偶像の天国
すでに投稿済みの小説「誕生日」が、第42回北日本文学賞で4次審査までいったことを受けて、第44回北日本文学賞に応募して、あっさり1次落ちした作品です。てっきり純文学を求めてるんだと思ったんですけどね。
読み返してみると、べったべたの宗教モノです。しかも暗くて重い。
でもこの小説を読んで下さった精神科の先生は、ラストがいいと褒めてくれました。
とはいえ、マニアックなことには変わりません。
一般受けしないことは承知の上です。物好きな方、是非どうぞ。
こうしてお手紙を差し上げるからには、まず体調を、伺わなければならないのでしょうね。
お元気ですか。その後パーキンソン病の具合はいかがですか。お父さんは良くしてくれていますか。
けれどこんなことを尋ねたが最後、お母さんとお父さんは、私に看病に来るよう要請するのでしょうね。お父さんはおばあちゃんが寝たきりになった時に、虐待をしていたような人ですから、お母さんの世話が満足にできるはずもありません。
あの頃は、老人への虐待を防止する法律も無かったから、私はどうするべきかと頭を抱えていました。お父さんは別におばあちゃんに暴力を振るっていた訳ではなかったけれど、言葉の暴力は振るっていましたね。粗相をしたおばあちゃんに向かって
「くせえなあ。自分でくせえと思わんか」
と罵声を浴びせる様は、実の息子とは思えませんでした。
あの時久し振りに帰省した私を置いて、お母さんはパートに出ましたよね。おばあちゃんの世話の仕方を、何一つ教えてくれないままで。帰省して初めておばあちゃんが寝たきりになっていたことを知った私は、右も左も分からずおろおろしていました。
おばあちゃんのお尻は赤くただれ、分厚く皮が剥けていました。私はおばあちゃんがきちんと世話をされていないことを知りました。
おばあちゃんが亡くなった後、程無くしてお母さんはパーキンソン病を発症し、お父さんと離婚しましたよね。その後お母さんは実家に帰りしばらくしてから入院した。
それなのにその五年後に、なぜお父さんがお母さんを引き取ったのか、私にはさっぱり分かりません。離婚時にすでにお母さんは患っていたというのに、そんなお母さんを実家に追い返した挙句、その五年後には引き取るなんて、お父さんが一体何を考えているのか理解に苦しみます。
お父さんはお母さんのことも、虐待しているのでしょうか。仮に虐待までいかなくても家事に非協力的だったお父さんが、病人の世話をどれだけできることやら。
だからお父さんもお母さんも、できれば私に看病のため帰省して欲しいのでしょうね。清の言う通り、あなた方にとって私たち子供は将棋の駒に過ぎないのですから。もっともあなた方は、あまり上手い指し手ではありませんけれど。だから私はあなた方の反対を押し切って八年前に結婚したのです。
結婚を反対した時のあなた方のセリフを、私は今でも忘れません。お母さんは彼の容貌を馬鹿にし、お父さんは私を
「お前は、金が目当てで結婚するんだ」
と罵倒しました。確かに彼は美男子ではないかも知れないけれど、そんなことを言い出すとはあんまりです。彼はとても優しい人なのですから。
お父さんに言われたセリフは、今でも私には何のことかよく分かりません。何しろ彼は引きこもりが原因で中学しか卒業していないのですから。そんな彼が高給を取っているはずも無いのに、お父さんは一体何を勘違いしたのでしょう。
心当たりがあるとすれば
「どうして結婚するんだ」
と電話口で尋ねたお父さんに
「結婚すれば彼の会社の社宅に入れるから」
と答えたことくらいです。私はあの時お父さんは
「交際しているだけでも良いのに、どうして結婚をするんだ」
と尋ねたのだと思ったのです。
私は当時、月五万のアパートに住んでいましたから、実家を出たがる彼の相談を受けた時、ならば結婚をすれば良いと考えたのです。当時彼の会社の社宅の家賃は月一万五千円でしたから、少しでも早く結婚することが、二人にとって良いことだと思えました。私は当時体調を崩し、勤めを辞めたばかりでしたから。
けれどまさかその返答から、お父さんが打算だけを嗅ぎ取るとは、思ってもみませんでした。私は確かに彼を愛しているとは一言も言いませんでしたけれど、結婚というものは愛の前提で行なうのが当然だと、私は思っていました。そうです。私はそれが当然だと思っていたからこそ、敢えてそれを口にしなかったのです。
