新たな異変
新世紀一九年九月一〇日、マルタ島に国籍不明機二機が領空侵犯、島内を横断する形で二度通過し、北北東へと姿を消したという情報が瑠都瑠伊方面軍司令部にもたらされた。マルタ島の瑞穂国ではようやく整い始めた空軍機二機がが迎撃に上がり、国籍不明機の目視に成功していた。むろん、その情報も同時に瑠都瑠伊にもたらされている。それによれば、双発双巣直尾翼、デルタ翼機で、これまでに見たことのない機体であり、胴体側面と主翼に青赤二重丸に白い星が三個描かれていたという。その後、同様のことはプロリア西部、グルシャでも確認されることとなった。
それに先立つこと一ヶ月前、瑠都瑠伊で震度三程度の間隔の長い地震が確認されていたが、当時の瑠都瑠伊ではそれを深く考えるものは少なかったといえた。そして、不審電波の増大が確認されたことで、ようやく瑠都瑠伊でも異変が起きたことを問題とするように成っていた。ただし、電波発生源が内陸、移転前でいえば、オーストリアやハンガリーに相当することから、あえて調査が見送られていたこともあった。
ちなみに、このとき迎撃に上がったのは、旧式化したとはいえ、この世界では十分に高性能ともいえる三菱F-2戦闘機<極光>(瑞穂国内名称)であった。スクランブル体制ではなかったため、また、パイロットが不慣れであったこともあり、写真撮影は部分的にしか成功していない。それでも、新たな勢力の出現を裏付けるには十分な情報であったといえるだろう。
ここでマルタについて語ろう。移転前のマルタ共和国はマルタ島、ゴゾ島、コミノ島といくつかの島からなる島嶼国家であったが、この世界のマルタは異なる。島嶼ではなく、大きいひとつの島からなり、その大きさは三一〇〇平方kmの細長い島で、形的には千島列島の択捉島の南北を逆にしたような島であった。つまり、大きさも形も択捉島に似ていたといえる。気候的には移転前のそれとまったく同じであったといえた。そうであるからこそ、瑞穂日本国人が移住を決めたともいえるのである。このころには、人口五〇万人を超え、島内開発も急ピッチで進められていた。住民の多くは瑞穂日本国人であるが、その配偶者であるロンデリア人も含まれている。そして、日本国からの移民が一〇万人強、シナーイ大陸北西部各国からの移民も一万人ほどが含まれていた。むろん、人口の半分は幼児であった。
日本というよりは瑠都瑠伊の支援もあって、農工商のバランスが取れた開発が進められていた、また、国家防衛にも積極的で、総数一万人、その多くが海軍であったとされる、も整備されていた。空軍は一二機の<極光>を含む各種航空機三〇機、一〇〇〇人規模、陸軍は一個機械化連隊規模、三五〇〇人、残りが海軍で多くは沿岸警備に付く駆逐艦二四隻を持つ、からなっていた。当初は軍備を有する予定はなかったようであるが、プロリア帝国の出現を機に海上警備軍が創設されることとなったのである。
そういうわけで、瑠都瑠伊としても、南米大陸に軍を派遣している余裕がないといえた。具体的にどのような国家あるいは勢力であるのか不明であるため、警戒が必要であり、しかも、内陸部であることから、海軍ではなく、陸空軍が矢面に立つこととなったのである。さらにいえば、瑞穂国の防衛にも戦力を割く必要が出てくる可能性があった。そうして、一応の準備が整えられた一〇月に、グルシャの北、プロリアの南、移転前でいえば、ルーマニアの西部にあたる地域に不明戦力が出現することとなった。これら地域はまだ未開の地であったこともあり、プロリアやグルシャと戦闘が発生することもなかった。
瑠都瑠伊からは電子戦機や偵察機の利用も予定されていたが、ある事件をきっかけとして、利用が見送られていたといえる。その事件とは、地球上にある観測(偵察)衛星の中で最初に打ち上げられた衛星がかの地域上空を移動しつつ観測を始めたところ、五周めに撃破されたことによる。これは、ナトル半島最北部、ナトル海峡南岸に設置されていた衛星追跡レーダーによって確認されていた。それによれば、地上一万八〇〇〇mから発射されたと思われるミサイルによるものと判断されたのである。
