日本の支援
新世紀一八年三月、ローレシア軍はイスパイア帝国の攻勢を何とか凌いでいたが、損害も増えつつあった。とはいうものの、未だ上陸は許しておらず、対空迎撃と対艦攻撃に集中していたといえる。つまり、イスパイア帝国軍の空爆を凌ぎ、その後に続く陸上兵力の上陸を頓挫させていたのである。しかし、空軍機の損害は増え、稼動機体が減少しつつあった。特に、大型爆撃機による空爆から、中型爆撃機による空爆作戦への移行で、戦闘機同士の空戦が多発、誘導技術に劣るローレシア空軍は撃墜されることが多くなっていたのである。
本国近海での戦闘とあって、パイロットは脱出し、半数のパイロットは再び戦闘に参加することが可能だった。しかし、機体の補充数が少なく、日増しに迎撃に上がる機体が減少していたのである。前にも書いたように、ローレシア軍は移転前に他大陸との戦争準備に入ったばかりで、移転による燃料油の輸入途絶と国内政策優先のため、戦争準備が停止されていた状態にあった。対イスパイア戦はそれまでの軍備で何とか凌いでいたという状態であり、一時中断していた戦争準備を再開したものの、それがまだ整っていない状況であったといえるだろう。
陸戦に備えて歩兵用装備の増産も行われていた。ここで幸いだったのが、新装備の生産ではなく、旧装備の生産、多くの装備が倉庫に眠っていたため、手っ取り早く準備するにはそれらを利用することを優先したことであった。それが、瑠都瑠伊からの装備導入を助けることとなった。また、空軍機の増強のため、瑠都瑠伊に機体の生産を依頼していたことが功を奏しつつあったといえる。Su-27<フランカー>に似た双発の機体は制空戦闘機であり、F-16<ファイティングファルコン>に似た単発機は対地攻撃を主任務とするものと思われた。
その機体、ローレシア呼称はF-17<バッカス>の諸元は次の通りであった。全長二一.一m、全幅一四m、全高五.三m、自重一万四六〇〇kg、全備重量三万kg、最高速度M二.四(高空)、M一.一六(海面高度)、上昇限度一万m、航続距離三六〇〇km(空輸時)、戦闘行動半径一○〇〇km、エンジンサリューカ製ターボジェット×二基、推力一万三五〇〇kg×二、武装二五mm機関砲×二(弾数各一五〇)、LA空対空ミサイル×六、SA空対空ミサイル×四、乗員数一名というものである。目に付くのは上昇限度であろう。僅かに一万mであるが、この世界では二万mまで可能であった。これは移転前との環境の差であろうと考えられる。
これが瑠都瑠伊で生産したものになると、全長二一.一m、全幅一四m、全高五.三m、自重一万三〇六〇kg、全備重量三万kg、最高速度M二.三六(高空)、M一.二(海面高度)、上昇限度一万八〇〇〇m、航続距離四二〇〇km(空輸時)、戦闘行動半径一三〇〇km、エンジンF100-PW-220ターボファン×二基、推力一万○六三七kg×二基、武装二○mmバルカン砲×一(弾数九六〇)、AIM-7スパロー空対空ミサイル×六、AIM-9サイドワインダー×四、乗員数一名というものになる。この機体はF-20<バッカスホーク>と呼ばれることとなった。
エンジンにジェネラルエレクトリック社製のF110-GE-129ターボファン(推力一万三四三○kg)を使用しなかったのは機体の大きさはともかくとして重量がF-15<イーグル>並に抑えられたこと、この世界での環境を考えてのものであった。さらに、電装関係はF-15<イーグル>と同等のものを搭載する。ゆえに、性能的には遥かに高性能化したものになっていたといえる。
ちなみに、F-16<ファイティングファルコン>に似た機体は過去に装備していた三菱F-2支援戦闘機そのもの(エンジンは国産であった)が製造されて供給されることになった。こちらは電装関係は優れていたが、搭載兵装の少なさでローレシア側の評判はあまりよくなかった。それでも、対艦攻撃には有用であるとされ、対地攻撃能力に問題を抱えたまま、若干の改良が施された機体を運用している。この機体と同時にASM-1対艦ミサイルも提供されていた。