けれどお父さんは、私がその前提で生きていることを、理解していなかったのでしょうか。だからお父さんは
「相手はお前が、体が弱いことを承知しているのか。『体が弱くてもいい』なんて言う奴がいるはずが無い」
などと口走ったのでしょうか。
その当時お父さんは、パーキンソン病になったお母さんとの離婚を決める直前でしたから、確かにお父さんの物差しで計れば、そんな物好きは世間にはいないのでしょうね。けれどそんな物差しを持っていたからこそ、私が彼を愛していることを、お父さんは気付かなかったのではありませんか。
けれど私が今回ペンを取ったのは、その件についてではありません。今更彼のことを認めてもらおうとも思っていません。私はただお母さんに聞きたいことがあるのです。お母さんあなたは、偶像の天国というものが存在すると信じますか。
やぶから棒にこんなことを尋ねても、何のことか分からないでしょうね。ではお母さんあなたはポチのことを覚えていますか。おそらく覚えてはいないでしょう。あなたにとってポチは、ただの汚らしいぬいぐるみだったのですから。けれど私にとってポチは数少ない玩具の中の大切な愛玩具でした。私は外出時にもポチを抱え、始終話しかけては慈しんでいたのです。十歳のあの日までは。
よその家と比べて、買い与えられた玩具の数が圧倒的に少なかったからといって、私はそれを恨んでいる訳ではありません。我が家は貧乏だったのですものね。信者の少ない田舎の教会の牧師夫妻が、生活に困窮していたのは当然です。加えて我が家には私を筆頭に四人もの子供がいたのですもの。
あんなに生活に窮していたというのに、なぜあなた方が四人もの子供をつくったのか、私は当時不思議でなりませんでした。お父さんはあの通り子供嫌いの人ですし、お母さんあなたにしたって、子供好きな人とは思えない。
今にして思えば、子供は神の御心のままに授かるものと、あなた方は考えていたのでしょうね。だから明るい家族計画を行うことを罪だと考え自然に任せた。その結果四人もの子供が生まれたのでしょう。
三人目を生んだ後、一度流産もしたとのことですから、お母さんあなたは五回も妊娠した訳です。子供の数が平均で二人の時代でしたから、あなた方は少々風変わりな夫婦でした。子供嫌いの上貧しいというのに子供をそれだけ生んだのですから。
いえそもそも、牧師と副牧師の夫婦という時点であなた方は風変わりでしたね。長崎や神戸などの教会の多い土地ならいざ知らず、長野県の小さな村で教会をやるなど、風変わりもいいところです。
まあお父さんの実家が近所にありましたから、致し方ないことだったのかも知れませんね。おばあちゃんの家には田んぼと畑があった。労働力が必要だった。だからお父さんは牧師職の傍ら、兼業農家をやっていたのですよね。
土地柄、私の周囲にも兼業農家の子は多かったから、それは珍しいことではありませんでしたけれど、多くの家のお父さんは会社勤めの傍ら農業をやっていましたから、やっぱり我が家は風変わりでした。ええ、教会の子だからといじめられたこともありましたよ。
でもそんなことは、たいした問題ではないのです。だって当時は私も信仰を持っていたのですから。私が小学一年生の頃から
「洗礼を受けたい」
とねだっていたことを覚えていますか。
我が家の宗派はプロテスタントだったから、カトリックのように生まれたら自動的に受洗されることもなく、あくまでも本人の意思に委ねられていましたよね。私はあなた方からキリスト教の神こそが唯一の神であること、人は生まれながらにして罪人であり、洗礼を受けて清められなければならないのだということを聞かされていたために、早く清くなりたかったのです。
でもお母さんあなたは、私のそんな思いを理解せず
「聖餐式のパンと葡萄液が欲しいんでしょ」
などと大真面目に尋ねましたね。
確かにキリストの肉体を表すパンと、キリストの血を表す葡萄酒を頂くことができるのは、洗礼を受けた者だけです。ただ信者には未成年者もいるために、我が家では葡萄酒を葡萄液に代用していた訳ですが、いくら私が食いしん坊だからといって、食い意地のために受洗を願い出たなどと考えたのはあんまりです。
私は幼稚園児の頃から、神の存在を片時も忘れてはならないと、自らを戒めていたというのに、子の熱心さというものは親には伝わらないものですね。それともそれはあなたが相手だったせいでしょうか。他の母親、他の牧師夫人なら、私の情熱を汲み取ってくれたのでしょうか。
