ローレシア情勢
瑠都瑠伊方面軍はセーザンおよびセラージの兵力増強に努めていたが、なんといっても距離の問題があった。日本からに比べれば遥かに近いとはいえ、それでも遠かったのである。この時点で、セーザンには陸軍一個師団、空軍一個飛行隊とAWACS一機、海軍は空母一隻とイージス駆逐艦二隻、駆逐艦四隻、対潜哨戒機一二機を、セラージには陸軍一個旅団、空軍一個飛行隊とAWACS一機、電子戦機一機、海軍は駆逐艦四隻と対潜哨戒機六機を展開していた。
ただし、マダガスカル島にはまとまった軍が派遣されておらず、日本本国から陸軍一個旅団程度が派遣されることとなっており、ようやく瑠都瑠伊に寄港していたという状態であった。当初、瑠都瑠伊方面軍からの抽出で軍を派遣することとしていたのであるが、ラームルにイスパイア軍が上陸したことで、瑠都瑠伊方面軍は本国に軍の派遣を強く申し出ていた。本国はそれに応じない構えであったが、ローレシア奇襲攻撃とその後の幾度かのイスパイア軍の攻撃により、ようやくという形で軍を派遣することとなった。とはいえ、これは志願者を募ってのものであったため、派遣が遅れたようであった。
このマダガスカル島派遣軍は一時的に瑠都瑠伊方面軍指揮下に入ることとなり、その下で軍事行動を取ることとされた。とはいうものの、歩兵は完全装備であったが、車両がほとんどなく、機動性に欠けている面があった。そこで、瑠都瑠伊方面軍では、現地調達の車両を追加して派遣することとなった。少なくとも、自動車化された歩兵部隊として派遣されることになり、機動力は格段に向上することとなった。マダガスカル島は広く、自動車化されていなければ、港湾など限られた地域に軍が集中することとなるからであった。この部隊が瑠素路を出港したのは一二月六日のことであった。
ローレシアには駐在武官として日本本国の陸海空から三人の士官、いずれも大尉クラスが派遣されており、現地での情報収集が行われていたという。それまで、駐在武官は派遣されておらず、もっぱら外務官僚による情報のみであったが、軍人ではないがゆえに、その情報は陸海空司令部ではあまりに役立たないものが多かったためだという。ちなみに、ローレシアまでは瑠都瑠伊から航空便が運航されており、本国からは短時間(といっても二○時間はかかる)で渡航が可能だったのである。当然として、これは瑠都瑠伊方面軍の関知するところではなかった。彼らに対する命令系統から瑠都瑠伊は外されていたのである。
ロンデリアには元々三人の駐在武官が派遣されており、ローレシアほどの混乱はなかったとされるが、戦いの場は本国から離れた南大西洋であるため、得られる情報は少ないといえた。そして、ここでも、日本本国はノーフォークに三人の武官を派遣していた。それは、ロンデリア本国よりも情報を得やすい、との判断からであったようだ。これは一度ロンデリアに渡り、そこからロンデリアの航空便で渡航することとなった。
この時点では、太平洋の近隣国家とシナーイ大陸北部各国、瑠都瑠伊とその近郊で航空路が設置され、少ないながらも運航されていたといえる。特に、波実来と瑠都瑠伊の間では一日一二便が運航されていた。この航路は民間航空会社、といっても三社だけであったが、のドル箱となっていた。そう、波実来が東アジアでのハブ機能を持ち、中東では瑠都瑠伊がハブ機能を持っていたのである。ちなみに、海上航路では、ラーシア海経由であれば、瑠都瑠伊が、インド洋経由であれば、セーザンがそれぞれ中継地となっていた。これは、ラーシア海方面はロンデリアが、インド洋方面がローレシアと航路が分かれていたからである。
ローレシアとイスパイア帝国との戦争は都合三度の海戦を持って一息ついていたといえる。この間を利用して、ローレシアは日本よりミサイルなどの誘導兵器と艦艇の購入に踏み切った。これは未だ移転前の臨戦態勢に程遠く、特に、武器弾薬や艦艇建造に必要な電力を得るための燃料、重油が十分ではなく、当面は武器弾薬の製造に電力を回していたためであったと思われる。特にミサイルの性能では若干イスパイアに劣っていたようで、空対艦攻撃で使用されたミサイルを防ぐことが難しかったのである。そのため、護衛艦艇の損失が激しすぎたのである。
