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日本近隣

 新世紀五年六月、移転して丸五年、日本の近隣はどうなっていたかといえば、開発は進んでいたといえる。波実来は別として、半島および華南域、フィリピン、インドネシアは開発速度が上がっていた。移民した人間の数もさることながら、自分たちの国を作るのだ、そういう熱意にあふれていたからであろう。


 半島では既に食料においては自給可能なまでになっており、日本からの食料支援は年々減少の傾向にあった。むろん、一部の自給不可能な食料においては日本からの支援に頼らざるを得なかったが、それも減少傾向にあった。また、地下資源の採掘も進み、日本とはそれなりの輸出入が成り立っていたといえる。さらに、各種軽工業も発展しつつあった。在日韓国・朝鮮人といえ、日本国内では製造業を営んでいるものもいたし、さまざまな業種についていた。それをそのまま移動した、そのようなケースも存在したからである。


 もっとも開発域は未だ限定され、移転前でいえば、釜山あたりまでしか進んではいなかった。それでも、北へ北へと生活域を広げつつあった。いかんせん、五〇万人といえ、半島を開発するには人が少なすぎるということであろう。移転前の大韓民国のようになるには後三〇年は必要であろう、そう思われた。とはいえ、着実に開発が進みつつあった。文化面でも、テレビ一局にラジオ二局が開設されていた。


 その西、華南域、ここでも食料自給が可能であった。最初に農業から手をつけた、ということで当然といえただろう。ましてや、土地が肥沃であったことが予想以上の収穫を約束していたといえる。前年、四年一〇月からは日本はもちろん、移民先のいくつかに輸出まで可能であった。米だけに関わらず、小麦の収穫量が多かったことから、グアムやソロモンといった小麦を主食とする地域に向けて輸出されていた。輸送手段は日本の船舶であったが、それでも外貨の稼いでいる移民地だといえた。


 その狙いは間違ってはいなかったといえる。日本の食糧自給率は波実来の開拓が進んだことで上昇してはいたが、それでも六〇パーセント程度であり、一億近い人口を養うには輸入が必要であったからである。さらにいえば、移転前とは異なり、巨大とはいえ、ほぼ九割が軍人であるグアム、規模的には小さいソロモンなどは農産物を必要としていたからである。


 ただし、農業に重点を置いたため、工業はそれほど発展してはいない。繊維工業と軽工業といったところであろう。自動車や農業機械といった機械類はほぼ支援に頼らざるを得なかった。今後は農業機械といった製品を製造できるようすることが課題だとされた。そうすることで、さらに農作物の生産効率が上がり、外貨獲得が可能だったからである。


 フィリピンやインドネシアも開発が進みつつあったが、こちらは当初の計画とは異なり、やや無秩序な開発になっていた。それでも、食料自給は可能であり、半島や華南域で生産できない農産物の生産に重点を置いていた。森林資源は日本がもっとも必要としており、大陸の後進国に比べれば、日本の技術が入っているだけに上質な木材を輸出することが可能で会った。


 また、当初の調査通り、ゴムなどの資源が豊富であり、これらはすぐにも輸出が可能であり、それが地域を発展させていったといえるだろう。これら地域では当初、農作物の育成というよりも、存在する資源の採取と輸出がメインであったとされる。それが手っ取り早い外貨獲得の方法であった。むろん、日本の支援は無償であるため、その輸出で得た外貨は彼らの内政に大いに関与したとされる。また、インドネシア北部のブラジル系移民地ではコーヒーの栽培も始まっており、それなりに外貨の獲得に繋がっていた。


 これら地域は香辛料の豊富なことが判っており、その採取が十分な外貨の獲得にいたっている。後に、香辛料の栽培も進められ、資源の枯渇を防いでおり、今後も有望な産業といえた。それだけでも、地域の財政は潤い、それがより開発を促進していたといえるだろう。なぜなら、日本では得られない資源の多くがそこに眠っていたからである。


 ちなみに、半島はその名も朝鮮民国とされ、華南域は中華民国、フィリピンはその名の通り、フィリピン共和国、ブラジル系移民の居住地はブラジル共和国、インドネシア地域はマラヤ共和国と名乗っていた。特に、同じ大島に開拓に入ったブラジル系と東南アジア系との国境は入植前に定められており、問題は起きないとされていた。なぜ、華南域が中華人民共和国と名乗らず、中華民国と名乗ったかといえば、在日中国系が多く、共産主義に反対したからに他ならない。結果、台湾系住民も多くがそちらに流れることとなったのである。


 ソロモン諸島に入った英連邦国は開拓を進めると同時に周辺域の資源調査に重点を置いていたといえる。ニューギニア島東部で油田およびガス田が発見さたことで、これを外貨獲得の手段としていた。日本は大陸で既にいくつかの油田を得ており、日本向けでは採算が取れなかったが、ブラジル、マラヤ、中華民国、グアムではそれなりの需要があったことで、採算は十分に取れたといえた。日本の優先的な開拓で、ほぼ日本国内での生活と変わらない生活が可能であった。海底ケーブルが敷設され、メールやブラウジングが可能となっていた。


 グアムに入ったアメリカであったが、その多くが軍人であったため、域内開発は進まないかに思えたが、軍人の一部が軍を退役、予備役扱いで農業に従事したことから、食料事情は自給可能なまでにあっていた。軍はビジネスとしての活動も始め、朝鮮やブラジル、マラヤ、英連邦国で防衛任務と軍人養成などをこなし、それなりの対価を得ることができていた。そして、彼らは現代の大航海時代よろしく、各地に向かった。これは、世界の情報を得るためであり、大陸における日本の影響拡大に危惧を抱いたものと思われた。


 これら地域に入ったのは何も在日外国人だけではない。当然ながら日本人も含まれていた。その多くは配偶者あるいはその血縁関係で会った。そして、新しい場所で一旗あげようとするもの、その多くが日本の中小企業であったりした。いずれにしても、税制優遇などの処置により、日本人の流出が増え、日本政府の意図した方向ではない結果も現れつつあったといえる。逆に、瑠都瑠伊のように日本人移民を募ったが、在日外国人が向かうケースも洗われていた。


 結局のところ、移民というのは強制でなければ、意図したようにはいかない、そういうことであった。むろん、それが良いか悪いかは別として、この世界では日本の法は適切といえないかも知れず、その見直しを図らなければならないといえただろう。そうして、波実来や瑠都瑠伊においての法律は日本本国とは若干ながら異なることになり、地方分権が進むこととなるきっかけであったといえる。


 移転前の世界は欧州から世界に広がっていったが、この世界ではそうではない。東アジアから世界に広がっていくことになるのかもしれなかった。それは今後、何年か経てから評価されることになるだろう。いずれにしても、日本はこの時点で最良と思われる方策とっていたのあろう。それが、後にどう変わるか興味のあるところである。現在のところ、日本が唯一の技術大国であり、その日本からの技術流出が世界を変えていくことになるかもしれなかった。


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