交流増大
ローレシアは先に国交を結んだロンデリアと異なり、黄色人種であることにこだわりは持っておらず、日本とは積極的に交流を深めていく路線をとっていた。技術的に限りなく近いこともあり、瞬く間に日本の製品がローレシア国内にあふれることとなった。この背景には、移転前の世界とあまりにも違いすぎるため、多くの製品が利用できない、そういう理由もあったといわれる。むろん、日本側も輸入を増大させていたといえる。とはいうものの、多くの場合は資源であったといえる。それほどローレシアには資源が多く眠っていたのである。
むろん、日本がこれまでシナーイ大陸北部各国で開拓して得ることができた資源も多くあったが、それ以外の資源も多数存在していたといえる。この時点で、大陸北部各国は資源採取や域内輸送には日本が関わることはなく、価格的に下落していたため、ローレシア産の資源に切り替える、ということはなく、これまでどおり、輸入が続けられていた。しかし、大陸北部で産出しないレアメタルが多くあった。これらはローレシアから輸入することとなった。むろん、開発すれば、日本近隣で採掘することが可能であったかもしれないが、それには膨大な資金が必要であり、そのために既存の地域からの輸入が図られていたのである。
そうした結果、シーレーン安全化が重要となっていた。当初はインド洋から西太平洋、中部太平洋を経由して日本に運ぶという南ルートが採られていたが、最終的には、インド洋から紅海、グルシャ海、ラーシア海を経由する北ルートが採られることとなった。このルートであれば、中途に瑠都瑠伊、サリル、ストールといった中継地が存在し、サリルには日本海軍の根拠地が存在することもあり、安全面という面からは格段の差があったからである。GPSが使えないため、夜間航行は太平洋経由では不可能であったが、こちらのルートでは、電波灯台など航行に必要なあらゆる対応が成されていた、という理由も存在する。それに、ローレシアにとっても、自国では入手できない幾つかの資源がこちらでは入手可能だった、そういうこともあった。
半年を経て、ロンデリアよりも早く、衛星通信が可能となり、日本本国においても、リアルタイムでローレシアの様子がわかるようになり、その逆も可能となっていたといわれる。ちなみに、この時点でリアルタイムの衛星放送が送受信可能だったのは瑠都瑠伊とセーザン、セラージ、朝鮮民国、中華民国、フィリピン、インドネシアなど日本近隣諸国だけであった。ロンデリアやプロリアといった地域は未だ不可能であったといわれている。このリアルタイムの通信が可能になったことで、ローレシアと日本の関係はより進展することとなった。
とはいうものの、移転前には当たり前であったインターネットに関しては、ロシアを除く日本の近隣国家だけであり、大陸各国にまで整備されるにはまだ十数年は必要であろう、そう判断されていた。ただ、似たようなシステムはローレシアにも存在していたため、今後の対応次第では可能になるだろうといわれている。ちなみに、ロンデリアではそのようなシステムはなく、双方の歩み寄りがなければ、不可能であるとされていた。
いずれにしても、国交を結ぶのは特に問題がないとしても、通商条約に関しては短期間で決着するものではない。現状では、防疫が必要とされる生物系の取引は禁止されていたといえる。工業製品のみ可能であったが、為替の想定がまだのため、ロンデリアでもローレシアにおいても、バーター取引という形であった。幸いにして、どの国においても金の価値というのはそれなりに決定していたので、それに準ずる形で制定が急がれているといえた。シナーイ大陸北部の各国ではそうして決定されていたからである。日本近隣の移民国家では、移転後の混乱を避けるため、日本の円が使われていた。
ローレシアとロンデリアとの間はそれほど進展することはなかったといわれている。これは、ロンデリアが白人至上主義を持っていたからであろうと思われた。しかし、双方とも外交ではそれなりに対応しており、争うようなことはなかったといわれる。実のところ、現状ではいずこの国においても、セーザンやセラージの原油が必要である、その一点において 一致していたからこそ、北部インド洋ではおとなしいといえたかも知れない。移転前の北米やメキシコ湾、北海、北極海油田が出現すれば、状況が大きく変わる可能性が高かったといえるだろう。
ひとつだけはっきりしていることは、アフリカ大陸に油田があったとしても、現状では開発が難しいということあった。移転前と異なり、中央アフリカが大森林地帯であるため、開発するためには相当な資金と労力が必要であるとされていたし、南米アマゾンに変わって酸素供給地ともいえる中央アフリカの開発は国連でも疑問視されていたといえる。今のところ、十分な資源が確保されているため、無理をして開発する必要性が認められない、それが多くの意見であった。