そこで、日本は「むらさめ」型駆逐艦の設計を流用した駆逐艦を提案、一二隻の売却が決定した。「むらさめ」型との変更点は、艦載砲を一二.七cm速射砲(設計図はローレシアが提供)と機関をローレシア製に変更、ヘリコプター搭載能力の撤去、電装関係の一部をローレシア製に更新することであった。それ以外はほぼ「むらさめ」型に準ずるものであった。ミサイル、特に艦対空ミサイルはシースパローを、空対空ミサイルをAIM-7Eスパロー、AIM-9Lサイドワインダーを売却(一部を無償供与)とすることで合意した。なぜ国産ではなく、アメリカ製のライセンスかといえば、ローレシアの射撃管制システムがこれらに対応していたからである。ちなみに、AAM-4とAAM-5はその射撃管制システムでは使用できなかったのである。それは艦載の射撃管制装置にもいえた。
ちなみに、アメリカ製のライセンス生産ではライセンス料がアメリカ合衆国に支払われる。移転後、アメリカが日本から有償で艦艇や装備、武器弾薬を購入できたのはこのライセンス料という収入があったからに他ならない。最近ではその多くが国産化されており、ライセンス料は支払うことは少なかったが、今回の一件で再びライセンス料がアメリカに対して支払われることとなる。これはアメリカだけではなく、他の国に対しても同様であったといわれる。特に、軍備関係においてはそれが著しいといえた。むろん、それほど無茶な額をライセンス料として要求されているわけではない。
ローレシアの艦艇が多く損失したのには幾つかの理由があり、艦対空ミサイルの性能が若干劣ること、各種レーダーの性能が若干劣ること、近接防御兵器(ここではCIWSを指す)が装備されていないこと、潜水艦に対応できていないことが挙げられた。レーダーはフェイズドアレイ方式であったが、素子数が少なく、日本の民生品(民間船舶に搭載)と同程度であったためと考えられる。ミサイル類はレーダーの性能もあるが、射程も射高も低かったのである。近接防御兵器は半自動化された三連装三〇ミリ機銃であったからであろう。
そして、もうひとつの大きい理由、イスパイア帝国の空対艦ミサイルを含めて対艦攻撃兵装が優れていたことにあった。後に判明するが、このときイスパイア帝国が用いた空対艦ミサイルは移転前のフランス産エグゾセ対艦ミサイルと同性能であったとされ、ローレシア側では対応できなかったようであった。また、艦対艦ミサイルも空対艦ミサイルの派生型と思われる性能を有していたのである。少なくとも、全体的にイスパイア帝国のものよりも劣っていたためであろう、そう判断されている。
ローレシアは航空機やその他の装備では優っていたといわれ、事実、航空戦ではイスパイアを圧倒していたといえた。日本が装備していたAWACS(早期警戒管制機でここではE-2C<ホークアイ>)を真似た機体、旅客機の背に彼らの装備するレーダーを載せたもの(能力的には<ホークアイ>よりもかなり低かった)もあって、対空迎撃には優れていた。つまり、日本から見れば、イスパイアの空対艦および艦対艦ミサイルは脅威であったが、それ以外ではそれほど脅威でなかったということになるだろう。しかし、戦争は何が起こるかわからないため、安心するわけにはいかないといえた。
とはいうものの、工業生産力ではイスパイア帝国を遥かに凌いでいたとされる。イスパイア帝国とは異なり、その多くが民間に生かされていたといえるだろう。それは国家そのものを見れば判ることであり、限りなく日本に近いといえたのである。少なくとも、国民の生活という面で見れば、イスパイアやロンデリアを凌いでいたのである。ちなみに、彼らの世界では近代に入って都合三度の世界大戦が行われているが、以後は戦争というものが行われていない。そして、最後の世界大戦から一〇〇年が過ぎており、軍事技術よりも民生技術の方が発達し、軍事技術はそれほど進化していないことがその原因であろうとされていたのである。