シナーイ大陸状況
サージア共和国やセラク共和国からは、先のセラー半島での戦い、セラク軍の損耗に対して瑠都瑠伊軍(これら二国は日本軍とは決して言わない)の損耗の差から、自らの力でセーザンやセラージを守れないかもしれない、厄介ごとを抱えるよりは放棄してしまえ、そういうこともあり、瑠都瑠伊に対して正式な割譲という話しも出ていたといわれる。これは、彼らにしてみれば、燃える水、いわゆる石油を利用しきれないという理由も存在する。これは、もっともなことで、現地では、自動車やトラックの便利さは十分理解していても、それらを使用するにおよんで幾多の事故が起こっていた、という現実が存在する。
もちろん瑠都瑠伊や日本がそう望んだわけではない。逆に、何とか早く独り立ちしてもらいたい、そういう意味もあって教育は行っていたのである。しかし、いまひとつそれが進まないのである。このあたりがシナーイ大陸北部の各国と異なる点であった。もっとも、現状でもほとんど割譲された状態となんら変わることはないといえた。もっとも、それを日本が喜んでいるか、といえば、決してそうではない。日本の領土となれば、その維持と開発に莫大な資金が必要であり、そうではなく、輸入するだけの方が楽であることを知っていたからであろう。
これが日本の近隣、たとえば、波実来やリャトウ半島であれば、また話しは違ってくる。距離がありすぎるため、日本政府のコントロール下に置くことが難しいことを知っていたからであろう。事実、瑠都瑠伊という前例が存在する。瑠都瑠伊にしても、日本との距離に比べれば遥かに近いとはいえ、それでも二〇〇〇km、セラージにいたっては四〇〇〇kmは離れていることもあり、維持の難しさを知っており、早急に自立してもらいたい、そう考えていた。
ちなみに、セラージへの部隊派遣やセラー半島の戦闘に対してかかった費用はといえば、セラクから出ることになっていた。むろん、現金でというわけではなく、資源、つまり石油で支払われる。つまり、日本に対する原油割り当て量が増えるということになる。セラクもサージアも、産出する原油の五割を自己の所有物としているが、自国で使用するのはそのうちの一割にも満たないため、各国に輸出している。割譲となれば、その外貨獲得が難しくなるが、割譲の条件に、五〇年間の必要量の無償供給と武器弾薬の無償提供をおこなう、と明記されていた。
つまり、日本は産出する原油の五割に対しては無償で得られるが、それ以外は有償で輸入しているということになる。そして、無償で得られる分は自国での利用もあるが、多くが各国に輸出されている。そう、サージアやセラクは見た目はともかくとして、結構な金持ち国家であった。とはいうものの、建国にいたるまでに、日本が投資した額が借金として残っていること、武器弾薬の購入のため、借金を返済しえていない。
こう書くと首を傾げるかもしれないので、はっきりさせておくと、現在、セーザンやセラージから産出する原油の量はそれほど多くはない。移転前の中東とは問題にならない位に少ないといえる。油井の数を見れば判るが、両方合わせても二〇にも満たないのである。つまり、現状ではそれで十分であったといえる。日本にしてみれば、波実来やラーシア海南岸部の油田もあり、それほど必要ではない。日本近隣国家にしても、人口の問題もあって、それほど多量に必要とされていない。この双方の原油をもっとも必要としているのは、ロンデリアであり、ローレシアであった。戦闘が発生するまではイスパイアも加わっていたのである。
波実来やキリールのサリル、ウェーダンのストールでも油井は各一〇ほどであった。これは、日本近隣国家の需要を賄うには十分であった。このうち、現在稼動しているのはキリールとウェーダンで合わせて一〇、波実来で三である、これは日本近隣国家の原油輸入が中東のセーザンやセラージの原油にシフトしたためで、あった。キリールやウェーダンでは自国消費分と日本への輸出分になる。自国での消費がまだそれほど多くない両国はそれほど産油する必要はないのであるが、一時は外貨獲得の中心となっており、中東で原油が産出したため、輸出が半減していた。それを補うため、日本が輸入していたのである。結果として、日本は自国の波実来の産出を控えることとなったのである。
