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下積み

作者: 竹仲法順

     *

 あたしの職種は著述なのだが、ずっと下積みし続けている。今から十年前、都内の大学の文学部を出た後すぐ、出版社に原稿を持ち込んだ。その四百五十枚の作品を読んだ下読みの人間が、

「あなたの作品は確かに面白い。だけど、派手に表に出てくるようなタイプの物書きじゃないな。よろしければ裏方に回っていただきたい。いい作家さんをご紹介しますよ」

 と言ってきた。ゴーストライターになるよう通達してきたのである。最初は戸惑っていたのだが、これも生活のためと思い、引き受けた。中堅やベテランの作家たちの作品を代筆するとなると、気合が入る。もちろん書いた分だけちゃんと報酬はもらえるのだ。同じモノを書く人間でも表に出る人間と裏方はタイプがまるで違う。おまけにそういった裏ワザのような手法でも生計が成り立つと思えば、それに越したことはない。

 ゴーストライター業を引き受け、作家の雑用やお手伝いなどをしながら、ずっとその路線で来た。日々忙しい。十年も経てば、何もかもがまるで違ってくる。大学卒業後、新しいパソコンを一台買い、旧型のワープロから乗り換えてキーを叩き続けていた。お手伝いしている恋愛小説家の永岡(ながおか)佐希子(さきこ)はずっと恋愛モノを書く作家として名が通っている。

     *

 永岡は今から二十年以上前に十九歳で芥川賞を受賞し、それからずっと原稿の依頼が来ている。あたしも彼女の作品は全部通読していて、作風を知っていた。永岡としても使いやすいのである。あたしぐらいの年代の女性が一番真似が上手いと心得ているようで。月刊の文芸雑誌や月刊誌、週刊誌などに複数の連載を掛け持ちし、あたしをフル稼働させる。

 永岡はよくテレビやラジオなどに出ているのだが、ここ二年ぐらい、ほとんど自筆の原稿を書いてない。それでも月に一作単行本が出て、連載もちゃんとあるので、皆思っているだろう。永岡先生は一体いつ眠っておられるのかと。あたしも今では彼女の都内の事務所でゴーストライターをやりながら、同時に秘書の任務もこなしていた。今の立ち位置は秘書課長ぐらいだろうか……?

 あたしの名義で本が出たことは一度もない。この十年間一作も、だ。だけど作家にとって命となる原稿はほとんどあたしや他の秘書たちが書き綴っていて、永岡はほとんどの時間をテレビやラジオなどの媒体や、講演などに回している。芥川賞作家ともなれば、仕事はジャンジャン入ってくるのだ。恐ろしいと思っていた。ゴーストライターの書いた作品を自筆として世に出すなど……。

     *

 都内の永岡のオフィスに詰め、マシーンのキーを叩きながら、作品を作り続ける。彼女は今日も別の秘書を連れて、都内の書店でサイン会をしに出かけた。ずっと下積みが続くのだろうか……?あたしも十年前言われた通り、派手に表に出るタイプじゃないのだろう。いいか悪いかは別として。多分読者も見抜いてるはずだ。あれだけ露出度が高いなら、原稿の執筆時間などなく、おそらくは体のいいゴーストライターに任せてるだろうなと。

 本業が作家でも半分はテレビ番組のコメンテーターや、ラジオなどに出ていると、もう作家としてよりそっちのギャラの方が多い。あたしもキーを叩きながら、永岡の作品を代筆し続ける。オフィスに詰めながらパソコンに向かっていた。彼女の秘書課長のあたしもずっと丸一日ここにこもり、朝から晩まで仕事する。予め永岡が提示していたアイディア通り、書いていた。

 芥川賞受賞時、永岡は<姫>と呼ばれ、マスコミから大絶賛された。本人も当時地方の国立大学に在学中で、もう仕事には困らないと思ったのだろう、現に受賞直後から原稿の依頼が殺到した。同じときに直木賞を獲った女流作家とは扱いが全然違っていて、メディアは永岡を商品扱いし、彼女もそれでいいと感じていたようだ。

 だけど、今ではこうやって新宿のど真ん中にオフィスを構え、毎日午前九時過ぎに来てから、あたしたちに仕事を命じる。まあ、仕方ないとは思っていた。現に予定はびっしりと組まれているのだし、永岡本人もずっと同じ調子で主に外向けの仕事をしているのだ。まるで大学病院の医局などと似ている。教授が病棟を回診すれば、准教授や講師、医局員、看護師などが後からずらずら付いていくのと。

