らせたが見なかったことにしてすぐにレイを起こす作業に戻った。

 奪うか? 馬鹿な。彼は聖戦という戦いからは降りた人間だった。


「流石に死んでは無いよな? 最小限衝撃は逃がしてたみたいだし。」


 呼吸はしている。後は脳内出血が心配だ、頭は打っていなかったから大丈夫だとは思うが。

 ぺちぺちと軽く頬を叩いて呼び覚ます。


「んっ…んん。」


「はあ、良かった。

 おーい、大丈夫か? 一応、仇は討っといたぞ。」


 一瞬、状況が理解できないようで辺りを見渡していたが、すぐにレイは意識を覚醒させた。


「倒したの? どうやって? 」


「脳にナイフを突き入れた。流石に生きてはないだろ。今もあそこでドロドロになってるし。」


 ゼロが指で指し示した場所には言葉の通り、かつて『ヒトガタ』だったものが水溜りとなって地面に延びていた。

 安心したように息を吐いたレイは起き上がろうとして、眉を顰めた。


「痛ぅ。脇腹が超痛い。絶対に痣になってるよ、これ。胃がぐるぐるして吐きそうだし。」


「おいおい、普通なら骨折どころか死んでも可笑しくない状況だったんだぞ。それで済んだだけ万々歳ってことにしとけよ。」


 割と本気で心配していたゼロだったが、レイは呆れるほど怪我は少なく元気そうな様子であった。不意な攻撃にもちゃんと対応してこうやって軽傷で済んでいる辺り、彼女もまたかなり戦闘力が高い部類の人間である。


「結構やるわね。ナンバーズを倒しちゃうなんて。」


「まあ、それなりに場数踏んでるからな。で、ナンバーズって何だ。さっきの奴の事なんだろ? 」


 レイの腕を取り引き上げながらゼロは尋ねた。近くにキメラが居そうな様子はない。エレベーターに着くまでは一安心だろう。


「戦闘用にオーダーメイドされたキメラよ。身体に刻まれた数字が目印で他の量産型のキメラとは隔絶した力量を持ってて現在50体くらいが残存しているはず。」


 半分くらいは人の手によって駆除されている。政府が本腰上げて全てを駆除しようとしない辺り、色々と経済やら利権やら何やらの企みが絡まっているんだろう。

 そう思うとそのせいで本日何度も死にかけた身としてはレイは恨めしく思ってしまう。

 末端の人間が命を賭けている間、その都合も考えず上部は安全な所で打診しているのだろうから。そこには必要悪も多少はあるのだろうがそれだけではないはずだ。


「ふーん、俺がいた時代はオーダーメイドのキメラしかいなかったからなあ。しかも15体だけ。ここは随分と治安が悪いんだな。」


 ああ、まあそれは…。と彼女は言葉を濁した。


「この国は色んな意味で魔窟だからね。経済、政治、工業、農業、芸術、歴史その全てが世界一で狭い国土に集中してる。

 それどころかそれぞれに特化した街が自治権を持っててまさに群雄割拠の都市国家ってかんじ。」


 エレベーターまで歩いている間、雑談兼情報収集に取り組んだ彼だが聞き捨てならない事柄に目を丸くした。


「おいおい、それで上手く国が回ってるのか?

 そんな美味しい条件で他の国に攻め込まれることはないのか?

 国土が狭けりゃ 、人口も少ないだろうに。」


「上手く知事が話し合って政治はなりたってるみたいだね。

 それに科学技術が隔絶し過ぎて、この国に攻め込もうなんていう国は存在しないよ。ただの自滅行為だからね。外側からの心配は不要だわ。

 内側は危なげないとは言えないけど、そう地盤がグラグラしてる訳でもないから気にしなくていんじゃない? 」


(本当にいいのかそれで…? )