シナーイ大陸北部の各国、ウェーダンやキリール、ウゼル、カザルではいずこも日本の持ち込んだ規格が採用され、近代化が進められていた。当然、原油の精製規格も当てはまる。さらにいえば、貴金属の規格も工業製品の規格も当てはまることになる。ここでいう工業製品、それは銃器や銃弾といったものにも適用されていた。日本は当初、八九式自動小銃の五.五六mmを考えていたのであるが、工業がそれほど発達していないこれらの国では、五.五六mm口径弾の製造は難しいものであった。そこで、元々の七.七mm口径に近い七.六二mm口径弾(NATO標準減装実包である七.六二mm×五一)を統一規格として採用したのである。結果として、それは浸透していき、今では普通に製造されている。
トルシャールでは独自規格を採用していたが、瑠都瑠伊やトルトイ、ナトル、サージア、セラクなどでも浸透しつつあった。何も武器弾薬に限ったことではなく、おおよそ可能なものはすべてそうしていったといえる。むろん、まだほんの一部だけではあったが、徐々に増やされていくことになるだろうと考えられている。これと同じことはシナーイ民国やシナ国でも進められているが、こちらはまだまだ時間を有すると考えられている。
これらの地域の工業力を見てみると、瑠都瑠伊は日本となんら変わらないまで発展していた。近隣のトルトイは総合的にみて移転前の一九五〇年代後半、ナトルは一九五〇年初め、サージアは一九四〇年代後半、セラク共和国は一九四〇年代前半、ただし、セーザンやセラージは一九九〇年代前半まで発展していた。トルシャールは一九三〇年代後半といったところであった。ウェーダンは一九七〇年代前半、キリールは一九七〇年代前半、ウゼルとカザルは一九五〇年代後半、シナーイ民国やシナ国は一九二〇年代後半といった状況であった。
もちろん、総合的にみてということであり、部分的には進んでいるところもあれば、遅れているところもあるということになる。たとえば、交通手段のうち、航空輸送は日本が積極的に介入したため、ほぼ二〇世紀末のような状態であり、海上輸送(ウゼルとカザルは内陸部のため、除く)も同様であった。陸上輸送のうち、鉄道輸送は進んでいたが、トラック輸送は遅れているといえただろう。これは道路網の整備の遅れと自動車の普及率が関係しているといえる。
工業生産においては、重工業はまだこれからということで、軽工業や繊維産業が進みつつあるといえた。例外的に、ウェーダンおよびキリール北部のラーシア海沿岸は急ピッチで重工業地帯が開発されつつあるといえた。つまるところ、海洋に面していた、それも海上輸送路にあたる海域にある国や地域は発展するが、内陸国家は発展が遅れるということであった。移転前の世界でも、多くの場合がそうであるように、大量輸送手段がなければ、開発が難しいといえた。
ともあれ、ほぼ中世から近代にまで急激に発展しているため、各国でそれぞれ固有の問題が発生しているのも事実であった。特に、トルシャールでは北部の日本受入慎重派と南部の受入容認派で抗争が続いていたといえる。まじかに近隣諸国の発展振りを見ていれば、自分たちも、と考えるのは当然のことであったといえる。また、大陸横断鉄道の影響もあり、日本容認派の勢力が強くなっていたといえるだろう。
シナーイ民国の場合は、まだ内戦が続いていたといえる。旧帝国派は西へと追いやられているが、その境界線では紛争が多発していたのである。ために、国内の整備は進んでおらず、また、かっての帝国時代の政策もあって、国土が荒廃していた。少なくとも、本格的な改革が実施され、発展するには三〇年を要するだろう、というのが多くの知識人の見解であった。中華民国との国境問題も浮上し、国内情勢は不安定だといえた。
シナ国の場合、ファウロ河の対岸がウェーダンや日本領のリャトウ半島ということ、シナーイ民国と比較すれば、遥かに国土が狭いこともあって若干の進歩が見られているといえた。そもそもが、日本軍の影響を受けた人物が政府上層部に多いため、急速に国内整備が進みつつあるという状態であった。今後はシナーイ民国との差が大きくなるはずであった。