世界状況
日本の周辺とシナーイ大陸北部および西部以外はどうであったのだろうか。日本軍および米軍による個別調査あるいは合同調査が幾度も行われていた。シナーイ大陸中央部はシナーイ帝国が存在するが、接触が不可能なため、詳細は不明であった。むろん、幾度か接触は試みられていたが、いずれも武力行使による攻撃を受け、最終的には接触を試みられることがなくなっていた。
その代わりに太平洋各地や北米および南米、オーストラリア、アフリカ、ラーシア大陸西部などの調査、その多くは衛星情報による海上からの調査が行われていた。太平洋に存在する島嶼は移転前と同様であり、ポリネシアン系と思われる原住民が暮らしており、原始的な生活をしていたといえる。もちろん、技術的にみるものは何もなかった。今後の関与によっては、移転前と同様、それ以上に発展させることが可能であったといえる。
オーストラリアについては、一部内陸部まで調査されているが、得るものは何もないといえた。移転前の南米アマゾンそのものであったからである。無理に開発すれば、地球(ではないが既にこう呼ばれることになっていた)環境破壊に繋がるとして、開発は見送られていた。もっとも、開発にゴーサインが出ていても、現状ではそれほど開発が進まないと考えられていた。
アフリカは移転前そのままであり、正しく暗黒の大陸そのものであった。原始的な狩猟部族が多数存在していると考えられ、現状では開発する必要が認められなかった。移転前のように強大な欧州国家が存在すれば、植民地争いになった可能性があるが、現状ではそれすら不可能であると考えられていた。
北米には原住民が存在するが、それ以外は何も存在しないといえた。移転前の形とは異なり、少し小さく、カナダ北部の地形が大きく減少していたといえる。メキシコに当る地域にも原住民は多数確認されているが、原始的な生活をしていると考えられた。南米においては、その多くが砂漠化しており、原住民が確認されるが、その数は少なかった。何よりも、両大陸は繋がって尾あらず、移転前のパナマあたりで途切れ、海峡を呈していた。
いってみれば、これら地域は移転前の大航海時代以前の状態にあったといえただろう。むろん、そうであったのではないか、という意味でそう結論付けられていた。結局のところ、これからの開発状況によってはかっての地球以上に発展する可能性もあれば、そうでない可能性もあったといえた。もちろん、大航海が可能な地域といえば、日本およびその近隣諸国だけであり、在日国連は時期尚早として、日本によるこれら地域への渡航を制限してしまった。日本以外にも、開拓に入った各地でもそれは禁止され瑠こととなった。北米に入っていたアメリカも南部や北部内陸への移動は禁止されたのである。もっとも、日本には現状においてその意思はなかった。日本国民はやはり農耕民族であったということになる。
ラーシア大陸西部、移転前では欧州といわれた地域はどうであったかといえば、未だ各地に小国が乱立する時代といえた。海洋にまで乗り出すことはなく、各地で紛争を繰り広げている状況だといえた。例外は、北欧とされる地域で、帆船による沿岸航海が行われているといえた。それとて、大きく外洋まで出ることはなかったといえる。
もうひとつ、移転前では東欧と呼ばれていた地域、では沿岸航海がなされていたといえる。かって、グルシャと呼ばれた国も存在していたが、どういうわけか蒸気船が東進することはなく、北あるいは西へ向かうことが多かった。陸上では北および西で大規模な戦闘を行っているようであった。結果として、この国はシナーイ大陸西部のナトル半島に来航することはなかった。グルシャ海の潮流の影響も考えられたからである。
おそらく、日本の出現がラーシア海とそれに繋がる各海に何らかの影響を与えたものと思われた。いずれにしても、今後の詳しい調査が必要であった。しかし、在日国連はこれら地域への渡航も禁止することとなり、内陸部への調査は不可能であった。今後においては不明であったが、この時点ではシナーイ大陸以外への関与は禁止されることとなったのである。
これは資源がない日本がこの世界で国として存続するため、あるいは、在日外国人たちの生活を保つためのやむをえない処置として認められたからであろう。そして、在日外国人たちが日本による世界支配を恐れたための処置とも思われた。が、開拓に入った各地で各国、特に英米がそれなりの勢力を持つようになれば、状況が変わると思われた。
そして、シナーイ大陸中央部はシナーイ帝国が存在し、その西には移転前には中央アジアとよばれた地域が存在する。もちろん、調査に入ったわけではないため、詳細は不明であるが、広大な地域にはラームルと呼ばれる国とその影響国が存在し、一帯はラーム教という宗教の支配下にあると思われた。これらの情報は、日本が新しく影響下に置いたサージアからの情報であった。この当時、サージアはもともとはセランの一部であり、セランを通じて中央アジアと呼ばれた地域の情報が数多く入っていたからに他ならない。
そんな中で興味深いのが、移転前にはインドといわれた地域(後の英国の調査により、インデリアと判明する)であり、これら地域はラームルと敵対しているという情報であった。宗教的にも、ラーム教とは相容れないものであり、境界線では紛争が絶えないという。休戦したり、再開したりを繰り返し、現在に至るというのである。結局、ラームルが北進、つまり、大陸北部への進出を目指したため、現在は休戦状態にあるというのである。
これら二つの勢力争いは移転前には東南アジアと呼ばれた地域でも行われており、現状では、インデリア、ヒーズ教の勢力下にあるとされていた。ここでも、宗教と密接に繋がった国家の争いが見えてくる。移転前にもあったと思われる時代であったのだ。移転前であれば、大航海時代において、廃れていくことになると思われた。
そんなわけで、日本の進出は日本近隣の開拓地(日本が入っていない地域を含めて)シナーイ大陸北部および西部、ラーシア大陸東部、南太平洋に限定されていたといえる。もっとも、これが、日本の崩壊を防ぐ結果となっていたのは事実であった。仮に、無制限に各地に進出していた場合、日本は日本国としてこの世界に存在しなかった可能性が高いのである。