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イスパイア占領

 その後、ラジオによる国王の宣言とブエーノスでのテレビ演説により、イスパイア帝国は降伏を受け入れることとなった。首都近郊の部隊は武装解除されることとなった。むろん、各地で軍事政権側に属する軍の反発は継続するが、穏健派に属する軍が対応、ひとまず、首都ブエーノス周辺での騒動は沈静化することとなった。とはいうものの、地方では軍事政権側と穏健派による戦闘が一ヶ月以上も継続することとなり、少なくない民間人の死者が出ていたとされる。


 移転前のかっての第二次世界大戦のころと異なり、テレビやラジオなどのメディアが発展していたことも、降伏後の騒動鎮静化に役立っていたといえるだろう。日米連合軍、多くは日本側であったが、一日二回の記者会見をほぼ毎日、日曜日は行なわれなかった、によって国民にはあらゆる情報が公開されたことも影響していたと思われた。軍事政権側によって形だけの宰相となっていた首相や国王の説得もある程度は有効であったかもしれない。


 イスパイア帝国の今後については、日本よりも米国が主導権を握ることとなった。そうして、彼ら米国が行ったのは、第二次世界大戦終結後の日本に行ったのと同じであり、同様の道を歩ませることとなった。むろん、日本側もかっての経験から訂正したほうがよいと判断される部分には口を出している。それがもっとも現れたのは、憲法に関することであったかもしれない。そして、もうひとつが軍備に関する部分であったとされる。


 これまでまともな憲法がなかったイスパイアに対して日本は自国の憲法に準じた憲法の制定を進言している。もっとも、これは進言という名の命令であったとされる。つまるところ、移転から一九年が過ぎ、この世界でさまざまな関与をしてきた日本において、この世界の安定が何よりも重要であったかもしれない。そのため、強引ではあっても、必要な関与は躊躇なく行うことを決定していたのかもしれない。おそらく、このときの日本にとっても、今後はロンデリアとオーレリアとの間で問題が発生するかもしれない、そう予測していたのかもしれない。そう考えれば、この後の日本の関与の真意が見えてくると思われる。


 また、シナーイ大陸北部各国で行ったように、直接王政の廃止と立憲君主制議会民主制国家への移行が日本の望むものであった。これには、直接王政から議会制民主国家へ移行し、順調に発展しているキリールやウゼルといった先例があったことから、自信を持って実行しえたのが日本であった。そして、日本にとってはこれが基本であったかもしれない。もっとも、国家の最高責任者である首相を選ぶ方法において、議員代表制であろうが、二院代表制であろうが日本には関与するつもりもなかった。アメリカが同列に関与している以上、アメリカ型の二院代表制でもよかったのである。ようは、民意による選出であれば、方法はどうでもよかったといえる。


 他方、アメリカにとっては国土と軍事力が問題であったかもしれない。しかし、移転前の第二次世界大戦後のように、この世界でアメリカが影響力を持っているわけではなく、また、国民が増えたとはいえ、軍事力に劣るアメリカにとって占領軍を駐留させるなど、現状で不可能であった。また、ロンデリアが今後介入するという事態も考えられたため、強引な軍備削減は不可能でもあった。それでも、アジアを除けば、現状でアメリカ軍のほぼすべてを派遣しえるのがこの地域であった。結局、アメリカは四年間、占領軍として、四個師団四万八〇〇〇人と二〇〇〇人の文官派遣を決定する。


 まず、国名をイスパイア国と改め、立憲君主制議会民主国家とされた。国土であるが、出現した当時の国土がイスパイア国固有の領土とされた。移転前のアルゼンチンとほぼ同じであるが、太平洋側も含まれることとなった。フォークランド諸島は移転前には存在しなかったため、現在占領中のロンデリア王国領とされた。そして、北進は調査のためを除いて禁止されることとなった。現状で進出している軍は速やかに帰還させるものとされた。


 軍備では、国防のために必要な最低限とされた。陸軍が一二個師団とその他で一五万人、空軍が航空機五〇〇機で三万人、海軍は沿岸警備隊を含めて一二万人、艦艇のうち、戦艦はすべて廃棄、空母の保有は一隻四万トンまでで四隻、総数五〇万トンまでとされ、一〇年後に改めて協議するとされた。そうして、軍備の多くの自国開発が禁止され、上記の期間中、アメリカから提供するものだけとされたのである。むろん、日本で製造されるが、この場合はライセンス料が不要とされた。


 本来であれば、もっと軍の削減をしたいアメリカであったが、至近にロンデリアが領有するフォークランド諸島が存在し、現状ではアメリカとの関係が対等である以上、思い切った削減を行えば、ロンデリアがイスパイア国への侵攻を行う可能性もあった。そういうこともあり、これ以上の削減を実行させることは難しかったのである。


 また、国内整備に必要な資源、むろん、その中心は石油であった、は日本からの供給がなされることとなった。移転前の第二次世界大戦終結時の日本と異なり、首都を除けば、国内はそれほど荒れておらず、石油以外の資源も存在していたことから、五〇万klの石油の無償供給が決定され、それ以外は有償とされた。日本への賠償は資源によるものとされ、今後一〇年間に渡って行われることとなった。とはいえ、現状で日本がイスパイアから得る資源は他で入手できるため、五年で打ち切られることとなった。それに代わるものとして、一定量の日本製工業製品の輸入が実施されることとなった。ローレシアに対しては、一〇年間の資源の供給と賠償金の支払いで合意することとなった。


 ロンデリアとの講和に関しては、二国間協議によるものとされたが、その席上には日米ローレシアがオブザーバーとして参加することとされた。当初、ロンデリア側は難色を示したものの、日米が僅か一週間でイスパイアを占領し、降伏に至らしめたことから、しぶしぶ応じることとなった。ロンデリアにしても、現状で日本および米国とことを構えることは不利であると考えていたからに他ならない、そう判断したものと思われた。ロンデリアに対しては賠償金の支払いと一〇年間の資源の供給が行われることで合意している。


 しかし、日米ローレシアとロンデリアとの関係はこの一件によって禍根を残すこととなったといえた。ロンデリアとすれば、最終的にはイスパイアを降伏あるいは占領しての終戦を考えており、そこに日米の介在は存在しないものと考えていたはずである。しかし、結果を見れば、日米の介入によってあっという間に終わってしまったといえる。終戦の条件も考えていたよりはその権限が少ない、ロンデリアにとっては悪い条件であったといえるだろう。いずれにしろ、表面的にはともかくとして、内面的にはそういう状況であった。


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