イスパイア軍情報
イスパイア帝国の内情が幾分かわかってきたのは、ドメッティ中将のほか参謀長や参謀などへの事情聴取からであったとされる。むろん、現在も南大西洋では日本の原子力潜水艦による情報収集が続けられているが、それはあくまでも、電波情報であって、直接現地を見るわけでではない。そのため、確証の持てる情報は少ないといえた。当初は複数の放送電波が確認されていたが、日本が宣戦布告したころから、一種類の放送電波だけになり、それも、日本が把握している結果とは異なる報道がなされていた。あえて言えば、第二次世界大戦中に日本側で行われていた大本営報道に似ていたともいえる。
ドメッティ中将のほか複数の証言で明らかになった事態が軍の一部強硬派による開戦であるということであった。移転前は国際情勢から穏健派が主導権を握っていたといわれる。それが、現れているのが、セーザンやセラージからの原油輸入にあるというのである。産油地の占領を主張する強硬派に対して、穏健派は貿易による入手で十分としていたのだという。それが変わったのは、南大西洋ににおける敵艦隊撃破による勝利であったという。その後は強硬派が権限を握り、本格的な戦闘状態に入ったのだというのである。
そうして、ローレシア攻略の失敗、セラー半島での敗戦により、強硬派の権力が揺らぎ始めている時期での日本軍の本格的な参戦を迎えたというのである。結果として、南大西洋戦線の縮小という流れになっていたが、輸送船が撃沈された段階でのトリスタン・ダ・クーニャ島駐留軍の放棄が決定され、自身はその段階での降伏を決定したとしている。イスパイア帝国軍上層部が同部隊の放棄がたやすく決定されたのは、その多くが穏健派に属する将兵から構成されていたためと、原住民主体の部隊が多かったからであろう、ともいっている。
ドメッティ中将は自身がトリスタン・ダ・クーニャ島へ派遣される直前のイスパイア本国の情勢についても語っている。それによれば、三年分の燃料油の備蓄と弾薬の製造がなされていた、と証言、それを過ぎれば、どこかで燃料油を入手しない限りは継戦能力は消失するであろう、そう話している。それを聞いて、イスパイア帝国の各港湾に係留されている多数の船が動かない理由が始めて日本側に確信させたといえる。もちろん、推測として、燃料がないためであろう、とは考えられていた、確実なものではなかったのである。
複数の証言を総合すれば、イスパイア帝国の燃料事情は悪く、後二年で燃料が不足し、戦争の継続が不可能であろう、そう判断できることになる。食料については自給自足できるため、それほど困窮することはないとされているが、それ以外では多くの場合、困窮することがあるとされていた。電気については、水力発電でその多くが賄われているが、国内全域、移転したもとの国内を賄えるが、移転後に占領した地域までは賄えない状況であるともいう。地価資源においては豊富であるが、精製に必要な火力、石油を含めて、が不足しており、工業生産がそれほどなされているわけではないともいう。特に石炭が入手できないのが問題になっているともいう。
自身が知りえた最後の情報、まだ本国との通信が可能な時期に、穏健派の政治家、ドメッティは自らを穏健派に属するという、との無線会談では、南大西洋への進出は断念したものの、南米大陸北上作戦は継続されるようだということも話していた。これが事実とすれば、いずれ南米に進出している部隊がイスパイア帝国軍と接触する可能性が高いといえた。とはいうものの、この情報の裏付け、衛星情報では確認されていないとされていた。
これらの情報は、意図的にロンデリアへと流されることとなった。瑠都瑠伊もローレシアも今以上に戦線を拡大することは考えておらず、南米へのこれ以上の戦力増強は考えていないが、ロンデリアは南米大陸、というよりも、周辺の島嶼への進出を非公式に明言していたからである。それは先のトリスタン・ダ・クーニャ諸島をめぐる会談でもそれとなく表現されてもいたからである。ロンデリアが単独で戦争継続するのであれば、瑠都瑠伊は問題としないが、瑠都瑠伊やローレシアがそれに巻き込まれることは望んでいなかったからである。
