地中海情勢
北欧に出現したロンデリア王国までの輸送手段は航空機ではなく、船舶によるものであった。理由はロンデリア側が受け入れないことにあった。彼らは瑠都瑠伊において航空旅客輸送を経験しているが、自国では未だ安全性に問題があるとしていたのである。民間機とはいえ、他国の航空機が自国の上空を飛行することに危機感を抱いていた、ということにある。むろん、ロンデリアでも航空輸送は利用されていたが、移転前の世界でいえば、八〇年代の技術であり、最大で一五○人程度の輸送能力であったといわれる。
燃料油が確保されている現在、同国においても、航空輸送が再開されてはいたが、他国の航空機が上空を飛ぶということに不信感を持っていたのかもしれない。つまり、未だ日本国を信用していなかった、という証拠であるとは日本政府官僚の発言であった。実際、技術的には日本に遅れているため、そして、人種偏見を持っていたためのものであるといえたかもしれない。
そんなわけで、船舶による輸送手段のみが受け入れられているといえた。そして、瑠都瑠伊までは航空機で、そこから先は船舶でというのが最短の航路であったといえる。日本の場合は、本国から瑠都瑠伊まで航空機で以後は船舶で地中海から北大西洋、北海というルートを取る。ロンデリアからの場合、瑠都瑠伊を経由して波実来までは航空機で、以後は船によって日本本土へというルートになる。
しかし、現在、改定案がだされており、瑠都瑠伊を中継地として、双方の航空機を利用することで時間短縮が図られようとしていたといえる。要するに、他国の所有機が上空を飛行することが問題なわけで、自国製の航空機なら問題がないわけである。双方の航空会社が瑠都瑠伊に乗り入れているため、ここで乗り換えていくことで調整が進められている。そうすることで、移動時間の短縮が図られることとされていた。
とはいうものの、現状では民間人の利用はそれほど多くないため、本数が少ないということになる。結局、多くの民間人が移動に使うのは冒頭に述べたように、船舶でということになる。ラーシア海の安全は一応保たれているが、プロリアの行動が不明なため、現状では貨物輸送が主であり、旅客輸送はあまり行われてはいない。結果として、船舶輸送は地中海からということになっていた。
これがあったからこそ、瑞穂日本人が移民したマルタ島が発展することとなる。ロンデリア王国はマルタ島の開発には口出しすることはなかったため、日本が主導権を握ることとなった。元々が同じ大和民族であり、多少の違いはあるものの、日本語文書(会話ではなく書類)が読めることもあって、多くの場合、日本国内での製品がそのまま持ち込まれることとなった。短期間ではあるが、かなりの発展振りを見せていたといえるだろう。
これが彼らを日本国、というよりも瑠都瑠伊に近づけさせる原因だといえたかもしれない。瑠都瑠伊は以前にも述べたように学研都市といえる一面があるが、そのため、瑞穂国から多くの留学生が派遣されていた。そういうわけで、徐々に瑠都瑠伊や波実来に移住する人間も現れ始めていた。さすがに、日本本土への移住者はいないものの、大陸北部各国に存在する日本人街にちらほらとその姿が見られるようになっていた。
もっとも、彼らと日本人とに外見上の明確な差異があるわけではなく、各国の住民からは日本人として見られることが当たり前であった。そして、問題となったのは、これら各国には未だ瑞穂国の大使館なり領事館が存在しないことにあった。たとえば、事故にあって怪我をした日本人がいるといわれ、日本の大使館職員が駆けつけると、日本人ではなく、瑞穂人だった、ということが稀に起こっていたのである。これは早急に解決が必要であったが、現地に同じ日本人(住民から見て)の施設が二箇所存在することも問題とされた。結局、瑞穂側が折れて大使館業務を日本に委託するということで決着することとなる。
これらのことが、徐々にではあるが、両国の隔壁を取り去っていく原因となったといえるだろう。そうして、マルタ島内で、日本の一地域として存在するか否かの議論が出ることとなった。むろん、現状では多くの住民が反対を表明している。もっとも、日本にとってはあまり良いことではないという考えが主流であり、受け入れるべきだ、とする意見は少数であったといえるだろう。一二万人近い人間が新たに国籍を得ることにより、いろいろな問題が発生することになるからである。