ちなみに、ナトル海峡南岸一帯一万平方kmは、ナトル共和国より割譲されるという形で日本の領土となり、瑠都瑠伊の飛び地となっていた。そして、海空軍基地として整備され、各種軍用設備が建設されていたのである。瑠素路海軍基地の八割が同地に移設、これまで民間空港と併用されていた空軍基地もほぼそのすべてが移動していたのである。軍民合わせて一〇〇万人近い人口があった。つまり、瑠素路には方面軍司令部と陸軍が配備されているという状態であった。
そういうわけで、航空機にによる接近は禁じられていたのである。宇宙空間の衛星を撃破できるということは、現在のの日本と同等かそれ以上の技術力を数している可能性があったからであった。さらに、問答無用で撃破したということは、現状では対話が難しいといえただろう。結局、瑠都瑠伊方面軍としても、もてる軍事力を結集させなければ、今後の対応が不可能と考えられたのである。ちなみに、瑠都瑠伊方面軍においては、航空機発射型、艦艇発射型の対衛星ミサイル(ASAT)が配備(日本本国では地上発射型も配備)されていたが、その本来の目的は、隕石の軌道変更にあったとされている。それは、欧州中原に幾つもあったクレーターに影響されたもので、南原政権時代に確立されたものであった。同じことは奈都瑠伊(ナトル海峡南岸を指す)の衛星追跡レーダー施設にもいえた。
さらにいえば、軍用通信と思われる電波には、秘話通話機能が適用されているのか、その解読は不可能であった。ために、民間用通信、いわゆるテレビやラジオ、その他の電波による推測しかできない状態であったとされる。幸いにして、テレビはデジタル放送ではなく、アナログ放送であり、ラジオにおいても、一部の音楽放送はデジタル化がなされていたが、それ以外はアナログ放送であったため、何とか受信は可能であった。ちなみに、瑠都瑠伊ではテレビはデジタル放送で視聴には専用チューナーが必要であり、ラジオにおいても同様であった。しかし、一部の大陸北西部各国向けのNHKと各国のラジオ放送はアナログでの放送がなされていたといわれる。
少なくとも、民間用放送電波による情報収集は可能であり、多くの情報が得られることとなった。また、かの勢力圏から外れたバルカン半島地域では観測衛星による情報収集も可能であったため、そこからもいくつかの情報が得られることとなった。さらに、プロリアやグルシャには小規模な軍と最新の機器を持ち込み、そこでの情報収集も実施されていた。いずれにしろ、これまでとは異なり、情報収集、特に衛星情報が困難なことは、問題であろう、そう認識されていたのである。
結果として、地中海やグルシャ海、ラーシア海の安全確保のため、瑠都瑠伊方面軍が全力を注ぐこととなった。南米やローレシアに派遣されていた軍の引き上げが急がれ、代替戦力として、本国からの軍派遣が急がれることとなった。そこまで、瑠都瑠伊方面軍がことを急いだのには理由があった。少なくとも、日本と同等の技術力を有しているのであれば、核兵器を装備している可能性が高い、と判断していたからに他ならない。
原子力潜水艦を有しており、自国海軍用ではないとしても、原子力を動力とした航空母艦を建造しておきながらも、本国の日本人の多くは核にアレルギーを持っていたといえるだろう。それは瑠都瑠伊でも軍民問わず、いえることであったかもしれない。しかし、そうではない人間もまた多く存在したのである。それは瑠都瑠伊にというよりも隣接のトルトイに核関連の施設が存在することによるものと思われた。
ともあれ、瑠都瑠伊方面軍としては正面作戦を、日本軍としては二正面作戦の実施を余技なくされることとなる。とはいえ、実際には双方とも、警戒態勢であり、自ら行動するものではなかった。つまり、相手が攻めてくれば、それに対する行動をとる、という防衛戦であった。自ら動く侵攻作戦ではそれこそ、戦力面などの問題もあったかもしれないが、防衛戦であれば、それほど戦力を必要としないからであった。しかし、一方では自らよりも進んでいる技術を持っている可能性があり、一方は格下の技術しかもっていない、そういうこともあり、対応を間違えると、一挙に体制が崩れる可能性もあった。