漂流者
新世紀五年一〇月、ナトル海峡の出口のグルシャ海(ラーシア海と繋がっているが、西部の海はこう呼ばれていた)近海で、瑠都瑠伊に向かう貨物船、シー・ナトル号が漂流中の漁船らしきものを発見し、乗員を救助したことから瑠都瑠伊駐留軍が戦乱に巻き込まれることとなった。戦乱といっても、瑠都瑠伊でのものではなく、南のセランでのものであった。
「セラン西部の住民が支援を求めている?」沢木領事官に呼ばれて領事館に赴いた今村はそこで意外なことを聞かされた。
「ええ、我々を助けてほしい、そういうことね、一言で言うと」海上保安部から挙がってきた報告書を見ながら沢木がいう。
「それはまたどうして?あの国は分裂しているのですか?」
「そうだともいえるし、そうでもないといえるわね。とにかく、援軍を求めてきているといえるでしょう」
乗船していたのはセラン人男女合わせて三六人であり、トルシャールに向かうところであったという。しかし、そのうちの半数は純粋のセラン人とは異なるというのである。当初は要領の得ない話ししか聞けなかったが、数日過ぎて、リーダーと思われる人物の健康が安定すると、徐々にその内容が鮮明になってきた。彼らはセランでも迫害されている人間たちであり、このところ、セラン軍が各地の集落にやってきて略奪を行い、彼らの生活が脅かされているという。
彼らの迫害されている理由、それは彼らがセラン人とグルシャ人あるいはセラン人とトルシャール人との間にできた、いわゆる混血であったことに尽きる。グルシャ人との混血は、かってグルシャ人が侵攻してきた際に暴行を受けたセラン人女性が身ごもったからであり、トルシャール人との混血は、流浪の民となってセランに逃げてきたトルシャール人女性にグルシャ人やセラン人が暴行を加えた結果、誕生したという。そして、セラン政府は彼らを人間と認めず、隔離したという。他人種の血が混じっていればセラン人とみなされないという。それは今でも続いており、その数、二〇〇万人以上だとされていた。
トルシャールとの国境での戦いが優勢なうちは彼らに目を向けるものはいなかったが、先の戦いで大敗し、兵力が不足すると彼らのうち、兵力になりえる二〇歳から三〇歳までの男が問答無用で徴兵され、さしたる報酬もなく、兵役に付かされているという。結果として、彼らは労働力を失い、生活が成り立たなくなっているのだという。しかも、兵役に付かされた若者の多くが脱走兵となり、セラン軍から追われ、その手は彼らの集落までに及んできたという。
そんなとき、彼らはナトル半島や瑠都瑠伊、トルトイのことを知り、集落の長老たちが代表をトルシャールに派遣し、援助を求めることを決定した。そうして選ばれたのが彼らであり、セルダーから漁船で出港したものの、途中でエンジンが故障し、漂流していたところを『シー・ナトル』号に救われた、ということであった。
「つまり、今村大佐、当時は中佐でしたが、貴方の戦いの後、彼らの環境が変わった、そういうことになりますね」
「あの戦いの後、ビラ撒きを実行したことがあります。これ以上戦えば、今度はセラン国内に侵攻する、そういった内容だったと思います」
「とにかく、これを放っておくわけにはいかないでしょう。少なくとも、彼らが迫害を受ける直接の原因はこちらにありますし、何とかしてあげたいと考えています」
「しかし、これが彼らの作り話ということもありえます。十分な調査をしてからでないと。それにあえて火中の栗を拾う必要はないのではありませんか?武器弾薬の支援で留めるということも考えられますが?」
「たしかに大佐のいう通りよ。私も最初はそう思ったの。でもね、彼らの集落が存在する地域を聞いて考えが変わったの」
「集落の位置?」
「ええ、この地図を見て何か気づかない?」そういってA3用紙の地図を今村に見せた。
「これは・・・・」その地図の×印の付いた場所を見て今村が言葉を詰まらせる。沢木の意図が理解できたからである。
その×印の付いた場所、それはセラン南西部および西部に点在していたからである。そして、移転前でいえば、イラクやサウジアラビアの一部にあたる地域であった。そう、中東といわれる地域の一部であったのである。そして、石油の産出する可能性が高いといわれている地域でもあった。沢木はこれらの地域に影響力を残すことができれば大油田を手に入れられる可能性を考えたのだと思われた。むろん、石油が出ない可能性もあるが、本国では、石油の産出する可能性が高い、要調査域として指定していた。
いずれにせよ、これら大陸の沿岸部を確保することは、将来的にインド洋経由での航路確保に繋がると判断したのであろう、そう思われた。特に、対岸のアフリカ大陸を調査する際、移転前よりも広いとはいえ、紅海を渡ることは最短での移動といえた。そのためにも、これら沿岸部を確保し、開拓することは重要でもあった。シーレーンの確保が容易になるし、ラームルに対する圧力をかけることができるからであった。
「軍を派遣することはやぶさかではありませんが、安部少将や佐藤さんの許可が必要です。準備をしておけというのであれば、準備はしておきます。それに、これは陸路を行くよりも、海路のほうが早いし、短期間で移動できます。海軍の協力を仰ぎたいところです」
「もちろんよ。今問い合わせ中だし、派遣することが決定したなら、海軍のほうにも協力を要請しましょう。二~三日のうちに返事が来るでしょう。そのときには改めて連絡いたします。規模は一個旅団を考えています。心得ておいてください」
「判りました」
結局、沢木の言うとおりであり、一個旅団を海上から派遣することとなった。海軍からは護衛艦四隻と『おおすみ』『しもきた』が派遣されることとなった。むろん、輸送艦だけでは部隊を移動させることはできないので、瑠都瑠伊にあった貨客船や貨物船が使用されることとなった。輸送艦二隻では六個中隊しか運べないが、彼らが先遣隊として上陸して橋頭堡を確保、後続部隊が上陸するということになった。これは、今村も初めて経験する海上からの強襲揚陸戦ともいえた。しかし、上陸地点は砂浜ではなく、互いに二〇kmほど離れた二箇所の漁港とされた。小さいなりに桟橋があり、上陸が容易だと思われたからである。
今村自身が上陸戦の指揮を執るつもりでいたが、今回は認められず、少佐に昇進して第一連隊指揮官となっていた安西が総指揮官とされた。彼らの任務は先の迫害されている人間たちが住む地域とその近隣地域、セランのおよそ一/五〇にあたる地域の確保であった。一部森林地帯が含まれるが、そのほとんどが砂漠であった。今村がそこまで規模を拡大したのは、森林地帯と森林地帯を繋ぐ川が境界線となり、以後の維持が容易であると考えられたからであった。
「すまんな、俺が指揮を執るつもりでいたが、上からの命令で動けん。せめて、『おおすみ』に乗りたかったが、それも叶わなかった」出発前に司令部に出頭した安西に今村がいった。
「いいえ、大佐、上の命令じゃ仕方がありませんよ。今回は任せておいてください」
「空からの支援もあるし、旧式だが八九装甲車が計二〇両用意できた。戦車じゃないが、それなりの戦力になるだろう。第三連隊を予備兵力にしてある。必要なら連絡しろ。だが、決して無茶はするな」
「はっ」
「武運を祈る」今村はそうして送り出さざるをえなかった。