ただいずれにしろ、小学一年生では早すぎるということで、私の受洗は数年先に延ばされましたね。
実は私は、自分が受洗した正確な年齢を覚えていません。確か小学校の二、三年生だったと思うのですがどうでしょうか。あなたは覚えていますか。それとも私のことなどいちいち記憶に留めてはいないでしょうか。
けれど洗礼式の前に、牧師であるお父さんに悔い改めをしたことは覚えています。カトリックでいうところの、懺悔というやつですね。
私の悔い改めの内容は、幼稚園児の頃に、級友の色画用紙を一枚盗んだというものでした。今にして思えば、それが果たして地獄へ堕とされる程の罪だったのかどうかは分かりません。でも小さな子供に始終
「お前には罪がある。罪がある」
と吹き込んでいれば、罪悪感に駆られるものです。
私は幼稚園児の頃、時計の分針が動く瞬間を自分が見たことが無いのは、私自身が悪い子だからだと信じていました。だって二歳下の清は
「見たことがある」
と言うのですもの。自分より生きている年数が短い弟の方が、分針が動く瞬間を見逃さない幸運に恵まれたということは、清が良い子で、自分が悪い子だからだと思い込んでいたのです。
何とも馬鹿馬鹿しく、切ない思い込みですね。でもそんな思い込みがあったからこそ私は早く受洗したかった。清くなりたかった。
ようやく願いがかない、行なわれた洗礼式は、ダイナミックなものでしたね。我が家が所属していたホーリネス教団では、受洗者を体ごと水の中に浸けるのですもの。カトリックでは大抵、皿の中の聖水を、受洗者の頭上にふりかけるだけだというのに、ホーリネスの考えでは、それでは洗われたことにならないのですものね。
暖かな季節を待って、洗礼式は行なわれましたね。私は洗礼服なるだぶだぶとした服を着せられ天竜川へと連れて行かれました。洗礼服がだぶついていたのは、大人用だったからです。やはり小学生のしかも低学年の子供が洗礼を受けるのは、珍しい出来事だったのですね。しかもご承知の通り私は体の小さな子供でした。
洗礼を授ける資格を持たない、名ばかり牧師だったお父さんを補佐するためにやって来た、もう一人の牧師さんとお父さんが、私の肩と足をそれぞれに持ち、私は天竜川にざぶんと浸けられました。川から引き上げられた時、川辺で信者たちが
「喜―びーたたえーよー主―のー御―名―をー御―栄えー常盤―にーつーきーせーざーれー」
と賛美歌を歌っていました。
私は実は、この日の感慨というものを覚えていません。もちろん望んで受けた洗礼ですから嬉しかったはずなのですけど、そんなことよりも私には、水に浸けられる前の一瞬の緊張感とか、濡れた洗礼服がぺったりと体に張り付いて重かったこととか、信者の人に
「大丈夫?寒くない?」
といたわられたことなどの方が、鮮明に記憶に残っているのです。
あの時お父さんもお母さんも、私をいたわってはくれませんでしたね。だからこそ私は信者の人からのいたわりが、何だか悲しかったのです。
そもそもお父さんもお母さんも、日頃から私を、いたわるような人ではありませんでしたよね。
お父さんは私がテストで九十九点を取れば、
「お前は馬鹿だ」
と罵る一方
「学校は百点を取れる授業をしているんだから、家で勉強をする必要は無い」
と勉強時間を与えてくれない人だったし、お母さんあなたは、私が
「ああ、くたびれた」
と言うだけで注意するような人だった。
私は勉強以外の点でも、常に最短の時間で最高の結果を出すことを求められ、弱音を吐くことも許されない子供時代を、送っていた訳です。
けれど幼かった私は、自分が過酷な環境下にあることを理解せず、あなた方に愛されようとしていました。だから私は熱心な信者になろうと考えたのです。そうすれば私は神と親とに愛されるようになる。単純だった私はそう思い込んでいたのです。
そこで私は、毎日聖書を一章ずつ読むようになりました。全部読み終わるまで何年かかったでしょうか。あなた方の言う通りエレクトーン教室にも通いました。賛美歌の伴奏ができなければいけないですものね。
でもあなた方は、私に時間を与えてくれなかった。私は小学一年生の頃から毎朝廊下の掃除をしてから登校し、下校してからは毎日風呂掃除をし夕食の支度を手伝わされ、弟妹たちの相手をさせられました。だから私はエレクトーンの練習をしなかった。エレクトーンが嫌いだった訳ではありません。ただ私は自分に与えられた僅かな余暇で、本を読んだりポチと遊んだりしたかったのです。
