瑠都瑠伊方面軍動く
カラーチ問題を一応片付けた瑠都瑠伊方面軍司令部は一二月七日午前一〇時に前進拠点であるローレシアのサースタウンへと移動した。移動したのは先に述べた陸軍一個旅団で、これに海軍一個機動艦隊、補給艦二隻および貨物船四隻が各種装備の輸送に充てられた。陸軍司令官は先にローレシア入りして連絡武官を務めていた安西少将(昇進)が、海軍艦隊司令官は長く瑠都瑠伊において海軍整備を進めてきた大田章吾少将が勤めることとなり、総司令官として瑠都瑠伊方面軍司令官である今村中将があたることとなった。とはいうものの、今村は瑠都瑠伊を動くことはないとされていた。
陸軍司令官に大陸調査団派遣軍時代から今村の下にいた安西が選ばれたのには理由があった。日本軍というよりも瑠都瑠伊方面軍単独での作戦であれば、別の軍人を充てていたかもしれないが、ローレシア軍との共同作戦の可能性が高かったことから、短期間とはいえ、ローレシア軍上層部とのパイプがあったからに他ならない。この場合、提供された前進拠点のある国の軍人との関係が重要とされたのである。むろん、能力的にも指揮官たる能力を持っていたからであろうと思われた。
航空戦力は『しょうかく』搭載の戦闘航空隊二個飛行隊、基地航空隊(対潜哨戒機部隊)が半個飛行隊一二機、P3C派生機三種三機があり、これに各種ヘリが加わることとなる。艦載機部隊を除いた各機の航続距離は短いが、増槽を装備することで距離を稼いでいた。進出拠点の防空など可能な限りにおいて、ローレシア空軍が担当することとされていたため、空軍としての部隊展開はないとされたが、実際のところは輸送部隊として、C-130H<ハーキュリーズ>六機が参加している。これは緊急輸送に備えてのものであっり、ローレシア側には同様の機体はあったものの、能力的にはこちらの方が上であったからであろう。
今回の作戦目標、それはトリスタン・ダ・クーニャ諸島、とりわけ、トリスタン・ダ・クーニャ島とゴフ島の占領にあった。衛星偵察では、この二島がイスパイア帝国軍の有力な基地となっていることが確認されたからであろう。これらを占領することにより、ローレシアの安全が確保され、南アメリカ大陸への逆侵攻の拠点となすことが可能であったからである。さらに、北にあるアセンション島、セントヘレナ島への監視拠点ともなりえたからであろう。
ただし、今村にしても沢木にしても、日本本国の意図がつかめていないのは不安を感じているところでもあった。戦争を始めたはいいが、何をもって終戦とするかが明確ではないからである。ちなみに、今村が沢木に語ったところによれば、瑠都瑠伊方面軍としては、南大西洋からイスパイア帝国軍を駆逐し、南米の最北端に軍を進出させ、南米に封じ込めることを最終目的とすると明言していた。それはインド洋の安全を確保することにあったといえるだろう。
もっとも、太平洋に進出する可能性もあるが、その場合は瑠都瑠伊方面軍の関知するところではなく、本国軍と米仏が対応すべきだとしていた。瑠都瑠伊としては地中海、紅海、グルシャ海、インド洋西部とラーシア海西部の安全が第一であり、その維持が任務であると沢木に告げてもいた。つまるところ、ロンデリアを含む北米大陸の安全については、今村の頭の中にないといえただろう。それは遭遇から現在までの両国の対応により、心情的にローレシアに肩入れしているともいえた。瑠都瑠伊からすれば、ロンデリアは多くの壁があるが、ローレシアのそれは少なく、また、低いためであろうと考えられたからである。
先に述べた戦争終結に至るには、瑠都瑠伊方面軍だけでは到底不可能であるが、ローレシアとの共同作戦であれば可能であろう、というのが今村を含めた瑠都瑠伊方面軍司令部の見解であった。つまり、瑠都瑠伊にしてもローレシアにしても、現状ではイスパイア帝国本土の制圧を考えていないといえる。それは当然であろう。日本軍(瑠都瑠伊方面軍を含む)と英米露の軍を総動員しても日本周辺の移転国家単独では不可能であり、ローレシアとロンデリアの軍が総力を挙げれば、制圧可能かもしれない、そう考えられていたからであろう。
むろん、もう一方の当該国であるローレシアがどう考えているかは不明であるため、今村としてはそのあたりを確認しておく必要を強く感じてもいたという。そして、前進拠点を提供してくれている以上、最高責任者としてローレシアへの訪問の必要性を強く感じてもいたとされる。とはいうものの、現状の今村はそう簡単に動けるわけではなく、それなりの準備が必要であった。結局、自分で考えていた予定は本国政府の宣言により、その多くが狂うこととなったといえるだろう。
