イスパイア帝国
セーザンには先のタンカーの一件以来、イスパイア帝国のタンカーおよび貨物船が寄航することが多くなっていた。また、瑠素路にも来航する機会も増えてきていた。むろん、彼らの狙いは原油であり、瑠都瑠伊で生産されるさまざまな家電製品などであったとされる。そして、通商条約が締結されていない以上、その取引はバーター取引、いわゆる物々交換という形を取ることになる。イスパイア帝国側が対価に支払うのは当初は金銀プラチナなど貴金属であったが、現在では鉄鉱石やタングステン、ニッケルといった資源も含まれるようになっていた。
彼らはしきりに駐在所あるいは商館を置かせてくれるよう要請していたが、佐藤はそれを通商条約の締結が行われていないという理由で、やんわりと拒絶していた。理由は簡単で、佐藤が出した交換条件、同等の要求をイスパイア側が拒否しているからであった。というのは表向きで、イスパイア帝国がセーザンの支配を企んでいることが判っていたからである。
きっかけは、通信傍受班からの報告にあった。彼らの通信は通常の通信の他に暗号通信が行われていることを今村が佐藤に報告してきたからである。さらに、暗号解読を試みたところ、その中に武力による侵攻および占領、といった意味に取れる語句が含まれていたからである。むろん、傍受班による錯覚、誤解ということも考えられた。しかし、解読した計画そのものの中に商館や駐在所の設置ということが入っている以上、容易に認めるわけにはいかない、そう結論付けられているからであった。これが、交換という形で駐在所や商館の設置が認められていれば、佐藤も許可していたかもしれない。
これらの情報が本国に挙げられた結果として、イスパイア帝国の太平洋側および大西洋側で、日米の原子力潜水艦による情報収集が活発化していた。潜水艦による情報収集とされたのは、相手に知られることなく隠密に行えるのがそれしかなかったからである。それ以外にも、日本の船舶、貨物船やタンカーによる輸送を打診しているが、これも拒否されているという理由があったからでもある。むろん、観測(偵察)衛星による情報収集も行われている。
日本の原子力潜水艦は航空母艦用原子炉開発の一環として、純粋に米海軍原子力潜水艦の原子炉をコピーしたものであり、安全性が確認された後、「そうりゅう」型潜水艦に搭載されたものである。現在、二隻が改装されて就航しており、さらに、現在も改装が続けられている。今後の新艦建造の際はすべて原子力潜水艦になる予定であった。国民に対しては、建造費がかさむものの、燃料など維持費、ランニングコストが低減するとして説明されている。が、実際にはそれなりの維持費が必要であったことは説明されていない。
そんな中、ついに瑠都瑠伊方面軍海軍に「しょうかく」型航空母艦一番艦である『しょうかく』の配備が決定された。さらに、「こんごう」型駆逐艦二隻が増派され、方面軍海軍は空母一隻、イージス駆逐艦四隻、駆逐艦六隻からなる艦隊となった。これは瑠都瑠伊およびセーザンの防衛のためであり、戦力は大幅に増強されることとなった。むろん、これらはプロリアの反乱軍艦艇による攻撃もあり、以前に今村が本国に要求していたものであった。
さらにいえば、本国で配備されていた対潜哨戒機、P-3C<オライオン>の半数、新編の二個個航空団として七二機が配備されている。P-3Cについては、後継機であるP-1A<東海>の配備が始まったことも影響していた。二個航空団の装備機は艦載機として開発されたF/A-3<疾風>であった。そうして、瑠都瑠伊方面軍が増強され、海空司令官もこれまでの大佐から少将が新たに派遣されてきた。
瑠都瑠伊方面軍司令部では、プロリア帝国との戦争はそれほど脅威とは考えられていなかったが、イスパイア帝国との戦争は脅威であるとされていた。それは、その軍事技術にあったといえた。なぜなら、プロリア帝国のそれは史実の第二次世界大戦後の英米に近いといえるからであった。対して、イスパイア帝国のそれは、史実の一九八○年代後半の技術力を持っているとされたからである。幸いといえたのは、宇宙ロケットに対する技術が遅れていたことにであり、ロケットの打ち上げは確認されていないことにあった。
電波傍受の結果からも、同国においてはテレビが普及しており、盛んに放送されていることが確認されていた。とはいえ、その多くは政府に統制された放送であることも確認されていた。そこに、ある種の危険性を感じていたのが瑠都瑠伊であり、日本国であり、米国であり、国連であった。
さらに、燃料事情が回復されつつあるのか、南大西洋やインド洋、南太平洋各地に水上艦艇が現れ始め、島嶼に上陸を行っていることが確認されていた。もちろん、すべての島において、英仏米が標識を立てており、環境の良いところでは少数とはいえ、人員が駐留しているため、長く滞在することがなかった。が、これが、英米仏各国に与えた影響は大きいといえる。開拓民として進出している英米はともかくとして、フランスは今のところ、開拓民を出していないため、特に日本軍に依存せざるを得なかったといえる。
このころ、軍艦による太平洋への進出はないが、太平洋に進出してきた場合の対応策について協議されることが多くなっていたといえる。貨物船や貨客船がイスパイア帝国の船舶と洋上で出会っているものの、現在のところは接触はなく、これといった問題が発生していないことが幸いといえた。現時点で、もし、問題が発生した場合、強攻策で対応するというのが英米の方針であり、日本もそれにつられる形で同意しているといえる。
インド洋へはタンカーや貨物船だけではなく、巡洋艦クラスの艦艇の進出が確認されており、問題が発生するとしたらこちらであろう、というのが日本の考えであり、国連も同意していた。そういうこともあって、瑠都瑠伊に対する艦艇の増強であったといえる。そして、対応策については空母を派遣し、空軍を増強してきた、そこにすべてが表れているといえた。それほどにイスパイア帝国に対して危機感を感じているのが、現状であった。
ちなみに、この時点で得た情報によれば、人口二億人、軍の規模は現状で一六〇万人、国家予算の四〇パーセントが軍事予算として使われており、艦艇も二〇〇万トンが整備されていると考えられ、空母や戦艦など大型艦が多数確認されている。それは潜水艦による音紋採取、港湾の偵察写真などにも現れていた。少なくとも、このとき、日本軍ではイスパイア帝国が全体主義の軍事国家であると断定していたといえる。
この頃には、イスパイア帝国軍が南米大陸を北上していることが確認されており、それは軍事力による占領であると判断されていた。既に南米大陸のほぼ一/三をその影響下においていると判断されていた。多くは砂漠地帯であり、占領が容易であったことがその理由であろう。しかし、電波傍受によれば、それはかなり悪辣なものであると考えざるをえないものであった。少なくとも、原住民をまるで奴隷のように扱っていることが明白であったからだ。
日本としても、日本の周辺国家にしても、セーザンを失うわけにはいかないと判断していたといえる。この地の原油ほど上質のものが他に存在しないこと、ようやく安定してきた中東を守る必要があったことがその要因であっただろう。ちなみに、セラージではないのは、彼の地では精製施設がなく、純粋に原油だけしか提供していないからである。セーザンでも、イスパイア向けは原油のみであったが、それ以外は精製して輸出していた。