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異変発生

 新世紀一五年七月、この月に入っていくつかの異変が発生、日本政府を悩ませることとなる。発生源は三箇所、ひとつは日本の領土近海、つまり、瑠都瑠伊に近いナトル海峡沖西方であった。ついに、未知の国家の海軍と接触することとなったのである。いまひとつはセーザン沖、いまひとつは南北アメリカ大陸を隔てるパナマ海峡西方であった。


 七月五日、パナマ海峡西方の場合はアメリカ海軍原子力攻撃潜水艦が接触したもので、特に戦闘は発生していない。SSN-713『ヒューストン』は移転前のグアムを母港としていたが、移転時にたまたま佐世保にいたことからこの世界に移転していた。この世界で唯一の反応動力炉潜水艦であった、が、所属不明の艦艇を探知したことにあった。音紋や機関音などを録音することに成功成功していた。そうして、日本政府に報告されたのが一〇日であった。


 もちろん、アメリカにはアメリカの思惑があったと思われるが、それでも日本政府および軍上層部は対応を迫られることとなった。仮に戦闘となれば、矢面に立つのはアメリカ軍であっても、その後方、武器弾薬の補給は日本が請け負うこととなるのである。近代戦において、補給がないということは勝負に負けることを意味する。結果として、アメリカ軍が負けることもありえたのである。むろん、移転前のアメリカが存在すれば、そのような確立は非常に少ないといえるが、この世界では結果はわからないと考えられたからである。


 いずれにしても、在日国連は監視と情報集を決議、時機を見て平和的に接触を試みる、という決議がなされることとなった。その結果を受けて、日本軍も隷下の潜水艦二隻を派遣することとなった。むろん、通常動力潜水艦であるがゆえ、いくつかの問題があったが、それでも派遣することを決定したといえた。また、観測衛星による調査も行われた。


 その結果、判明したのは、南米南端に大規模な都市、というよりも国家が出現しており、いくつかの大規模な港湾施設が出現していることが判明したのである。さらに、大小あわせて多量の艦船が、中には明らかに軍艦と思われる艦艇もいくつかの港湾施設に存在することを確認していた。そうして、日本海軍潜水艦は監視だけではなく、電波傍受もその任務に含まれることとなったのである。


 ほぼ時を同じくする七月六日、ナトル海峡沖西方五〇浬の地点において、哨戒中の巡視船が未知の国旗を掲揚した大型軍艦、おそらくは巡洋艦と思われる、と遭遇、砲による攻撃を受ける事件が発生する。が、損害はなかった。連絡を受けた瑠都瑠伊駐留軍は駆逐艦二隻を急派するとともに、P-3C<オライオン>対潜哨戒機を緊急発進させ、支援に向かわせた。


 P-3Cが現場上空に到着したとき、巡洋艦、おそらくは一万二〇〇〇トンクラス、が巡視船に更なる砲撃を加えているところであった。幸いにして、巡視船には命中弾はなく、無事であったが、速度に勝る軍艦は巡視船を追いつめつつあった。やむなく、瑠都瑠伊軍司令部はP-3Cに搭載していた対潜爆雷による威嚇攻撃を命じる。もちろん、最初から命中を期待していないあくまでも威嚇目的であった。


 しかし、この爆雷攻撃が幸か不幸か、巡洋艦の至近で爆発、巡洋艦を足止めすることに成功した。後に判明するのであるが、深度一〇mで爆発したそれは、巡洋艦の後部艦底部に爆圧をたたきつけることになり、巡洋艦のスクリューを損傷せしめ、航行不能に至らしめたのである。そうして、駆けつけた駆逐艦により、拿捕されるに至った。激しく抵抗していた巡洋艦も駆逐艦二隻に囲まれては降伏するほかなかったのだろうと思われた。


 巡洋艦は瑠都瑠伊まで曳航され、取り調べることとされた。現場には駆逐艦二隻と新たに発進してきたP-3C二機による哨戒が行われることとなった。巡洋艦が何らかの電信を発している可能性があり、救援の艦艇、あるいは複数艦艇による部隊の来襲の可能性があったからである。P-3Cが現場に到着後は電波発信は確認されていなかったが、それ以前に発信されている可能性があった。実際問題として、ナトル海峡を押さえられては戦い方が制限されるからであり、それを避けるためであった。