後に判明するが、ローレシアでも日本政府の発表に困惑していたというのが実情のようであった。少なくとも、瑠都瑠伊州政府とは連絡は密にしており、瑠都瑠伊方面軍との連絡もより密度が上がっていたが、そこに日本政府から派遣された外交官や軍高官との対話が加わり、統一性がなくなっていたといえたのである。つまり、ローレシアにとって、日本政府の真意が測れなくなっていたという。そのため、総責任者である今村との対話を強く求めていたという。
さらに、新総理の意向もほぼ今村と同様であることが判明するが、本国の多くの閣僚や官僚は終戦に対する明確な意思は持っていなかったのである。これが国会議員におよぶと、タカ派議員の中には南米全土の征服を持って終戦とする、などと正気とは思えない発言をするものも多数いたといわれていた。結局、新総理はこれらのへの対応を迫られ、日本の内政に一抹の不安を感じずにはいられなかったのが瑠都瑠伊であった。
そういうわけで、新総理が瑠都瑠伊を訪問するのが大幅に遅れ、前進拠点に向かって部隊が出発してからであった。そうして、一部の意見の相違はあったものの、新総理の意向を確認した沢木と今村は安堵することとなった。軍としての指針が示された以上、それに沿って作戦を実施するのが、今村の役目であったといえる。その結果として、今村は進発した部隊を追ってローレシアのサウスタウンへと向かうこととなったのである。むろん、表向きには派遣軍としての明確な目的を将兵に自らの口で伝えることであり、裏の目的はローレシア軍上層部との作戦面のすり合わせにあった。
サースタウンに到着した今村は早速派遣軍の司令官および参謀との対談の席を設け、瑠都瑠伊方面軍司令部の作戦とその最終目標を通達することとなった。そして改めて今回の作戦目標がトリスタン・ダ・クーニャ諸島の制圧、トリスタン・ダ・クーニャ島とゴフ島の占領、両島の連合軍(ここでは瑠都瑠伊方面軍とローレシア軍を指す)の拠点化とすること、アセンション島、セントヘレナ島からイスパイア帝国軍を駆逐することにあるとしている。なお、ローレシアとの共同作戦は行われるが、ロンデリアとの共同作戦はないことを明言している。
今村としては、トリスタン・ダ・クーニャ島を瑠都瑠伊方面軍の、ゴフ島をローレシア軍の拠点化することを考えていた。ただし、アセンション島、セントヘレナ島へは空爆あるいは対地攻撃のみで侵攻は行わないものとしていた。仮に、ロンデリアがクレームをつけてきた場合には、ゴフ島への侵攻は行わないものとして、アセンション島、セントヘレナ島への攻撃は行わないとしていた。これら地域の攻撃終了後の占有権などの交渉は政治的に行われるものとし、確定するまではトリスタン・ダ・クーニャ島の確保は続けるものとしていた。
新総理との考え方の相違のひとつに、これら地域の領有に対するものがあった。つまり、トリスタン・ダ・クーニャ諸島の領有は行わず、対話においてロンデリアが要求した場合にはその領有権を認める、というのがその考えであったといわれる。しかし、今村は別の考え方、ゴフ島を含めたトリスタン・ダ・クーニャ諸島は日本が領有しないにしても、領有権はローレシアにあるべきだとしたのである。結局、ゴフ島を除くトリスタン・ダ・クーニャ諸島はローレシアにあるとする方向で意見の一致を見ることとなった。
このとき、今村が強く言及したのはロンデリアの政治的姿勢、白人至上主義がある限り、ローレシアとの間で問題が発生する可能性があることであった。それを避けるためにはトリスタン・ダ・クーニャ諸島をローレシアが領有することが最善だとしたのである。ゴフ島はトリスタン・ダ・クーニャ本島から三五〇km離れており、双方あるいはどちらかが侵攻しない限り、問題が発生しないだろうとしたのである。ローレシアとしても、自国の安全のためにはトリスタン・ダ・クーニャ島に軍を配置することで守られている、そう考えているとしたのである。
そういうこともあって、派遣軍には最低限でもトリスタン・ダ・クーニャ島の拠点化を命じていたといえる。そして、ローレシア政府および軍上層部にそれを納得させることがこの後の今村の仕事であるといえた。アセンション島、セントヘレナ島はローレシア本土から遠く、仮にロンデリアが軍を常駐したとしても、ロンデリアの現状の技術ではローレシア本土への攻撃は難しいと思われたからである。それに、ローレシアが海外領土を得たとしても、その維持には経済的負担が大きいということもある。もっとも、それは今の日本でも同様であったといえる。