読書はあなた方が、私に与えてくれた娯楽でしたね。ひらがなとカタカナが書かれたブロックで一人遊びをすることによって、四歳で文字を覚えてしまった私は、その頃から一人で読書をする習慣を持っていました。昔は大抵の本にルビがふってありましたから、ひらがなとカタカナさえ習得すれば、本は何でも読むことができました。だから私は家中の本や雑誌を片っ端から読みました。
お父さんとお母さんはいつも忙しく、私を構いつけてくれなかったから、寂しさを紛らわすには、読書はうってつけの手段だったのです。孤独を教わるということは同時に孤独を癒す術を教わることにもなりますね。幼少期にもしあれ程の孤独を味わわなければ、私は読書の楽しみを、知らなかったかも知れません。
ええそうです。私はあなた方が、私よりも弟妹たちを可愛がっていたことを言っているのです。その証拠に弟妹たちは誰一人として本を読まない。あなた方は読書家なのに、その四人の子供の中で私だけが本の虫になったのはおかしいじゃありませんか。私は弟妹たちに随分本を読み聞かせてやりました。それなのに弟妹たちは、誰一人として本を読まない。
ひょっとして彼らは、聖書すら完読していないのではないですか。十五年前に信仰を捨てた私と違って、彼らは未だに信者でい続けているけれど、彼らの信仰心が非常に淡白なことを私は知っています。一方の私は信仰を捨てた後に『イスカリオテのユダの福音書』と『マグダラのマリヤの福音書』も読破しました。
もっとも『イスカリオテのユダの福音書』と『マグダラのマリヤの福音書』は、信者にとっては禁書に当たりますけどね。私は環境によって信者になった訳ですが、信仰を捨てた後も、クリスチャン時代の自分に多大な影響を与えたキリスト教には、並々ならぬ関心を抱いているのです。だから敢えて禁書を読むことによって、自分のいた世界を外側から見てみたかった。読書好きになるにはこういった知的好奇心も必要なのでしょうね。
けれど私の活字好きは、子供時代の私を、幾分可愛げの無い存在に見せていたかも知れません。何せ九歳の頃に大人向けの人生相談を読んでいたのですもの。あの頃私が具体的に何を読んでいたのか教えましょうか。第二次反抗期に入ってから、子供に養子だと知られてしまったことを悩む親への回答を、読んでいたのです。
回答内容はこうでした。第二次反抗期に入る前に教えておくべきだった。
それは斬新な回答だったかも知れません。けれど雑誌に載せられた、その回答を読みながら、あなた方もこの記事を読んでいるはずだと考えた私は、では私もそろそろ打ち明けられる時期なのだなと思いました。
そうです。あの頃私は本当の両親はあなた方ではないと信じていたのです。週に一度は奇声をあげながら家の中の物を破壊する父親を、どうして本当の父親だと思えるでしょう。子供たちが震えながらおびえていることを知りながら、父親を止めることができない母親を、どうして本当の母親だと思えるでしょう。
けれど残念ながら私は、あなた方の実の子供のようですね。それでもひょっとしたら違うのではないかと、私は未だに諦めがついていないのですけれど。
そんな私でしたけれど、基本的には天真爛漫で無邪気な子供だったと思います。田舎育ちでしたから、学校帰りには小川の水をせき止めて遊んだり、立ち入り禁止の岩場で飛び跳ねたり、山奥まで湧き水を探しに行ったりと、友達と道草ばかり食っていてまっすぐ帰宅する方が珍しいくらいでした。
お父さんも私をこき使う一方で、野遊びは認めてくれていましたよね。お父さんは活発な子供が好きなのだから当然です。ただ私は、野遊びも好きだったけれど、読書の方がもっと好きだった。その辺りが私がお父さんに愛されなかった一因でしょうね。読書が見つかる度に私は怒られていましたから。
ただ私は、野遊びと読書を愛する傍ら人形遊びも愛していました。子供だったのですもの。お母さんが知り合いから頂いたお下がりの犬のぬいぐるみ、ポチを私はどんなに愛していたでしょう。
我が家には飼い犬のチロもいましたから、もちろん私は、チロも可愛がっていましたけど、でもぬいぐるみというものはまた別の愛らしさがあるのです。鳴きもせず動くこともしない、ただ可愛らしいだけのフワフワした塊は、動かないからこそ無限の想像力を子供に与えてくれるのです。
