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胎動するラームル

 ロンデリアがペルシャ湾東岸に上陸し、北進を開始してしばらく後、新世紀二〇年一月の終わり、それまで順調に行動していたロンデリア軍上陸部隊に被害が目立つようになっていった。これまでたまに出ていた被害とは桁違いなものであった。そのころ、上陸軍はペルシャ湾最深部に近い場所にあり、井戸を掘っていたとき、それまでとは違う攻撃を受けたようであった。もちろん、現場にいたわけではないので、詳細なことは不明であるが、電子戦機による情報と衛星情報によるものでも、その被害の大きさがわかるものであった。


 瑠都瑠伊方面軍司令部に入った情報によれば、セラク神聖帝国軍兵士の使用する銃器がそれまでとは変わっていたという。幾度か述べてきたが、これまではライフル銃とはいえ、ボルトアクション式の単発撃ちか、同口径のガトリング砲が使用されていたと考えられていた。しかし、このとき、使用されたのは半自動あるいは自動小銃であったと考えられた。そのため、相手が単発撃ちだと考えたロンデリア軍兵士が反撃するそばから倒されていったようであった。


 さらに、現地ロンデリア軍はおろか瑠都瑠伊方面軍をも唖然とさせたのが、航空支援に当たっていたヘリコプターの撃墜であった。口径がこれまでとは異なり、大きいと考えられたのである。さらに、ガトリング砲はこれまで手動式であったはずであるが、今回は電動製であったことも判明する。手動式ではいくらガトリング砲であっても、空中を移動するヘリに多数の銃弾を命中させることは不可能であると考えられていたからである。


 瑠都瑠伊方面軍司令部としては、その武器あるいはガトリング砲がどこからきたのかが問題であった。少なくとも、日本製でないことは確信が持てた。これまで、そういったことには注意を払っていたのが瑠都瑠伊方面軍であり、それ以前の第一特殊大隊であったからである。それに、こればかりは現物を見ない限りはなんともいえないものであった。それに、ロンデリア政府に依頼して手に入れてもらうわけにも行かないことであった。そうした中、いくつかの意見が出された。


 パーゼルのイスパイア軍から流れたのではないか、展開中のロンデリア軍から入手したのではないか、そのほかの国から入手したのではないかなどであった。パーゼルからの可能性が高いと思われたが、これは現地に残っていた監視軍からありえないとの報告があった。パーゼル駐留の監視軍の任務の中に、武器の流出防止が含まれており、いくつかの部隊で確認が取れており、流出することはないとされたからである。ロンデリア軍から入手したという考えも否定された。もしそうであるなら、彼らの通信に何か載るはずだからである。


 そういうことで、ロンデリアや日本、イスパイア以外の国が関与していると考えられたのである。むろん、真っ先に疑われたのはアメリカであったが、これはすぐに否定された。そもそも、アメリカはセラージに入港したことがあるが、対岸へは上陸していないことがはっきりしていたからである。そうして、思い出されたのが、先年に起きたロシアによるセラク共和国に対する武器売却のための接触であった。とはいえ、これはペルシャ湾西岸であって、東岸ではないことが確認されていた。


 しかし、ロシア人が幾人かセラージで行方不明になっていること、インデリアの東方国境でロシア船が確認されたことなどの情報から、ロシア製の可能性があることが確認された。当然として、ロシアに確認がなされたものの、ロシア政府は関与していない、そう主張するだけで、なんら証拠の提出はなされなかった。瑠都瑠伊方面軍としては、セラク共和国に入ったロシア兵器が何らかの事情によってセラン神聖帝国に流れた、あるいは、行方不明となっているロシア人が内陸部に連れ去られたか自分の意思でいったか、銃器製造に関与しているのではないか、という考えが生じることとなった。


 いずれにしろ、現物を確認する必要があった。それは武器自体ではなくても、弾薬あるいは使用済みの薬莢でもある程度の推測は可能であった。そのため、パーゼルやセラクから数人がロンデリアのとの戦闘域を避けて内陸部に向った。これは瑠都瑠伊が強要したわけではなく、各地が自らの意思で行ったものであった。仮に、ロンデリアとの戦いがどういう形で終わろうとも、その次にその矢面に立つのが彼らだからであった。事前に情報を得ておくのは常套手段であったからである。


