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日本軍

航空母艦を出現させるためのこじつけです。やっぱり、日本にも固定翼機を運用できる空母を持たせたいと考えました。根っからの航空母艦大好き人間です。

 この一〇年、日本軍にも大きな変化があった。日本政府が望んだものもあれば、そうでないものもあった。そして、日本政府が望まなかったものの中に海軍力があった。波実来、リャトウ半島、瑠都瑠伊、セーザンという遠く離れた領土を得たことも原因のひとつであるが、在日国連、とりわけ英米からの突き上げもあったことが最大の原因であっただろう。ことはラーシア海でトルシャールの軍艦と遭遇する前に遡る。


 英米は自身が進出している地域の安全保障を日本に強く求めたのである。この頃には太平洋の島々、ほぼ移転前と同じような島には足跡を記していた。その中でも、ハワイ、フィジー、サモア、ニューカレドニアといった地域に多くはない小規模な進出が始まっており、在日国連決議として海上防衛を日本に強く求めたのである。そして、その中には将来的な供与を含めた艦艇の建造が要求されていた。その代表が航空母艦であった。つまり、航空母艦であれば、海上だけではなく、移住地の防空も可能であろう、というのである。


 もっとも、この世界には先に述べたように、航空機は存在しないため、一部では必要がないだろう、そうした意見が多かった。結局のところ、日本と英米の考え方の相違であるといえただろう。彼らにしてみれば、将来的に世界各地に進出する意図があり、その際の軍、ここでは海兵隊や陸軍を現すが、彼らの護衛のため、あるいは航空支援の必要を感じていたためだと思われた。さらにいえば、進出する地域に対する考え方もあった。つまり、移転前の世界において、両国とも世界中に軍を展開していたということで、日本列島近海にのみ軍を展開していた日本とはまったく異なる考え方をしていたといえるだろう。


 日本政府は当初、近代航空母艦の建造実績がないこと、運用実績がないことなどからこれを拒絶していた。しかし、ラーシア海での不明軍艦との遭遇以降、英米以外に仏も加わり、再度の求めには応じざるを得なくなっていた。日本自身も本土から遠く離れた領土に常駐させる空軍を縮小できるかもしれない、そう考えていたからである。この当時、日本には「ひゅうが」型ヘリコプター空母があり、それを拡大した一九五〇〇トン型ヘリコプター搭載護衛艦で応じようとした。これは移転前に計画されていたものであった。対して、英米仏は固定翼機運用可能な艦艇を求めてきたのである。ヘリコプターでは能力的に十分な制空権を確保することができない、というのがその理由であった。


 さらに、シナーイ大陸に移民していた中華民国、朝鮮民国も自身の移住地にシナーイ帝国が侵攻してきた場合の対処を要求してきた。結局、ヘリコプターでは十分な対応が不可能とされ、固定翼機運用可能な航空母艦の建造を行うこととなった。近代航空母艦の建造実績がないため、日本政府は米海軍に情報提供を求めた。これに対して、米側が提供したのは「ニミッツ」級原子力航空母艦であった。その理由は、横須賀を母港とする『ジョージ・ワシントン』の整備を日本が行っていたからであった。しかし、原子力、という点でまず問題があった。日本では反応動力炉を搭載した艦艇すら実績がなかった。かって建造した『むつ』は数々の問題を引き起こし、計画は頓挫していたからである。それに、国民の反対も大きかった。


 そうして、最終的には、やはり横須賀を母港としていた最後の通常動力搭載航空母艦である「キティホーク」型を参考にした航空母艦の建造案が浮上することとなった。ただし、航続力を稼ぐために、機関はガスタービンではなく、時代遅れの感のあるスチームタービンとされた。これは蒸気カタパルトの装備も考えられてのものであった。基準排水量六万五〇〇〇トン、満載排水量八万八〇〇〇トン、全長三二〇m、全幅水線/甲板四〇m/七六m、喫水一二m、艦載機八〇~一〇〇機、蒸気カタパルト四基、エレベーター四基、機関出力三〇万馬力、最大速力三二kt、航続力一万二〇〇〇浬、乗員四九○○人というのが計画され、級名は「しょうかく」とされた。都合四隻の建造が進められることとなった。むろん、原子力動力も研究され、いずれは米軍発注、ということで建造される予定であったのは公表されていなかった。


 つまるところ、日本はこの世界で各国の防衛を担うことを強要されていたのである。そして、新たな領土を得たこと、多くの日本人が海外に移住していること、そのことが国民が軍事力増強を容認したといえるだろう。もっとも、本国に住む住民は賛成することはなく、反対することもなかった、というのが実情であったが、外地の住民たちの多くが賛成に回ったことが政府が軍事力増強におよぶ最大の要因だといえた。


 そうして、三年で一隻、八年で四隻もの空母の建造をなしとけることとなる。これは、ラーシア海での軍艦との接触が要因であり、さらに、グルシャ海北方で多数の軍艦が確認されつつあったことが、建造を急がせた最大の要因であったといわれる。特に、瑠都瑠伊からの突き上げがそれをなしえたのだといわれた。いずれにしても、第二次世界大戦後、初めての航空母艦の建造がこうしてなされたのである。


