一
「ねぇ、疲れてんの?」
やけに親しげな日本語で、後ろから肩を叩かれて私は飛び上がった。ここでそんな風に私に話しかける人間はいないはずだったからだ。
日没が迫ったワイキキの歩道で、振り向くと小柄な日本人の男が笑顔で立っていた。どこかで会ったことがあるかと考えたが、覚えがない。
金髪に近い髪を逆立てて、タンクトップからのぞく焼けた肌には刺青が目に付く。サングラスをかけているのに、その微笑みは顔全体からにじみ出ているように感じた。それほど若いようには見えない。
「のんびり飲める場所、知ってるよ。女の子も呼べる」
続いて彼の口から出た言葉と、手のビラで声をかけて来た理由が分かった。
「いや、別にいい」
「そう? 日本の女の子だよ」
正直に言って、一瞬心が動いた。しかし、幾らかの金を払って愛想を振りまいてもらったところでかえって空しくなるだけだろう。
いやぁ、とだけ言って私はうつむいた。
「男の方がいい? 普段は外センだけど、綺麗な子がいるよ。あ、それとも地元の子がいいかな? すごく可愛い子がいるんだ」
まるで奇術師がうさぎや花を取り出すように、彼は次々とオプションを並べる。私は苦笑して、今度ははっきり断った。
「じゃ、飯でも食いに行こう」
微笑んだ顔をさらに綻ばせて、彼は私の腕を掴む。
「どうせ何か食わなきゃなんないだろ? 一人で食うのはつまんないじゃん? ぼったりしないよ」
彼自身のことを言っているのかもしれなかったけれど、私の心境を言い当てられた気がして、手を振り解くことが出来なかった。そう、一人の食事の味気無さは身に沁みている。彼の目的が何であってもまだ明るいし、危なそうなら走って逃げればいい。
連れて行かれたのは、ほんの二ブロックほど離れた路地の裏にある焼肉屋だった。夕食時なのに、目立たない場所にあるせいか店内は閑散としている。
彼は軽い調子で店員に「今日は客だから」と声をかけた。
「時々ここの店のビラ配りとかやってんの。安いし美味いんだよ。マジで」
油っぽいシートに腰を下ろすと、ほぼ同時にビールとナムルが出て来た。私の意見を聞かず、メニューも見ずに、彼があれこれと註文している間、周囲に目をやった。
黄ばんだ壁には英語と韓国語と、稚拙な日本語で書かれた品書きが貼ってある。確かに日本で食べる焼肉よりも安いようだ。
「強引に誘っちゃったけどさ、あんたしょっぱい顔して歩いてんだもん。悪いのに引っかかるよ、そんなだと」
ハワイではありふれたビールの小瓶を一息に半分ほど飲み干してから、彼は溜息と共にそう吐き出した。屋内なのに、サングラスはそのままだ。
「そんなにひどい顔かな?」
聞きながらも「しょっぱい」という表現ほど、今の私を的確に表す言葉はないと思った。
「うん。なに? 単身赴任? 観光じゃないだろ?」
なぜ彼が観光客ではないと思ったのかは分からない。服装のせいか、雰囲気か。いずれにしろ見ず知らずの男に、自分の仕事や状況を話していいものかどうかと逡巡している間に註文の肉がやって来た。店員が訛のある英語で「サービスしておいたよ」と笑顔を彼に向ける。
韓国系らしい店員がアメリカに来て長くないようだ、と分かる程度には私も英語に馴れて来ている。もっとも私の英語は、さらにお粗末なものだけれども。
質問に答えずにいるのをどう取ったのか、何も言わずに彼は肉を網に並べ始めた。
本当に久し振りに日本語の会話を交わしながら、物を食べるのは旨かった。大した言葉ではない。「それ、焼けてるよ」、「こっち先に食った方がいいよ」というような、シンプルの会話が調味料になることを初めて知った。
「俺、マットっていうの」
皿の肉が半分ほどに減った頃、彼は無邪気に自己紹介した。彼の日本語は明らかに日本で生まれ育った人間のものだし、店員との会話でも微かながら日本語のアクセントがあった。アメリカの市民権を取り、改名でもしたのだろうか。
疑問を口にすると、彼は唇の端を吊り上げて笑った。
「俺とつき合ってれば、その内分かるよ。それよりあんたの名前は?」
「木戸、木戸遼一」
名前を言った後、仕事や住んでいる場所まで話したのは、食事があまりに旨かったせいだろう。自分の話を日本語ですることも、久し振りだ。
ハワイに来たのは二ヶ月ほど前だ。ホノルル市内にある小さな私立大学で、日本語および日本文学の講師の口があったからだ。大学院を出ても大学の仕事などあるわけもなく、高校の非常勤講師を掛け持ちして生活していた私には、大学での仕事と聞いただけで充分魅力的だった。
学校は小規模だけれども学生のレベルは高く、講義は日本語で大丈夫と聞いていたが、とんでもなかった。
地元の人間にさえ、そんな学校があったかもしれないと言われる程度の小ささは我慢出来るとして、学生の日本語のレベルは話にならず、講義は稚拙な英語を駆使するより他なかった。
就職が決まってからの数ヶ月、英会話学校で特訓を受けたくらいでは、日常会話ですら少し複雑になればままならない。
英語での表現が出来ずに講義の途中で絶句する。「上手く言えないのですが」という一言すら出てこない。そうした時の心配そうな顔、呆れ顔、あるいは面白そうな見物顔にはなかなか馴れない。
唯一いた専任の日本人教員は、私と入れ替わるように一年の研修のために日本へ帰ってしまい、残された私は、たった一人で英語環境に取り残された。就任したのは夏休み中のサマープログラムと呼ばれる講座からで、もうじき終るが達成感にはほど遠い。
「大学の先生なんてすごいじゃん。ビザもちゃんと出てんだろ?」
カルビを頬張りながら、マットは明るく言う。
「でも、ずっと英語でやり取りするのはしんどいよ」
同僚の教員達や、事務の人たちは気さくで親切だ。色々と気を遣ってくれているのも分かる。食事に誘ってくれたり、あるいはホームパーティーに呼んでくれる。
しかし、そういった場所で半分も分からない英語でやり取りし、見たこともないテレビ番組の話に相槌を打つのは苦痛なのだ。彼らが冗談を言って笑い合うときに、理解出来ずにいるのは、一人でアパートにいることより何倍も孤独だ。
といってアパートにいれば楽しいというものでもない。石川啄木の「ふるさとの訛なつかし……」という気分で、私は観光客の多いワイキキをぼんやり歩いていたのだった。
「じゃあさ、つまんないときは、ワイキキに来なよ。俺、大抵はこの辺ぶらぶらしてるから遊んでやるよ」
屈託なく笑ったマットは、まだサングラスをかけたままだったが、茶色のレンズの奥の瞳が優しげに細められているような気がした。