実際問題、日本国では未だ開拓民として出国した在日住民の年金などの諸問題が片付いていなかったのである。現在もその解決に邁進しているといえるだろう。政府の見積もりでは、まだ一年はかかるだろうとの見通しである。結局、民族移動において、国内での問題が片付くまでにそれだけの時間を要したということであった。
そういうわけで、日本国と瑞穂国との関係は徐々に良化傾向にあったといえる。また、彼らの時代では海洋貿易国家であったため、海上輸送に力を入れ始め、北大西洋や地中海、ラーシア海を航行する貨物船の三割がかの国の船舶であったとされる。まだ、太平洋には乗り出していないが、それも時間の問題であろうというのが瑠都瑠伊の日本人の見解であった。むろん、彼らはインド洋への乗り出しも考えていたが、それは日本が強い要請、という形で禁止していた。地中海やラーシア海と異なり、インド洋では緊張が続いていたからである。
彼らは当初、それに反発していたが、瑠都瑠伊の佐藤や今村が、ロンデリアには公表禁止として、イスパイアの南米における行動をある程度まで公表し、彼らを巻き込みたくないのだ、という発言により、インド洋への進出を控えていたといえる。もちろん、彼らとて、セーザンへの航行は行っており、イスパイアに対するある程度の情報は得ていたが、日本が得ているほど精度の高いものではなかったのである。
紅海は別として、地中海は安全だといえた。イスパイア帝国の船舶も瑠都瑠伊に来航するが、多くの場合、民間船舶であり、軍艦の来航は日本が拒否していたからである。それでも、民間船舶の乗員からある程度の情報はイスパイア本国にもたらされていると思われていた。この時点で、日本がもっとも恐れていたのはイスパイアとプロリアの接近であったといえる。
未だ、そのような動きはないにしても、プロリアにイスパイアの技術が流れることを懸念していたといえる。プロリア自体は移転前の第二次世界大戦当時のロシア帝国と同等の技術力を有すると考えられており、これまで得た情報では人口も二億人近いものと考えられていた。その技術力が進むことを日本は良いと考えてはいなかったといえる。仮にそうなった場合、インド洋や南大西洋だけではなく、地中海やラーシア海の安全が損なわれる可能性が高かったからであろう。
あるいは。プロリアにおいて革命が起きることを懸念していたものもいたといわれる。現状では帝国制であるが、緩やかに立憲君主制へ移行してくれればとくに問題がないが、そうではなく、革命による政権交代は多種多様の問題が発生する可能性があったからであろう。クーデター発生以後、プロリアでは改革が行われ、限りなく議会民主制に近くまでになってはいたが、完全ではなかった。
ともあれ、現状では、日本海や太平洋、ラーシア海に次いで安定していたのが地中海であったといえる。日本政府においても、瑠都瑠伊においても地中海の安全性が損なわれることを恐れていたといえるだろう。そして、地中海の中央にあるマルタ島の重要度が増してきていたのはそういった理由があった。そういうわけで、マルタ島には半ば強引に日本の最新鋭とはいえないまでも、新鋭の艦船や航空機が売却あるいは譲渡されていたといえる。日本側の思惑は明確であった。彼ら瑞穂国に、マルタ島近隣および以西の哨戒任務を実施してもらうことにあったのである。
それは何もプロリアだけではない。プロリアとの戦争に敗れてその勢力の多くを失ったグルシャ、かってはトルシャールを侵略し、我が物顔で支配していた国に対しても期待していたといえる。もちろん、瑠都瑠伊はグルシャとも接触していた。いまや外征の意欲がなく、自国防衛にのみ傾注する国となっていたが、外洋への進出がないとはいえなくなっていた。それはロンデリアとの接触にある。
ロンデリアは移転前に同じ場所にあった、ギリアスを植民地としてしていたため、不用意に接触していた。そして、植民地化ではなく、影響国にしようとしているかのように行動していた。むろん、日本も瑠都瑠伊を通じて接触してはいるが、有色人種とあってあまりにもロンデリアに対して待遇が低いと思われた。ロンデリアに対して強い抗議の結果、最近では深い介入はしていないが、それまでの介入で、グルシャの動向が変わる可能性もあった。
日本は同じ民族であるナトル共和国のグルシャ人に肩入れしているため、その対応もおのずと薄いものとならざるを得なかった。むろん、日本の介入で両国の対話を進めているが、グルシャよりもナトル側の対応が厳しく、友好的な様態には程遠い状態であったようだ。グルシャ側としては自国よりも進んだ状態にあるナトルを取り込みたい、そう考えていたようである。結果として、将来的に問題が発生する可能性が高まっていたのである。