私はポチの全身を撫で、抱きしめ頬ずりをしました。散歩の真似事をし架空の餌も与えました。そして私は色々なことをポチに話しかけました。静かに私のおしゃべりに耳を傾けるポチは、とても愛しい存在でした。
そんなポチを焼却炉に投げ入れるよう命じられたのは、私が十歳の時でした。あなた方が突然モーセの十戒を引用したのです。
聖書には、随分色々な掟が記されていますけれど、中でもモーセの十戒は有名ですよね。「殺すなかれ」とか「盗むなかれ」くらいなら、一般の人でも知っているんじゃないでしょうか。でも有名ではないけれど十戒の中には
「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない」
という記述もあるんですよね。
その記述は出エジプト記にありますから、当然私は、すでに読んだことがありました。出エジプト記は創世記の次に出てくるのですものね。私は旧約聖書から読み始めていましたから、当たり前のことながら出エジプト記は読破していました。
もっとも読んでいなくても、十戒は礼拝でよく取り上げられる内容ですから、私は熟知していました。知っての通り、私は赤ん坊の頃から、子供向けの日曜学校に毎週出席していましたけど、小学生になってからは、それに加えて、大人用の礼拝にも毎週参加していましたしね。
けれど熟知していたからこそ、その戒めに疑問も持っていました。
「上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水にあるものでも、どんな形をも造ってはならない」
のだとしたら、なぜ自分にはぬいぐるみが与えられているのか、なぜキリスト教国である欧米にぬいぐるみや人形が存在するのか。そんなことをぼんやりと考えていたのです。
ただ聖書には、旧約聖書に対して新約聖書も存在しますよね。新約聖書の中で救い主イエスが誕生することによって、人は古い律法から解き放たれ、新しい教えを学ぶことになった訳です。
例えば豚肉なんかが良い例ですよね。旧約の掟の中では、豚は汚れた生き物だから食べることができない。だからユダヤ教徒やイスラム教徒は未だに豚肉を食べません。けれどイエスによって、新しい教えを授かったキリスト教徒にとっては、もうどんな食べ物も汚れてはいないのです。
だから私は、人形やぬいぐるみも豚肉のようなものだと解釈していたのです。もちろんキリスト教は唯一神ですから、モーセの言う通り、人形やぬいぐるみを偶像視して崇拝してはいけないでしょうけど、ただぬいぐるみとして慈しむ分には問題が無いと思ったのです。そうでなかったらなぜキリスト教が盛んな欧米諸国で、人形やぬいぐるみが愛されているのでしょう。
けれどあなた方は、ある日突然
「ぬいぐるみと遊ぶことは、偶像崇拝につながる」
と言い出しました。そう言われてしまっては逆らうことはできません。新約聖書には、イエスが全ての食べ物を清めたという記述がありますけれど、人形を認めたという記述は無いのですもの。
私が悲しみに暮れていると、お母さんが
「ポチには天国で会えるから、笑って『バイバイ』を言いなさい」
と言いました。私はその言葉に希望を持ち
「バイバイ、ポチ。天国で会おうね」
と言いながら、ポチをゴミ箱に投げ捨てました。その言葉と、ポチを放り投げ突然重力を失った腕のやるせなさと、孤を描いてゴミ箱に落下していったポチの姿を、私は今でも覚えています。
ポチがお父さんの手によって焼却炉に運ばれ、燃やされる様は見ませんでした。見たくありませんでした。
私はしばらく、ポチを懐かしんでいましたが、いずれ訪れるであろう再会への期待により、ポチを良い思い出にすることができました。その十年後までは。
そうです。その十年後に私は信仰を捨てました。信仰を捨てた以上ポチと再会できなくなることは覚悟の上でした。捨てた経緯については、当時手紙を出しましたからご承知のことと思いますけれど、繰り返して記述するなら、キリスト教の掟を守れないことに気付いたからです。
右頬を打たれたら、左頬を差し出すくらいのことなら、単なる行為ですから不可能ではありませんけれど、
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい」
という聖句が私には辛かった。私には喜びながら左頬を差し出すようなことはできません。