他方、ロンデリアに対しては日本は実物の輸出は行っておらず、情報のみ提供されていたといえる。それはF-15<イーグル>であり、三菱F-2支援戦闘機であった。当初、日本は輸出を打診したが、ロンデリア側が固辞、情報のみの提供に切り替えられたのである。もっとも、ロンデリアでは類似の機体は簡単に製造できると考えていたようであるが、実際のところは未だなされてはいない。
現状で、イスパイア帝国が戦力を集中しているのは南大西洋であって、北大西洋までは進出しておらず、ロンデリアが侵攻しない限り、戦闘は発生していないため、開発に対する時間は十分あるだろうとされていた。この時点で、イスパイア帝国はパナマ海峡を越えてはおらず、太平洋にも進出していなかったのである。すべてが、南大西洋に向けられ、アフリカ大陸南部がその目的であろうとされていたのである。
ローレシアに兵器を輸出するということは、瑠都瑠伊へのローレシア人の受け入れも増加することとなった。ただ機体を輸出するだけではその機体がまともに運用されない。理由は簡単で、習熟期間が必要であり、整備要員の育成も必要であった。そういう意味で、瑠都瑠伊に多くのローレシア軍将兵を受け入れる必要があったのである。幸いにして、陸戦兵器は歩兵装備を除いて供給していないため、主に空軍将兵だけであった。それでも、三ヶ月あるいは半年交代で一〇〇〇人が常時滞在することとなったのである。
そして、彼らの訓練支援に当たっていたのが、P-3C-AWACSであり、それを聞いたローレシア空軍上層部が打診してきたのがB-30<ボマー>、かの国で採用されているB-52<ストラトフォートレス>に似た爆撃機の呼称、を改造した早期警戒管制機の製造であった。そして、自国で現在使用しているAWACS、E-2C<ホークアイ>に影響されて急遽製造した機体を持ち込んでもいたのである。むろん、要求は簡単ではなかったが、日本本国はP-3C-AWACS、これは移転後すぐに開発されたものであったが、性能的にはE-767AWACSに劣り、E-2C<ホークアイ>と同等の性能のものであった、のシステムをB-30<ボマー>に搭載することを認めたのである。
それとて、簡単にできるものではなかったので、瑠都瑠伊ではまだ稼動状態であったP-3C-AWACS四機の提供を日本本国に問うている。結果として、認可されたため、それをローレシア側に伝えたところ、一機だけでも改装を伝えてきた。しかし、システムの載せ換えそのものが簡単ではないことから瑠都瑠伊では最短でも半年、機体改造も含めれば一年はかかるだろう、としていた。結局、乗員の習熟を進めるほうが短期間で戦力化できることで、瑠都瑠伊での習熟訓練が行われることとなった。このところ、瑠素路の空軍基地では毎日のようにローレシア空軍の飛行訓練が行われていることから、それらを利用しての訓練が実施されることとなった。
それほどローレシア側が改造にこだわった理由というのは、P-3C-AWACSの航続距離、対空時間にあったのである。七時間という制限があったためで、B-30<ボマー>を改造した場合は一三時間以上と倍であると考えていたためであった。とはいうものの、与圧がなされていない機体では改造までかなりの期間を要することが考えられたための妥協でもあった。少なくとも、滞空時間を除けば、現在使用している機体よりも遥かに高性能なものであった。
これらは対イスパイア帝国戦争が始まった直後から行われていたものもあれば、途中から行われたものも多い。航空機に関してはローレシアのイスパイア帝国に対する宣戦布告後に開始されているが、本格化したのは損害が増えてからであった。なお、AWACSに関してはこの年二月に入ってからのものであった。とはいえ、日本軍の現有航空機や機器を提供することはなされていないため、正確にはダウングレードされている。これは、多くの兵器の基礎となっている部分を開発した米国の横槍があったためだと思われる。
そのためもあって、このころには日本軍が有する装備のほとんどが国産となっていた。ほとんど、というのは部分的に不可能なものも存在したからである。たとえば、搭載機銃がそれであり、現在も採用されているM61バルカン砲などがそれである。ミサイルに関してはほぼ国産化されたものを装備している。エンジンに関しても、一部を除いて国産化されており、まだ現役であるF-15<イーグル>に搭載のエンジンも国産エンジンを使用しているといわれる。