     *

 確かに分からないこともなかった。<芥川賞作家永岡佐希子>の名前が帯に付けば、本はある程度部数が出る。出版不況でも初版は多分十万部が堅いだろう。実際書いているのはあたしたちゴーストライターだったにしても。永岡は日中ずっと外出しているのだが、夕方戻ってきて、

「皆、お疲れ様。お弁当買ってあるから食べなさい」

 と言って労う。あたしも一つ受け取り、フロア隅のコーヒーメーカーでコーヒーを一杯淹れて、飲みながら食べる。すると永岡があたしの食べ終わったのを見計らい、

小日向(こひなた)さん、ちょっといいかしら?」

 と言ってきた。

「はい」

 頷き、立ち上がって事務所内にある彼女の部屋へと歩き出す。一日中執筆していたので、幾分腱鞘炎気味だった。だけど呼ばれれば行くしかない。作っていたデータに保存を掛け「失礼します」と言って、部屋へと入っていった。

「あなた、ずっとあたしの下で下積みしてきたわよね?」

 開口一番そう言ってくる。

「ええ」

「そろそろメジャーデビューさせてあげようかなって思って。クラブなんかで言えば暖簾分けよ」

「本当ですか?」

「うん。あたしもちゃんと考えてるの。あなたがずっとあたしのゴーストライターをやってくれているのを見ててね」

「本を出せるんですか?」

「ええ。実は今日、都内の<文花出版(ぶんかしゅっぱん)>の編集者と会って『デビューさせたい女流作家がいるんですよ』ってお話ししたのよ。そしたらあっちも飛びついてね」

 椅子に座ったままの永岡が笑う。あたしも硬かった表情を和らげた。

     *

「何か唐突過ぎて怖いです」

「でしょうね。でもあなたはあたしの下で十年間働いてくれたわ。だからご褒美にって思って」

「でもあたし、今まで通り、先生の下で働いてた方が……」

「大丈夫だって。誰でも書籍の出版に関して不安とかはあると思うけど、気にしないでいいわよ。あたしだって最初の数作は部数出てなかったから」

 まあ、確かにその通りだ。永岡も芥川賞受賞後、いきなり本が売れ出したわけじゃない。単に受賞したというだけで、しばらくは泣かず飛ばず状態に近かった。あたしも知っている。当時の彼女にとってファイトマネーの百万円の方が大事だったということを。ずっと愚直に書いてきたからこそ、今があるのだ。このオフィスを構えることはもちろん、あたしのような秘書数人を雇えるまでになったというのは実に大きい。

 あたしも思っていた。永岡佐希子から自著を出せると聞いて、しっかりとしたものを一作書いてみようと。もちろん長編である。四百字詰め原稿用紙換算で、四百五十枚から五百枚ぐらいの作品を一つだ。これを出して、売れればそれに越したことはなかった。当分ずっとパソコンのキーを叩きながら、過ごすことになるだろうと。

 だけど、ここまで永岡に付いてきてよかったなと思える。十年という期間は実に長かった。もちろんずっと売れっ子作家のお手伝いをしてきて、給料はだいぶもらっていたのだが、ここで独立できれば、また人生が変わる。ゴーストライターとしての活動は終わるのだ。そして上手く行けば、専業になれる。

     *

「まあ、あなたの事を想ってだし、しっかり頑張りなさい。出版社の編集者とはいつでも相談に乗ってあげるから」

「ありがとうございます」

 永岡に一礼し、部屋を出て自分のデスクへ歩き出す。これから先が勝負だ。下積み時代が終わろうとしている。デスクに置いていた弁当の空き容器を捨て、コーヒーを飲んでしまってから、またパソコンのキーを叩き始めた。これからは複数の原稿を並行して書き進めることになる。寛ぐ間はお昼休みと、午後三時のお茶の時間ぐらいになりそうだった。

 キーを叩きながら考えていた。仮に処女作が売れなかった場合でも、またチャンスがあると。もちろん永岡の持つ出版社に対してのコネがあってこそだ。あたしもずっと考えていた。専業になれば、当然出版社やエージェントと契約する。そしてよほどのことがない限り、書き続けられるのだ。

 その夜も午後九時前までオフィスに居残り、原稿を書き進めた。食事はさっき取ったばかりなので、悠々としていられる。あたしも毎日ここに通い詰め、永岡のゴーストライターをしながら、同時に自分が出版する予定の作品の原稿も書く。午前九時に出勤してきて、昼や夕方を挟み、午後九時前後まで普通に働いていた。彼氏などがいない分、気は楽だ。

