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アフリカ大陸

 この世界のアフリカ大陸は移転前とは異なっていたといえる。特に中央部は大西洋側もインド洋側も密林に覆われたジャングルであり、南米アマゾンの減少している緑がここに移動したかのようであったといえる。北部は史実と同じく、砂漠が多かったが、沿岸部においてはオアシスが発達しており、それなりの集落もあった。観測衛星でもそうであるし、実際に人も入っているようであった。むろん、日本人ではなく、英米であったといわれる。日本政府は特にアフリカに関しては慎重であった。というのも、未知の病原菌の国内持込を恐れていたからである。


 もっとも、アフリカ大陸北東部や北西部はそれなりに緑が多く、原住民も多く居住しており、ロンデリアから入植がなされているようであった。瑠都瑠伊でも、その状況は掴んでいたとされるが、アフリカ大陸からの寄港は強く戒められていたといえる。つまり、南部であろうが、北部であろうが、アフリカはアフリカということで瑠都瑠伊やナトル、トルトイでは入国を禁止していたのである。在日国連でも、移転前に幾つかの疫病の流行を経験していたことから、日本同様の考えを持っていたといわれる。とはいうものの、どこの国においても表と裏は存在するものであり、一応の開発が進みつつあるこの世界でもしれが現れ始めていたといえるだろう。


 このころのアフリカ大陸を詳しく見てみよう。南部では移転前にアンゴラ、ザンビア、モザンビークといった地域以南は変わらないが、それよりも北部は大森林地帯となっていた。北部はモーリタニア、アルジェリア、リビア、エジプトといった地域以北は変わらないが、それ以南は大森林地帯となっていたのである。東部ではスーダンの東部が開けており、西部も大西洋に面した沿岸部が開けていたに過ぎない。


 そして、南部の地域には原住民が多数居住していることは衛星情報でも確認されていた。しかし、文明レベルは移転前に比べて遥かに低いと思われた。近代的なビル群は確認されず、未だ文明との接触がなされていない状態であるとされていた。また、港湾に適した地域も幾つか確認されてはいたが、仮に寄港したとしても、食料はおろか、真水を補給する程度にしか役に立たないと思われた。そう、完全に未開の地といえたのである。


 対して、北部も同様であったが、南部に比べれば、若干の差異が見られた。それなりに進んだ文明を持っていると思われたのである。例えていうならば、ウェーダンやキリールと同程度のレベルは持っていると思われた。しかし、先に述べた理由で、瑠都瑠伊の人間はあえて接触しようとはしなかった。瑠都瑠伊に進出していた多くの日本人や移転組の人間はまだ早い、そう考えていたのかもしれない。


 アフリカ大陸南部、移転前には南アフリカ共和国といわれた地域は日本人を含めて多くの人間が非公式に入植していたといわれる。この地は移転前には金やダイアモンドなど貴金属が多く産出していたからであろうと思われた。むろん、公式には認められていないため、この時点ではたとえ鉱脈を探り当てたとしても、輸出は不可能であった。もっとも、現時点ではいずれも発見されてはいないとされていた。


 彼らの多くは冒険家と呼ばれていた。つまり、日本人であれば、日本を捨て、祖国に戻ることを考えない、そういう人々であった。日本や在日国連がアフリカ大陸との接触を禁じていた、あるいは慎重だったのは、移転前でもそうであったように、未知の病原菌が多数存在すると考えられていたからであり、ようやく軌道に乗り始めた開拓地にそのような病原菌を持ち込まれたくない、そういうことがあったからであろう。


 つまり、防疫体制が確立されればその規制は解除されるはずであった。しかし、それには二〇年から三〇年はかかるだろう、そう判断されていたといわれる。この時点では、太平洋各地の開拓地が一国家として軌道に乗り始めており、人口も急激に増加し始めていた。ここ一〇年で生まれた子供たちが成人し、彼らが必要と判断すれば、進出すればいいと思われていた。それほどこの世界での日本列島以外への進出が注意深く行われていたのである。


 とはいうものの、瑠都瑠伊やセーザンが確保され、それなりに発展し、病原微生物の存在が確認されていないことから、この世界でも地球と同じであろう、とする考えが広まりつつあり、日本政府や在日国連では引き締めを強化するよう動いていたといわれる。未だ、アフリカ大陸や南米大陸には二本とともに移転してきた人類が足を踏み入れていないためであった。この時点では、シナーイ大陸北部および西部、ラーシア大陸東部、北米大陸の中北部は安全であろう、とされていた。オーストラリア大陸は沿岸部のみ安全であろう、とされていたのである。


 結局、移転前に一〇〇〇年以上かけて行われてきたことが、いくら科学技術が進んでいるとはいえ、五年や一〇年で判るはずがないのである。そして、この世界のすべてが判るには一〇〇年はかかるだろうという判断がこの時点でなされていたのである。とはいうものの、一部の学者によれば、倍の二〇〇年は必要であるとされてもいたのである。


 移転前にアフリカ大陸のインド洋側にあったマダガスカル島は存在していた。その環境は移転前とまったく異なっていたといえる。ある程度の文明を持つ民族が居住していることが判明していた。当初の調査ではウェーダンと同じレベルの島民が存在するということは確認されていた。当然として、調査と可能であれば接触が試みられることとなった。しかし、こここでも、未知の病原菌との接触を恐れた日本政府は瑠都瑠伊から調査団を派遣することはなかった。


 そのため、最初にこの地に上陸したのは冒険者たちであり、住民たちとの対話も進められていた。そうして、イスパイア帝国がインド洋に現れたころ、民間主体とはいえ、それなりの開発が進み、ついには日本政府からも人が派遣されるにいたっていた。そう、これはこの世界で始めて国が関与しない、民間による開発がなされた最初のケースであった。既に、病原菌の検査も行われ、沿岸部は安全であると日本政府も公表していた。


 また、インド洋の多くの島々は移転前と同じように存在し、その島々にはソロモン諸島に入植した英連邦人やアメリカ人がその足跡を記していたという。ただし、彼らの多くは太平洋の入植地には戻ることなく、南アフリカや中東、多くはセーザンに滞在していた。むろん、瑠都瑠伊にはアフリカ大陸やインド洋の島々には滞在したことがないという偽りの申請をしていた。つまり、瑠都瑠伊ではなく、セーザンが彼ら冒険家といわれる人々の根拠地といえたのである。


 結局のところ、瑠都瑠伊は日本からあまりにも遠く、また、官僚も派遣されている数が少なく、日本と同じ体制には遠くおよばなかったという、その盲点を突いたものと思われた。このころにはそのような人間が出現し始めていたといえる。そして、彼らはセーザンから出港していったという。しかし、民間主体ということもあって、これら地域、アフリカ大陸南部とマダガスカル島には軍と呼べるものは存在せず、少数の民が武装する程度であったといわれる。


 こういったことがあったため、南アフリカ地域は別として、マダガスカル島二はイスパイア帝国の進出を許さないという結果となりえた、そう判断する人が多いのも事実であった。そして、民間人主導であるが故の問題も多く発生していたのも事実であったとされる。それでも、マダガスカル島がそれまでとは異なる発展をしたのは事実であったようだ。


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