 今一納得し切れていないゼロだが目の前で一国民が平気と言っている以上納得せざるを得なかった。

 会話の区切れにちょうどエレベーターも来たので話はそこで終わりになってしまった。


 細かい振動とともに昇っていくエレベーター。ゼロとレイは互いに無言だった。

 というよりもゼロは空腹から、レイはダメージと疲労から、自然と言葉少なになっていた。

 レイは床に座り込んでいるし、ゼロはゼロで壁にもたれかかっていた。

 結局、沈黙が破れたのはエレベーターが一階に到着する間際になってからだった。


「おーい、起きろ。まだキメラがいるかもしれないぞ。」


 まだ比較的体調がマシと言えるゼロが寝ぼけ眼のレイに声をかけたが、反応は鈍い。

 それもそのはずだ。彼女は本日、散々な目にあっていたのだから。全力疾走後にサイクロプスとの戦闘。しかも3回も身体が飛ぶような攻撃を身に受けいるのだ。

 仕方ないな、とゼロは溜息をついてレイを背に乗せた。

 手助けできるものが手助けする。本当に困ってる時に手助けされるのは嬉しいことだし、自分が困難に差し掛かった時に助けてもらえるかもしれない。

 ゼロは人助けするのに、無理にそういう言い訳を作ってしまうくらいには合理主義者だった。いや、合理的でなければならないと思っていた。


 背中で力の抜けた肉の重みを感じながら、開かれようとしている扉を警戒する。武器はもうない。あったとしても両手は塞がっているのだ。

 背を押す重みが増したように感じられた。守らなければいけない。その状況はいつだって緊張を呼び起こす。掌の汗を拭って、ゼロは開かれようとしている扉を睨んだ。

 扉が開いた先にはキメラが数体、肉の壁となって道を塞いでいた。ゼロは間髪入れずに走り出す。

 遅れてハウンド達がゼロに気付いた。すぐさま振るわれる牙や爪を避けて走り続ける。

 手前にいたハウンドを蹴り飛ばす。何体かのキメラがそれに巻き込まれ道が開き、そこを強引に突破する。

 キメラの脅威とはその高い身体能力に他ならない。しかし魔法によってキメラを上回るくらいに強化できるゼロには一旦肉の壁さえ突破できれば後はキメラを撒くのは楽なことだった。

 走る速度が互角であるならば、そのまま施設の外まで出て扉を閉めさえすればいいのだから。


 その後、危う気なく脱出し扉を閉めたゼロは辺りを見回した。

 まだ辺りは薄暗く、漸く空が白み始めたところだった。

 レイからは遺跡と聞いていたがこれはどちらかというと廃墟である。

 既視感を覚える。自分がこの施設に入って来た時は一般住宅が立ち並んでいた。栄えてるわけではなかったが、綺麗な住宅地だった。この町に大して拘りが無かったとは言え、施設に入り一眠りして出てきたらそこは遺跡と呼ばれていた、なんていう事実はそれなりに胸にくるものがある。

 浦島太郎はこんな気持ちだったのかもしれないとゼロは思った。

 何に追われてるかもわからない焦燥と淋しさ、そして先ほど眠る前まであった自己の基盤がこの時代にはないというアイデンティティの消失。胸を掻き毟りたくなる衝動。

彼は内心ひっそりとショックを受け、黄昏れていた。


「はあ、コールドスリープって眠るように一瞬なんだな。ここに入った時のことがまるで昨日のように感じるよ。

 ちょっとくらい休ませてくれたっていいのに。なあ、レイ? 」


 哀愁漂う言葉だった。それはレイに尋ねたというよりは、目の前にいない故人に呟くように吐かれた。

 彼は深い後悔を抱えていた。世間ズレした初老の男性のように大きな傷が心に刻みついていた。

 過去の失敗は悔やんでも悔やみきれないものだ。

 明日の行方もわからぬ未来への心配もある。

 しかし…。

 彼は面を上げた。

 光の筋が顔に差し掛かる。日の出だ。

 空は白んできており、空腹による倦怠感を癒してくれる。

 強い決意とともに彼は拳を握り込んだ。

 ここではゼロの知るものはない。それは恐いことだ。だが、それ故に新しく積み上げていくこともまたできるはずだ。

 彼は希望を見出していた。

 背中で眠るレイの確かな重みを感じながら、壊れた瓦礫と柔らかい光、濃く深く伸びる影に包まれて彼の瞳は強く瞬いていた。


 ただ…。

 ただ、一つ問題があるとすれば…。


「起きてくれないと道わからないな。」


 という目先の課題だった。


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