現状、日本の工業生産に必要な資源は確保されていたといえる。移転後の数年で、資源再生が進み、再利用されていたからでもある。特にプラスチックや金、鉄においては、国の指導、刑事罰則が科せられる、という法改正により、その多くが再利用されていた。特に、金においては各種基盤からの採取、いわゆる都市埋蔵金の再利用が奨励されていた。鉄材も、廃車やくず鉄などの再利用が進んでいたといわれ、最盛期には必要鉄材の五〇パーセントにも達していたといわれる。
そんなわけで、貿易量が拡大し始めたこの時期、多くの製造業が息を吹き返していた。自動車生産では特に著しく、日本近隣諸国の多くの住民はかって、日本で生活していたこともあって、新しい移民先でもそれを求めていた。燃料油たるガソリンが安定して供給されるようになるに従い、その生産量は増大していたといえる。また、ローレシアやロンデリアでも、高品位な日本製自動車の需要が高まっていたといえる。これら二国ではどういうわけか、あまり民間用自動車産業が発展していなかった、という背景も影響していたのかもしれない。
とはいうものの、もうひとつの主力産業である家電製品については若干の問題が発生してもいたといえる。これは何もローレシアに限ったことではないのだが、日本で採用している電圧とは異なるためであった。移転前ででも、日本とそれ以外の地域では規格が異なっていたように、この世界でも異なっていたといえる。ただし、シナーイ大陸北部の各国においては日本と同じ規格で使用するよう変更されていた。これは日本のごり押しともいえたが、ほぼゼロからのスタートであり、鉄道など日本の支援が必要であったために切り替えられていた。
少なくとも、ウェーダンやキリール、ウゼル、カザルではすでに終了し、各国で新規に建設される施設においてはすべてが日本の規格そのものであった。当然として、瑠都瑠伊やトルトイ、ナトルでも同様であった。トルシャールのみ異なっていたといえるだろう。サージアにおいては日本と接触した当時、発電所などの施設がなかったため、当初から日本の規格が採用されていた。ちなみに、移転後に日本を離れた移民国家も日本の規格を採用していた、というよりも、採用せざるを得なかったといえる。
現状においては、ロンデリアやローレシア、プロリアが日本とは違っていたということになる。ロンデリアやローレシアは自国の使用規格などを日本に公表したため、日本では当然のように各種アダプターが製作され、簡単に解決することとなった。また、ローレシアでは日本の規格を受け入れる方針であり、すでに検討を始めてもいた。しかし、ロンデリアではそうではなく、独自の規格で譲ることはなかった。
ローレシアは移転前とあまりにも世界が違いすぎるため、日本の情報をある程度まで信用し、良いと思われるものは受け入れる方針であったといえるだろう。対して、ロンデリアは移転前とそれほど変わらない世界であり、また、一大海洋国家で、多数の植民地を有していたこともあり、情報は情報として活用するが、それが産業まで及ぶかといえば、そうではなかったといえるだろう。そうして、以後の日本はローレシアとの交流が増大することとなる。
対して、英国や米国はどちらかといえば、ロンデリアとの交流が増大してゆくこととなる。少なくとも、ロンデリアから見れば、同じ白人であることが最大の理由であったといえる。生産基盤を持たない英米であったが、ロンデリアにとってはその情報だけで十分な価値があったからである。もっとも、情報はあっても、製造できないものも多く、やはり、技術力と工業力の差が三〇年あれば、その開きは大きいといえた。その表れともいえるのが、北米に対する移民の増加といえた。元のアメリカ連合国だけではなく、純粋にロンデリア人が大陸へと夢を持って流れていったのである。
はからずしも、ここにきて日本は白人対有色人種という対立を意識しなければならなくなってゆく。むろん、まだ目立つものではないし、国連としても、日本の技術力と工業力がこの先重要であるということは理解していた。そして、日本にとって幸いといえたのが、ロンデリアが自己の持つ独自の工業規格に執着したことで、仮に対立することがあっても、当面は優位にあったということになる。とはいうものの、日本や国連にとっては、そういう対立よりも、イスパイア帝国という国家に対する対応が優先されていたこともあり、この時点では表立って問題になることはなかったといえる。
つまり、この世界に出現したのが、日本だけであって、後はこの世界の国家だけであれば、これらの問題は起こりえなかったかもしれない。それなりに進んだ技術力や工業力を持つ白人国家や黒人国家が現れたことで、問題が浮上してきたといえるだろう。そして、ラーシア大陸中央部や東部、南米の出現国がこの問題を混沌とさせていくであろう、というのが日本の一部学者や軍人の見解であったといえる。これらの国は通商条約の締結がなされていないからであり、イスパイアにおいては国交すら正常化されていないといえた。