     *

 これからメジャーデビューまでの道のりは大変かもしれない。だけど平気だった。常にそう思っている。あまり気に留めてなかった。仕事など目の前に山積みである。メジャーデビューを果たしたら、それからは書き続けるだけだ。いいじゃないか。今は売れっ子の永岡だって、芥川賞受賞後は売れない時代があったからだ。書籍が売れない時代に読者が読みたがる本を作るのは大変だったが……。それに筆一本で生計を立てるのは難しいのだから、もし処女作が売れなかった場合、この事務所に世話になり続けるつもりでいた。いきなり処女作が売れることは考えにくかったのだし……。

 そして今日も永岡のオフィスに出勤し、パソコンに向かいながら、キーを叩く。慌ててもしょうがないから、努めて冷静を装っていた。美味しい話が転がり込んできたことに変わりはなかったのだし……。

 冬はすぐに陽が落ち、辺り一帯が暗くなる。あたしも午後九時前までオフィスで仕事をしたら、後は新宿駅から遅い電車に乗り込み、自宅最寄りの駅まで行く。決して無理はしない。家に帰ってきて眠気が差せば、すぐにベッドに倒れ込み、眠る。さすがに疲れていた。複数の仕事を掛け持ちすることのしんどさはこんなものかと思いながら……。

     *

 二〇一三年の年頭に文花出版からあたしの処女作が出た。長い間ずっと下積みしてきたのだし、執筆した作品は全部永岡佐希子の名義で世に出ている。やっと時が来たかと思いながら、時折書店に行って見てみたりしていた。別に戸惑う気持ちはない。書籍などほとんどまとまった部数が出ない時代に本を出したのだ。売れなければ売れないで、また永岡の事務所に詰め、世話になる気でいた。

 ところが意外にも、本は怖いぐらい順当に売れている。あたしも驚いていた。小日向(こひなた)(はるか)名義で出した本は飛ぶように売れたのだ。それに何より、永岡の著作よりも早く増刷が掛かった。あたしも下積み時代にしっかりと力を付けていたから、それが効いたのだろう。部数も新人にしては異例の多さである三十万部出て、書店では面白いように捌けていた。

「これであなたも独立ね」

 永岡がその年の三月にあたしをオフィスの自室に呼び、そう言って、専業になれることを示唆した。もちろん激励だ。あたしもそう気にしていなかった。創作自体、終わりなき道だったからである。それにずっと書き綴ってきた。まるで永岡の影武者のような感じで、ゴーストライターを務めながら……。

 すでに次の原稿の注文が文花出版から来ているし、他社からもオファーがあった。これから先、忙しくなることは目に見えている。だけど嬉しいのが本音だ。こうやって専業になれるということは何よりも喜ばしいことだった。ゆっくりする間はない。自宅マンションの書斎にOSの新しいパソコンを一台買って設置し、新たに固定電話も一台設けて、ずっとキーを叩き続ける日々が続いた。

     *

 永岡からは時折メールが入ってくる。<しっかり頑張りなさいよ>と言った感じで打ってあって。あたしも自分をここまで育ててくれた永岡に感謝していた。彼女がいなければ、あたしの奥底に眠っていた文才は目が出てこなかっただろう。もちろんずっと売れる保証はないのだが、処女作が三十万部出れば申し分ない。

 次回作も長編を書き綴った。別に焦りや戸惑いなどと言ったものはない。単に物書きとして目が出たことが素直に嬉しかったのだし、これからも書いていくことに変わりはない。どんなにたくさん書いても売れない作家というのは大勢いるのだし……。

 これからも変わらず物書きとしてやっていくつもりでいた。何も怖いことはない。単行本の書き下ろしだけでなく、大手出版社の発行する文芸雑誌などから、長編連載や読み切りの書き下ろし中篇などの依頼も来ているからだ。下積み生活も見事に報われたのである。そしてこれから先もずっと作品を書き続けるつもりだった。お金が潤沢に入ってくるだけで、別に変化らしい変化はない。キーを叩き続けるだけだ。春夏秋冬一年中ずっと。

 もちろんいい師匠に恵まれてよかったなと思っている。永岡には心から感謝しているのだった。あたしのような人間を拾い上げ、育ててくれたからである。その想いだけは忘れずにいたい。ずっと。

                            (了)


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― 新着の感想 ―
[良い点] 良い話ですね! 物書きの生活がリアルに伝わってきます! すごく読みやすくて、興味深かったです。永岡と小日向の師弟関係が良いですね。読んでいて楽しかったです。
2013/04/12 19:20 退会済み
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