ロンデリア情勢
同じようなことはロンデリアにもいえることであった。こちらは移転前の彼らの世界では、一大連邦国家を築いており、ロンデリアに対抗する国は少なく、アメリカ連合国とフローレンス共和連合、ロレア人民連邦国くらいであり、最近の戦争、世界大戦から八〇年を経ており、以後は特に紛争もなく、平和であったため、軍事技術よりも民生技術が発展していたといえる。そのため、軍事技術においてはイスパイア帝国に劣っていたといえるかもしれない。
ロンデリアは日本に支援を求めることなく、すべてにおいて自国でまかなうようであった。幾つかの戦闘で損失した艦の製造を既に始めていたといえる。それはローレシアと異なり、戦場が自国から遥かに離れた地域で発生していたからであろうと思われた。むろん、日本だけではなく、比較的交流の進んでいた米英からの支援も断っていたとされる。もっとも、それまでに知りえた各種情報から、若干の性能アップは図られそうであった。また、米英では明確な技術の盗用がなされない限りはクレームをつけることはしなかったようである。
ちなみに、これら三国とも戦艦を有しており、巨艦を持たない日本および周辺国家群の軍事力を過小評価していた向きがあった。ローレシアを除く二国は自らの戦略思想にこだわったといえるだろう。対して、ローレシアはいち早く日本を含む移転国家の戦略思想を導入し、航空主兵へと転換していたといえる。ただし、日本側も五万トン近い装甲の塊である戦艦に対する対艦ミサイルの有用性を疑問視する向きもあり、それは当然としてローレシア側に伝えられていた。そして、瑠都瑠伊やに本本国で対戦艦用対艦誘導弾の開発が始まることとなったとされる。
この時点で、日本が彼らより優っていた巨艦とは航空母艦だけであったといわれる。「しょうかく」型がそれであり、基準排水量が六万五〇〇〇トンであった。対して、各国が有する戦艦は基準排水量三万六〇〇〇トンから四万トン、航空母艦は基準排水量三万トンから四万トンであった。艦の大きさはともかくとして、外観的には主砲を九門から一二門を装備していることで、相手に与える威圧感が異なる。そのために、二国は現在も戦艦を建造していたのかもしれない。
特にロンデリアでは、日本を知ったことで、幾つかの艦船の建造思想を変えていた。それが航空母艦であり、現在は「しょうかく」型とほぼ同等の六万トンクラスの艦艇を建造中であったといわれている。むろん、日本に通達されたわけではなく、駐在武官が建造現場を見せられており、それが本国に知らされて北のである。とはいうものの、未だ船体すら完成しておらず、竜骨と船底しか出来上がっていない。かの国では他国に劣る艦艇を所有していることが気にいらないようであった。
ともあれ、ロンデリアは北アフリカの西端、移転前でいえば、モロッコに当たる、を根拠地に艦隊運用を行っていた。イスパイア帝国はこれまで赤道を越えることはなく、安全だと考えているからであろう。その中には当然として潜水艦も含まれている。日本にも公表はされておらず、所有数ははっきりとしないが、一二隻ほどが確認されており、いずれも通常動力、ディーゼル機関搭載と考えられていた。この一二という数字は、潜水艦にスクリュー音の違いが一二個確認されている、そういう意味であった。
よく知られているように、同じ艦種であっても、同じ造船所で建造されても、一隻一隻スクリュー音が異なるのである。これを音紋というが、現在では艦特定の重要な要素となっているが、この音紋が潜水艦だけで一二個確認されているということである。しかも、機関音なども含めて三種類に分かれることが判ったのである。この潜水艦が南大西洋に二種類六隻が交互に現れ、情報収集を行っている、日米はそう判断していた。
もうひとつ、駐ロンデリア大使館および駐在武官からの情報として、予備役兵への召集がかけられており、既に二万人ほどがそれに応じているという報告が上がっていた。武官によれば、陸軍よりも海軍および海兵隊の方が多いということであった。つまり、戦時体制への移行が始まっているいるということになる。少なくとも、先の艦隊攻撃に対してそれ相応の反撃を考えていることが明確であったといえる。