瑠都瑠伊方面軍司令部やローレシア軍上層部がもっとも知りたいと考えていた海軍については、事情聴取に応じたのが陸軍軍人であったことから、それほどの情報を得ることはできなかったが、燃料事情を知ることである程度の予想が立てられることとなった。少なくとも、保有する海軍力すべてが稼動するのは二~三度であり、それ以降は限定された艦艇のみの運用になると予想された。現代に老いても、空母一隻と巡洋艦四隻、駆逐艦八隻からなる機動部隊を一度運用するだけでかなりの燃料を必要とすることはわかっていたからである。ましてや、蒸気タービン機関を搭載するイスパイア帝国海軍艦艇においては、その消費量はかなりのものであると考えられた。
やはりというべきか、陸海軍の仲が悪いということで、海軍の詳しい情報を知る陸軍軍人はいなかったことで、瑠都瑠伊方面軍が求めた情報をを得ることはかなわなかった。たまたまというべきか、事情聴取に応じたのが、海軍艦艇によって国外に出た陸軍軍人ゆえに、知りえた情報というのが知らされることとなった。陸軍情報については聴取に応じた軍人のほぼ知る限りのことを得られていると思われた。当然として、すべてが話されたとは考えられないが、それでも、これまでに比べれば、多くの情報を得ることができたといえるだろう。
ちなみに、このときに得た情報によれば、陸軍は四〇個師団六〇万人、うち、戦車を有する四個機甲師団があり、本国に二個機甲師団が、残る二個機甲師団が東西に分かれて北上しているということであった。詳細なデータはわからないが、搭載砲は一〇〇mmライフル砲であり、同軸で一二.七mm機関銃が搭載されている。航続距離は五〇〇kmであり、ガソリンエンジンを搭載しているという。現在の日本軍が有する戦車と比較しても、時代遅れという感は否めない。搭載砲においては、一二〇mm滑空砲であり、被弾しても発火しにくいディーゼルエンジンを搭載しているのが普通であると考えられているからである。
とはいうものの、これまで陸上戦闘において戦車と遭遇したことない瑠都瑠伊方面軍としては、急遽、本国からベーネラに向けて戦車部隊を派遣する必要があった。移転後、多くの艦艇を整備した海軍や大陸での運用のため、新型機を開発した空軍とは異なり、陸軍は歩兵装備以外は軍備の刷新を行ってはいない。そのため、戦車といえば、○四式戦車か九〇式戦車しか装備されていないといえた。七四式は改造されて装甲車となっていた。その結果、九〇式戦車を一個大隊規模で派遣することが決定している。ローレシア軍も所有する機甲師団のうち、一個戦車連隊をベーネラに派遣することとされていた。
そのほか、陸軍はいずれも自動車化されており、ジープやトラックが装備されており、これが進撃速度を速めていると思われた。対して、ベーネラは県軍は完全に自動車化されているわけではないため、こちらも多数送られることとなった。そうして、野戦滑走路の整備も急がれることとなった。イスパイア帝国空軍機との接触を恐れたためであった。接触した場合の迎撃や航空偵察、緊急展開部隊の派遣をも考慮されたのである。
結局のところ、日本の予測が甘かった、そういえるだろう。瑠都瑠伊は別として、本国では南大西洋に出たということは南米大陸の北進は停止していると考えていたのであろう。しかし、南大西洋からの撤退、幾度かの海上での接触から、南米東北部に日本軍が上陸しているという情報は伝わっており、今後は陸上を北上する可能性が高いといえた。さらに、それまで予想しなかったか勢力であると考えられたのである。機甲部隊に来られては常に航空支援がなく、戦車を有しない上陸軍は対戦車ミサイルを装備しているとはいえ、不利なことは間違いがないと思われた。
空軍力については、大まかな情報、戦闘機四種類、爆撃機二種類が常用されており、戦闘機については戦闘行動半径九〇〇kmから一○〇〇km、爆撃機は爆弾一〇トン搭載で三四〇〇km程度という情報でしかない。つまり、軍が異なれば、詳しい情報は入手しえないのがイスパイア帝国軍であるというのである。幸いにして、ベーネラは未だ航空攻撃は受けていないが、航空機に対する備えは必要であると考えられた。
そういうわけで、日本がベーネラに居座る以上は対空捜索レーダーの配備や地対空ミサイルの配備が必要であり、迎撃戦闘機の配備も必要であろうと思われた。この点においても、日本本国では、五基の移動レーダー車両と、航空母艦を常駐させるだけでよかろう、そう考えていた節がある。しかし、それは海軍にとっては好ましい状況とはいえず、海軍側は空軍機の派遣を求めていたが、本国からは検討中であるとの返事しか返ってくることはなかった。
最終的には、本国から陸海空三軍の部隊を派遣することとされたが、それは瑠都瑠伊方面軍が部隊をベーネラに派遣しておく余裕がなくなる事態が発生したからに他ならない。