それなのにすました顔で教会に通い、「クリスチャンです」などと名乗ることは、まるで偽善の律法学者パリサイ人のようだと思ったのです。それくらいならいっそクリスチャンをやめて地獄に堕とされた方が潔いことに思えました。
あの時お母さんは電話をかけてきて
「あなたは真面目だから、クリスチャンをやめるのね」
と言いましたね。あの頃は全く意味が分からなかったけれど今なら分かります。あなた方はいい加減なクリスチャンだから。あなた方はいい加減だからこそ、信仰を持ち続けていられるのです。そもそも離婚など信者にとって大きなタブーではないですか。
一方、信仰を捨てた上に一人暮らしを始めていた私は、ぬいぐるみを所有する自由を勝ち取り、子供の頃満たされなかった思いを取り返すかのように、乏しい月給の中からぬいぐるみを買い求めました。もう大人だったからごっこ遊びはしませんでしたけど、所有しているだけでも私の心は慰められました。
ある時、部屋に飾ったぬいぐるみを眺めていると、不意にポチのことが思い出されました。お母さんあなたが
「ポチには天国で会えるから」
と言ったことも。
その時私はようやく気が付いたのです。偶像だからと燃やされたポチが、天国へなど行くはずは無いのだと。お母さんあなたは私を説得するために、口から出任せを言ったのですね。
それとも本気で、ポチが天国へ行くと信じていましたか。飼い犬のチロが死んだ時、チロの亡骸の横で泣いている私に
「犬には、犬の天国がある」
と言ったお母さん。あなたは犬には犬の天国があるように、偶像には偶像の天国があると本気で信じていたのですか。
聖書には、犬の天国に関する記述は無いけれど、クリスチャンであるあなたが、犬の天国の存在を希望的観測を持って信じたことは理解できます。けれどポチを偶像視し捨てるよう命じたあなたが、偶像であるポチが天国へ行くなどと信じていたとは到底思えない。もしポチが天国へ行くのなら、サタンだって天国へ行くはずじゃないですか。
それなのにどうしてあなたは、あの時ポチと天国で会えると言ったのですか。私にポチを捨てさせるためですか。偶像を捨てさせるため嘘をついたのですか。
聖書にこんな記述がありましたよね。
「善を行なうために悪をしようではないかとあなた方は言うのか」
聖書のどこに載っていたのかは覚えていません。ただあなたの行為を思い起こす時私はその聖句も同時に思い出すのです。お母さんあなたは、子供に偶像を捨てさせるという善を行うために、嘘をつくという悪を行なったのですか。罪に大小は無いというのがキリストの教えではなかったのですか。
出任せを言った時、あなたの心の中の神はあなたを咎めませんでしたか。それともやはりあなたは、心に神を宿さない形だけのクリスチャンなのですか。
いずれにしろ私は十歳のあの日、だまされてポチを取り上げられた訳です。そして偽りの希望を持たされた。
お母さん私は、あなたにそれを認めて欲しいのです。それができないのならどうかあの日の私にポチを返してやって下さい。ぬいぐるみを愛することが、偶像崇拝にあたろうとあたるまいと、私は十五年も前に信仰を捨てた身です。どうせ信仰を捨てるのなら十歳の頃ポチを取り上げて欲しくなかった。せめてだまされることなく、納得ずくで手放したかった。
けれど私は承知しています。お母さんあなたはただ、お父さんに逆らえなかったのだということを。あなたはただ単に説得し易い方の人間を説得しただけなのだということを。
私はここでペンを置くと、手紙を読み返し幾度か溜め息を吐いた後、それを丸めゴミ箱に放った。初めから出すつもりで書いた手紙ではなかった。あれは眠れない夜のつれづれに書いたただの雑文に過ぎない。
寝室に向かおうとキッチンを横切った時、ふと私は食器棚を見上げた。結婚当初、夫にねだって買ってもらったウサギのぬいぐるみが、食器棚の上から無表情に私を見下ろしていた。
私はポチの名を呼ぼうと口を開いたが、唇の間から漏れた声は、なぜか「お母さん」とつぶやいていた。
家族仲がいい人には、不愉快な小説だったことと思います。でも家族仲が悪い人間は、常時不愉快な思いを抱えているので、これを読んだことにより不愉快になったとしてもご容赦下さい。あなたには素敵な家族がいるんですから。
さていい家族に恵まれなかったあなた。これを読んで、自分だけじゃないと思って頂けたでしょうか。
多数に支持されれば、もちろん嬉しい。けれど私は、少数の苦しむ人が、気分転換できることも重視しています。