 むろん、艦艇の建造だけではなく、搭載する航空機の開発も同時に進められている。とはいえ、こちらも製造実績ははなく、難航するかに思われたが、米軍からの情報提供により、F/A-18<ホーネット>をベースに製造することが決定された。横須賀にあった実機も提供されていた。運用する海軍側はF-14<トムキャット>を望んだとされるが、コスト面から先送りとなった。他にEA-6B<プラウラー>、S-3<バイキング>なども開発されることとなり、将来的には製造される予定であった。早期警戒管制機であるE-2C<ホークアイ>も製造される。H-60Jヘリコプターはライセンス生産の実績があるので問題はなかった。


 こうして、新世紀一三年までに四隻の航空母艦が建造され、同時に艦載機も製造されることとなった。ただし、航空機は全長や全幅、全高など若干の変更がなされることとなった。これはエンジンなどを既存のものを搭載できるようにしたためで、性能的には同等か若干の向上を見込まれていた。ここでも、日本の工業力の高さを改めて知らしめることとなった。移転前にはこれほど工業力があるとは英米仏ともに考えていなかったようで、かなりの驚きをもって迎えられた。移転前には政府や法律に縛られていたために製造できなかっただけで、いざ製造となると相応の技術力を示したのである。


 航空母艦だけではなく、他の艦艇も主に米軍の要求で建造されている。その多くが駆逐艦であり、中には、イージスシステム搭載ミサイル駆逐艦が含まれていた。簡単に言えば、「あきづき」型護衛艦や「あたご」型護衛艦の準同型艦である。むろん、これは米国だけではなく、英国も含まれている。それ以外にも補給艦や輸送艦といった艦種も存在する。


 ラーシア海での軍艦との接触、その性能が低いとしても、日本を離れて移民している国家に与えた影響はそれほど大きいといえる。彼らは日本人ではなく、これまで受けた教育が異なる。そして、新しく国を興そうという意思をもっており、その地を守らなければならなかった。むろん、彼らとて、日本に滞在していた以上、日本の内情は良く知っていた。それでも、その防衛を日本に強く求めなければならなかったということであろう。


 そうして、日本も経済的な支援だけではなく、これら移民地域の防衛をも担わなければならない、そう決断した、しなければならなかった。そうでなければ、せっかく、これまで時間と費用をかけてきたことが無駄になる可能性があったからである。その結果が軍事力増強、という結論に至る。それは何も海軍だけではなく、陸空にも及んだのである。戦闘機や輸送機、偵察機といった航空部隊の増強、陸軍四個師団増強という面にも現れることとなる。


 新世紀一三年初頭には、日本軍は三六万人規模へと膨れ上がり、即応予備役兵四万人、予備役兵六万人まで増加することとなった。兵役に就ける人口はそれほど増えておらず、退役後の各種の優遇処置がなされていたにしても、異常といえるほどの増加であった。むろん、就職難、ということもあっただろうが、大きな変革振りを示しているといえた。それに、移転、という事件が日本人の考え方を根底から覆してしまったのかもしれない。


 それでも、兵役に就ける人口は増加していないことは先に述べたが、実は外地に渡った若者たちの間でその傾向が大きいといわれる。少なくとも、彼らの間で何かが変わったのだと考えられている。ただ、ひとついえることは彼らには国を守る、という意識よりも居住地のある地域を守るという意識のほうが強い傾向があることだけはわかっていた。


 いずれにしても、兵役制度は導入されておらず、純粋に志願者のみの増加であったという点が注目されるだろう。高齢化が進み、少子化が進む中でなぜこのようなことがおきたのか、と疑問に思うかもしれない。しかし、種明かしをすれば簡単である。波実来という新領土が確保され、移民が始まったころから、国内ではなく、波実来で出生率が急激に増加したのである。むろん、日本政府による多産奨励精度も大きな影響があったと思われるが、それ以外にも理由があると考えられていた。リャトウ半島、瑠都瑠伊と新たな領土が得られ、移民が進むと、それら地域でも同様の傾向が見られたという。これら地域では夫婦と子供四人が平均であり、二人以下の子供しかいない世帯は稀だといえるほどだったのである。


 とはいえ、質の点からはそれまでの体制に比べれば、若干の低下は免れないと思われた。志願の動機があいまいであり、国を守る、という意識が少ないからであり、教育期間も移転前に比べれば短くなっていたからである。中でも、特殊能力を有する海軍や空軍はともかく、陸軍においてはそれは明確に現れていたといえる。そして、政府としては短期間になされたことに満足し、実働部隊の長は苦労するということになる。


 ちなみに、先に挙げた即応予備役兵や予備役兵が多いのは外地であり、日本国内ではそれほど多くはない。また、多くの場合、下級兵士としての志願であり、士官学校に入学する必要のある士官は少ないといえた。また、多くの場合、居住地以外の場所、たとえば、瑠都瑠伊で兵役に付いた場合、サージアやトルシャールへの移動は受け入れるが、波実来やリャトウ半島などへの移動は嫌がる傾向があったといえる。外地で予備役兵が多いのはそういうところに理由があったのである。


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