ロンデリア国内のテレビ放送によれば、国民の七割が戦争に賛意を示し、思い知らせるべきである、との意見である、という情報が日本に知らされていた。そして、駐日本大使館には、国債の購入と医薬品や日常品の輸入量増大を打診してきていた。彼らとて日本の医薬品技術が優れていることを認めていたし、国内の生産設備の多くが軍需品、武器弾薬の製造に移行するため、生産の少なくなるこれらを安価に購入できれば、と考えていたのであろう。
これに対して、日本は当初、話し合いで解決すべきではないか、としていたが、結局、応じることとなった。日本としても、利益の大きい軍需用品ではなく、利益は少なくとも、医薬品や日常品の方が良かったからでもある。というのも、移転からこちら、軍需産業ばかりが利益を得ているという状況が続いていたからである。ロンデリアとローレシアの出現により、多少なりとも軍需産業以外も収益が好転しつつあったが、移転前に比べれば遥かに少なかったからである。ここで、軍需産業以外の産業の収益が好転することは将来においても良いことであったからである。
もっとも、国債を購入するということはそれなりにリスクが伴うものであり、ロンデリアが対イスパイア帝国戦に勝利しなければ価値がなくなってしまうため、それなりの支援が必要であったといえるだろう。結局、好む好まざるに関わらず、対イスパイア帝国傾向を強めていくことになったわけであった。少なくとも、中立でいられなくなるということである。もっとも、最初から敵対し、最初に戦端を開くはずが、そうならなかったということは響くともいえたかもしれない。
そういうわけで、ラーシア海経由のロンデリア方面への船舶量が増大することとなった。ここで、日本が注意しなければならないのが、プロリア帝国の動向であった。かの国の留学生、しかも、王族を含めた、が多数瑠都瑠伊に滞在していることもあり、彼らを通じて本国へと情報が伝わっているはずであり、彼らが何らかの行動を取るかもしれない可能性があったからである。なにしろ、瑠都瑠伊では特に情報公開に制限は課せられていないわけで、テレビやラジオといったメディアから情報が得られるからでもある。
さらに、かの国では、先年のクーデター騒ぎから以後、国内情勢が不安定になっていたこともその理由であった。二度ほど、ラーシア海での海賊騒ぎがあり、それに関与していたことがわかっていたからである。とはいうものの、かの国の技術力はようやく、第二次世界大戦終結後ごろまで上昇していたが、正面から戦えばそれほど気にする必要のないものであったが、側面から関与されるのは歓迎されるべきではなかった。
ロンデリアでも戦時体制に移行することを知った日本であったが、日本ではというよりも、本国近隣ではそれまでとなんら変わることはなかったといわれる。もっとも影響を受けたのは瑠都瑠伊であったといえるだろう。このころには三万人の陸軍予備役兵すべてが現役に復帰、二個師団が増強され、海空軍も訓練を始めてもいた。陸軍とは異なり、海空軍は現役に復帰しえても、それなりに訓練が必要であったからである。もちろん、訓練自体は陸軍においても必要であるが、陸軍の場合、年間一週間程度の訓練が常に行われているため、現役に復帰後はそう長く訓練が必要ではなかったのである。
日本本国では、ロンデリアおよびローレシアがイスパイア帝国との戦端を開いたことで、日本、というよりも瑠都瑠伊やセーザン、セラージに対する攻撃はないだろう、という意見が多数を占めているようであった。いくらなんでも、戦線を拡大することはないだろう、というのがその根底にあったようで、本国ではそれほど緊張感が高まっていることはなかった。
しかし、瑠都瑠伊でも体制が整いつつあった。現状ではセラージ対岸にイスパイア帝国軍が上陸しているため、自国領から動くことはできなかったが、事が起これば、すぐに対応できる体制はできていたといえる。さらに、イスパイア帝国に対する石油輸出停止が実施されているため、そう遠くないうちに何かの動きが発生するだろう、というのが瑠都瑠伊方面軍司令部での見解であり、情報収集は強化されていた。