広がる不安感
中東にロンデリア海軍機動部隊、戦艦一隻、空母二隻、巡洋艦二隻、駆逐艦一六隻から名なる、が現れたことで、欧州でのオーレリア帝国との紛争発生の可能性は低下することとなった。いくらなんでも、二正面軍事行動など取らないはずだからである。少なくとも、日本や現在のアメリカではまず取りえない行動だった。さらにいえば、オーレリア帝国はロンデリアよりも軍事技術が進んでいるはずであり、ロンデリアもそれを理解しているはずだからである。
とはいえ、なぜこの時期にロンデリアが中東に艦隊を派遣したのか、彼らにすれば、何よりもオーレリア帝国に備えなければならないはずで、中東に艦隊を派遣している余裕などないはずである。ちなみに、この艦隊は本国の部隊ではなく、ジブラルタル駐留艦隊であった。駐ロンデリア大使館もその真意を探るべく、政府との会談を求めているが、応じたとしても、それらの理由は国家機密であるとして、踏み込んだ対談にはいたっていない。
石油であれば、現状では日本は対価を支払えば、供給しており、かってのイスパイアのように禁輸処置は取っておらず、順調に国内活動の機能が維持されているはずであった。量が少ないというのであれば、輸入量を増大させればいいだけの話であった。それすらなさず、莫大な費用を投入してまで自らの石油資源を求めるのか疑問であった。というのは日本政府のものであって、瑠都瑠伊やその他の国家ではある推測がなされていたという。つまり、日本と衝突する可能性のある企み、いわゆる世界の覇権を求めているのではないか、そう考えられているのである。つまり、この時点で日本の勢力圏外への進出であり、そのためには、日本の考え方ひとつで禁輸される燃料事情では困るからだろう、というのである。
そもそも、覇権国家たるもの、対立国につけいれられるような体制では成立しえないということにある。燃料や地下資源など国に必要なあらゆるものを自国あるいは植民地、影響国から何の問題もなく入手できることが必要であろう。他国に影響される体制では到底達成しえないものであるといえる。その意味で、この世界の日本は覇権国家足りえる資格は十分あるといえるが、悲しいことに、移転前の第二次世界大戦敗北によるその後の連合国の関与により、そのように考えることすらしなくなっていた。その点を考えれば、日本より移民して誕生した各国は日本が覇権国家へと向うことを恐れていたといえるだろう。だからこそ、在日国連など形成し、日本に鎖をつけていたといえる。
ロンデリアにとって、覇権国家たるのは移転前の状況からして当然のことだと思われた。かの国にとって不運だったのは日本が常に先を進んでいたことにあったかもしれない。この世界での支配権しかり、国内技術や工業力しかりである。もっとも、中東に関しては、ロンデリアにも十分その可能性があったにも関わらず、出遅れたというのが実情であったかもしれない。いずれにしろ、ロンデリアにとって、中東を押さえるためには石油の出る地域を占領するしか方法がないといえる。あるいは、自らの影響国とする必要があったといえるだろう。
そこにいくと、オーレリア帝国は内陸国家でありながら、既にモレニ油田に相当する油田を押さえており、その点においてはロンデリアを凌いでいたといえる。もっとも、各種の地下資源においては今のところ、確たる情報がなく、日本や瑠都瑠伊では詳しい状況がわからないといえた。もっとも、日本の得ている情報では、それほど資源に恵まれた地域ではないとのことで、いずれはプロリアやグルシャ、イタリア半島に向う可能性もあったし、ロンデリア領域の資源を求める可能性もあった。
日本としては、中東ではともかくとして、欧州東部での両国の激突がもっとも問題であった。海上はともかくとして、その影響がプロリアやグルシャに及ぶことを恐れていたのかもしれない。この時点で、日本の両国に対する対応が決定していたからであろう。ともに、日本の影響力を残しつつ、緩やかに発展させ、将来的には日本のあるいは移民国家の市場化することであったとされていた。
中華民国や朝鮮民国の農産物の輸出先、ようやく軌道に乗り始めたアメリカや英連邦国の工業製品の輸出先とすることを考えていたというのである。少なくとも、シナーイ大陸北部各国や中東のように急速な工業化や発展は望んでいなかったとされる。移転により、在日外国人を放り出す形で誕生した国家や移転直後の政策で仕方がなく関与せざるを得なかった北部の各国とは異なり、急激な発展を望んでいなかったのは先に述べた理由もあるが、もうひとつ、相手の国情と日本の経済的な問題ももあったからであろう。
特に、プロリアは帝国制を敷いており、将来的にも必ず不安定化する可能性が高かったからである。つまり、日本や瑠都瑠伊が関与することで必ず民主化運動が起こるだろうと考えていたようである。それはこれまでの各国への関与から知りえていたといえる。キリールやウゼルがそうであるし、まだ王政を敷いているカザルにしても、民主化運動が各地で発生していたからであろう。つまり、関与するにおいて、日本のあるいは周辺国の情報は公開せざるを得ず、結果的に民主化を煽る形となってしまうからであった。
また、プロリアの場合、日本の支援を受けているロシア地域との関係もあってさらに難しいといえる。ロシアはこれまでの言動から、いずれは欧州へと考えているはずで、そうなると、ラーシア大陸中央、ウラル山脈あたりで紛争の発生する可能性があった。仮に、両国が結びついた場合、これもまた問題となる。どちらが主導権を握るかによって変わるが、世界に目を向け、世界平和を乱す可能性も存在する。
例外的に、ローレシア連邦王国がソフトランディングしたといえる。現状で、出現した当時から変化が少ないローレシアは移転前との環境の変化、さらにその政治体制からそれをなしえたわけで、この時点でより日本、というよりも瑠都瑠伊を指向していた。この時点で日本がもっとも当てにしている出現国家であり、貿易隔壁もほぼないに等しいといえる。環境の変化を解消するため、あらゆる面で改革を進め、日本もそれを支援しているため、その繋がりはさらに強化されているといえただろう。
対して、イスパイアの場合、結局は敗戦による改革となっている。こちらも現状、日米主導で改革に邁進しており、世界に目を向ける余裕はないといえた。この先、五年は世界に目を向けることはなく、国内改革に邁進するであろうとされていた。この場合、通信環境の発展がより改革を早める可能性もあり、短期間で国際舞台への復帰の可能性があったといえる。
そんなわけで、現状、瑠都瑠伊でもっとも、注意を要するのが中東であり、欧州東部であり、ロンデリアであったといえるだろう。そして、これが瑠都瑠伊方面軍および日本軍に二正面作戦を強要する結果となった。ベーネラやイスパイア駐留艦隊を含めれば、分散配置を余儀なくされることとなった。これは瑠都瑠伊はともかくとして、日本に与えた経済的負担はかなり大きいものであったといえるだろう。