 さらに、日本政府がアメリカより南米の一件の報告を受けた頃、セーザン沖一〇〇浬のインド洋上において、セーザンからソロモンに向かう五万トンタンカーが漂流する不審船を発見、セーザン海上保安部に通報してきた。瑠都瑠伊での事件を知っていた同保安部はタンカーにはそのまま航行を続けるよう指示し、大型巡視船一隻と小型巡視船二隻を現場に派遣した。さらにセーザン空港にあるP-3Cを一機派遣した。このP-3Cは瑠都瑠伊での事件後、瑠都瑠伊から派遣されてきたものであった。


 不審船は五〇〇〇トン程度のタンカーあるいは貨物船と思われるもので、機関故障で漂流していたものであった。幸いにして、発光信号による意思の疎通が可能であったため、これといった問題はなく、接触することに成功していた。結局、食料と水が不足気味ということで、セーザンまで曳航し、双方による話し合いが持たれることとなった。


 そうして、瑠都瑠伊での問題は別として、セーザンの不審船と南米の不明国との問題は一挙に解決することとなったのである。セーザン沖に現れたタンカーは南米南端の国家所属の艦船であったからである。とはいえ、日本国あるいは日本周辺国家郡と不審国、イスパイア帝国との今後はこれからの交渉次第ということであり、対応によっては平和的解決ではなく、戦端が開かれる可能性もあった。そして、在日国連常任理事国は日本単独での交渉を認めない、という決議案を可決したのである。


 彼らにしてみれば、日本の外交交渉の下手さ加減はよく知っており、そんな日本に任せてはおけない、そういうことであったのだろうと思われた。そして、同時に各国単独でも交渉は認めないとされた。ちなみに、この当時、太平洋各地の島嶼には移転前のそれに準じた分割がなされており、その標識が既に立てられていたため、英米仏にとっては、日本にかってな交渉をされて、これら地域を失うようなことにはなりたくなかったからであろう。


 同様に、インド洋の島嶼にも既に標識は立てられており、やはり同じことであったのだろうと思われた。ただし、瑠都瑠伊沖の一件については、日本単独での交渉とされ、各国とも、干渉はしないとされた。もっとも、これにはロシアが反対している。なぜなら、その相手、プロリア帝国は移転前のロシア中央部、つまり、ロシアのヨーロッパ部分を含んでおり、現状ではウラル以東には進出していないものの、将来的にはラーシア大陸を東進してくる可能性があったからである。


 ともあれ、こうして異変が多発した七月は終わろうとしていたのである。日本にとっては、プロリア帝国、シナーイ帝国、セラン、イスパイア帝国と問題が山積みであった。また、今後においては、各国がそれぞれの国と単独交渉し、現世界での安定が損なわれる可能性があったことも問題であった。ここでの舵取りを誤れば、日本は日本製の装備を持つアメリカ軍と再び戦うこともありえたのである。それに、アメリカは短期決戦も可能であると考えられていた。なぜなら、彼らは核を有していると思われるからである。むろん、表立っては公表はしていないが、その可能性が高かったからである。


 もっとも、プロリア帝国との問題は日本政府はうまく解決できると考えていた。瑠都瑠伊には元外務官僚の佐藤知事がいたからである。彼は一五年前から大陸調査団団長を務め、数々の問題を解決しており、今回も結論だけは決定するが、交渉ごとはすべて彼に任せるつもりであった。彼は南原政権の任期満了とともに、瑠都瑠伊へと移住し、知事として辣腕振りを発揮していた。むろん、失敗した場合の責任は取らせるつもりであった。


 彼の理解者が本国外務省にいないかといえば、そうではない。かって、彼の部下として、大陸においてその有能振りを発揮していた沢木がいまや外務省の要職にあった。他にも、ファウロスやキリール、ウゼルで大使を務めた東田も今では沢木同様に要職にあったのである。少なくとも、佐藤は完全に孤立しておらず、裏では外務省の支援を得られるところにその強みがあったといえる。


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