 そうした中、ペルシャ湾に現れたのが、ロンデリアの艦艇、これまでの駆逐艦主体の艦隊ではなく、戦艦と空母からなる機動部隊であった。瑠都瑠伊はロンデリアに強く抗議、日本政府に南米イスパイアにある空母機動部隊を派遣するよう要求している。ちなみに、瑠都瑠伊駐留の機動部隊は現在整備中であり、派遣することがかなわなかったからである。そして、日本軍上層部もこれには応じざるをえなかった。南米イスパイア沖にあった第四機動艦隊をペルシャ湾に派遣することとなったのである。


 ロンデリアはセランをというよりも、ラームルを撃滅させるつもりであったのかもしれない。それが可能かどうかは別としても、大々的な攻撃は実施するだろう、そう思われた。瑠都瑠伊にしても、ロンデリアがセラージに攻めてくることはないだろう、そう考えていた。ただ、一点、石油が産出されなかった場合は侵攻がありうるかもしれない、そう考えていた節がある。


 そして、日本や瑠都瑠伊方面軍としても、ロンデリアとラームルとの紛争に介入するつもりはさらさらなかった。アメリカ軍は介入するつもりであったようであるが、瑠都瑠伊の説得もあって介入を控えることとなった。ちなみに、アメリカ軍の介入は対ラームルではなく、対ロンデリアであった。これはアメリカにとって、中東の油田が最重要であったからに他ならない。また、同じ覇権指向であるロンデリアとは険悪になりつつある関係もあったといえる。


 話がそれたが、この時点でラームルはかってインデリアに支配されていたという情報が伝わってきていた。そして、ラームルをインデリアの支配下から開放した英雄が唱えたのがラーム教であるというのである。さらに、その後も長く続いたインデリアとの戦争の中で、ラーム原理主義者が出現し、その後は始祖の唱えたラーム教をさらに過激にしていったのだといわれているようであった。


 その後何百年とかけて、インデリアを駆逐したラームルが今度はそのインデリアと同じ手法、宗教による支配を目論んでシナーイ大陸南部を東西にその勢力を広げていったとされる。さらに、グルシャによる侵略を退けると、その進んだ技術を取り込み、シナーイ大陸北部へと広げていったとされるが、そこに日本が移転して北のだとされている。これは間接的な情報であって、正確さに欠けるかもしれないが、セラクやセランではそう信じられているといわれていた。


 これらの情報を得た日本軍の多くの将兵は移転前の中東を思い出したという。だからこそ、アメリカの介入をなんとしてでも抑える必要があったのだという。彼らラームルにとってはシナーイ大陸北部から彼らを駆逐、さらに、南西部でも駆逐している日本という国家は殲滅するべき対象であったといえるだろう。それがロンデリアの出現により、多少なりとも日本から目をそらしている。ロンデリアとラームルとの争いに介入できようはずがないのである。もし介入するとしたら、移転前のアメリカと同じことになる可能性が高いからであろう。


 この先、介入するとしたら、日本は相当の覚悟をする必要があると思われた。もっとも、日本本国でそこまで考えている人間がいるかどうか疑問であるが、瑠都瑠伊では軍人の多くが介入に否定的であったとされる。現状で、日本に友好的な国家として、同一民族のサージアやセラクが存在するわけで、日本人にラームルの人間とそうでない人間の区別はつけようがないため、セーザンやセラージには簡単に入られてしまうことになる。そうすれば、瑠都瑠伊にすら簡単に入られることになり、テロ発生を防ぎようがないということになる。


 ここが日本本国と瑠都瑠伊との考え方の違いの根本的な原因であったかもしれない。だからこそ、セランやラームルに対する対応には慎重にならざるを得ないといえたのである。アメリカにもその点を重視して説明したため、あっさりと意見を撤回したといえる。この世界のアメリカは移転前のアメリカでないことを良く知っていたからであろう。


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